人生なんて、ちょっとしたはずみで全てが狂ってしまうのだと、僕は思い知らされた。
高校受験では、ほとんど勉強していないにも関わらず合格した。中学時代はまともに勉強もしていなかったというのに、部活さえも頻繁にサボッていたのに、易々と高校へ進学できた。何だ、こんなものか、と僕は受験を甘く見ていた。
だから、大学受験に失敗しても、仕方がないことではあると心の中では認めてはいた。
浪人という身分は、気に入らない。大学に見捨てられたからといって、就職を逃げ道としたくない。来年こそは、大学に合格して、僕を冷やかした高校時代の友人や大学側を見返してやりたかった。
それでも、やはり一年間も浪人だったということは、将来に大きく響くことになるだろう。漫画や小説には、浪人だということを気にせずに元気にやっているやつが大勢いる。だけど、所詮はフィクションの登場人物で、現実は簡単に済むことではない。
「あんた、予備校にも行かないのならバイトでもしなさいよ」
と、母に言われたから、僕はカメラ屋でアルバイトを始めた。
一口にカメラ屋と言っても、自営業の小さいところだ。僕の雇い主は、山本フォトサービスの店長である山本さん。従業員は、僕と山本さんと山本さんの妹の3人。アルバイトは僕しかいないから、シフトというものもなく、予定がない日は一日中でも働ける。給料は独占できるから、一日にけっこう稼ぐ。
山本さんとの出会いは、昼前のコンビニだった。弁当を持参していないサラリーマンたちで混む時間帯であったから、レジには列ができていた。山本さんは僕の一つ前に並んでいて、首から高級な一眼レフカメラをぶら下げていた。
デジタルカメラのこのご時勢。珍しいな、という感じで何となくカメラに見入っていると山本さんが僕の視線に気付いて、「撮ってあげてもいいけど、一枚60円だよ」と言われた。
会計の際、僕は財布の中身を補充してこなかったことに気付き、愕然とした。商品を棚に返そうかと思ったとき、山本さんが代わりに不足分の360円を払ってくれたのだ。その後、一緒にコンビニを出て、駐車場で勧誘された。
「フリーのカメラマンだけど、現像の仕事だってしているし、週一で新聞にも俺の撮った写真が掲載されているから、1日でけっこう儲かっている。君は暇を持て余しているようだし、俺も一人では色々と忙しくなってきた。さっきの360円、君の良心が痛むのなら働いて返してくれない?」
そういうわけで、最初の給料は290円だった。
そんなこんなで、大学には落ちたものの、僕は中々に充実した毎日を送っていた。
落第につづいて僕の人生を狂わせた彼の登場は、僕が本格的にカメラを買おうかと迷いながら山本フォトサービスから出てきてすぐのことだった。
すっかり日も暮れていたので、僕は人気のない裏通りを走っていた。裏通りとは言っても、僕にとっては近道と呼べる。僕が無視して通りすぎた曲がり角から、突然の爆音と眩い光と共に彼は現れた。
暗闇にとけ込むような格好をした長身な彼のそばには、金属製のテントのようなものがあった。
「こんばんは」彼は言った。
「こんばんは」僕は返した。
まともだったのはここまで。初対面で、明らかに不審な彼は、僕を知っているかのような笑みを浮かべた。
「それは何?」
僕は金属のテント箱を指差した。
指した物体を確認することもなく、彼は何でもないかのように応えた。
「これはタイムマシンだよ」
ああ、そうですか。最初はそのぐらいの反応。頭のおかしい奴に出くわした、くそ、厄介だな。これがその時の感想。
「へえ、君が作ったの?」
僕はあたかも興味がないような調子で言った。
それでも彼は自信満々に答えた。「そう、俺が作った。タイムマシンを作ろうとしたわけじゃなくて、頑丈なテントを作るつもりだったんだ。でも、それだけじゃ面白くないから色々と科学的な実験をしてみたら、偶然できたんだ」
