しげあ記 人界編 3
白鶴の本名は甲太郎。
浦島甲太郎と言う。
登竜門で通している白鶴と言う名前は道名だ。
道名とは仙人や道士―――。
所謂仙道のこと。仙道は、本名を真名と呼んで特別視すると共に隠す。
仙道の中には真名さえ判れば相手の顔も知らずとも呪い殺せてしまう恐ろしい術の使い手もいて、真名を知られると言う事は命を握られると言う意味を持っていたからだ。
そんな恐ろしい術があっては軽はずみに仙道同士で名乗る事も出来ない。
だから仙道は本名の代わりに道名を作り、その名で互いを呼び合う。
僕は日本生まれの日本人だ。
日本には戸籍が在り、真名も明記されている。
真名なんて隠し様が無いのだけれど、それでも古くからの慣習から登竜門では白鶴と名乗っていた。
名付け親は南極仙翁。
白鶴に「仙人に成るがいい」と言っていた人だ。
今は師弟の関係にあり本人は「南極と呼び捨てにして構わん」と言っているが、教えを請うている立場にある白鶴としては分別を付けたいらしく先生と呼んでいる。
道名の由来は南極仙翁が白鶴と初めて出会った時の姿を見て直感的に決めたそうだ。
上下真っ黒な装束の上に白い羽織を纏い、頭に赤い布の髪留めをしている姿が一羽の鶴――『タンチョウヅル』――を彷彿させたらしい。
道名を与えられ、南極仙翁の弟子になる事で白鶴は道士になっていた。
―――この道士とは仙人になる前の段階に居る仙人のことで、仙人に成るには是から30年も50年も修行を重ねた先の話になるが、上手く行けば、登竜門の中で仙人に成る事だって可能らしい。
それから週に3日ほど。
南極仙翁との修行に明け暮れる白鶴は日本と南極大陸を行き交いしている。
如何やって日本と南極までを行き交うかと言えば、海底列車に乗ってだった。
海の底には、列車が走っている。
異世界から導入された技術によって作られた海底列車は毛細血管の様に海底を駆け巡り、その時速は4000キロと戦闘機の速度を越えていた。
南極から1万1千キロほど離れた日本にだって、海底列車なら3時間足らずで行き交い出来る。
料金は、冒険者は無料だ。
開拓者が定価の8割引で、海底列車を使えば誰でも気軽に南極まで行ける。
観光客は多く、最近では修学旅行で南極の11機関本部まで足を運ぶ学校もあった。
修行は仙境にて行われる。
仙境とは11の区間に分かれた組織の本部の仙界の代表者に宛がわれた区間の事を指す。
正式名は仙界崑崙山脈辺境麒麟崖。
1番前の文字と1番最後の文字を取って仙境・麒麟崖と言う。
仙境に入れるのは、ジョブが仙人か道士である者のみだ。
現在、組織に仙道は白鶴と南極仙翁を含めて10人しかいない。
………東京ドームより一回りくらい大きい広さと高さを持つ広い区間に、その人数は寂しい気もする。
麒麟崖での修行を白鶴は3年ほど続け、中学生になった頃から登竜門の中での修行にシフトチェンジしていた。
義務教育である中学校を卒業したら、白鶴は登竜門の本格的な攻略に臨む予定でいる。登竜門の中で修行を行うのは、今の内から登竜門の空気に慣れて置いた方が、いざ乗り込んだ時に混乱が少なく不用意な行動を起こさないだろうと言う念を入れてのことだ。
白鶴は、行き当たりばったりの行動を好まない。
万能薬の2つ名を組織から与えられたのも最近のこと。
登竜門の中で修行を始めた時。
言い方は悪いが登竜門で見掛けた負傷者を助ける事が、白鶴の扱う仙術の良い練習台となり、負傷した冒険者や開拓者を治療し、登竜門の外に護送する事を繰り返していたら何時の間にか『万能薬』何て言うご大層な2つ名が着いていた。
南極仙翁の見立てでは白鶴が登竜門の攻略には10年は掛かりとのことで、更に仙界で修行を積んで仙人に成るのには50年くらい掛かるそうだ。
