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カフェオレと空
作:猫離脱


カフェオレに青空





 白くて四角い部屋の入口に観葉植物。向かって正面に大きな窓があり風が吹きこむ。注意してドアを閉め丸椅子に座る。この部屋がサイコロなら入口のドアが2で2の裏は確か5、3と4が対で6が本と薬の棚、対してはこの先生か。
「いいから。ひとりで行くって、それが条件」
朝っぱら母親に起こされたのが0930 ご飯を食べなさい云々のやりとりがあって今日は電話で予約も入れたからと絶対連れて行くんだからの話。恥ずかしいも何もなく最高に引っかきまわされそうだったので観念した。

家族で飯を食うのが嫌だった。いつからかだが思い出せない。食卓を囲んで自分の話題がでるのが嫌いだった。いかにも平和でごくあたり前のような光景が場に展開されると我慢がならなくなり黙って飯をかっ込むようになった。食事は5分ですませ、自分の部屋に入る。機嫌が悪いときは声も聞きたくないので自分の分の皿を取り部屋で食う。ほっとした。食卓で自分の話題が出るとぶちきれ、テレビを観ながらあーでもないこーでもない、でどうだっけと振られれば、よくて、さあ。とか、ああ。とか言うだけで通常は無視。自分の言い分としてはこうだ。親は子のいうことなんて聞かない。聞かなくていいと思ってる。子の言うことは愚かな事で笑い事だ。まあそこまでは思わないでも子はいつまでも子で自分はいつまでも親だってことであたりまえだ。でも、腹が立つ。俺がたまに話すのはそれが好き。とか、〜したい。とかいう前向きなことではなくて、〜は嫌い。とか、〜はいやだ。とかいうくらい。それはそのまま俺自身に繋がっている。やりたいことの一つよりやりたくないことの九十九を探して迷ってる。言い訳をしているんだ。で、この前まともに母親と話したのは、カレーのときにみそ汁をいっしょに出すのはやめてくれって言ったのを思い出す。確かに過去2度ほど言ったような気がするのだが気にも留めないのだろうか。カレーのときにでもみそ汁はみそ汁で出すんだというような母親の主張を見せつけられているようで腹がたった。こんな事の積み重ねが俺を無言にさせるんだと思いつつカレーもみそ汁もテーブルクロスごとひっくりかえさないだけましだろと俺は飯を前に見えないためいきをつく。

 目の前の現実。不満の前に、嫌なことの前に、片付けておかなければならない問題。久しぶりの外出。人との折衝。それなりにうまくやろうとしている自分がいる。名前を聞かれれば答えなくてはならないし、汚い格好もできない。笑われたり馬鹿にされたくもない。普通であること。普通よりちょっと劣ってもいいがそれもちょっとだ。主張はカレーにみそ汁云々。少しでも、わづかなところでもわかってもらえれば成功か。奈由多は丸椅子をゆっくり回転させ1を待った。



「それでお母さん。奈由多君がいわゆる引きこもりはじめたのはいつ頃からですか」
 子供がとくに男の子が引きこもりもしくは不登校になる最大の原因は母親にある可能性が大だ。まして相談にきたのも母親。この母親は教育ママタイプ。息子に対する自分の教育についての自負と不安の同居。この手の母親の息子はやっかいだ。会って見ないと想像つかない。まだ甘やかし放題やりたい放題で育ってきた子の方がわかりよいと自分はみている。おそらく父親は仕事で夜遅く帰ってくるんだろう。父親の無関心。自分が任かされているんだという責任。自分なりの努力。どうしてうまくいかないんだという息子へのいらだち。気の毒ではある。同じ女としては。家庭の問題。父親と良く相談してください。とはいかない。ここでは父親役を買ってでなければいけない。それを売っているのだから。理でもだめ。力でもだめ。 ・・・それなら魂で。透は言うだろう。気楽なもんだ自分のことは棚に上げて。でも本質をついていると自分に思わせるような自分が正解じゃあないかと思わせる事を簡単に言ってしまう。それが憎い。ずるい。香摘は喧嘩したときの言い合いでそのことをいつも指摘するのだが、この母親と父親もそうなのだろうか。そして自分たちもいづれこうなるのだろうか。
 常に自分の身に置き換えて相談内容を考えるのは悪いことではないと院長には言われている。吉本香摘25歳。独身。彼氏と同棲中。でその彼氏が中西透29歳。大手商社勤めの会社員。サラリーマン。同棲2年で結婚のケの字もでないのはかなりやばいと思っているのは私だけって私しか事情はわからない。本当に世の中わからないことだらけ。こんなこといえばそうだねって返してくるのが私の彼氏。で、透の後押しを受けて魂の救済をするまでに至るかはともかく。
「まずは奈由多君にあって話を聞かないことにはどうしようもありません」
「お母様もお仕事とか、ご家庭の事とかお忙しい中、何度も参られましても、私どもといたしましてはやはり本人と直接話さないことには何の解決にもならないかと思いますが」
「ええ。はい。私の気の迷いであったらいいんですけどこのままですけど息子がなにかその、取り返しがつかないというか、駄目というかその、」
ええ。だめですね。私はいつも思う。カウンセリングがしたくないと。お願いだから自分たちで解決してくれと。なぜ家族の込み入った、赤の他人の事情に口出ししなければならないのかと。言いたくないのだが、言いたくなる。仕事だから。ぼそっとした透の言葉が聞こえてくる。仕事。仕事。仕事。仕事だからできる。仕事だから何でも出来る。仕事でなきゃやらない。なんとか正当化にこぎつけて気持ちの転覆を回避する。この母親の気がすめばそれでいい話なのかもしれないと、話を聞くだけ聞いて、整理して。
「それでは次回お母様とごいっしょでかまいません。息子さんの方、ご都合つきました時でかまいませんのでご連絡いただければこちらで本格的なカウンセリングの調整をはかりますので、今日のところは」
なにが本格的なカウンセリングなのか、最後のほうは言っていることがちんぷんかんぷんのような気がしたがまずはお引取りになってもらってほっとした。

 特養老人ホームから引っ越してきて3年。所長はそそそろキミにも患者を持ってもらおうと今回の担当にまわされたわけだが正直困ってしまう。心の底から本音で向き合えばわかってくれる。いや、わかってくれるというのはおこがましいが、香摘君駄目でもともと。よくなれば、その患者が望むようになれば良い訳で、そのままならそのままの状態でいいんだ。あやまればいいわけだから。だめもとですよ。だめもと。所長はそういうが、どうだろう。あーもういい。今日はがんばった。よくやった。早く帰りたい。久しぶりにコンビニに行って新発売のケーキとアイスを買って帰りましょう。かえりましょう。そうしましょう。と、歌を作って残りの終業時間を乗り切った。

