しげあ記 登竜門編 5
浦島甲太郎こと白鶴はノートに走らせていたシャープペンシルを筆箱に置くと、窓の外に視線を向けた。
ドンヨリと今にも落ちて来そうなほど重そうな黒雲が青空を覆い隠している。
まだ午前中だと言うのに、薄暗く、教室の中は電灯が点けられていた。
雨が降る気配は無いが、気温が低く風も冷たいので雪が降りそうだ。
窓を閉めた教室の中にいても吐く息は白く授業どころではない。
こんな日は暖房器機が欲しいと思う。
―――白鶴は道士だ。
仙骨から神通力を生成し、神通力を扱う。
神通力の力を体内に駆け巡らせれば神通力は体内の酸素と化合して仙気に成るのだが、この神通力から派生した仙気に働きかければ体温を一定に保つ事が可能だ。
極寒の地に裸で立っていても神通力を振るう仙道の力量次第では凍傷を起こす心配も熱を出す心配も無い。心頭滅却すれば火もまた涼しの格言ではないが、マグマの中に浸かり「いい湯加減だ」と鼻唄交じりに浸かっていられる仙道だって居る。
そんなレベルと比べられてしまっては白鶴の神通力は質も量もコントロールも薄く軽く甘いと言わざるを得ないが、それでも修行を始めて5年と言う歳月を鑑みれば上出来だ。
神通力と仙気は霊獣と言う行為の獣の餌になる。
自らの影の中に住む霊獣・応竜の乙がムシャムシャと常に神通力と仙気を貪っている為に生成量や許容量は増加を続け、微細なコントロールを要求される医療系に属する仙術・巫医術を専攻しているためにコントロールも年季に見比べればとても高かった。
極寒の地に裸で乗り込む事もマグマの海に飛び込む事も今はまだ出来ないが、滅多な事は雪も積もらない愛智県渥美市では寒さに震え風邪を引く事も熱を出す事も無い。
暖房器機が欲しいと思ったのは、寒さに堪えたからではなく授業の妨げになるからだ。
言わなくても判る事である事だが「寒い、寒い」と声を荒げて授業を妨害する生徒が何人か居た。
過ごし易い気温の時に、勉強に身が入っているわけでもないだろうに。と、舌打ちをしたい気分にもなる。
職員室の中にだけ、石油ストーブが置かれているのは不公平だ。
そんなブーイングに人知れず、眉間に皺を寄せた。
冬に、ストーブが置かれる場所は全部で4箇所ある。
1つは職員室。
もう1つは校長室。
3つ目は保健室で、最後の1つが図書室だ。
図書室にはストーブが在るものだから、最近では図書室が不良の溜まり場となり白鶴の不快感を募らせる原因となっていた。
騒ぐ生徒を完全に無視をして、授業を続行する教師にも少々腹が立つ。
教師が注意をしないから、生徒が調子に乗り増長すると言うのに、不良と呼ばれる生徒達を完全に無視した教師は大人しめの、決して反抗してこようとしない生徒が教科書に落書きをしているのを注意していた。
確かに近年のキレ易い生徒を注意するのは教師と言えども恐いだろう。
後先の事を考えずに暴力を振るい、それを誇らしげに自慢できるからこそ不良たちは恐かった。
学校側の対応も悪い。
不祥事を起したくない校長と教頭は体罰などの問題に敏感だ。
教師陣に例え手を出されても決して手を出すなと厳命しており、職員が傷付く事よりも学校の名前に傷が付く事を恐れていた。
教頭…。
その単語でリュック=レオンハート教頭を思い出し、軽く鬱になって落ち込む。
如何にも、自分が助けた相手に恨まれ告訴されかけた事は予想以上に自分の心に傷を付けたらしい。
(僕は教職者と如何にも相性が悪いのかも知れない)
ドンヨリとした雲を眺めながら思う。
此処でも自分が冒険者で在る事を公開するか否かを巡って校長や教頭と対立をした。
退学になりたいかと言う脅迫された時には学校の規則の中に「在学中の冒険者はその身分を明かさねば成らない等と言う校則は無い」と突っぱねた上で教育委員会に相談さえしたものだから、ひょっとしたら白鶴は教室内で騒いでいる不良たちよりも学校からの評価が低いのかも知れない。
(………あんなの以下ですか………)
