先輩、好きです。PDFで表示縦書き表示RDF


この話はBLボーイズラブです。読まれる際には注意してください。
先輩、好きです。
作:零・ZA・音


 もうすぐ春になる新緑の香りを含んだ日差しが窓から差し込んで、柔らかな陽だまりの中にいるような空気が身体を包んで幸せを運んできていた。
 椅子の背もたれにもたれ掛かり、静かな寝息を立てている先輩。とても気持ちよさそう寝顔に自然と頬が緩んでしまう。
 その白い頬に触れられるのなら……この手で触れてみたい。
 風に揺れる綺麗な黒髪を撫でる事が出来るのなら……優しく撫でてみたい。でも、本当は先輩にいつも触れていてほしい。僕の全てを触れてほしいのに――。
「……起きないですよね?」
 誰に言うでもなくそっと呟いた声は、春の風に乗ってかき消されていく。
 目の前には先輩の顔。
 いつも凛々しく僕達、生徒会役員を引っ張って行く生徒会長で、どんなときも冷静沈着で冷静に物事を判断していくその姿は全生徒の憧れの的。凛々しく鋭い瞳の中には優しさを持っており、すらっとした鼻筋に理路整然とした言葉を紡ぐ唇。長身で無駄のない筋肉美をしていると他の先輩から聞いた事があるけど、きっと素敵なんだろうな。
 かくいう僕も先輩に憧れているのけど……僕と先輩は『秘密』を共有する存在で、そして僕の大好きな人。
三柴みしば……雄斗ゆうと、先輩」
 ゆっくりと先輩の名を口にしただけで、胸が熱く鼓動が早くなる事を止める事が出来ない。
 好きだと伝えたいけど、僕と先輩の関係は絶対に他の人に秘密なのだから。

「……何をやっているんだ? ミチ」
「ひゃあ!」
 突然、聞こえた声に驚いて変な声を出してしまったけど、それが先輩だと分かった瞬間、更に驚いて数歩後退あとずさってしまった。
 いつ起きたんだろう? 目を擦っているわけでもなく、いつもの先輩の顔をしているけど――
「何をそんなに驚いているんだ? それよりも、今日は会議もないのになんでここにいるんだ? お前は」
「あ、えっと……」
 寝起きのせいなのか少し不機嫌な先輩の口調に、胸が締め付けられるように痛い。僕のせいだよね? 僕がいるから先輩は機嫌が悪いんだ。でも、こんな先輩を見るのも始めてだからちょっと嬉しい気持ちもあって、勝手に口元が綻びそうで……だけど、そんな事をすれば先輩は更に機嫌が悪くなるだろうし。
「まあ、いい。俺はもう少し仕事をしていくから、ミチは帰っていいぞ」
「あ、あの……僕もお手伝いします」
「……お前が、か」
 いぶかしげに僕に視線を向けている先輩だけど、ふっと軽く笑みをこぼして手元に置いてある紙の束を僕へと手渡してくれた。
「その資料の仕分けを頼む」
「は、はいっ」
「ただし、いつもみたいにヘマをしたら、お仕置きだからな」
「……はい」
 口元を歪めて僕を見ていた先輩だけど、いつものように笑っていた。
 その笑顔が僕は好きだ。そして『お仕置き』と言っている言葉に身体がビクッと反応してしまって、頬が熱くなるのを止められない。僕っていけない人間なんだろうか? 普通の人は絶対に感じる事のない感情だと思うのに、僕は先輩のそばにいれるだけで身体が火照ってくるのが止められなくなってしまう。
 ……。
 ……。
 生徒会会議室に響く規則正しい時計の音。そして紙の上を走るペンの音と、窓から吹き込む風に揺れるカーテンの音。静かな中で聞こえるそれぞれの音が僕と先輩だけのために存在しているようで、ただそれだけで僕は嬉しかった。こうして一緒にいる事が出来る幸せを誰にもあげたくない。これは僕だけのもの、僕だけの時間。