「よっ」
コンビニで立ち読みをしていると今日はいないと思っていたバイトの弟に後ろから肩をたたかれた。アルバイトとはいえ店員が、姉とはいえ客に、こんなにも気安く声をかけるなんて、他の客もいるでしょうが。と、なにか言う前に携帯がぶーぶー鳴り出した。
「おっ。彼氏か」
「直」
開くと弟からでバーカと、あった。無言で足を踏みつけお目当てのケーキとアイスをとはいえ店員に押し付け店を出た。
「ねーちゃんまけるからゆるして」
ってできるわけないでしょうあんたに。出来たとしても結構。久しぶりにくればこの調子だ。まあいいけど。今日はたまに会いにきたんだから。しっかし昔っから直樹は。まあ、いい。まあいい。階段を上る。アパートに入る。バランスはとれていると思う。私の周りの男達。直感的にそう思う。複雑な家庭環境が引きこもりや犯罪者をつくるといわれている。それでいえば私と姉。私と母がそれにあたる。弟と父とはなんとなくだ。なんとなくどうしようもないが分かり合えるような気がする。しかしお姉ちゃんと母は異質だ。むこうもわたしをそう思っているもかもしれないが、なんで女で私がひとりこっちなのって考える。母はいわゆる美人で姉はまさに母似だ。わたしは、私的にまあそれほど悪い容姿であるとはいえないが姉と母にはかなわない。女としていつも負けているというか勝負になっていない気がする。子供の頃から近所の人にしてみても、お姉ちゃんはお母さんに似てきれいで美人ねえとなり、それをじっと見ていて私はあら香摘ちゃんもかわいいわよと私の番のおきまりの文句が並べられる。でも、私は姉も母も憎いと思ったことはなかった。もちろん近所の人も。それは自分がしょうがないと思っていたからか、弟や父がいたからかはわからない。それが家族なのかと漠然と思っていたからのように思う。
 この仕事をするようになって自分の事に場合を置き換えて考えるようになった。結果、自分と向き合うことにつながり、私の場合は恵まれていたんだなと単純な私はそうとしか思えない。
アイスのふたをあける。ふたについたのをなめようか迷ったが姉と母のことを考えたのでやめた。ここは男の部屋だ。吉本家次女25歳の女としてはそうする気分ではなかった。





 この腹がおれの十数年の歴史。勤めはじめストレスだなんだといい訳しもはやこの腹では飛ぶことあたわず。豚にはなりたくないと積み上げた歴史を否定してみたり自虐ネタにつかってみなを笑わせたりもはやどうにもならないのか、まだなんとかなるのか、本当にこいつと決別できるのか、腹を抱えて笑う。おれの腹を抱えて笑うのはいつも香摘。ときにぶよんぶよんのおれの腹で遊ぶ香摘。誕生日に食べたいものがコロッケだっていいじゃないか。風呂上りのほてった身体を素っ裸になってソファーにもたれ窓からの風を楽しむのが今の最高の幸せだっていいじゃないか。
「あなたはいつもそう。乾いたときの水を幸せに思ってる」
「乾いたときの水?」
「つまりこうよ、のどが渇いたときの水はおいしい。おなかがすいているときのご飯はおいしい、熱いとき冷ます、寒いとき暖める、忙しいとき一息ついて、眠いとき眠る」
「あなたはときどきあたりまえのことで最高におどろいたり満足したりする、それが情けなくもあり、うらやましくも思う」
「あなたは子供と老人を足したような大人だわ」
 おれは話すことはあまり好きではない。子供の頃自分の声をマイクで話して聞いてみたり、昔はラジカセでテープに録音したりしてラジオ番組みたいなことをしたりしたものだったが、それが原因だ。なにかが違った。気に食わなかった。自分の気に食わない自分の声が音になってあいてに届けられている事実。
 議論は嫌いだ。人と話をするなら徹底して良いところばかりをあげる。否定はしない。それですむ。わざわざ話をややこしくしたくない。香摘はおれからなにを釣りあげようとして糸をたらしてくるのか。
「おれは自分をガキだと思うし、年寄りジミてると思うこともある。けど足して割ったなんて思わない。はじめから割れてるだけか、足しただけさ」
 それでなにが生まれる。こんな会話から。おれはためされるのは嫌いだ、といおうとしてやめた。なにか言う瞬間しばしば相手もそう思っていることを言おうとすることがある。今がそうだと感じる。汝の対面に学べ。自分の対面になる人間にはなにかしらの意味がある。おれはこの言葉の意味を探ろうと、香摘はおれを探ろうとし、何かもう一つ足りない。とにかく一番いい理屈を見つけたほうが勝ちだ。
 小さな部屋が一つ。窓が一つ。押し入れが一つ。台所が一つ。トイレが一つ。風呂が一つ。男ひとり。女ひとり。テーブルが一つ。テレビが一つ。時計がひとつ。眠気がひとつおしよせてきて、心だけがばらばらにいくつもあるがそれといっしょなのは箱の中の折りたたまれたいくつものティッシュと座布団。横になりつつそこまでは確認し目を見開いていた。
「議論すると眠くなるんだ」
「議論じゃないわ、しゃべってるだけ」
「頭がさ、眠くなるんだ、無駄だっていってるんだよ脳が」
脳がNOっていってるんだよ。
「ホントみんな病気ね」
「私も病気になろうかしら、自分の話を聞いてもらえなっていうのが現代における精神的病の発端なんだって、ねえ、聞いてる」
汝の対面、香摘の足、綺麗だ。
「自分のさ、思うとおり聞いてもらい、みたいものを見たいようにみ、理解したいように理解する。そんな病気になりたいな」
「どうしても弱いところから攻められる。大きなダムも小さなひびがもとで決壊する。そこが狙われるんだ。確かな絆も強い愛情も、それが大きければ大きいほど強ければ強いほどそこにある弱い一点にかかる負担は破格になる」
ダムって確か英語で沈黙だったか。あとで辞書を引かなければ。
「それでさ、この話題自体がおれたちの決壊につながる小さなもとだとしたら、したらだよ、やめないか」
「話題を変えよう」