頑丈なテントにどれほど科学的材料を混ぜても、タイムマシンになるものか。
「じゃあ、君は未来から来たんだね?」
「いや、俺は過去から来たんだ」
あとから思えば、僕はこの言葉を聞いた瞬間から、彼の話に聞き入っていた。僕のイメージでは、タイムマシンの出現は有り得るとしても未来のものだったから。
「具体的には何年ぐらい過去?」
「8年ぐらい前だ」即答だった。
このへんで、彼と付き合うのに疲れた僕はいじわるな質問をしてやった。
「じゃあ、試しに未来へ言ってみてよ」
「それは無理」
はっ、やっぱりね。僕は見下すような笑いをつい声に出してしていた。
「何でさ? タイムマシンってそういうもんだと思うけど……」
「これは未来へ行けないタイムマシンなんだ」
「でも、君は過去から来たじゃないか」
僕は侮蔑するように言った。
「確かに俺は過去から来たけど、色々あったんだ」
そろそろ限界だな、と僕は思った。彼の言い訳は尽きたようだ。ここらでとどめを刺そう。
「使ってもいい?」
絶対に彼はこの申し出を拒否するだろうと思っての発言だった。タイムマシンなどありえない。しかし、彼は「いいけど、未来へは行くなよ」と言った。
よくもまあ、自信満々に嘘八百を並べ立てられるものだと呆れながら、僕は箱の中に入った。難しい機械は見当たらない。レバーが2つあるだけだった。
彼は簡単に操作の説明をした。右のレバーを縦に動かすと、時間の移動。左のレバーで場所の移動ができるらしい。ただし、記憶がはっきりしている“自分”の場所にしかいけないらしい。
「絶対に未来へは行くなよ!」
僕が右のレバーを下げる寸前、彼は叫んだ。気づかってくれているかのようなその言葉とは裏腹に、その表情は悪魔のようだった。
目の前にはコンビニがある。何が起こったか把握できないでいると、店内から2人組が出てきた。1人は首からカメラをぶら下げている。もう1人は…………、僕だ。
山本さんは言った。
「フリーのカメラマンだけど、現像の仕事だってしているし、週一で新聞にも俺の撮った写真が掲載されているから、1日でけっこう儲かっている。君は暇を持て余しているようだし、俺も一人では色々と忙しくなってきた。さっきの360円、君の良心が痛むのなら働いて返してくれない?」
聞き覚えのあるセリフだった。次の瞬間には、僕は箱の中に走って戻り、力を込めてレバーを上げた。
―何と呼べばいいのだろうか―景色のない“異空間”を移動しながら僕は半狂乱になって叫んでいた。“信じられない”この言葉は、こんなときにこそ使うべきだ。信じられない。まさにそれだ。
ようやく焦りと興奮が治まったとき、来たときより時間が長いように感じた。機体が大きく振動した。まさか、と僕は思った。行ってはいけない未来へ行っているのではないだろうか。レバーを下げると過去へ言った。出発のときは落ち着いていたから、軽く下げただけだった。
だけど今回は、思い切りレバーを上げてしまった。もしレバーの上げ下げの量が距離に関係するとするならば、僕は出発地点の“現在”を通過することになる。急いでレバーを戻した。タイムマシンは急停止した。まさに、彼が現れる寸前に聞いたあの爆発音が響いた。
思ったとおり、出発地点ではなかった。いつかは分からない。ただ、最初の出発では左のレバーを適当にいじくったせいでコンビニに出現した。今度は左のレバーに触れなかったから、路地裏に出現したのは確かだ。
あの嘘つき。未来へ行けないだって? 僕は現に未来にいるんだ。皮肉な笑いができたのはここまでだった。
そこにも僕はいた。未来の僕。地面に横たわっている。真っ赤な液体が体から漏れている。それは、まぎれもない血だった。
僕は自分にこれほどの高音が出せたのかと驚きながらも、大きな悲鳴をあげた。死体を見るのは初めてだった。しかも、その死体は自分。暴れたい衝動が沸き起こり、それでいて何もしたくないという矛盾した気分になる。何かを吐き出したい。悲鳴でも何でもなく、叫びたくなった。