そう考えると、少しばかり悲しい気持ちになった。
どのくらいボンヤリと窓の外を眺めていただろう。
不良生徒たちと同じ様に無視をされている白鶴は教師から咎められる事が無い。だからボーっとしているとツイツイ時間が経つのを忘れてしまいがちになる。
「おい、どけ」
ボーっとしていた白鶴の意識を戻したのは、そんな乱暴な声だった。
何事だろうと視線を向ければ「ガタガタガタ――ッ!」と机や椅子を押しのけて、何人かの男子生徒たちが教室の窓にへばり付いていた。自分の席から押し退けられて、椅子の上に上履きのまま乗られる。
机の上に乗っていた筆記具やノートを踏まれ、ノートにくっきりと足跡が付いた。
そうして窓際にへばりついた男子生徒たち口々に言う。
「うおッ マジで美人だ。スッゲー美人が居る!」
「うっわあ胸デケー超デケー!」
「足なっがッ 腰ほっそ!!」
「おいおいおい虎だ虎。チャイナドレスの金髪美女と虎の組み合わせって何だよッ 映画かッ 映画なのかッ!?」
窓の外に向って、歓声が沸き起こった。
虎が居る。
そんな訳の判らない台詞に興味が湧く。
「いやチョッと待って。俺アイツ知ってる。11機関の冒険者だ! ネットのサイトで見た事があっぞ」
壁に張り付いていた生徒の1人が叫んだ。
よく見ると、女子生徒も何人か教室の窓から外を見ていた。
女子生徒の方は男子生徒が口々に言っている美人ではなく、虎の方に感心が在るのだろう。
そう思っていたが、女子生徒も、その美女とやらにキャーキャーと黄色い声を上げているところを見ると美人を見るのに男も女も関係が無いのかも知れない。
冒険者。
その単語に白鶴はピクリと眉を吊り上げ反応した。
ごろり。体の奥が鳴る。
背筋に微弱の電流が流し込まれたような錯覚を受け、なにやら面倒事に巻き込まれそうな嫌な予感に駆られた。
「あ、あった。あの人は傾国だ。Cランク冒険者、傾国の九尾だッ」
携帯からネットに繋げ『今をときめくうら若き美人冒険者ランキング』と言う絶対に非公式だと思えるサイトを検索していた男子生徒が言った。
その生徒は確か、この中学校にある開拓者クラブのメンバーだったのだろう。余り掛け合いに人の名前を出すものではないが、リュック=レオンハート教頭と比べずっと冒険者の仕組みに詳しい。
「げふッ ………ん、んんゲホ…ッ ゲホッ―――……ッ」
「うお、どうした浦島?」
「あ〜〜、否。気管に唾が入っただけです。気にしないで…ゲフン…んん、あーあーあー」
「んだよ気をつけろよ風邪じゃないのか〜」
傾国と言う2つ名に心当たりが在る白鶴は、思わず咽た。
幸い、気付いたのは隣に立っていた青木だけだ。
それよりも面倒事に巻き込まれそうだと言う嫌な予感に「当たり」を言い渡されたった気がして、陰鬱な気分にさせられる。
季節は冬。
一年を通して最も気温が低くなる2月の中旬。
身を切るような、冷たい風の吹く日のこと。
狐が白鶴の通う中学校を訪れた事で、白鶴は人生の転機を迎えることになった。
第10話『天界、仙界、仏界、霊界・4世界共同計画』
4時間目の授業が終ると、教室の窓際に張り付いていた生徒達が廊下に飛び出していった。
此処は授業が終るまで教室を抜け出さなかった生徒を褒めるべきなのだろうか。
それとも、授業中に大多数の生徒が席を離れたにも関わらずホトンド注意をしなかった教師を批難するべきか。
おそらくは、その両方だろう。だが白鶴がこんな事を注意する必要は無い。
批難する権利は在るかもしれないが、其処までする必要性を感じられないので気にしない事にした。白鶴自身、何が何でも真面目に授業を受けねばならないと言う気概を持ち合わせていなかった。
漸く開いた自分の席に戻る。
ペンやノートがボロボロになっていたが、この程度なら練丹術で直せるので気にしない。別に、烈火の如く怒るほど、ペンやノートに愛着は無かった。所詮は3冊で100円の安売りノートと2本100円のシャープペンシルだ。買い換える手間が面倒だから仙術で直しはしても執着は無い。