そう言って透はわたしの足をさすりほお擦りをし上のほうへももを跳ねる魚から砂漠を歩くらくだのようにわたしの上を転がってくるのだった。
「砂漠でさあ」
私の考えをうつしたのかわからないが透がつぶやく。
「砂漠に船、いやヨットかな、帆船でもいいや、小さな絵になるようなやつ。想像してみ」
透の話題はこんなんで私の話題となにが違うのだろうと思う。こんどはこっちが眠くなりそうだ。
「昔さ、砂漠を船で渡ろうとした冒険家がいたんだ。名前はヒッポクリトス。ギリシャとエジプトのハーフでさ、アラブにはじめて来てさ、砂漠を見て感動して、ヒッポクリトスは、また、砂漠を海にたとえた最初の人といわれていてさ。彼は実家のギリシャから船をひかせ砂漠にもってきたんだ。彼は現地の人でも良く通らない砂漠の中の砂漠それもそのど真ん中アルフラーミニ砂漠に船をだした。入口まではらくだにひかせていたんだけど彼は本当に船でこの砂漠を越えるつもりだった。とにかく船で砂漠を越えたい、それだけだったんだ。熱波と砂塵、それらがいくら集まったところで帆が軽くはためくだけで船はぴくりとも動かない。彼は船でただずっと機を待った。だまって日々の生活を繰り返した。アルイサク、奇跡があるときおこり、奇跡ってのは彼が砂漠を横断したことをいうんだけど、その奇跡の前にあったのは天を雨雲が覆い突然の大雨、どこからともなく地鳴りがして鉄砲水が大きな川となり船を押し出したんだ。船は常にその鉄砲水の先端にあり、それはまるで船が水を吐き出して進んでいくかのようだったと現地の人は言う。船は目的地が見渡せる大きな砂丘の上でついに泊り水はそれとともに去っていったと。アル、イサク。奇跡がおきたと人々はいうがヒッポクリトスは平然とこう答えたという。奇跡がおきたとみながいうが私はそれをみることができず残念だ。あなたがたには奇跡に見えるのかもしれないが、その奇跡の中にいる私には至極あたりまえな、ただの出来事の内の一つにすぎない。現に私は船の梶を取り帆を弛めたり食事をしたり、望んだ砂漠の航海が出来た点では満足しているがやったここといえば別段変わった事をしていたわけではない」
 透はそこまでいうと満足したかのように私に視線をうつしてキスをした。彼は私に覆い被さりひっくり返して抱きしめた。彼は下から抱きしめるのが好きだった。
「重いでしょ」
「いや」
「うそ」
「それがいいんだ。重いとか体重のことでなくて重みっていうか質量というか塊感というか熱というか」
「なにそれ」
「子供の頃ぬいぐるみを抱いて寝ただろおれは男だからそんなことはなかったけどなんかわかる。これは男とか女とか関係ない。男でも預けておけば抱いて寝るようになるよきっと」
とにかく私はされるがままになってしばらく彼にだかれるままだった。私が熱いといってもまだ彼ははなしてくれない。ようやく解放されて台所で水でも飲もうとしていると彼がきてこんどは少しやさしく愛情表現をしてくれる。好きだよっていい、軽く腰に手をまわしてコップに水を取ってくれる。こんな彼とはかれこれ5年になる。おかしいこともおかしくなくなり、なにがなんだかとにかく続いている。毎日は透に言わせれば、あれだ。「よいことの積み重ねで、これでいいところまで溜めて後は貯金で生きられたら」だって、透らしい。
透の抱きしめ行為はセックスとは違った彼と私のダムの傷を埋めるぱてみたいなもので、ふたりの5年の狂気を静めてきた確かな行為の一つ、形になったひとつの結晶だった。それについて私は満足していた。



 朝、目が覚めると目を開けたくない。たまたまそれが世間様のいう、朝であったとしてこのところは1回目はちゅんちゅんかわいらしい雀のさえずり。起きたくない。また眠りにつく。2回目、目を覚ますのはグワグエいうカラスの鳴き声。起きたくない。そして次に眠るともう朝は終わっている。朝の死。朝起きてもすることがない。1日のすることがわかる。見えるから目を閉じる。とりあえず今日もまた朝を黙殺した。昼、起きた。階段を下りるとテーブルに書置きがあった。病院に行ってきます。あなたのことで相談に行ってきます。ぞっとした。母にはすることがたくさんあった。炊事洗濯の家事一式。パート勤め。睡眠。美容と健康。息子の心配からなにからなにまで。小さな破片を組み上げオレとの距離は遠ざかる。オレが抜けたらその城は崩れ去るだろうに今日もせっせせっせとオレへの心配を城壁に組み込み出かける。
オレは母の努力を無にしたくはないんだ。オレのいわゆる自立ってやつがその城を破壊する。オレはずっとみていたいんだ。しかしその理解は一笑される。オレはやがて病院に行く約束をしそれを守ることになるだろう。


クレモンテイル密やかに、デクレッシェンド禿、マドレーヌ、ママレード、ヤムスクロ、イワノビッチ。世界が氾濫しおれの前に広がる。チャンネルというタクトを振るい音を奏でる。ジグザグに直線的に斜めにはしる線。黒に光の線。黄色、蛍色。どこをさまよっているのかどの時代をどの世界を。
わんシーズン4・5回も着れば捨ててしまうTシャツを着て車でドライブ。文句を垂れながら仕事をし、電気代だけで無料のテレビが最大の娯楽。自分の殻にとじこもり、ウエブの入った柵を囲い、時間の歯車に管理され光と闇を求め平穏と騒音を愛し心臓はひとり動きつづける。
充血する凝縮を重ねた缶コーヒーを一口すする。香摘のいうとおりおれはこれだけで満足するんだ。他愛のないことでひっくりかえるんだ。飛んじまったあいつだってだれだってそうなんだ。気が付かないだけだ。なんで死んだんだよなんて考えれば自分がなんで生きてんのかかすかながらにわかりそうなもんだった。あきらめを甘んじて受けながら何かを期待して生きてんだ。こんなおれがいうのもおかしいが人は自然と一体になるために生きてんのかもしれないな。未来は予想がつかない。だからいいんだろう。常にそう思えればいいんだろう。現状に満足することも大事だけど未来はやっぱりどうなるかわからないし現状だって変わっていく途中の中にある。レイテンレイレイレイレイレイのいちの可能性にレイを付け足す毎日じゃあなくていちを付け足していく努力が毎日になくてはならない。いちを足していくのはだんだん難しくなってくるけどやらなきゃやられる。全部自分の財産。役にたたないものまで。お腹のでっぱり、頭頂部の薄さ。渋滞。


てっきりどんな攻撃も受け流す拳法の達人のような老人。もしくはフランケンシュタインのような人間離れした圧倒的な存在。そういった先生と呼ばれる人がカウンセラーだかの診断をするのかと思っていた。美人で若くて普通の人と話しているみたいだった。もっとも普通の人と話せばこうなるだろうという予想での話だけど。
「名前は」
「藤原奈由多」
「住所」
「生年月日」
オレは答え、美人のカウンセラーはカルテだかに記入を続けた。それを必死に作ろうとしていた。若くて普通の人だった。この人も恐いんだな。誰でも人と向き合うのは恐い、初対面ならなおさらだ。それをぶち破っていけその紙を。オレの言うせりふではなかった。
「その色本来の色というか、自分が思った色がだせればそれみんな好きです。赤でも青でも白でも黒でも」
好きな色はという問いだった。少しごねてみた。だいたいオレの青嫌いはそうとうなものだがそれは、あれ、これはあれだ。智恵子抄だかの中の言葉だ。本当の空がどうとかいうくだりと勝手に同じだとおもう。巷に氾濫しているどのイメージの青とも違う。青嫌いは好きの反面でなかなか好みの青がみつからないくせにどこにでもだれにでも好ましい色として存在しているのが気に食わないのだ。


 まるでおれ自身の迷路にいるみたいだ。おれはこの状態に巻き込まれてどこにもかしこにも家族連れのぎゃ―ぎゃ―うるさい人ごみの中こんなのはまっぴらだと思う。子供。おれの子供が出来、おれは御役御免か。地下にある宝飾店は間違っていない。おれは約束のリングを買いにいくんだ。地下から地上へ、並んでまで食堂に人がたくさん。パニック障害を起こしそうだ。おれの、おれたちの指輪が解けかかる。
まだだ。待てよ。そっと扉を開く。駐車場を見渡し落書きを目印に自らの車を見つけ乗り込む。すばやくドアをロックし誰にも付け入る隙を与えない。