ならば「その見立てよりも早い5年で登竜門を攻略し、30年の内に仙界仙人になって先生を驚かしてやろう」と、密かに心に決めて今日も今日とて修行に明け暮れていた。
『おい、何ボーっとしてやがる。何か回ってきたぞ』
「ん。ありがとう」
脳に直接届く乙の声が、ぼんやりとしていた白鶴を正気に戻した。
黒色の、オーソドックスな学生服に身を包む白鶴は自分の在籍している教室の席に座っている。
目の前には、プリントを差し出している担任の教師が居た。
どうやらボンヤリしていたのは僅かな間だけらしい。
差し出されたプリントを受け取るタイミングは遅くなく、注意を受ける事も無かった。
口には出さなかったがチョークにまみれた手で触れたプリントはチョークで汚れ「手を洗いなさい」と言いたくなり、白鶴は自身の口を塞ぐ。
乙は普段、白鶴の影の中に沈み込んで居る。
玉手箱と言う箱の所為で、乙は白鶴の影から乖離が出来ない状況にあった。
――――ティッシュ箱サイズの箱。玉手箱。
色は黒。
外殻は胡桃の様な模様を浮かばせており僅かに熱を放っている。
鼓動と言うには荒々しくも乱雑な、壁を殴りつけるような音が中から響いてきたのを「乙が玉手箱を内側から破壊して脱出しようとしていた」のだと気付いたのは、白鶴の影に玉手箱が完全に融け合い1つになった後のことだ。
玉手箱は箱の様であり、植物の種の様であり、卵の様であった。
硯の中で融ける墨や煮えた熱湯の中に投じられた一撮みの氷の塊の様に。
白鶴の影と融け合い1つになった玉手箱は3年の間を置いてから乙を捻り出した。
………まるで蛮族を捻出する登竜門の様だと思ったのは白鶴だけの秘密だ。
カエルの子がカエルである様に―――。
影から生まれた子(乙)は影となるり白鶴の影から引き剥がすことが出来ない。
時に騎乗し、時に共闘する乙は実体では無かった。
触る事の出来る立体映像とでも言えば良いのか。
応身と言うらしい。
簡単に言えば忍者の分身の術みたいなもので「触れるほど密度の高い幽霊」の様なもの――。
実体は影に解けた玉手箱の中に安置されており、影から捻り出される乙は肉体から幽体離脱して来た仮初めの体でしかない。
乙が失われた実体を取り戻すには―――……。
まず白鶴の影の中に融け込んだ玉手箱をサルページしなければならない。
そんな事は乙には出来ず、白鶴にも出来ず、南極仙翁にも出来なかった。ただ仙界に往けば、それが可能な仙人が居り、設備も在るそうだ。
何故そんな仙人がいるかと言うと、仙界の仙道と霊界の霊獣は親交が深く、共存共生の友好的な関係に在るからだと言う。
この玉手箱の技術も元々は仙界と霊界で共同開発されたものらしい。
玉手箱と影によって仙道と霊獣を1つに繋げる事が出来る技術が開発された時に、キチンと引き離す技術も開発をしているそうだ。
だから乙も仙界を目指し、同じく仙界を目指す白鶴とは協力関係にあった。
白鶴と共に仙界に赴き、仙界から登竜門を経て霊界へと帰る。
これが乙の大まかな目的だ。
寿命が1000年を越す竜の種族である乙には、白鶴が仙界に往くまでの5年や10年は時間はそんなに長い時間だと判断できたのだろう。
―――此処までの話で分かるだろうが、乙は好き好んで玉手箱に入った訳でも無いし、霊界から人界まで渡って来たのでも無い。
霊獣の様な人界では伝説上の生き物とされる獣の捕獲を専門に狙う密猟者の仕掛けた罠に捕まって、乙は霊界から人界に来ていた。
自分の一族の支配する縄張りを一人で散歩していたところ、玉手箱を草叢の中で見つけ「何が入っているのだろうか」と中を開けて覗き込んだら、箱の中に飲み込まれて出て来れなくなってしまったのだと言う。
この密猟者は登竜門の開拓者達だった。
偶然にも登竜門の中で取引をされていた霊獣の売買を目撃した白鶴が派手な殺陣を演じて密猟者を捕らえ霊獣たちを解放したのだが、その混乱に紛れて玉手箱が1つ白鶴の影に融け込んでしまっていたらしい。