「ふう……そろそろ、終わるか。ミチ、そっちは出来たか?」
「あ、はい」
 ゆっくりと背伸びをしてから僕を見る先輩の瞳に、優しさと一緒に”いつも”の悪戯っぽい色が含まれているのに気付いた。
 ミチ――僕の名前『道瀬晶みちせあきら』から付いたあだ名で、友達やクラスメイト、生徒会役員の人達も気軽に呼んでくれるけど、先輩が呼ぶとそれが違う名前に聞こえて身体を蕩けさせる。
「ミチ、今日は俺の眠りを妨げたのだから、分かっているよな?」
「……はい」
 その甘美で麻薬のような言葉を待っていたかのように、身体はすぐに熱く脈打つように疼き始める。
「中々、従順になってきたな……ミチは」
 僕の方へと近付いてきた先輩は優しい目元を細め、ゆっくりと手を頬に添えて――
「ほら、さっさと着替えて来い」
「は、はい」
 耳元で囁くと軽く耳たぶを噛んでいた。
「んっ――」
 その瞬間、甘い刺激が身体中を包んでその場に崩れ落ちそうになってしまったけど、先輩の腕に支えられていた。突然の事に驚いている僕を見下ろす先輩の顔はいつもの凛々しい顔ではなく、悪戯っ子のような子供みたいな表情を浮かべて僕の身体を手でまさぐっている。
「やっぱり可愛いな、ミチは」
「あっ、せ、先輩……はあ」
 白く綺麗な指先で僕の頬から首筋をなぞり、楽しそうな先輩は面白そうに何度もなぞっていく。その度に触れられた部分から快感は断続的に身体を支配していき、僕の口から甘美な喘ぎが自然と漏れていた。
「いつまでも、俺を待たせるな。それとも俺をらしているのか? いいご身分になったな、ミチ」
「で、でも……先輩が、離してくれない、から」
「ほう、俺に口ごたえするのか? それから、今は先輩ではなく『ご主人様』だろ」
「はんっ……は、はい、ごしゅじん、さま」
 蕩けそうになる快感を身体の奥から吐き出したいのに、それをさせてくれない先輩の指先が制服のボタンを一つずつ慣れた手つきで外していき、全てのボタンを外すと乱暴にシャツをはだける。
 ご主人様――僕に更なる快感を与えてくれる魔法の言葉。
 僕と先輩の出会いは高校に入学してすぐ生徒会の挨拶で壇上に立った先輩を見て、それで僕は一瞬にして恋に落ちていた。男の僕が男性である先輩を好きになる事なんてないと思っていたけど、それでも胸に芽生えた気持ちを抑える事は出来なかった。だけど、ただそれだけ僕と先輩には接点なんてものはなかったけど、あの日僕達は出会ってしまった。
 それを手助けしたのは二人の姉。とても綺麗で近所でも有名な姉達で、人様の前では人当たりのよい”いい人”を演じているが、僕にとってはとても怖い姉達でいつも遊び道具おもちゃにされていた。
 そして高校を入学して半年、夏が終わり、秋になろうとしていた九月のある晴れた日。先輩に偶然あったあの日も僕は姉達に遊ばれてしまったあとだった。
 それは女装……姉達にお古の服を着せられて商店街を一周してくるという、僕にとっては罰ゲーム以外のなにものでもない遊びを子供の頃からずっとさせられている。子供の頃からやっているので女装に関してはすでに感覚が麻痺して抵抗はなかったけど、高校に入学して先輩にあってからは、女装をする度に先輩の顔が浮かんできてそれだけで身体が熱く疼いてくるのを止める事が出来なり、一人で沈める日々だった。姉達に言わせれば「あんたは女顔で身長も低いし、声も高いから女装しても面白味がなくなったわ」と散々突っ込まれたけど、それが更に僕の先輩への気持ちに拍車をかけていた。
『お前……男か? それにその制服は』
『先輩っ』
 だから先輩と会ったのも、もしかしたら運命だったのかも知れない。