時間は流れている、いつもどおりに。今日ははじめて、カウンセリング。患者との面接があるからと、朝からバタバタしていた。それでもそのはじめての面談だかのせいで仕事時間がバシッときめられているようで6時には戻れるとの事だった。
「飯でもくいに行こう」
こんな風にしかいえなかった。
いつもの自分らしくなかったが香摘は仕事のことで手一杯で違和感など感じてはいないようだった。職場の同僚にでも言われたかのようなあつかいで
「うん。わかった。じゃあいってくるね」
プロポーズを日本語にしたらなんだろう。婚約宣言だろうか。よくありがちな和製英語というやつかなどと考えているうちに扉が閉められた。車の中はその時の状況と似ていた。おれだけが遠い状態へ進んでこの指輪を頼りに彼女を救い出す。まさに魔法の指輪だが。この遠い状態。理想はおれにはない。彼女にはあるのだろうか。だとしたら救い上げてもらうのはおれのほうだ。現におれは人ごみでくらくらし将来のあるべき状態を否定気味だ。おれは彼女になにを求めているのか。香摘の、女の幸せってやつはやっぱり結婚にあるなんて古めかしい男のあさはかな思い込み。希望も未来の展望もない男が将来の妻にすべてを委ねる。証の指輪。魔女に魔法を与える指輪。今日ははじめてのカウンセリングで憂鬱な頭ン中を取り払う裏技。4時。面談は終了。これから先生と面談内容についての報告。報告書をまとめて今後の対策を練る。6時には終わる。ということは30分前には会社を出てくるはずだ。おれは車を会社の駐車場に控えめに横付けした。運転席側のポケットに指輪の入った箱を入れる。トランクルームをバラの花でいっぱいにした。指輪を見せ、車を走らせ、トランクを開けバラの花束。今日び、気違いじみた演出だったがやらせではない。できるかぎりの最善をつくすのがおれのやりかただ。ひとっけはないが安全で穏やかな所。

 
 この子がどうだといっても私にははじめての患者。仕事上での経験からどうこういえる立場ではないから仕事以外一般の人としての立場から普通に接しようと決めた。黒い髪、白い顔。身長170センチ前半。やせすぎでも太ってもいない。流行の先端を一番上にしたらそれからあえて2段落とした感じの服装に髪型。充分すぎるくらい普通なみため。顔立ちも整っている。が、おかしな存在感。ぎくしゃくしている。場の空気にとことん溶け込んでみたり、くっきり真逆に浮き出たり。私と向き合う前にすでに何かと戦っている感じをうけるが、悪くない。神経質な人間はいくらでもいる。前の職場の上司がそうだった。ぴりぴり、かりかり。口うるさく、細かく、自分の正しさを周りにも要求した。彼はまだいい。まったく悪くないとみた。のだが。
 時に自分をさらしすぎ、時にまったく殻に閉じこもり消えてしまう。彼は弱さを認めているし、強さを知っている。まっ、ちょっと買いかぶりか、割とすんなりいってほっとしているせいもあるが、彼は悪い匂いを発していない。腐りきってもいないし腐りかけてもいない。さあ、あとはこれをどうリポートするか。
「先生、あの子は大丈夫なんじゃあないかと思います」
「ええ。それはよかったですね。私は見たわけではないのでわかりませんので、どう大丈夫なのかを貴方なりにでかまいません、レポートしてください」


香摘に車で迎えに行くとメールを入れたら遅くなりそうとのことだった。で、しかたなく人気のない安全で穏やかな現場の下見に出た。何回かメールのやりとりをしてうるさがられたのか今日は本当に遅くなりそうなので飯食いに行くのは無しとのことだった。院長に少し話があるとかかんとかで、おれは車を海辺の路伝いに止め付近をぶらぶらしだした。夕日は絶景だった。海はきらきらしていた。風は心地よくたまに通る車の排気ガスをかき消した。この堤防に座って二人並んで話をするつもりだった。夏祭り用のラムネを2本クーラーボックスに用意していた。仮に今ここに香摘がいてぶっつけ本番だったとしてもおれはうまくやれるに違いないと、いや、うまくやるやらないじゃない、結果がすべて。か、。とにかく、うまくいくだろう。おれのほうはそれを確認しただけで汗をかいたかいはあった。やがて日が沈み今日の時を本当に逸したのだと確認できたはずのおれはなぜかそこを離れる気にはなれないのだった。ここは境界だ。ここは今のおれの独身生活の良いところすべて。車とその中のもの、おれのすべての持物の良いものだけ。結婚してもここを離れるわけじゃあない。堤防の石はちょうどよい冷たさと適度な硬い刺激で仰向けになると考えもそこそこにそのまま眠りにはいった。



 面接が終わり、次の予定を組み、帰路へ着いた。家では母が待っているだろうと思うと直ぐには帰るきはしなかった。今日はまるでそれなりのごちそうがでるに違いない。たまらなくいやだ。しかし街ではまともなものを食わせてくれる店なんて一軒だってありはしない。そんな店はつぶれていくか、どこかの金持ちや政治家連中だけのためにあるのだろう。オレのためにはない。オレのためには。家があるか。と、ため息をつく。すばらしい家。反発し失敗。店屋から出てつくづくそう思う。天丼の何たるかなんてわかっていない、いや、どうでもいいんだ。そしてその値段。大手のチェーン店だからその値段を堂々とつけていられる。特製なんて名前付けやがって注文時ニまで恥をかかせる。これを食う客がオレで売上の一分に貢献してこれを売ってる店と働く従業員がいて生活して、最悪だ。味方した。金を使ってやつらに正義を与えた。わづかでも。やつらはまちがってるんだ。やつらは治さなければならない。それをわかっていてわかっていてオレは。家に金を使わせて店に金を使う。逆なんだ。敵に塩を送る余裕はない。家は、オレのなんだ。家を家族を否定してこの世の大抵のオレの目に入る部門を排除すればなにが残る。何ができる。失敗だ。また失敗だ。敵に味方した。とにかく今日はそうだ。後悔だ。だから、家に帰ればよかったのか。
黙って直帰してカウンセラーを受けてきました。記念パーティーの主役の座に収まればよかったのか。よかったのだ。今のオレはそれを甘んじて受けなければならないのだ。我慢すればすべてを今日のすべては我慢にあったのだ。心を捨てて故に感情に流されず迷わず一日を堆肥に変えなければならなかったのだ。オレ以外の世界はうまくまわる。そうすれば、味方に稼ぎを敵にマイナスを。
 オレはゼロでいい。つねにゼロで、ゼロ発進できないことは車の免許のないオレでもわかるんだ。ギアはどこにあるのか。一速か二速か。あたりをくらくらして近所の目を避けるようにして帰りたかった。日が暮れて暗くなるまで待たねばならなかった家はオレの迷路の行き止まり。