落ち着くのには1時間以上はかかった。大丈夫、僕はまだ生きてる。死んでいるのは未来の僕で、今の僕は生きてる。大丈夫、正常だ。
冷静になるとマシンに戻って、レバーを少しだけ下げた。なぜ、僕は死んでいるのだろうか。恐ろしいのは、あれが近い未来だということ。最初の出発は水曜日だった。前髪がうっとうしいから、土曜日に散髪に行く予定だった。死んだ僕は、まだ前髪が眉毛にかかっていたから、あれは“現在”から3日以内の未来だ。
次はもっと大きな悲鳴をあげることとなる。なんとか“現在”に戻ろうと微調整をしてレバーを少しだけ下げた。出現したとき、おそらく最初の出発から1時間と経っていないだろう“僕”が、ナイフを手に過去からやって来た彼に襲い掛かっていた。彼はその攻撃を避けると、“僕”の手からナイフを奪い取り、“僕”を刺した。
僕はその一部始終を隠れて見ていた。自分が呼吸をしているのかさえ分からない状態だった。全身から妙な冷や汗が流れる。声を出してはいけない。そう思っていても、無意識に悲鳴をあげてしまった。だが、彼は僕の方を向き出発寸前のあの悪魔のような笑みをみせた。
僕は出発地点にやっとのことで帰り着いた。微調整を何度も何度も繰り返して、やっとの帰還だった。彼はいつ僕が戻ってくるのか分かっているようだった。だが、僕が20分後ぐらいの“未来”で購入したナイフを隠し持っていることは知らないはずだ。
「未来へ行ったんだろう? 大分、落ち着いてるな」
「ああ、行ったよ。そこで、僕が君に殺されているのも見た」
「だろうな」
数十分後に僕は彼に殺される。そうと分かっていて何もしないでいられるか。僕は彼に襲いかかった。彼はその攻撃を避けると、僕の手からナイフを奪い取り、僕を刺した。
おかしい。僕は激しい痛みで薄れていく意識のなかで思った。僕が刺されるのはもう数分後のはずだった。何故、早まったのだろうか。
人を刺したというのに、彼はよそを向いている。僕はその視線の先を見て、吐きそうになった。
“僕”が隠れてこちらを見ていたのだ。押し殺すようにしていたが、悲鳴をあげてしまった。彼が悪魔のような笑みを浮かべると、“僕”は逃げるようにタイムマシンに乗り込んで消えた。何てことだ。この事件は繰り返される! 何度も何度も。
「こうなることを分かっていたの?」
急所は避けてくれていたたが、いつかは出血多量で死ぬと分かっていた。知ってしまっていたから。それでも、どうしても聞いておきたかった。真実を知りたかった。
「ああ、分かっていた。俺はもうこのやり取りを何千回と繰り返しているんだ」彼は言った。
「未来へ行けないと嘘を吐いたのは、僕が死ぬ自分を目撃すると知っていたから?」
「その通り。お前は自分の死ぬ未来を、俺に殺される未来を見る。すると、殺される前に殺そうと俺を襲い、やっぱり殺される」
それでも、やっぱりおかしい。彼は僕を気遣って未来へ行くなと言った。だが、あの悪魔のような笑みはどうしても挑発しているようにしか見えなかった。
僕の混乱を悟ったか、または既に知っていたかのように彼は言った。
「俺はお前を殺したくなかった。それでも、そうしなければいけなかったんだ。未来へ行くことは分かっていても、行くなと言うしかない。行ってしまったのなら、俺を襲うように差し向けなければいけなかった。タイムマシンのせいで、全てが狂った。お前が未来のお前と違う行動を取れば、別の悲劇が起こるんだ」
もう意識は飛びそうだった。でも、死ぬのなら全てを知ってからがいい。
「君が体験したことを教えて欲しい」
聞こえただろうか。声が出たことさえ怪しかった。それでも、彼はやはり僕がこういう事も知っていたらしい。即決で「もちろんだ」と答えてくれた。