 その日の女装は寄りによって、自分の通っている高校の制服だった。二番目の姉ちゃんが去年卒業して着なくなったのを今回僕に着てみろと無理やり押し付けてきたのだが、その姿を先輩に見られてしまったのだ。
 僕の憧れである三柴先輩、その人に見られていると思っただけで顔が自然と赤くなり、そして身体の奥から溢れてくる高揚間に興奮の極みに達してしまい、その場にうずくまってしまった僕に先輩は困惑した顔を向けていた。
『なんで、女子の制服なんか……』
『こ、これは――』
 僕は突然の事で動揺して何を言ったのかはよく覚えてないけど、先輩の驚いたような表情と薄っすらと赤く染まった頬を今でも覚えている。
 そして、僕と先輩『ご主人様』の関係が始まった――。

 それから僕は先輩に生徒会へ半ば強制的に入れられて、先輩のそばにいる事が出来るようになった。それまでは遠くでただその存在を見ているだけだった僕にとっては嬉しい事で、一生懸命生徒会のお仕事をこなしていた。
 そして先輩は何かにつけてを僕一人を残しては『お仕置き』をするのがほぼ日課みたいになっていたけど、僕はそれが待ち遠しく感じてしまっているのは先輩には内緒だった。
「着替えてきました……」
「ほう、相変わらずよく似合っているが、この姿で男って言われて誰も気付かないだろう、な」
 そばまでやってきた先輩が僕の顎に手をかけ、ゆっくりと顔を近づけてくる。吐息がかかる距離にある先輩の顔に、心臓が早鐘のように打ち続けている。とても綺麗な顔立ちでいつ見ても心が躍ってしまう。
 僕が着ているのは女子の制服。姉のお古ではなく、新しく先輩がくれた僕だけの制服。もちろん、下着も女物で先輩が初めてくれたプレゼント。
 この格好で放課後の校舎を一緒に散歩したときは、先輩はわざと人がいるところを通って僕に意地悪するし、屋上でいっぱいお仕置きされたときもいきなり服を脱がそうとするし、悪戯っ子な人なんだけど、それでも最後は優しくしてくれる先輩が大好き。
「あ、あの……先輩」
「ご主人様、だろ? そんな悪い子はもっとお仕置きが必要、だ」
「あ、うっ」
 強引に僕の身体を引き寄せるとその腕に包み込んで、ゆっくりと顔を近づけてくる先輩。その顔が急に消えたかと思うと首筋に歯をたてて噛みついていた。驚きと快感、甘く微かに感じる痛みと背徳感の疼きが身体をつらぬこうと押し寄せてくる。その度に声にならない声が口から漏れてきたが、先輩は一向に止める気配はなくむしろ僕の反応を楽しんで更に首筋に歯を立てて舌を這わせる。
「可愛い声だ、ミチ。もっと、鳴いていいんだぞ……可愛い鳴き声を聞かせてくれ」
「はうっ、ご、ご主人様……も、もう」
「くくっ――相変わらず、ここが弱いな、ミチは」
「ふあっ、はん……ああっ!」
 首筋をなぞる舌のぬるりとした感触がそこだけでは飽き足らず、身体中を舐め回しているような錯覚に陥って電気が走りぬけて、僕は先輩にしがみ付いて荒い息を吐いていた。
「ふう……これくらいで、仕方ないヤツだな」
「あっ――」
 呆れたような目をしていた先輩は不意に優しい笑みを浮かべたかと思えば、僕の身体を軽々と持ち上げていた。俗に言う『お姫様だっこ』だけど、先輩にされるのはとても気持ちがいい。このときばかりは先輩に触れる事が出来るので、首にゆっくりと手を廻して落ちないようにと、しがみ付く。途端に先輩の匂いが鼻をくすぐり、また身体が熱くなってきてしまうけど先輩には悟られないようにしないと嫌われしまう。こんな僕を、こんな僕をそばに置いてくれる先輩に嫌われたら、僕は……!