ぶんぶんうるせえ音で目をさます。まだ目を閉じている。同じ音。同じ周期。一台のバイクがこの辺りをぐるぐる周っているようだ。何分かおきにぶんぶか音を立てて走り去る。辺りは真っ暗で人気はなく街灯も限られていた。起き上がり、何度目かのぶんぶんの登場に腹を立てたおれはもうすでにやろうと決めていた。おそらく目が覚めて一回目で半分以上、2回目で意を決していた。やつが助かるのは次の周に周ってこなかった時だけだと鉄パイプを拾った。誰も見るものはない。おれは隠れ右の手の平にパイプの底をあてがい左手で中央から少し上を持ってバイクを待った。今度は起きている。おれはだまっちぁいない。バイクに向かって槍投げの選手のように投げてやるんだ。バイクは音に比例して速度が速いわけではない。バイクはちょうど暗がりをでて街灯のしたを通り抜ける瞬間だった。前輪のスポークだかブレーキだかの隙間にパイプをはさんでやった。そこを軸としてバイクは前転しファミコンのゲームみたいな動きだった。違いはメットをしていないことぐらいだと思った。バイクがひとり死にさらす機会をさらし、チャンスをおれはものにした。それはそれは静かな夜で月の夜の明かりが何か周りの音を吸い取ってくれているかのようだった。


「ただいまー」
「おかえり」
「ね、どこいってたの」
「海」
「うみー。えー、私も行きたかった」
「だろ、だから誘ったのに」
「えー、じゃあもう誘ってくれないの」
「それなんかキャバっぽい」
「キャバって」
「キャバクラの女の子」
「まじで」
「ばれた」
「私、昔キャバいたもーん」
「まじで」


お互い疲れているのがわかった。こんなときはしりとりのような会話がくすくす笑えるうちに寝るに限る。そうしてHして中で出されて子供が出来たらどうするの。バイクに乗ってどこまでも。相手の殻を強引にでも破って入っていかないと、表面だけの付き合いじゃあ意味がないもの。海の匂いを引っぱって来た。嫌がられるかも、飽きられるかも、それでもいくの。過去を引きずっていったい誰といるのか、この言葉を発するのは誰か。この考えをもつのは誰か。








長期計画がある。練り上げた設計書がある。さあそれを明日発表。明日から開始。眠れない。明日からをあれこれ想像してみる。眠れない。
このままいっそ起きていようか。それでも明日はくる。が、こない気もする。眠っていたときか、そうでないときか、とにかく、明日でないときのことだった。一瞬の閃きが時を把握させる。時計の一秒が一秒を押し付ける。あっという間にできあがった。明日がこないうちにしあがった。一晩で仕上げた計画。閃きによる発想書。いままでのものとは別のものになった。
明日を今日として認識した朝。発表と開始の玄関を開ける。
びつっとした刺激をもろともせず金属の握りを押し込むと院外にでた。さらに外へ続くドアは無くこの世の限界を感じた。とにかくここが今の外側で最前線。自分の意志とは関係なく自分の敵に味方するのが嫌だ。だから引きこもり何もしたくない。最近は捨てられるのもを選んで買うようになった。そういった近況報告を繰り返すことが大事なのだそうだ。

「あなたの敵はだれ」
「何人で」
「何歳で」
「男か女か」
「何を買い何を捨てたか」

私はそういいながらその問いを活字にしプリンタで印字して彼に渡した。

「患者に興味を持つことはいいことです。ですが今日はあくまで事務的に行きましょう。感情を捨てて常に急いで、業務の山を貴方の頭が千の蟻んこになったつもりでできるだけ早く崩して穴に埋めるのです」

今日のテーマがそうだった。

「率直にいうと、それじゃあ貴方の味方は見捨てられてつぎつぎと倒れていく。あなたは引きこもる。あなたは何もしない。無力な作業をあなたはしない。あなたは生きている。味方に期待しないからなのか期待しているのかどちらでもいい。あなたは何もしない。味方に味方しない。事態が好転する奇跡があったとしても味わえない。味方の小さな勝利さえ教えてもらえない。この世に完全な勝利は無く。完全な敵はいない。」

仕事だとなんでも言える。そもそも何であんたにそんなこと言われる筋合いがあるんだよといわれれば仕事上の事ですと言うしかない。何もいえた義理ではない。自分にすらこんな意見をあえて述べはしない。自分が傷つくことを知っているから。

「先生言いすぎでしょうか」
責任転嫁を求めている自分がいる。

「まあ、様子をみましょう。次に彼が診断にくるかどうかまずはそれからです」
先生の余裕が私の甘えを許さないような気がしてならない。だからといってその不安を今日の彼への言葉にぶつけたわけではない。私の不安の行き先は透に通っていたのを私は知っていた。



この行動が次の結果を生み次の行動に結果に繋がる。オレは輪っかを極力シンプルで自分のわかる範囲に抑えたかった。しかし腐りきったチェーンは解けるに違いなかった。新しい輪っかのためにまた走り出さねばならなかった。こいつは駄目だ。また終わった。また自ら問題を発生させ処理し、その処理のための問題を解決し、ながらも輪っかに対してのこだわりから以前のものよりも強固にかつシンプルにしあげなければ意味が無い。ふうう。

「オレには記憶が無いんです。本とか映画とか見ます。でもあれなんです、よく語り合うじゃあないですか、本の内容とか映画の感想とか。本当に見終わった直後ならいいんですけど、もう二三日もすればそれについて話せないんです。主人公がどうとかストーリーがいまいちとか言うじゃないですかみんな。それがなくなるんです。本当はみんな誰かに語るためにそれらを見てんじゃあないかって疑っているんですけど先生はどうですか?」

「ん、それは誰かと内容や感想を語るために本や映画を見るかって事。いい本とか映画だったら自然に心に何か残るんじゃないかなそれは何日後でも関係ない」

しかしそれに本当にすがって生きているものにとってはもはや記憶などなくなるんですよ先生。どんな感動もどんな新鮮さも薄れ消え行く。だから次を求めていかなければならず、

「ねっなんかあるでしょ好きな映画とか本とか」

「思い出してそれも次までの宿題」


記憶がとぎれとぎれ、紙切れに印刷された問いに答え次の診断にもっていく。
それでどうなるか。幸い不眠症とは無縁。よく眠りにつく。しかしこれも本当の眠りが出来ていないから何度も眠りにつくんだろうか、なんて考えの中でも眠りにつける。次の舞台まで眠った。ネタは宿題で充分。ほかにすることもなし。

バラの死骸は無残で彼女の老後を感じさせた。それを包む新聞紙は自分で、もっとも意味の無いものに感じた。最初はきちんと織り込んでいたが面倒くさくなりコンビニの袋に丸めて入れた。パンパンに膨らんだそれを次の燃えるごみの日まで家で寝かせておく気にはならず夜の町にドライブに出かけなじみのコンビ二のごみ箱に投入した。ごみ箱もコンビエントなんですねなんて冗談を店員と交わしたかったが誰も見ていなかった。静かな夜は好きだ。きっと月はでている。見なくともわかった。方向はつかめている。常にそれだけはしかっりしておきたいんだ。キミと一緒にいたいんだ。キミに見ていて欲しいんだ。帰り道での練習の成果。誰も皆話すことは決めているんだ。一度頭の中で反芻したことでなければ話せない。だからといって味気ないなんて思わないでくれ。香摘、キミが好きなんだ。

