さくら、咲く
僕は校庭に立つ、桜の下にいた。
今年の開花は少し遅いらしく、ほころび始めといった程度。
それでも沢山のつぼみが枝先につき、古い樹齢の幹に薄紅色の春を彩り出している。
「こんなとこにいたの」
後ろからの声は、一つ下の親戚の子だ。
「うん」
僕は振り向かず、枝の間から青空を見続ける。
「もう。卒業式が終わったばかりの私に、一言もないわけ?」
彼女は隣まで来ると、同じように樹を見上げつつ聞いてきた。
「懐かしい?」
問われて考えるが、一年じゃ感慨は湧かない。
「そうでもないよ」
空を流れる綿雲は、時の流れも心もゆっくりにさせる。
やがて、最初の問いへ僕が答えない事にじれて、こちらを向く彼女。
文句を言われる前に、僕は一言祝う。
「高校卒業おめでとう」
そうしたら卒業証書入りの筒で、こっちの頭をたたき出した。
「顔見て言ってよ」
ぽこぽこと音を発する長い筒。
僕は顔を上げたまま、手で受け止め、ひょいとそれを取り上げる。
「暴力反対~」
今度はポコられるのをかわそうと、彼女は笑顔で飛びのく。
僕は苦笑を我慢し、筒を両手でうやうやしく捧げ持つと、彼女へ近寄る。
不審げな相手の顔までかがんで、卒業の証を返した。
そして瞳を合わせて繰り返す。
「おめでとう」
すると今度は、彼女が視線をずらした。
「う、うん。ありがと」
桜のつぼみぐらいには、頬が染まっている。
僕は今度こそ笑って背を伸ばし、また大きな桜の枝をながめる。
「なによ~」
彼女は空いた手で僕の背中をバシバシ叩く。
けっこう本気で、胸まで響いた。
げほ、と咳き込む僕に満足げにうなずくと、彼女はすうっと息を吸い込む。
僕も一緒に深呼吸をする。
微かに、新しい季節の息吹が香ったのは気のせいか。
「桜餅食べたくなるね」
彼女はとても分かり易い表現で目の前の春を評している。
「婆ちゃんの手作りは絶品~」
僕の祖母が幼い頃から二人に食べさせてくれた。
若く柔らかい桜の葉をつみ、独特の味付けをする。
餅と練り餡に合う、葉の甘じょっぱさがとても好きだ。
ただ若葉を漬けるのに少し時間がかかる。
「僕が引越し先に宅配で送ってあげるよ」
僕がそう言うと、彼女ははしゃぐのを止め、静かになった。
卒業後、彼女は母親と同じ看護師を目指し進学する。
年末に推薦合格し、遠い街へ引越しする準備中だ。
「そっちも結果発表きたんだ?」
「うん」
僕も大学を受験をしていた。
一浪だ。今年も落ちたら地元に残る。
昨年は、試験当日に風邪で寝込んでしまった。
農家で土を触るのも好きな僕は、農学部に興味があった。
でも学費も高いので諦めていたら、親父から説教をくらった。
「お前は馬鹿だから、もう少し勉強してこい」
隣に座るお袋の、吹きだしそうな顔。
それを見ずとも激励なのは、優柔不断な馬鹿息子にもわかった。
だからって、体調崩す程、無理したつもりはないんだけど。
「やっぱり、私が去年反対したから」
彼女がうつむいている。
確かに僕の進学に大反対された。
「地元で農業継げ」、「婆ちゃんを泣かせるのか」とわめいて、逆に僕の家族になだめられていた。
その後興奮し過ぎたのか、盛大に風邪引いて寝込んだ彼女。
入れ替わりで熱を出した僕の話を知り、自分が風邪をうつしたと可哀想なぐらい落ち込んだ。
「あの後、外に出たし関係ない」
僕の言葉に納得せず、両親に僕を「浪人させて下さい」と頼んでいた。
そんなおせっかいで元気な彼女が、今は沈黙したままだ。
だから卒業証書の筒をぎゅっとにぎる彼女の耳元へ、僕はささやく。
「まあ、直接持ってく方が近いかな」
顔を上げる彼女に、笑いかけた。
「なるべく近くのアパートを探すよ」
僕の志望先と同じ街の看護学校。
絶対一緒にと、僕以上に僕の受験に熱心だった。
もはや両親の出る幕がないほどに。
バランス良い食事のレシピや夜食の差し入れ。
いつの間にか、祖母に菓子作りを習っていたらしい。
夜食の品は中々の出来。形はアレだったけど。
受験前、鬼気迫る顔でお守りを山ほど渡された。
「このお」
ふと気づくと、彼女は真っ赤になって怒っている。
「昔から、どうしてそう意地悪っ」
両手で殴りかかる彼女の腕をかわして。
――抱きしめる。
万歳状態で固まった相手の髪を優しくなでた。
そして僕は伝える。
「ありがとう、支えてくれて」
去年の春は、むなしさと後悔。
努力の全てが、一瞬で失われた。
ここで、散っていく桜の花びらを握り締めていた。
でも、もう一回やってみろと言ってくれた人がいる。
怒りながら背中を押してくれる人がいる。
彼女は腕をさげ僕の胸に顔を埋めた。
その顔がぐじゅぐじゅと音を立て出す。
おーい。鼻水は待って。
ハンカチを渡し、いたずらっぽく僕はたずねる。
「見事合格した僕に、一言もないわけ?」
「なんで、ぞう昔がらっ」
花粉症の様な鼻声のクセに、文句を繰り返す彼女。
僕は当たり前の答えを告げる。
「そんなの、好きな子だからに決まってるよ」
そう答えながら目の前の樹を三度見上げた。
今年の桜はきっと一番きれいだろうな。