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3歩で忘れてよいエッセイ

読書のススメ

作者:とりあたま
 いきなり自慢話みたいであれだが、僕は中学生まではろくに勉強をしないくせに成績は良いという、とても嫌なガキだった。

 これは別に頭が良いからではないし、こんな人はそれこそ掃いて捨てるほどいるだろう。また、このサイトに目を通すような方なら、「自分もそうだった」という割合は高いと思う。
 なぜなら、その成績を支えていたものが「読書」だったからだ。

 一般的に「読書をすると成績が良くなる」というイメージがあるが、これは正しいと思う。
 その理由は実に単純だ。本を読む子の方が、読まない子よりたくさんの物事を知っているだけのことだ。

 少し乱暴な言い方かもしれないが、僕は中学生までは勉強より読書の方が、余程役に立つと思っている。
 なぜなら読書によって得られる知識で、中学生までの勉強くらいの内容はカバーできるからだ。

 まず読書によって得られるものとして語彙力がある。それによって、教科書の内容や問題文が指示することを正しく理解することが可能になる。
 普通に読書に親しんでいれば、中学生程度の内容ならば、書かれていることを読み取れないということはあまりないだろう。

 次に得られるものは、ごく一般的な常識だ。考えてみれば分かることだが、まるで未知の内容を一から習得することには大変な労力がいる。
 分かりやすい例を自分の経験から挙げるとすれば、社会になるだろうか。特に歴史。歴史小説を読みあさっていれば、中学生で習う内容なんてあくびがでるほど退屈なものに感じてしまう。
「そんなことなんて、もう知ってるよ」と臨む場合と、徳川家康すら知らない場合を比較すれば、その習熟度や学習意欲に格段の差が生じることは明らかだ。

 嫌味な物言いになるかもしれないが、僕は中学生までは、勉強ができない子はただ単に面倒くさがって、書かれていることをきちんと読んでいないだけだと思っていた。
「しっかり読めば誰にでも分かるだろう」と、日本語で書かれている内容が理解できないということが想像できなかったのだ。
 この勘違いは、後日自分が勉強を教える立場を経験することで痛いくらいに思い知らされることになったのだが。


 しかし、これが高校生以上になると少し話が違ってくる。習う内容が一般的な常識を逸脱することが多くなるからだ。普通の「楽しい読書」ではカバーできない専門的な知識が必要となってくる。読書だけではなく、意図的に勉強することによってその知識を習得しなくてはならない。
 だから、中学生までは勉強しなくても成績が良かったのに、高校生になると苦戦するということがよく起こるのだろう。ちなみに僕もそうである。

 それでも、やはり読書によるアドバンテージはある。それは思考力と想像力だ。

 読書によって得られる語彙力というのは、多分普通に認識されているより大切なことだ。なぜなら、人間は言葉によって思考するからだ。
 例えばお腹が空いているとする。だがその空腹にも度合いがある。どのくらい飢餓を感じているのか。その状態を自分で把握するにせよ、他人に伝えるにせよ、言葉が必要だ。ただ「お腹が空いた」では分からない。
 これが「小腹が空いている」と「お腹と背中がくっつきそう」ならば、まるで状態が違うことが自分にも他者にも認識できるだろう。
 語彙が豊富であるということは、それが貧弱な場合より複雑な思考が可能であるということだ。

 次に想像力だ。活字を読み進めることに慣れていると、頭の中でその文章が指し示すことをイメージすることにも慣れてくる。
 これは僕の考えに過ぎないかもしれないが、理解にはイメージが必要だと思う。言い換えれば、頭の中でイメージできないことは理解が難しいということだ。

 読書というと文系と考えがちだが、理系でも役立つ。例えば方程式がすんなり解けるようになる場合は、等式と文字式という言葉の理解もイメージも正しくできている。

【a+2a=】と【a+2a=6】の解答が、なぜそれぞれ【3a】と【a=2】となるのか。

 等式と文字式について、教科書の説明を読んで理解とイメージができていれば、それほど難しいことではない。


 さて少し説明が冗長になったが、読書が勉強において非常に役立つ習慣だというのは間違いではないだろう。

 しかし、本当の意味で役に立つのは社会に出てからではないかと思っている。それは言葉が重要なコミュニケーションの手段だからだ。
 自分の考えを相手に伝える。また相手の考えを理解する。勿論その手段は言葉だけではない。表情や身振り手振りや口調等でも伝わることもあるし、映像の力を借りることもあるだろう。
 とは言うものの、やはり言葉を使う機会が一番多い。読書によって得てきた知識によって、助けられたことは非常に多いと実感している。

 こんな風に書くと、まるで自分に役立つから読書をしてきたようだが、実はそんなことはない。
 何度か書いたが、面白いから本を読んできて、結果的にそうなっているだけだ。
 なぜ面白いかと言えば、単に自分にとって面白いと思える本ばかり読んできたからだ。

 僕が読書に親しむようになったのは、主に母親による誘導によるものだ。幼い頃から本を好きになる環境を整えてくれた。
 読めない漢字や、知らない言葉を尋ねると嫌な顔をせずに答えてくれたし、また何よりも読む本を押し付けずに好きなものを選ばせてくれた。
 僕にとって読書とは、新しい知識や楽しい物語に触れることができる何よりも楽しい娯楽だったのだ。それは今でも変わらない。という訳で、母親には心から感謝している。

 以前、勉強を教える仕事をしていた際に、保護者から「どうすれば本を読むようになるか」と質問されることがよくあった。
 その時には「どんな本を読ませたいですか」と必ず尋ねていた。一番多い返答は「勉強に役立つもの」だった。
「ではあなたは子供の頃に、そんな本を自分で選んで読んでいましたか」と返すと言葉に詰まる人ばかりだった。

 余程こまっしゃくれた子供でもない限り、自分の為になる本を読もうなんて思う訳がない。子供どころか大人だって、読みたくもないものは仕事で必要でもなければ読まないだろう。
 ラノベでもよい、乱暴な言い方をすれば官能小説でも構わない。自分にとって面白いと思える本を読めばよいのだと思う。どんなものでも、得られるものが少なからずあるはずだ。

 こんなお節介のようなことを書いたのは、本を読む人が増えると嬉しいからだ。別に高尚な理由ではない。需要が増えれば価格が下がるという、市場原理に期待してのことだったりする。ちょっとゲスい考えかもしれないけれど。



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