「あら、溶けたアイスをわざわざ買ってきたの」
「ああ、このアイスを君だと思ってひざの上で温めていたのさ」

「よくわかんないけど二人でこんなことする意味あるのかな」
「こんな事って」
「よくわかんないわ。はっきりいって」

「何も生み出さない」
「やはり何かを生み出さなくてはいけないんじゃあないのかな」

「なに」

「なにそれ」

「子供のこといってんの」

「だまってないでなんとかいったら」


なんだか良くわからない本当に。向かっていた帰り路はどこにいったのか。おれはどこに辿りついたのか。時間を間違えましたまだ開店じゃあありませんでしたね。コンビニなんていかねばよかった。おれの変てこなトークが憎くて仕方なかった。必殺技が出せないアニメの主人公の気分だった。
「今度旅行にでもいかないか」
当ての無い問いかけが精一杯だった。もうおれにはプロポーズという難題をどうやって解決するかしか目に入らなかった。
「いいけど」
「いつもみたいに急のはやめてね、前日とか当日とかじゃなくてせめて一週間前、やっぱり2週間かな」
「それに旅行の楽しみは計画する段階にもあるって、この前テレビでやってた」

「やってたね」
「あなたには計画性ってものがないの、今日も突然にコンビニなんかいったりして」
「そりゃコンビニだから、計画もくそもないよ」
「そう。だから例えばの話。いままでの旅行。前回のデート。その前も。」
「そうだったね」
「何よ」
「おれと結婚してくれないか」
「香摘。おれには明日のことなどわかりはしない。誰だってそうなんだろうけど。おれはわかりはしないものに思いはかけない。努力しないっていうか。計画がないよ。お前のいうとおりだ。」
「お前が教えてくれよ、おれに。明日を。計画を練る意味を、その価値を。」
「なあ。」




うれしいはずだった。くるべきものがきた。いずれはそうなるだろうと漠然と思っていた。ただあまりにも突然だった。
意表をつかれてうれしいものとそうでないものがあって、今回はそうでないものの気がした。いや透といる限りいつもそうだった。よくわからないが女の子は来る来る来るとわかっていてやっぱり来るのがうれしいものだ。と思う。私はそうでもないが最後ぐらいはプロポーズが最後なのかはしらないけれど、しっかりして欲しかった。それが透の男としての弱さで苦労してきた部分に違いなかった。
透は絶対嘘はつかない。つこうと思えばつけるんだろう。ただそうした場合、透はつきとおすだろう。そして最終的にそれが無理なのを知っている。透の嘘をつかないための気遣いはすごい。正直、私が望んでいるやりかたで別の男がきたとして、うれしいんだけど、その男とはうまくいかない自信がある。私が我慢しればいいこと、女が女らしく我慢してあげるところともいえるが、そういったことは苦手だ。男は自分で積み上げておいて女の裏でのしたり顔にたいして大抵は後でぶちぎれる時が来る。本当に気づいていない男を最後までだます自身は私には無いし、ある程度はお互いの男らしい振る舞いと女の需要を大人のやりとりで取り繕ったとしても限界がある。男は絶対に切れる。自分から仕掛けたゲームを放り出すときが来るのだ。

「一応。うん。っていっとく」
「今度の旅行楽しみにしてるから」

しおらしくてかれたような声に自分でびっくりした。
これが私かと思った。
一応なんて言葉、誰かが言ってるの聞いてすごく腹が立つくせにこんなとき使ってる。まだ試すように。透がちゃんとしてくれるのを待っている。その時の嘘の言葉を、作られた構成と演出を私はやっぱり欲しいのだ。でも透だから、わかって欲しい。




好きな言葉:墓穴を掘る

「何これ」
「好きな言葉です。言葉って言うかことわざって言うか。すごい言葉ですよね。最近この言葉を再発見してうれしいというかなんというかとにかく誰かに話して聞かせたくて。ちょうど先生言ってたじゃないですかなんでもいい好きな映画とか本とか。否定的じゃなくて嫌いなものじゃなくて除外するものでないものを宿題にするって」

確かにそういったようないわないような
「奈由多君、それでなぜその言葉がすきなの聞かせて」
彼はこんなことのために診断にきたのか、こんなことを語るためにあんなに目を輝かせるのか、私にはわからないが彼の話が終わった後私はドアを開けて家に帰りたくなった。彼は満足し私は不安になりはっきりしない立場のままじゃあまた今度といい。彼が先に診察室をでていってくれてほっとした。


「たったそれだけのことが彼には大事なことだったんだね。彼にはそれしかよりどころがないといってもいい。」
「カウンセリングを受けること、好きなものをみつけてくること、それを君に話すこと」
「彼は今日三つの勝利を手に入れて帰っていった。」
「ただ家にいたらゼロだった、毎回ここに来るだけだったら一つだったすきなものを。見つけるだけならそれも一つだった。」
「でも今日は私が感じるだけで三つもの成果を上げている。本人にしてみればそれ以上のものかもしれない」
「君のおかげだよ。彼はいい傾向にあるといえるよ」
「結婚したからってなにもすぐにやめることはない」
「彼がその、そういっているのかい」


「いえ」
「その」
「私、この仕事むいていないというか、」

「やめたいと」

「はい」

「わかった。無理はできないからな」
「そのかわりこちらにも都合がある」
「来月まで待ってくれないか」

「わかりました」

いろいろ問題がある。早くここから逃げなければと思う。ここの仕事をやめて、透と旅行にいって、子供。
それはそれで問題か。他の人はどうやっているのだろう。余り先を見ず成り行きに任せているのだろうか。それでいてそのことを忘れて愚痴をこぼしてみたりするのだろうか。
私は逃げている。いや逃げたい。子供からそしてそれは奈由多君から。私にはわかる。奈由多君が私に向かってくる。彼には私しか見えていないような気がする。私は彼の母だ。しかし彼はそうは思わない。私も直面している問題は同じだ。ただ見ようとしない。だけだ。

 「おー奈由多。この箱たのむ」
「はい」
「しかしあれじゃのいきなり週4はつらいべ」
「いえべつに」
「なんかほしいもんでもあるん」
「そんなんじゃないです」
「だよな」
「あーあれな、おれの話かた変だけどきにせんといてな」
「はい」
「すなおじゃのー」
「直樹さんこっち箱もですか」
「おー頼む」

とりあえずなにかしなければ、働かなければという思いに駆られた。近所の、といっても駅でふた駅ほどの場所にあるコンビニのバイトに応募した。電話をかけて履歴書を書いて簡単な面接をしてその日からすぐに仕事に入った。本当は駄目なのだけれどと言って直樹さんに捨てるための弁当をもらった。それを隠しておいて帰りにもってかえる。家にあまりいたくないのだというととっておきの場所だと教えられた。コンビニの裏口からでてビルとビルの間の細い隙間。

