第11話 リピート
振り返ってみると、あの時、確かに私の精神状態は普通ではなかった。自分の取った行動がいかに不合理なものであるか、後悔してもしきれないのだが、その時の私には冷静になること自体が不可能だったとしか言いようが無い。
私は、一刻も早く、主治医を交替してもらうために、何らかの手立てをたてるべきだと焦っていた。それが、私にできる最善の方法だとしか思えなかったのだ。
何のあてもなく、ただ、職員を捕まえられる可能性の一番高い場所は一階だろうという憶測だけでエレベーターへ向かった。事務職員でもいい。看護師でもいい。医師ならもっといい。とにかく私の訴えを聞いてもらわなくては。
一階に下りて、受付窓口へ行く。カーテンが閉まっていた。そう、今はもう夜。カーテンの向こうには明かりが点っていて、南側の扉から人が出入りしているのが見えた。夜間救急患者のために職員は中で働いているのだ。誰か捕まえられないか、私はその出入り口に向かって歩を進めた。
その時だった。私はそこで救急処置室から飛び出してきた丹羽医師を見つけた。かなり急いでいる様子であったが、私にも時間がない。もう一度、彼に直接クレームをつけてやろうと思った。彼を動かして主治医を今すぐ替えてもらうのだ。もう少し上の先生に直接交渉してもらう。今すぐ。小走りに彼の所へ向かう。
と、一足早く、別の女性に丹羽医師が捕まった。やられた、と思った。が、その女性が一瞬こちらを振り返った時、私の背筋に冷たいものが走った。彼女のその顔は、私自身ではないか! 一体、どういうことだ? 彼女は、丹羽医師にすごい剣幕で噛み付いていた。
「このままじゃ済みませんからね。今すぐ、上級医に掛け合ってください!」
丹羽医師はおろおろしている。彼の手には何か伝票らしきものが握られていた。
大声で怒鳴る彼女を見て、私の中で急速に萎えていく感情があった。悪態をつく醜い彼女(いや、私自身だったのだろうか)を見るのに耐えられず、その場から逃げ出した。
そして、私が逃げた先は、救急処置室の入り口、ちょうど救急搬入口とは反対に当たる東側の入り口であった。
母が運び込まれた時と同じような喧騒が入り口の外まで洩れている。
私は、そうっと足を進めた。
ピーーッというけたたましいアラームの音が鳴り響き、看護師の叫ぶ声が聞こえた。
「先生! 心停止!! 心停止!!」
私の右手から左手へ風のように走っていく医師は、私が最初にここで見た、あの大久保医師だ。
彼は患者の胸に両手をあて、すぐさま心臓マッサージを始めた。と、同時に、救急車のサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。
自分が何をしにここまで来たのか、その目的がすっかり頭から抜け落ちた状態で、私はそこに立ち尽くしていた。つい数時間前に見たような光景。デ・ジャ・ヴ?
サイレンが消えた。
扉が開いて入ってきたのは、ストレッチャーに乗せられた患者。性別は分からない。そして、続いて入ってきた家族とおぼしき女性を見て、私は息を呑んだ。その姿は、私ではないか! 彼女と私は、処置室を挟んで、ちょうど向かい合って立っている。
彼女は、入り口近くの壁際に立ち尽くし、目を丸くして大久保医師の行動を凝視していた。
「ええいっ、くそっ。動け! 動け! 動いてくれ!!」
大久保医師は必死で心臓マッサージを続けている。
すると、右側の端にいた看護師さんが大声を上げる。
「先生! 腹部外傷の患者さん、血圧が下がり始めました!」
私は次の言葉を心の中でつぶやいた。
「80の40です!」
そのつぶやきは完全に看護師さんの大きな声と重なった。
私は驚きで声も出せずにいた。
私と向かい合ったもう一人の私の表情も強張っている。彼女は騒然とした処置室内の慌しい動きに心を奪われ、全然私に気がつかない。私自身も、ここへ来た時のことを思い出そうとしたが、大久保医師と3名の看護師さんの動きしか記憶にない。
私は、いよいよ頭がおかしくなったのか? 私の中に突然、無数の小さな虫が発生し、一斉にうじゃうじゃと動き回る感じがした。顎までガチガチ音を立てだす。
一体、何が起こっているのだろうか。全く理解できない。
しかし、次の大久保医師の怒鳴り声にはっとした。
「輸血パックはまだ? 点滴スピードを上げろ! 丹羽はどこだ? 何やってんだ、全く。全館放送を入れろ。救急処置室に至急来いと!」
丹羽医師が手にしていた紙切れは輸血オーダーの伝票か何かに違いない!!
彼は、受付横で、もう一人の私に捕まっている。私は喉がカラカラになってきた。自分が何をしにここへきたか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
丹羽先生、早く、もう一人の私を振り切って、輸血パックを持ってきて!!
血圧の下がり始めた患者が輸血を待っている。それを邪魔しているのが、もう一人の私……
両脚がガクガク震え出したその時、頭上から全館放送が鳴った。
それは、丹羽医師の呼び出しではあったのだが、呼び出し先は救急処置室ではなかった。
「丹羽ドクター、丹羽ドクター、至急ICUまでお願いします」
そして、そのまますぐに続いた呼び出し。
「日野房子様のご家族の方、日野房子様のご家族の方、おられましたら、至急、3階集中治療室までお越しください。繰り返します……」
私の胸は早鐘のように鳴った。ただでさえ、パニック状態に陥っているのに、私の脚はガクガク震えて身動きが取れない。
そこで、ぷっつり、私の意識は消えた。
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