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お菓子を持ってこいという命令を聞くため、ソフィアは伯爵家の息子ルーカスの家に行くことになった。
そして夜。
要望されたお菓子をどうしようかと、ソフィアは悩んでいる。
「うーん」
屋敷内に二つある内の一つの厨房に陣取ったソフィアは、作業テーブルに広げた五冊のレシピ本をパラパラとめくり、唸っていた。
「お貴族様……それも伯爵家のお坊ちゃんへのお菓子って、いったい何を作ればいいのかしら」
溜め息を落としたソフィアは、眉を下げる。
ソフィアの家は比較的裕福。かつ食品を主に扱う商家なので、お菓子の材料くらいは欲しいだけ与えて貰える。
けれど、それでも一般人……平民なのだ。
客には貴族もいるし、父の友人にも何人かいる。
今は地方にある支店を任されていて滅多に会うことのない上の兄も、優秀で王立学園に通っていたのでそこでも貴族の友人がたくさんいるらしい。
でも、ソフィア自身が個人的に仲の良い貴族の人はいない。
彼ら貴族は普段いったい、何を食べてるのだろう。
どんな生活をしているのだろう。
「いや……いやいやいや。ちょっと高級品になるくらいで、普通にパンも人参もブロッコリーも食べるわよね? お菓子も、そんなに私たちと変わらない物を食べてるわよね?」
たぶん。きっとそう。
だから変に貴族の人に合わせたものを作らなくてもいいはず。
そう結論付けつつも、とりあえず普段使っているものより少し高い小麦粉とバターを使うことにする。
持ち運びを考えたら焼き菓子がいい。
それも柔らかなクリーム類が入っていないものの方が崩れにくい。
だとすると、クッキーかパウンドケーキ、マドレーヌあたりが無難だろう。
シンプルゆえに腕が出るものではあるけれど、材料の配分さえ間違えなければ、味的にはまずくはならない。
「うん。一番安全なパウンドケーキで! しかもシンプルなバターパウンドで!」
色々考えた末に、キリッと顔を上げて決めた瞬間。
―――お菓子の気配に敏感な彼らは、どこからとも無くわらわらと現れる。
「おかしですか」
「くーだーさーいーなー」
「ちょこれえとのきぶん」
レシピ本の上で転がりだした、妖精たち。
お菓子が食べられると信じて、とてもとても幸せそうだ。
しかしソフィアは、そんなふうに期待に胸を膨らませる妖精にあっさりと吐き捨てた。
「駄目よ」
「「「えっ!!」」」
ソフィアが間髪入れずに断ると、一斉に固まった後。
目に大粒の涙をためたかと思えば、おいおいと泣き出した。
「なんで! なんで!」
「いじわるはだめ!」
「おかし! ぷりぃず!」
「だーめ。これから作るのは頼まれものだから。貴方たちのものではないの。あと本の上で泣かないで、濡れて依れちゃうじゃない」
言い聞かせてみるものの、ぽろぽろと落ちる透明な涙は止まらない。
(あー……)
ひくひくと嗚咽を漏らすもの、作業台の隅で三角座りをして肩を打ちふるわせているもの、わんわんと大声で泣きわめくもの。
妖精の悲しみ方も三者三様だ。
一度「駄目」と言ったものは、彼らはソフィアが許可を出さない限り勝手に食べたりはしない。
そのあたり聞いてくれる理性はあるようなのだ。
けど、こうして泣き落としでどうにか「食べても良い」という許可を、必死になって取ろうとするのは困りものだった。
ソフィアはしばらく抵抗してみたものの、妖精達の嘆きは収まりそうもない。
(うー……大勢でここまで悲しまれると、さすがに罪悪感が湧いてくる…)
眉を寄せたソフィアは、大きなため息をはいてかぶりをふり、降参するのだった。
「あぁ、もうっ! 分かった! 分かりました! 多めに作って分けてあげるってば」
「!!!!」
「ひょう!」
「うっはーい!」
「まったく! 今回だけよ今回だけ! そうそう泣き落としになんて負けないんだからね! いくら作るのが好きっていったって、そう毎日作るのはくたびれるのよ! 分かってる!?」
「もちろん!」
「絶対分かってないでしょ! もー!」
ソフィアは憤慨しながら、籠に積まれている卵をひっつかんだ。
溶いた卵と、練ったバター、それから砂糖と振るった小麦粉に、少しの膨らし粉。
全部を分量通りに量って混ぜて、パウンド型に流し入れて、温めたオーブンに入れる。
ニ十分ほど焼くと、ほどよく焦げ色のついた山形に膨れたパウンドケーキの完成だ。
「工程が簡単な分、失敗っていうような失敗は無いけど、少しの混ぜ加減の違いなんかで食感が全然変わってくるのよね。奥が深いわ」
しばらく待って粗熱を取ったものを型から外しながら、期待に満ちた瞳で周りを飛び交う妖精に、苦労を聞かせるが、やっぱり耳を傾けてはくれなかった。
こんなにお菓子に興味があるんだったら、お菓子作りについての会話でも出来れば少しは楽しいのに。
彼らは出来上がったものにしか興味がないのだ。
「まったくもう!」
出来上がったバターパウンドケーキの、たっぷり入れたバターの香りにときめきつつも、妖精への愚痴をぶつぶつ吐きだす。
それでもおいしそうに食べてくれる姿はやっぱり嬉しくもあるので、ソフィアは文句を吐き続けながらも、かいがいしく妖精達が抱えられるくらいに小さく切って、皿の上に盛ってやった。
「本当は一晩おいて生地を落ち着かせた方が美味しんだけど。待てないわよねぇ」
「まてなーい!」
「よいですか!? もうよいですか!?」
「はい、どうぞ。召し上がりなさいな」
「ひゃっほーー!!!」
食べても良いという許可を出した瞬間。
さらにわらわらと増えて群がって来た妖精達を横目に、ソフィアは伯爵邸に持って行くもう一本を、丁寧に紙で包むのだった。