「そこの隙間通り抜けてきてみ」
「なにもありませんが」
「だまされたと思ってるだろ」
「いっしょにきてみい」

「かりにな。かりにだ。誰かがここをとおるだろ」
「なにも気づかない」
「左向いて上みてみ」
そういってそっちを向かせた直樹は逆を向いて
「ちょい危ない」
片足が影を作った。ぶわっと服のこすれる音がし、自分の前から消えた。向こう側にいったのだ。
「後ろに踏み台あるだろそれつかってこっちこれんのよ」
声だけがした。
「いいだろ」ほんとはおっさん達とタバコ吸ってんだけどよあの通路で、でもさせまくてよそれに飽きてさ、なんかさ登れそうでだったから飛び乗ったらよ奥にこれさ。
「土」
「おう」
「ここはオレの第一公園。最高に落ち着くぜ」
2メートルほどの壁を背に両脇の建物には窓も無く軒の下にいればさっと空が見えるくらいで雨もしのげそうだ。向こう側は段段狭くなりついにどちらかの家とも知れず吸収されて行き止まりだ。
「まさか直樹さんここに住んでるんじゃ」
なにかマットのような敷物がしかれ棚のようなものができていた。
「馬鹿おまえそれ本気」
「たまに来るんだよたまに」
「それって第一って第二とか第三とかあってそこを転々としているわけじゃあないんですね」
「ないんだよ」

「しっかしお前おれがそんな風にみえるか」
「いえ、でも、おかしくはないかなと」
「ん―ん。まあいい」
「お前も気に入ったろ。ここらは治安もいいからまずまちがいもない」
「おれらだけだ」
「田辺さんにも教えようと思ったけどなああそこ超えらんないだろうと思ってよ」
「他はおばちゃんばかりだし店長と娘にもなあなんかいわれそうだし」
「奈由多きたからさ。ホントうれしいのよ」

「ほら家帰りにくいんだろ、弁当もあるし金も使わなくていいじゃん、居場所っーか安全地帯よここは」
「いずれ最初は指導係りとか言ってるけど店長もおれとお前組ませようとしないだろうし、若い二人を信用してないのよなんだかんだでさ」
「そんときはさ、使っていいから」
「まあたまにはおれと二人っきりになるときもあるけどさそれはいいだろ先輩としてさここの」
「ええ。まあ」
「でも、ここ いいですね」
ほんとにいい。
澄んだ空とこの土地を比較させて楽しむんだ。オレはこっち側にいるよってことに安心して汚れていられる。塵も誇りも分解して見えなくする。オレの突いた手のひらのどこか薄い膜を食らわせて一つになる汚れ。ぼろぼろになるまで擦り切れたジーンズにここが唯一の呼吸口だっってことはわからないがせめて青い煙突はオレを通して空につなげてやるんだ。ここがオレの墓ならば本当に是非もない。向かう先はきまってる。落ちる先も決まってる。わかりやすいじゃないか。迷わなくてすむ。
「おい」
「もどるぞ」
「休憩終わりだ」
「奈由多」



仕事の合間を縫って旅行会社の扉を開く。受付の譲はまるで旅行とは無縁。淡々と事務をこなす。いまどき国内の温泉旅行などはやらないかもしれない。ご両親へのプレゼントですかなんていわれそうだ。静かで落ち着いた少々値段は張ってかまいません。趣のある雑でない。
「ええ料理とかはそれほど食べるほうではないのでかまいません」
「はい」
「ええ」
「それじゃあ」
「ここと」
「ここ」
「後で見積もりもらえれば相談して決めますんで」
手に二、三のパンフレットと電話番号をもって旅行会社をでた。ふたりで旅行したことなんかあっただろうか。香摘。なんだかんだでディズニーランドいきたいなんていわないだろうか。そうしたらおれはどうするんだろうか。いってみるのも悪くないか。香摘がいきたいんならそこが一番だろう。人がたくさんいて。子供がいて。騒がしくて。人の波なんてよくいったものだがそういうのはどうしようもなくつらいもだけれどもそこにいくことで何かを確認できるとすればそこの意味がそこにあるんだろう。おれは見えないものを見ようとしている。疲れている。見えるものだけ見ればいいんだ。なにも温泉なんて本当だ。年取ってからいけばいいところだ。もっと普通の当たり前の事に疲れるんだ。
こんなパンフと電話番号はあの旅行会社の中だけのこと。おれの気持ちの一瞬の思いにすぎない。帰ったら二人で考えよう。なにもこんなパンフなんか見積もりなんか必要ない。それでいったいおれは何をしているんだろう。
おれは黙って家に帰るんだ。それで待っていればいいんだ。それまで動く必要ないじゃないか。香摘は仕事をやめるっていっていた。そうしたら今度は香摘がおれを待っていることになる。慣れておくのもいいもんだ。おれがいまふらふらしてどうする。まるで家に痛くないみたいじゃないか。不安があるみたいじゃないか。自信が本当にないわけじゃあないんだ。ただ、空元気を出す気がないだけだ。
 あるものは二人の未来とひとりの孤独。見えるものは二人の未来で見えないものはひとりの孤独。空の青が見えて宇宙の黒は見えないもの。青信号が見えれば左右の確認は必要ない。賞味期限には従うこと。値札は値札。ものの価値。
過去の繋がりの流れ。今の流れ。未来へ繋がる流れ。どれだ、いまはどれだ。どこにいる。
 花を両手でいじるように目を閉じた。自分が香摘の両手を使って自分の両手がきっと香摘のそれになっている。うまく包み込んで花を閉じ込めるようにして痛くないようにと覆い隠してもぎ取る。何のためかはしれずそこまでしておいて、残酷。遠くで案の定自分の両腕両足をもった香摘がそれをみている。おれはただ首をまげ声も出せず鼻から空気を吸いこみ吐き出しながら首をもとに戻した。おれの手には花びらがばらばらと握り締められ零れ落ちるのを待っている。花びらを後に残し歩いていく。そのうちひざががくがくしだして前のめりに倒れこむ。やわらかく着地。あたりは真っ白だった。やわらかな白だった。思うような場所だった。思うようになった。はじめはひざをついていたのだが頭からもぐりこむことも出来た。地面いっぱいに広がった。背中をひねって水鏡。さっきの花びらがくすぐったかった。


「是是非非、非非是是」
「風風雷雷、雷雷風風」
自転車を買った。バイトへの行き来をまかなえるようになった。
「物を買うために働いてるようなもんだ、若いうちはそれでいい」
「その内そうじゃなくなる」
「そうじゃなくなるって どうなるんすか」
直樹が聞いた。
今日は日勤のおばちゃんが休暇をとったため店長自ら店に出ていた。
直樹の仕事は夜勤が主だが前倒しになっていた。
オレも少し早くの出勤だった。
颯爽と愛車をおり駐輪所につないで息を整え制服に着替え舞台に登場した矢先だった。
「奈由多 その自転車どこで買った」
「えっと、うら路地伝って駅いく道ありますよね、その出っ鼻の区画にある自転車屋」
「お前らなにか物買うときどこで買うかとか気にしないだろ」
「同じ値段で同じ性能だったらなおさら」
「ましてやいまやネットで安く買えるし自宅に配達までしてくれる」
「まあいい」
「直樹と話してたのはそういうことじゃない」
「奈由多も来たからちょうどいい」
「たとえばその自転車盗まれたら悔しいだろう」
「その自転車不良品だったら」
「その自転車本来ただ同然なものだったら」
「奈由多が苦労して稼いだ金で買った自転車馬鹿にされたら」