それが乙だった訳だ。
「……はい。じゃあ今お前たちに配った紙は来週の頭に提出するように」
クラスの席の最前列から最後列まで。
プリントが行き渡った事を確認した男性教諭(40)が、教卓の上に両手を置いてクラスの生徒全員を見据えて言う。
此処は僕の通う中学校の2年生の教室だ。今は2学期で、夏休みを終えたばかりのせいかクラスの生徒達の中には休み明けの気だるさが目立つ。
「まだ早いと思ってる奴も多いかも知れんが、来年の今頃はお前たちも受験生だ。1年なんて過ぎちゃえば「あっ」と言う間だぞ? 中学を卒業した後、自分が何をしたいのかをキチンと考えて提出するように―――」
普段よりも数分だけ長く。
男性教諭は言葉を続け、クラスの帰る時間を遅らせた。
隣のクラスはもう解散となったのだろう。廊下には、同学年の生徒の賑やかな喧騒が聞こえてくる。
余り目上の者を敬うと言う事を知らない素行不良の生徒達が「話がなげーよ」と言葉を発し、その他の何人かの生徒が、その言葉に便乗して「早く終われ」と文句を投げかけていた。
それに応じた訳でもないだろうが、ちょうど男性教諭の話も終る。
男性教諭は、この生徒からのブーイングに何も言わない。
このくらいのブーイングは悪ぶりたい小生意気な年頃の中学生徒には在り来たりだからなのだろう。
タバコを吸っていたり、耳にピアスをつけていたりしなければ教諭も一々目くじらを立てない。寛容なのか諦めているのか「問題を起こしたくない」と言う自己保身の為か、その判断は難しい。
教諭からの号令で今日は解散となり教室から出て行き生徒に混じり、職員室に向う教諭の後姿を見ても、南極仙翁先生の様な威厳は感じられないで居た。
通常。
6時間目の授業が終わり、クラスごとに割り当てられた掃除区間の掃除を済ませて教室に戻った後は、担任の先生から一言二言の連絡事項を聞いて解散となる。
………先ほどクラス中に配布され、この帰りの時間を少しばかり延ばした一枚の書類は『進路希望調査表』と言う。
就職を希望するか、高校への進学を希望するか。
就職をするのなら何処に就職したいのか。
進学をしたいのならば何処の高校へ行きたいのか。
そんな内容が記されている。
―――きゅ〜……きゅきゅきゅ…きゅきゅきゅ〜〜…ッ…―――。
ボールペンで空欄を埋めていく。
自分の将来を決めている僕はスラスラと書類を書き終えて、見直しを行っても3分と時間は掛からなかった。
僕が成りたいものは決まっているのだから、こんな書類は忘れない内にササッと書いてしまった方がいい。
就職希望にマルを書き、成りたい職業を書く欄にも自信を持って就きたい職業を記す。
そう――。
――――『仙人』――――と。
第3話『中学生・浦島甲太郎中学校を往く』
登竜門へ挑む人は冒険者と開拓者に分けられる。
冒険者とは、組織によって勧誘を受けた開拓者や一般人のことを差し、開拓者とは組織に属していない冒険者のことを差す。
――――『組織』――――。
それは11機関のこと。
人界が未だ登竜門を知らない時代から登竜門を管理し続けてきた組織に所属していれば冒険者。所属していなければ開拓者になった。
組織の本部は南極にある。
登竜門を囲むドーナツ状の建造物で、組織に所属している冒険者のみならず開拓者にも様々な支援を行なって登竜門攻略の手助けを行なっていた。
支援してくれる内容は様々だ。
開拓者を始める為に準備金を低い利息で用立ててくれるし、登竜門の中で溜まったお金をソコソコの金利で預かってくれる。
本部の内部に在る宿泊施設の手配を行ってくれ、登竜門に関する知識を得る為の図書館も開放されている他、4年制のアカデミーも存在した。
他にも登竜門の中で特定の依頼をこなせば報酬を得ると言う任務の斡旋や登竜門で手に入れた『何が何だか良く判らない物』の鑑定と換金まで行なってくれ、海底列車の運用も11機関が行っている。