窓際には、まだ何人かの生徒が居た。
美人と言う言葉に反応をしていたが、初心である為に皆と一緒のタイミングで席を立てなかった生徒達だ。
どんなに「女に興味は無い」「俺には関係ねえ」と強がっていても思春期真っ盛りの年代ではそんな強がりばかりを言ってはいられない。
「あ〜浦島。お前女に興味があったのか」
「ん―――。その発言は止めて下さい。それだと何かホモみたいじゃ無いですか」
「あー。ワリーワリー」
白鶴が窓際に立つと青木も立った。
森下は杉江を連れて傾国の冒険者をもっと間近で見ようと校庭まで向った様だ。森下は、自分の本能に忠実で美人に目がない。
「おお。本当に美人だな。冒険者と言うよりもグラビアアイドルっぽくねーか?」
「…………」
「浦島?」
「え、ああホントーですね。凄い美人です」
校舎からグラウンドに目を向けると予想通り、狐が居た。
虎と言う単語で判っていた事だが道化もいる。
………道化は小学生で狐は高校生。
白鶴と同じく学生と言う身分にも関わらず、こうして白鶴の通う中学校に来ている2人に「学校は如何したのですか」と訊ねてやりたい。
否。聞くだけ無駄だと判っている。返ってくる答えに予想は付いていた。
サボった。
少なくとも狐の方は平然とそう答え、さらに実行に移せるタイプの学生だ。
道化は……。未だ子供だ。
善悪の区別が未だ曖昧だから狐に誘われるままホイホイと学校をサボって此処まで着いて来てしまったのかも知れない。
………白鶴は、その人の人となりを相応の時間を掛けて信用するし評価するタイプだ。
初対面からまだ半年。
週に2度3度しか会わず、一緒に居る時間も4時間程度しかない。
一緒に修行をした日は1ヶ月分に満たないし、親交を深める為に長く会話をした事も無かった。
道化に対する接し方を、白鶴は未だ決めかねている。
外見年齢は幼稚園児か保育園児くらいだけど、あれで小学5年生らしいので、大人のように扱ってもらいたいと背伸びをしている時期かも知れない。
実年齢と体の成長速度には幾らかの誤差が生じている理由は白鶴と同じだ。
霊獣との契約が、成長速度を極端に遅くらせてしまっている。
神通力は肉体が成長するのに必要なエネルギーでもある。だから、そのエネルギーを霊獣の維持に用いられている今の状況では白鶴も道化も1つ歳を取るのに常人の5倍から10倍の年月を必要とした。
―――仙道は元々不老長寿だ。
殺されない限り死なないし、1度や2度くらい殺された程度では死なない。
老化は肉体の成長がピークに達し、少し落ちて安定した頃に止まる。
成長が遅い事は仙道にとって大した問題ではなかった。
「はいはい。みんな、クラスに戻れー―――」
そんな大声を白鶴の耳が拾った。
人垣を押し退けて、狐と道化の前に体育教師が飛び出してくる。
体育教師の前には黒点虎に跨る道化と、胡喜媚を肩に乗せて艶然と佇む狐の2人が居た。
狐が人の波に飲み込まれないのは、威嚇をしている黒点虎のお陰だろうが、その黒点虎を前にして狐に近づけた体育教師の度胸はナカナカのものだ。
赤の強い桃色の光沢を放つ狐の金髪や道化の白髪は黒髪ばかりの生徒の中でとても目立っていた。
姿は登竜門の中で着ている格好で、狐はチャイナドレスの上に羽織を纏い、道化はピエロの衣装の上に羽織を纏っている。
狐の踊り子の服とチャイナドレスとレースクイーンが着ているような水着を足して3で割ったような衣装が抜群のスタイルを誇示し、色気を振りまいていた。
間近で狐を見る男子生徒の顔は赤く、色香に悩殺されたのか、前屈みに俯いている。
前の列の男子生徒が俯くと、次の列の生徒が狐をハッキリと確認し、男子生徒なら前列と同じ様に前屈みになり俯くし、その色香が女子生徒にも有効だと示すように、女子生徒も顔を赤くして見入っていた。
「給食の時間だぞ。戻った戻った」
スピーカーを使って、割れたような大声で体育教師が呼びかけている。