「……っ」
「どうした? ミチ――って、おいっ? 何を泣いているんだ」
「な、なんで……ない、です」
 そうは言ってみても勝手にこぼれてくる涙が僕の頬を伝い、流れ落ちていく。先輩の困ったように眉を下げて僕を見ていたが、ふうっとため息を吐いて僕を下ろした。
「あっ――せ、先輩!」
 怒らせた――直感でそう感じた僕の身体から血の気が引いていった。先輩は不機嫌そうな瞳を僕に向けて、もう一度ため息を吐いてゆっくりとうしろを振り返る。
 嫌われた、僕は先輩に嫌われてしまった。
 頭の中でその言葉が何度も繰り返されて、眩暈にも似た感覚に足が震え出し、視界は激しく歪んで気持ちが悪くなってきた。
「どうした、ミチ。そんなところで立ってないで、こっちにおいで」
「……え?」
 でも、聞こえてきた先輩の声はいつもの……いや、いつも以上に優しく甘い響きを含んだ声。
 慌てて声のした方を見ると、椅子に座って優しく微笑んでいる先輩が手招きをしていた。「早く来い」そう、目で促すように優しい瞳をした先輩に誘われるように一歩、また一歩と僕は先輩の元へと近付いていく。頭は何を考えていいのか、何が起こっているのか、それすら把握出来ないほど混乱しているけど、ただ先輩の元へ行きたくて足は勝手に歩を進めていた。
「まったく、突然泣き出すから驚いたぞ……嫌だったのか?」
「ち、違います」
 目の前にある先輩の顔は怒っているというよりは、困惑して戸惑っているようにも見える。それは声にも表れているけど、僕は嫌だって思った事は一度もないし、先輩と一緒に入れるこの瞬間が嬉しいのに、嫌なんて思うはずがない。
「そうか……なら、こっちへ来い」
「は、はい」
 少し語気の強い先輩は僕に手を差し出してきた。一瞬、何の事だか分からなかったけど、そっと手を掴むと――
「――ひゃあ!」
 先輩は僕の腕を強引に引っ張っていた。
「さて、泣き虫なミチにはどんなお仕置きがいいだろうか、ね」
「……せ、先輩?」
「何をそんなに驚いているんだ? おかしなヤツだな」
 面白いものを見るような顔で僕の髪を撫でている先輩。でも、そんな先輩の顔がとても近くにあって、正直ドキドキが止まらない。今、僕は先輩の腕に支えられて膝の上で小さく丸まっている。
 怖いからじゃない、逃げ出したいからじゃない。恥ずかしくてどうしていいのか分からない。今までこんな事をしてくれた事なんてなかった。膝の上で先輩に甘える……僕のささやかな夢。それがこんな形で叶うなんて。でも、嬉しい気持ちがいっぱいでもっとこうしていたいのだけど、先輩はなんでこんな事をしてくれのだろう? 僕が泣いたから? それともこれは新しいお仕置きの一つ? 
「なあ、ミチ」
「は、はい――な、なんですか? ご主人様」
「今は普通でいいぞ。なあ、ミチ……なんでお前は俺の名前を呼んでくれないんだ?」
 いきなり何を言われたのか僕には分からなかった。でも、先輩の顔はとても真剣で真っ直ぐに僕の顔を見据えていた。
 ……名前、先輩の名前。
 いつも心の中ではずっと先輩の名前を呼んでいるけど、その度に身体が疼いてしまってどうしようもなくなってしまうのに、実際に先輩の前で呼んだら僕はきっと――。
「俺以外の奴等は全員名前を呼んでいるよな? なのに俺は『先輩』だけだ……これは、俺へのあてつけか?」
「そ、そんな事ないです! ぼ、僕は、その、あの……」
 有無を言わせない迫力のある先輩の瞳に僕は怒られていると思ったけど、どうにも違う感じがする。
 もしかしてヤキモチを焼いているのかな? 