様々な便宜を図ってくれる組織は冒険者と開拓者にとって無くてはならない存在と言えた。
昨今では世界中に支部が設立し、無論日本にも支部は在る。
―――冒険者に11機関と言う組織が在るように。
開拓者にはギルドと言う組合が在る。
冒険者には11期間と言う組織しか無く、冒険者とは11機関に名を連ねている開拓者しか名乗れないが、開拓者は「登竜門に挑もう」と志した瞬間から名乗れる自称に近い。
ギルドも沢山あり有名所では「錬金術師ギルド」や「魔術師ギルド」なんて言うギルドが有り日本では「陰陽寮」や「高原塾」なんて組合が在る。
10万人単位と言う、11機関の冒険者よりも人の多いギルドもあれば、学校のクラブ活動の様に5人と居ない小さなギルドも有り、1つしかない11期間と言う組織と無数に存在する開拓者のギルドはまるで夜空に浮かぶ月と星の関係のようだった。
白鶴の通う中学校にも開拓者を自称する生徒が居て、20人くらいの人数が集まって小さなギルドを作っている。
日本の他県と比べ、愛智県はこうした開拓者のギルドが多い。
愛智県の名古屋市に11機関の支部があるから、その影響だろう。
昨今ではこうした幾つもの開拓者ギルドを1つに纏め上げ『愛智県ギルド連盟』なんてものまで設立がされた。
現在ではこの連盟から50人ほどの開拓者が登竜門での活動を行っており、組織の運営するアカデミーに毎年5人程度入学させている。
2つ名持ちではないものの10年の内に7人の冒険者を輩出してもいた。
教室を出て昇降口前の下駄箱の前に立った白鶴の目の前に居る3人は、そのギルドに所属している冒険者だった。
高原木の葉と霧崎刹那と霧崎六徳。
………正確には所属しているのは六徳だけだ。
冒険者はギルドに所属できず、組織にのみ所属する。
木の葉と刹那は今年の夏に行われた組織の冒険者試験に合格をしてEランク冒険者に成っていたからギルドは表向き、脱退している筈だ。
高原木の葉は愛智県ギルド連盟を築いた高原塾の塾長、高原木斎の孫娘で、刹那と六徳は木の葉の幼馴染みであり塾の同期生だそうだ。
刹那と六徳は霧崎神社の巫女さんと神主さん候補で、双子の姉弟になる。
「よう」
「―――ん。こんにちわ。今から部活ですか、頑張ってくださいね」
下駄箱で出会った六徳に、声を掛けられたので白鶴も軽く会釈をしてから横を通り抜ける。
背後から「待てよ」と肩を掴まれそうになったが、軽く身を捻れば六徳の腕が空を掻き体勢を崩した。
ちょうど其処に彼の姉が居て、抱き付きそうになった六徳に刹那が見事なアッパーを放つのを垣間見る。
ドゴン。
なかなかの快音が昇降口に響き、六徳が天井にキスをしてから床に落ちる。
10人近く居た木の葉たちの取り巻きが、その光景に「おお」っと歓声を上げた。
―――その隙に3人の側を離れる。
どうにも白鶴は彼らが苦手だった。
彼らがと言うよりも、その周りに居る取り巻きが。だ。
幼馴染みと言えるほど親しくは無いが、中学の1年生で白鶴よりも歳が1つ下の3人とは多少の縁が在る。
木の葉の父親。
4人居る木斎の息子の1人花丸と白鶴は碁会所で碁を打ち合う碁打ち仲間だ。
花丸とは親交が深く、その関係で木の葉とも少なからず面識が在った。
刹那と六徳の曽祖父に当たる霧崎切り丸も碁を打つ仲間で、白鶴の持つ巨大な剣、鞘切り丸を打ち鍛えたのは切り丸だ。
登竜門でボロボロにしてくる鞘切り丸を鍛え直し、砥ぎ直して貰う為に度々切り丸の住まいを訪ねており、其処で刹那や六徳と顔見知りになっている。
こうした繋がりが有って、時折花丸や切り丸から言伝を預かった3人が僕の元に来る事があった。
その時は取り巻きも一緒に着いて来る。そして白鶴を探る様な、値踏みする様な、そして粗捜しする様な不躾な視線をぶつけて来て気分を悪くさせる。