そして体育教師が連れてきた英語教師が狐と会話をしていた。
今日は英語を話す日なのかと、ソレを見て思う。
………話し合いをしているようだが、英語教師も下品としか言い様の無い視線を狐にぶつけている。舐める様な視線とは、ああ言う類のものなのだろう。
自分では気付いていないのだろうが、周りから見れば気持ちが悪い。
他の生徒達は狐を見ているのに夢中で隣の英語教師を見る余裕は無いので気付いていないのだろう。白鶴は、その中年男性の欲に塗れたの表情を校舎の2階から見つめ、英語教師の評価を少しだけ下げた。
狐だけは、白鶴や道化と違いキチンと年を取っている。
南極仙翁と白鶴が狐を登竜門の内部で保護した時。
精神状態が非常に悪かった事から霊獣ではなく妖精を与えられた狐は白鶴や道化と異なり成長のエネルギーや神通力を奪われることが無く順調に年を取っている。
白鶴が来年中学3年になる様に、狐は高校3年になり道化は小学6年生に上がる。
3人とも来年には最高学年になって卒業式を迎えるので、各学校の卒業後、3人一緒に登竜門を登ろうか何て話してもいたから、それで白鶴は2人の正確な年齢を知っていた。
狐くらいの歳ならば、そろそろ訪れる相手の都合を考えても良い頃だと思うのだが………。
団体の『和』よりも個人の『我』を重んじる白人の狐には無理な相談か。
道化の名に有る『豹』もネコ科の獣だ。
名は体を現すというが道化はネコの様に勝手気ままな印象が有った。動物の狐は一応イヌ科の獣だが習性はネコに近く、やはり自分の好きな事、気になった事を好きな時に好きなだけ行い、飽きたら何の未練も無く捨てて行く。
そんな勝手気ままが性分に合うのだろう。
狐と道化には姉弟や性別を越えた親友と言う表現が良く似合った。
(やばいですね)
ゴロロロロ……。
音を立て、体が鳴く。
次いで真っ黒な髪に蒼銀の稲光がカッと走り、全身が淡く発光した。
席を離れても持っていたシャープペンシルが手の中で「ドロリ」と溶けたのに気付き、教室を離れた。
白鶴の立っていた場所が黒く焦げ、糸屑の様に細い電流が椅子や机の金属部分に「バチバチ」と生じては消え、消えてはまた生じていく。
「…………ちィ―――ッ」
短く、舌打ちを漏らす。
廊下を抜けて、旧校舎から屋上に向った。
給食の時間。そして、外に現われた狐と道化に学校中の生徒や教師の目が釘付けになっていて、普段なら人の気配の有りそうな旧校舎には誰も居ない。
人が居ないのを確認し、最初に冒険者認定証である眼鏡を操作する。
一応、狐からメールが届いていないか確認したが、来ていなかった。
白鶴の体に雷が走るのは警鐘だ。
自ら意識とは関係ない所で勝手に働く。
勝手に危険に反応し働く警鐘は詰まるところ勘でしかない。
だが只の勘と馬鹿にできるものでは無い。何故なら僕の身の危険が迫る時なんかに発動しては僕の危機を事前に察知し窮地を救ってくれる実績が何度も在ったからだ。
その勘が、今まで感じたことが無いくらいの凄まじい反応を見せていた。
原因はこのタイミングから見てあの2人に関わるものだと言う事に間違いは無いだろう。
「『僕に様が在るのならば、あと4時間ほど何処かで時間を潰し待っていてください』―――コレでいいでしょうか。送信――――」
「しなくていいわよ〜」
「!」
とりあえず、今の騒ぎに収拾を付けたかった白鶴が狐と道化にメールを送ろうとした所、狐が正面に立っていたので驚いた。
「よっぽど慌ててたのね〜。鶴君ってば眼前に立ってても気付かないんだもの驚いちゃった」
「………乙?」
『いや、私は何度も呼びかけたぞッ 甲がズッと反応しなかっただけだからなッ!』
「くはははははははは。お前探知能力ヒッキーなァ。それに力の隠し方が下手くそだ。漏れ出した神通力の残り香を辿って此処まで迷わず来ることが出来たぜ。才能ねぇんじゃねえの? くはははダッセ……ってへぐるは!?」
ドン……! ―――ドン!!
