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第3話 搬送
 母は救急車に乗せられた。私も母に続いて乗り込み、ストレッチャーの横に座った。
 救急隊員の一人が、酸素マスクを母の顔につけたり瞳孔を確認したりしてバインダーに記入している。
 腕に巻きつけられた布がヴーと音を立て、シューッという解放音が終わるころ、母の頭上にあるモニターに220−130と言う数字が現れた。
 血圧を測っているのだろうか。

 運転席にいるもう一人の救急隊員は、あちこちに連絡を取っている様子だった。
「62歳、女性です。はい。両側に縮瞳(しゅくどう)がみられます。ええ。いえ、ですから、急いでいるんです。ダメですか? そうですか……」
 運転席から大きなため息が漏れる。
「段々遠くなるな。ふぅー」
 再び、母の腕の布がヴーと音を立てる。
「……脳神経外科医がいなくてもいいから、何とかなりませんか? ですから、意識レベル300なんです。何とか……」
 救急隊員の声は、段々懇願の色を濃くしている。

 急病人のたらい回し……
 マスコミが騒いでいた決まり文句。このことなんだ。たらい回されていると言うより、救急車ともども固定されて動けない状態なのだが……
 これが現実か、と、妙に冷静な私がいる。
 母は、このまま死んでしまうのだろうか……
 ぼうっとしたまま、運転席の救急隊員の会話を聞き、モニターをいじったりバインダーを片手に記録したりする目の前にいるもう一人の救急隊員の動作を眺めながら、慌しい雰囲気に似つかわしくない私がそこにいた。

 母の顔を眺めて、心細さがピークに達したころ、いきなり救急車のサイレンが鳴り出した。
「受け入れ病院が見つかりましたよ。高速に乗ります。約2時間半で到着しますから、頑張りましょう」
 救急車は県を二つまたいで走ることになった。

 私は、色々なことを考えていた。
 やっと、診てもらえる。良かったね、母さん……
 自宅からずいぶん遠くに行くんだなあ……
 今日、私はどうやって帰ったらいいのだろう……
 夕飯、どうしよう……
 お金、大丈夫かなぁ……

 救急車の乗り心地は最低だった。
 ゴツゴツしたシートから、もろに振動が伝わる。
 サイレンの音も正直うるさかった。今まで私の知っていた救急車のサイレンは、クレシェンドのピークの後、目の前を過ぎると急に音程を変えてデクレシェンドで去っていた。それは、小さな興奮をもたらして、やがて消えていく種類のものだった。今、車の外で鳴るサイレンはいつまでも同じ大きさ、同じリズム、同じ音程で、腰に響く振動と共に私の体の中に無理やり入り込んでくる感じがした。それは、いつまで経っても私を平穏な世界に戻してくれない非情さを伴っている。

 母の頭の上にぶら下がっている数字の羅列の紙が気になって目を凝らして覗き込んでいたら、気分が悪くなってきた。
 定期的に測定する血圧の記録用紙が自動的に排出されているのだと気づくのと、自分が救急車に酔ったことに気づくのと、ほぼ同時だった。
 何てこと……
 母さんがこんな状態なのに、私ったら情けない……
 まだ、走り出して30分と経過していない。
 母が意識のない危険な状態だと言うのに、これから1時間以上も吐き気に堪えなければならない苦痛に気が滅入っていた。




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