だから白鶴は3人が苦手だった。
3人に話し掛ければ「気安い」と嫉妬に駆られた言葉をぶつけられ、無視をすれば「失礼な」と批難されてしまうのでは、係わり合いに成らないのが1番賢い方法に見え、関わらないように素っ気無い態度を取ってしまう訳だ。
最近は切り丸も花丸も携帯電話を持っているので、それで連絡が取り合える。
声を掛けてきた3人も、あの2人からの連絡を託って来た訳では無いはずだ。
顔を見たから声を掛けた。その程度だろう。
そう判断し、多少、素っ気無い態度を申し訳無いと思いつつも下駄箱で靴に履き替えて校舎を離れる事にした。
―――こうして校舎を出て20分もした頃。
掛けていた眼鏡が震えた。
「そうでした。今日は木曜日でしたね………」
毎週木曜日…―――。
白鶴の元には、11機関から連絡が届いた。
差出人は11機関の重鎮・南極仙翁だ。
存在が確認されている11の異世界の1つ、仙界を代表する代表者である南極仙翁からの連絡の内容は「今週の土日は修行を見てやれる」とか「今週は少し都合が悪い」などと言う修行に関してと言う師弟としての連絡事項が多く、偶に組織としてではなく仙道として仕事を任される。
乙を影の中に落としてしまった、霊獣の密輸現場の取り押さえも、仙道としての仕事に入る。
「ん……? 今週は都合が悪いのか。じゃあ1日早く登竜門に挑めますねェ」
眼鏡の蔓を操作して、レンズ越しに浮かぶ連絡事項を消す。
白鶴の掛けている眼鏡は特殊なものだった。
携帯電話の様な機能が備わっておりメールが届く。
眼鏡を掛けている時にメールが届くと、30センチほど離れた位置にA4サイズの画面が浮かび上がった。
その画面を眼鏡の蔓やフレーム全体を用いて操作するわけだ。
この特殊な眼鏡は…―――。
眼鏡と言うかレンズだが、これは11機関の公認する冒険者の証。冒険者認定証だ。
登竜門の中でしか手に入らない材料を、11の世界を織り交ぜて生まれた技術で加工するレンズはとても頑丈な作りをしており、滅多な事では割れないし傷もつかない。
眼鏡を弄っていた時は未だ学校から家への帰宅の途中だったが『了解しました』と返信のメールを送る頃には家に着いた。
家が自営業を営んでおり、玄関から帰ってくると「いらっしゃい。………なんだ甲太郎か」なんて言われつつも「ただいま戻りました」と笑顔で答える。
親子仲が悪いわけではなく、働き者の両親は、単純に客が来たのではない事に落胆しただけだ。
おかえり。と、言った後は視線を白鶴から外し、店の掃除に取り掛かる。
学校から帰宅後――。
3階立ての我が家の屋根裏部屋に階段と、垂直に近い梯子を使って登った。
自室に戻ってきた白鶴は少しゴチャゴチャと散乱している机に学生鞄をドサリと置いてから部屋の窓を開けて空気の入れ替えを行う。
モウモウと、机の上に積もっていたホコリが舞っていた。
白鶴は自分の部屋に余り居ない。
机の上やクローゼットの上。余り歩かない床の上には薄くホコリを被っている。
「んー。これは1度、部屋の片付けをしないといけませんねェ」
部屋に舞うホコリに顔をしかめた。
窓の脇に下駄箱が在るのはご愛嬌だ。
3階よりも上の屋根裏部屋の窓を家の出入り口のように使っている等とは、家族の誰も夢にも思わないだろう。
広さは6畳半。
勉強机と本棚と布団を敷けば部屋はもう一杯だ。
他の兄弟や姉妹と比べて明らかに狭く息苦しいが、ホトンド此処では寝て起きるしかしていないので不便に思ったことは無い。
家の親も年頃の子供の部屋に無断で入るようなデリカシーに欠ける事もしないが、兄弟姉妹が時折部屋に入って来るようで、床には白鶴以外の子供が付けた小さな足跡なんかも浮び上がっている。
机の上を片付けて、本は本棚にしまいノートは引き出しにしまう。
………ぱさ―――ッ!