 なんだか拗ねた子供みたいに僕から時折視線を逸らしては、バツが悪そうに鼻頭をかいている。その姿がいつもの凛々しい先輩とは掛け離れていて、とても身近に感じてしまう。先輩でもこんな顔をするんだ……なんだか新しい先輩を発見出来たみたいで嬉しいな。
「……くすっ」
「な、何を笑っているんだ、お前は」
「あ、すいません! で、でも、僕が、その、名前を呼ばないのは、特別……なんです」
「……特別?」
 僕の言葉を繰り返す先輩は不思議そうに見つめてくる。僕の言葉を理解出来ていない様子で、じっと見つめる先輩の瞳はわずかに苛立ちをつのらせていた。
「そ、その、先輩は僕のご主人様で……だから、名前を呼ぶときは、その」
「……なるほど、な。つまり、俺の名前は『ご主人様』って事か」
「ち、違います! そ、そうじゃないて……せ、先輩、今日はいじわるです」
 僕は少し頬を膨らませて精いっぱい抗議の意を込めた視線で抵抗を見せたが、先輩は軽く口元に笑みを浮かべるとゆっくりと僕の頭を撫でて――
「なら、今日で『ご主人様』は終わりだな」
「せ、先輩! そ、それは――っ」
 意地悪な事を言い出した。
 前にも一度言われた事があるけど、そのときはとてもショックで思いっきり泣いてしまったのを覚えている。先輩もそのときだけはオロオロとして、所在なさげに動かしていた腕で僕を抱きしめてくれた。その優しい温もりと先輩の匂いで胸の中は幸せでいっぱいになって、泣くのも忘れて先輩の腕に包まれていたけど。
 でも、今日はどこか違う。
 あのときはもっと意地悪な言い方だったのに、今日は優し過ぎる。それが僕に言い様もない不安を与えて、その先の言葉を聞いたら僕はきっと生きていけない気がする。
「俺もあと少しで卒業だから、そろそろ『ご主人様』は終わりにした方がいいだろ?」
「……」
 優しく僕の髪を撫でる先輩の手が不意に止まり、ゆっくりと離れていく。僕は声を出す事も出来ずにただ先輩の温もりが離れていくのを感じていた。今日のは本気なんだ……いつかはこんな日が来る、それは頭の隅で何度も考えていた。でも、そんな未来は来ない、絶対に来ない、そう自分に言い聞かせるようにして勝手な未来を想像して一人でうかれていた。
「明日からは普通に話しかけてくれ。それなら、名前を呼んでくれるんだろ?」
「……い、嫌です」
 だけど、僕はそれを受け入れられない。いや、受け入れたくない!
「ミチ?」
「名前、呼びますから、だから……だから、今のまま先輩のそばにっ」
 僕は先輩の胸元にしがみ付いて懇願していた。離れるのは嫌だ、そしてただの先輩と後輩に戻るのはもっと嫌だ。
「ふう……何を勘違いしているだ、ミチは」
「……え?」
 でも、そんな僕の心を見透かすような声に意味も分からないまま、先輩の顔を見上げてその言葉の真意を探ろうとした。でも、いつもより優しい笑みにドキっと心臓が脈打ち、ただ見惚れてしまっていた。
「俺は、その、な……お前に普通に名前で呼んでほしいんだ。だが、今の関係が邪魔をしているなら、俺はそれを止めようと思っている。いや、違うな……俺はもう答えが見つかったから、この関係を止めたいんだ」
 矢継ぎ早に繰り出される先輩の言葉を聞き逃すまいと耳を傾けていたけど、聞き終わったときにはどう反応していいのか分からなかった。
「ミチ……いや、晶は俺の事嫌いか?」
 先輩が聞いてきた質問の意味を理解するのに頭がついていかず、ただ呆けた顔で見つめてしまったけど、先輩は呆れたように目を伏せて――
「つまりは――こう言う事だ」
「……んっ」
 不意に唇は塞がれていた。
 近付いてきた先輩の顔も、その動作も、全てが一瞬で何が起こったのか、頭で判断する前に身体の方が反応してしまっていた。柔らかい唇の感触に僕の身体から力がどんどんと抜けていく変わりに、溢れてくる先輩への思い。触れあう唇から漏れ出てくる甘い歓喜の吐息に、僕の思考は飲み込まれそうになっていた。
「これは先輩でもご主人様でもない、『三柴雄斗』の気持ちだ。……受け取ってくれるか?」
 ゆっくりと離れていく先輩と僕の間を一本の糸が繋がって、ぬらりと垂れて切れた。その妖しくも幻想的な光景にたった今まで塞がれていた唇を思い出し、顔が自然と熱くなってしまう。
 い、いま、僕は先輩とキスを――。
「あ、あの……それって」
「少し関係を変えるのも面白いだろ? 晶」