「最初は偶然、お前と出会った。しかも、俺が出現する瞬間を目撃された。お前は同じようにタイムマシンを試したいと行って、すぐに未来へ行った。来年の大学入試が気になってたんだ。そこでお前が見たものは、交通事故で死んだ自分だった。お前は“現在”に戻ってきて、1年間車と接しないように用心深く過ごした。だが、やはり事故に遭った。未来のお前が死んだのは2月のことだった。それを知ったお前が死んだのは11月だった。
俺は8年前に戻った。なぜ、3ヶ月ものズレが生じたのか考えた。結論を知りたくなって、またお前に会いに行った。すると、今度は9月に死んだ。この辺で恐ろしくなり、俺は次のお前に教えてやった。7月ぐらいに死ぬぞ、と。お前は信じなかった。そして、タイムマシンに乗って真実を見に行った。そこで見たのは、俺がお前を殺す場面だった。お前は戻ってくると、殺されるより先に殺してやると俺を襲った。俺は必死で抵抗して、誤ってお前を殺してしまった。そこを、次のお前に見られた。俺は同じ事件を繰り返さないように、追いかけるように過去へ行って、やはりお前を死なせてしまった。それを何千回と繰り返してきた。そのうちに俺はお前の攻撃のパターンに体が自然に反応するようになってきた。お前を殺すしかないと分かった」
ああ、それなら未来の僕と現在の僕が死ぬ時間がズレていてもおかしくはないな。少しずつ早まっているのだから。
「お前はどう思う? このまま行くと、いずれは俺が出現する前までさかのぼる。そうなると、何が起こるか想像もつかない。俺はその可能性に懸けているんだ。あと十数回でお前を助けられるかもしれないんだ」
「君が過去に戻って僕に会わなかったら、事件は存在しないんじゃないの?」
くそ、声が掠れてる。
「さっき言った通り、お前が未来へ行かずに自分の死ぬ姿を見ていなかったら、まだ死んでいないことになる。だが、お前は結局死ぬことになっているから、全てが狂ってまた別の悲劇が起こる。俺は脱線しないようにレールの上を慎重に少しずつ変えなければいけないんだ。過去は変えられない。俺が過去へ戻らなくても、次の俺が繰り返すさ」
彼は一息吐いた。この説明をするのも、僕を殺した回数と同じなのだろう。
「未来へ行けないってのは嘘。だが、俺は行けないんだ。もちろん、行こうと思えば行けるが、過去のお前に償いをしなければならない。そのために何度も何度も過去へ戻ってはやり直し、結果は少しお前の行動が早まっている。いつかは変わる。絶対に何かが変わるんだ。お前が幸せになるかもしれないし、別の不幸が訪れるかもしれない。だが、俺がお前を殺すことは終わる。その時がくるまでは、未来へ行けない」
最後に一つだけ、疑問があった。一番大きな疑問。「8年前にタイムマシンが存在しているなら、どうして今はないんだよ?」
「答えは簡単。誰でも作品は本当に作動するかどうか、確かめるだろう?俺はその段階に留まっている。タイムマシンは成功していたが、俺は学会に発表する前にこうなってしまったからだ。そして、最近になって気付いたんだが、決着がつけばいつかは俺も過去へ帰るはずだろう? なら、この世界にはタイムマシンが存在することになる。でも、ない。つまり、俺はあと何回かお前との駆け引きを繰り返しているうちに、寿命がくるってことだ」
僕はこの話を聞く間、よく意識を保てたと自分を誉めてやりたかった。だが、僕は死ぬ運命らしい。彼もだ。そして、彼はまた次の僕を殺さなければならないのだろう。
彼の言葉に共感できた部分がいくつかあるが、その中で最も共感したのはタイムマシンなんて発明するべきではない、ということだった。
未来の自分の死期を知り、死から逃れようと運命に逆らった結果、運命に押しつぶされるのだ。いずれは彼と僕の戦いに何らかの決着がつき、彼は過去へも戻れるし、未来へも行けるだろう。
どんな状況にでも希望はある。だが、今の僕には希望はなさそうだな。僕はそう思った。 |