取り敢えず、無用な騒ぎを起した2人のおでこに一発ずつデコピンしておく。
白鶴の握力は500キロを超えて、背筋力は3000キロを越えていた。
神通力を使わない、元の身体能力でだ。
魔術師や陰陽師が魔力や法力などと呼ばれる未知のエネルギーを以って身体能力を水増しさせる身体強化系の能力を持つように、仙道も神通力や仙気を用いて肉体を強化する事は出来る。
だがこうした肉体を強化する能力は一般人の拳で大岩を粉砕させてしまう場合が在り、白鶴の様に地力だけで岩を粉砕させられるような人間が無闇矢鱈と身体能力強化系の術を行使するのは危険だ。
己の力を無闇矢鱈と行使せず、自制し、弁えるのも冒険者としての嗜みと言えた。
こうした理由があって―――。
白鶴身体強化の術を使わず、むしろ神通力や仙気で力を自らの力を抑え付けている所さえあった。そうでもしなければ、無意識の内に周囲の人々を傷付けてしまう恐れが在るからだ。
少し力を込めて握手をするだけで、相手の手を握り潰してしまう白鶴は学校での生活に溶け込む為に我慢しなければならない事は多い。
それでもデコピンで金属バットを折り曲げれる僕のデコピンを受けて、2人はその場にのた打ち回る。
ピストルで撃たれて貫通どころか爆発するスイカのように、頭部を破裂させんばかりの威力を持って放たれたデコピンを受けて、のた打ち回る程度で済む2人も普通ではない。
何時もなら今から社会の常識や礼儀をクドクドと説くお説教に突入するところであるが、生憎と今はまだ授業中だ。お説教は勘弁しておこう。
「ぷゥー――――………。ん。僕に何か用が有って来たようですが、急ぎの用ですか? それと道化。言葉遣いが悪いですよ」
「いたたたた〜〜〜。もうッ、ひッどいわぁ〜。これ以上おデコが広がったら如何するのよぉ」
「………ッ………〜〜〜……ッッ〜〜〜〜」
「この様な平日に。人の通う学校にまで、何の前触れも無く訪れたのです。何か、緊急の用が有っての事でしょうね」
蹲って激痛に耐える道化よりも早く狐が立ち直る。
流石に付き合いが長く、白鶴に叱られ慣れている狐はお仕置きとして放たれるデコピンに対する耐性が強い。
狐はデコが広いけど、それは白鶴がデコピンばかりしている所為でもあった。
つまり狐はそれだけ白鶴に怒られ慣れているという事でもある。
文句を言ってくる狐のデコに頭突きして、白鶴は狐と額をゴツゴツと重ねた。
蒼銀の稲光を走らせる白鶴の黒い目と狐の炎を思わせる朱金の灯火が中空で交差すればバチバチと火花が散る。
狐がしゃがんでおり白鶴が立っているからこそ身長差を無くし出来る事だ。其処に、交差する視線に恋人同士の様な甘ったるさも色っぽさも無い。
「くだらない理由だったら只じゃ置きませんよ」
「あ、あははははは。いやね〜。そんなハズ無いじゃなぁい」
少しの違和感も見逃さない。
そんな子供を叱る親の様な目で狐を見詰めて白鶴が言えば、長い付き合いから白鶴の怒り具合を察知したのであろう狐が愛想笑いをして白鶴を宥めようと試みる。
目は真っ直ぐと白鶴と向き合い「嘘は吐いていないわよ」と堂々としているものの、目、以外の部分が既に怒られるかも知れないと逃げや守りの構えに移行していた。
何度も言うが付き合いは長い。
狐が登竜門で保護された時、精神的に追い詰められて恐慌状態にあった狐を診ていたのは白鶴だ。万能薬を作り出してこの世から病気や怪我を無くし、人が寿命によってのみ死ねる様な社会を作り出したいと言う夢を抱いている白鶴が面倒を見たのはこうした情緒不安定な患者の精神を立ち直せらせることもが貴重な経験になると思っての事だった。
今になって思い返すと赤面するほど恥ずかしく身悶えしてしまうが、部屋の中に引きこもって布団の中から出てこない狐の中に桶と湯を用意し体を洗ったり食事を「あ〜ん」と食べさせたり。寝る時には添い寝、夜中のトイレに付き添う事もしていたのだから、狐の微細な動作に気付かない筈は無い。
当時の狐は中学生であったし、当時の白鶴は小学生だった。
大人の男性に騙されたり暴力を振るわれていた狐が白鶴には懐けたのは、白鶴がまだ思春期にも入っていない児童であり、男として認識しにくかったお陰だろう。
白鶴自身、今になって当時と同じ事をしろといわれたら「無理だ」と言わざるを得ない。
狐が話そうとして居る内容が、白鶴に怒られる。もしくは折檻を受けるような内容だと言う事は判じれた。
ゴロロロロ…。
嫌な予感がヒシヒシと伝わってくる中で、腹が鳴る。
落ち着こうと何度か深呼吸を繰り返してから言った。
「――――ん。取り敢えず、緊急の用事では無いようですね。強いて言えば、狐が僕に直接会って早く話をしたかったと言うところでしょうか。そして、その話の内容には道化も関係する………。と」
狐の額から額を外し、間合いを開ける。
ホッとしたように、狐も起き上がりのたうつ道化の元に小走りで駆け寄っていく。
その様子を見ながら「今は未だ授業中だから放課後まで適当に時間を潰して待っていて欲しい」と言葉を残し、屋上から教室に戻る事にした。
この日―――。
狐の口から聞いた『計画』を聞き、白鶴は人生の契機に立たされた。
その『計画』とは組織に属する11の異世界の内の3つの世界。
天界、仙界、仏界、霊界が共同で企て人界を舞台に発案された計画。
――――名前を『封神計画』と言った。 |