ホコリで手を滑らせた。
落としたファイルを拾い上げると、ソレは日本の文部省が編集したファイルだった。
そのファイルには遊び半分で登竜門に挑もうとする半端者を脅す目的で作成されたファイルであり「最低限、この位のことが出来ないと登竜門へは挑めませんよ」と言う参考資料が載せられている。
日本の文部省が『妄想と現実の区別がつかない精神的に未熟な子供達が一時の気の迷いや勢いから衝動的に登竜門へと暴走する事を防ぐ』ことをコンセプトに3年周期で発行しており、全国の学校や役所、図書館に無料配布していた。
登竜門には毎年「夢やロマン」「スリルと冒険」「生活と金」等を求めて世界中から人々が集い挑む。
その数は1年間の平均で約600万人。
地球に住まう人口の約0.1%に相当する。
そして毎年100万人単位で開拓者が命を落としていた。
登竜門で死ななくとも体に一生残る障害を負ったり、トラウマを背負ったりして登竜門を去っていく開拓者は多い。
組織の運営する附属アカデミーに通えば話は変わって来るのだがアカデミーを受験する人は多く、誰もがアカデミーに入れるわけではなかった。
来年のアカデミー受験まで浪人を余儀なくされた開拓者の中にはフライング気味に登竜門に先走る者も多く、死者の数を増やす原因になっている。
ギルドが出来たのは、こうした無謀な死者を生み出さないように開拓者が知恵を搾り出して結果だ。
「自分は違う」
「俺なら大丈夫だ」
そう言って意気揚々と登竜門に挑む開拓者達が見るも無惨な姿で逃げ帰ってくるのは珍しく無かった。
登竜門の出入り口付近の蛮族は雑魚だ。
金属バットを持った中学男児ならば倒せてしまえるくらいに蛮族は弱い。
囮や撒き餌と呼んでいいだろう。
開拓者を調子付かせ警戒心を解く為の蛮族を相手にすれば、戦々恐々としていた開拓者も「なんだ、大した事は無いや」と安心し、油断から命を落としてしまう。
……このような文部省の努力により登竜門への恐怖心を小学生の頃から植え付けられて来た日本人の中に開拓者に憧れを持っても成ろうとする者は少ない。
開拓者ギルドが増え始めた事により、日本国内でも開拓者になろうという流行の波が押し寄せ始めている。
このファイルは開拓者ブームにより日本の人口の極端な減少を恐れた政府が「現実を見ろ」と、登竜門に夢を見る者を止め、出鼻を挫く為に急遽発行した別冊だった。
「コレを読んでまだ開拓者に成りたいと言えるのか」
そんな脅迫を、この資料からは受け取れた。
南極仙翁の元で、登竜門が如何いう所かも判らない内から登竜門の中で修行をして来た白鶴には「何を今更」と言う当たり前の内容しか書かれていないだが、そんな風に捉えられるのは白鶴くらいのものだ。
机の上を綺麗に片付ける。
一通り片付いた所で、自分がまだ学生服姿である事を思い出して着替えることにした。
抹茶色の着流しを着て、靴下も足袋に履き替えるとスリッパの代わりに使っている草履を履いて部屋を出る。
向かう先は物置だ。
中途半端に部屋を掃除するのは気持ちが悪い。
やるからには徹底的に掃除をしてしまおうと考えて、掃除道具を取りに向かう事にした。 |