「ふあっ……んんっ」
 いつもの先輩とは違う感じの笑みに、そして言われた言葉を確かめる前に、また唇を塞がれていた。今度はさっきよりも少し乱暴に僕の唇をついばむ先輩の唇。ゆっくりと溶けていく僕の中にあった気持ち。不安、恐怖、絶望……色んな負の感情がすっと溶けていき、いつしか僕の頬を幾筋もの涙が伝っていた。先輩が言ってくれた言葉……それは僕の待ち望んでいた言葉で、だけど決して自分からは伝えていけないと思っていた言葉。
 その言葉を聞けたからこそ流れ落ちていく涙だから、僕はとても幸せな気持ちが胸の中いっぱいにあるんだと思う。
「また、泣いているのか? 本当に泣き虫だな、晶は」
「だ、だって……先輩が」
「違うだろ? 俺の事は『雄斗』と呼べ。それ以外は認めん」
 そっと僕の涙を拭いながら微笑む先輩。
 その笑顔はいつもの笑顔とは違う、僕だけの”雄斗さん”の笑顔だった。


 そして――。
 数日が瞬く間に過ぎ、先輩の生徒会長としての仕事も終わりに近付いていた。本来ならもう生徒会長としての仕事は終わっているはずなのに、それなのに生徒会会議室ここに来るのはどうしてだろうとずっと不思議に思っていたので、この前思い切って雄斗さんに聞いてみた。そしたら先輩は少し不機嫌そうな顔をして、「お前が誰かに取られるんじゃないかと心配だったんだ」と素っ気なく言って僕から顔を逸らしたその姿がとても面白くて、僕が笑うと更に不機嫌そうな顔を向けて怒っていたけど、それが本気で怒ってない事を僕は知っている。
 僕の大好きな人は、凛々しくてかっこよくて、ちょっとだけ意地悪で……だけど、とびっきり優しくて……。
「ふふっ……ゆ、う、と、さ、ん」
 ふうっと耳元に息を吹きかけると驚いたように飛び起きた雄斗さんは、辺りを見渡して僕を視界に入れると一瞬嬉しそうな表情をしたけど、すぐにいつもの意地悪な表情に戻って――
「晶……またお前、か」
「だって、気持ちよさそうに寝ていたので、ちょっと邪魔してみたくなりました」
「……ったく」
「きゃあ!」
 いきなり僕の腕を引っ張るとその胸に身体ごと抱きしめて、少し乱暴に膝の上へと座らせていた。
「もう、びっくりするじゃないですか」
「ほう……俺に口ごたえする気だな? 晶君にはちょっとお仕置きが必要かも知れないなあ」
「だ、だめですよ、雄斗さんっ」
 ――いつもの先輩、いつものやり取り、それがあと数日で先輩は卒業してしまうので終わりを告げる。
「それなら、今日は晶から言ってみろ」
「……何をですか?」
「たまには晶からお願いはないか、と聞いているんだ。それくらい、すぐに分かってもいいと思うが」
 ――だけど、僕は寂しくはない。
「ふふっ、えっと……それじゃ、雄斗さん」
「なんだ? 早く言え」
「くすっ。大好きです、雄斗さん――んっ」
 重ね合わせた唇と唇の温もり、大好きな人がそばにいる安心感、そして触れる事が出来る優越感。ちょっと前までは一方通行の思いだったのに、今は僕の気持ちにちゃんと応えてくれる思いがある。
「不意打ちとは卑怯だな、晶」
「ふふっ、だって雄斗さん……キスするって言ったら、恥ずかしがるじゃないですか」
「あ、あの、な……」
 窓から吹き込んできた新緑の香りが部屋の中へ広がり、甘く蕩けるような温もりと笑顔に身体を預けて目を閉じていた。
 この身体いっぱいに感じる温もりが幸せの源なら――
「お前が好きだから、恥ずかしいんだ……ったく」
 優しく髪を撫でる手の温もりと照れ臭そうな声は、『幸せの魔法』を僕にかけた魔法使いだろう。
「もう一度、していいですか?」
「……だめって言ってもする気だろ。顔に書いているぞ」
 胸に顔を埋めたままの僕の顔を見えるなんてすごいと思うけど、雄斗さんは照れ臭そうに身動ぎをして僕の顎に手をかけてきたので、ゆっくりと僕も顔を上げる。

 僕と先輩、人とは違う幸せの形。
 きっと他の人には、受け入れてはもらえない愛のカタチ。
 でも……。
 それでも、僕は幸せです。

 目の前には瞳いっぱいに優しさを込めて僕を見つめる雄斗さんの顔があり、そっと目を閉じて――
「大好きです……雄斗、さん」
 幸せの風が吹き抜けていく部屋の中、僕達はそっと唇を重ねた。














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