「店長なにがいいたいんすか」
直樹がいう。

「んーとな、そうだな」
「たとえば、お前らはこれからここでバイトしていずれやめていく」
「時給云々もあるしたぶん金が続かなくなる」
「やりたくてやっている仕事ではない」
「まあ、いくつかのバイトの中での選択肢の一つとして選んだだけだ」

「お前らはその内、ひとりぐらしをしようとする」
「実際、直樹はそうしたよな」
「直樹、女できたか」
店長は返事も続けず次を続けた。お客はきそうもない。
「で、安易にバンドやるなんてお前はいはないだろうし」
「専門学校通ってどうこうも言わないだろう」
「どうなんだ オレはお前に聞きたい。どう思ってんだ」
「どうって何が」
「おまえ自身の今後についてだよ」

「店長」
「そこぐらい逃げてもよくない?」
「店長答えだしてんジャン」
「未来はないです」
「見たくないです」
「今を必死にやるだけです」
「家賃を払って水道ガス光熱費、携帯、食費、年金税金云々」
「店長、おれの将来のために首にしてくれるっていうんですか?」
「うらみませんよ、感謝もしないけど」

それっきり会話がなくなった。
客が来て時間がたち店長は帰り直樹と二人で夜勤番をしていた。

「店長今日なにいいたかったんでしょうね」
「ああ、あれか」
直樹は何かもっとありそうだったが
「娘に悪い虫がつきそうで、それがおれ等みたいんならって考えて八つ当たりだろ」
と、そっけなかった。

その後、直樹は夜勤の早上がりをして次の飲み屋のバイトにでかけていった。
また、店長がやってきてなにかいうのかと思いきやそのまま黙ってぶり返しはしなかった。

「ひとりぐらしって大変何すね」
と、店長に言うと。
「ああ、そうだな。まずここだけのバイトじゃあやってはいけないからな」
「普通に暮らすだけで精一杯、その内何か問題あれば全部がだめになる」
「何かって?」
「別に犯罪とかそういうのを言ってんじゃない怪我とか病気とかだってそういうのに入る」
「今日、おれが直樹を首にして、次のバイト先の店屋が火事で焼けちゃってたらあいつはどうなる」
「あいつは来月までに次のバイトを探すとこからはじめなくちゃあいけない」
「あいつは如才なくやるかもしれないしやれるだろうが人知れづ気苦労はあるもんだよ」
「今度のバイト先は遠くの場所になるかもしれない」
「交通費もかかり、残業もさせられかかけもちなんかできなくなるかもしれない」

「そういうの考えないんだろうな」
といって突然オレのほうを向いた。

「いまの若いやつらはってことですか」
「考えることを逃げてるように見えるんですよね」
「見切ってるんですよ駄目だって」
「考えて駄目だじゃなくて」
「店長もいってたとおりどうしようもないんですよ」
「店長も答えだせないでしょ」
「おれ等も出せない」
「だから今に居るか、次にいくしかない」
「時計の針と同じですね、なんか」
「別にそっちを馬鹿にしてるわけじゃないんです」
「すごいですよねそっちの世界は、すごいことして回してる」

「あれですよ まだいいのかもしれないですよ」
「バンドやってんだとか専門学校とか言ってるほうが」
「直樹さんはそれすら見切ってる感じですよね」
「だからといって何をするわけでもなく」
「今日みたいなの一番きついんじゃないんですかね」


帰りに特別に弁当をもらい朝の町を自転車で走る。吸殻、カラス、ごみ袋、朝日。新聞紙、名刺。茶色のおっちゃん。
すこしだけこの町を制覇した感がする瞬間だった。しかしもうすぐすればこの下層世界の上にコンクリートが流し込まれ人が闊歩し車が行きかう。シンデレラは時間までに帰らなければならない。だれにも見つかってはならない。
「風風雷雷、雷雷風風」
風よ吹け雷よ落ちろ、めっためったにぶち壊れればいいのに。どうでもいいのに。
「是是非非、非非是是」
こんな途上じゃメールも電話も携帯に届きやしない。




望まないものを作る。必ずしもそう強く望んでいるわけではない。
どっちもどっちだ。だが進もうとする。後でぶり返す。
香摘が仕事帰りのおれを迎えてくれた。
昨日もそうだった。
おとといもそうだった。
食事が用意されており料理の本も増えたようだ。
「家に居ても太ったら駄目だぜ」
なんて言ってみた。

やがてなにかが不安になり、このままでは済まされない気がしてくるのだろうか。
どちらかがいいだすのか。それが負けとか勝ちとかではないが、いずれ未来の原因の種になる。
それを恐れている。未来は明るくない。いまでも手いっぱいの気がする。
いまで十分な気がする。なにをこれ以上望むのか。
そして逃げた。

金沢は雪だった。
駅構内の雑貨屋で香摘がマフラーを買ってきてくれた。
おれが旅の計画に悩んでいるといつかあなたが話してた一人旅でいった金沢がいいということになった。
10年もたつとすっかり事情が変わっていた。
駅前はまるで別の町だった。
しかし玄関を出ると観光名所は懐かしい言葉と風景だった。
あのときも雪だった。鱒鮨の弁当の幟を見ながらなんで一人旅にでたのかを思い出そうとしていた。
人に歴史ありか。
思い出せずにやにやしていると香摘が腕を組んできた。
「ああ、この雪が接着剤で取れなくなったら困るね」
ばっと離れられたら寒かった。
「寒いよ」
「でしょ」
一度あると認識して暖かさを味わうともう駄目だ。
「寒い」
そしてバスに乗り込みバスっていいなと話していた。
部屋を出てくるとき居間の机の上に結婚指輪の箱を上げてきた。忘れ物をしたと嘘をつき一人部屋に細工した。
こころは飛んでいた。
同じ石ころに座り込んでお茶をした。
「間違いないこの石は動かないでここにいた」
「ほんと」
「ほんとさ。ちゃんと写真とっておいてくれ」

夕べには温泉宿を取った。ひっそりとした離れのある旅館で温泉街なのにそこは静かだった。
部屋つきの露天風呂もあり湯気が雪を溶かしていくのを見るのが楽しかった。

そしておれは酔っていた。
久しぶりによいよいかたでこれはいけるぞと思った。
際限なく飲んだ。ゆっくりゆっくり時間が流れればとゆっくり飲んだ。
まったくの独りよがりだったが香摘は何も文句は言わなかった。
勝手に隣にすわらせ肩を抱きおれは香摘など見ていなかった。
おれは惨めなのかなどといいそうになった。
じゃあ香摘はどうなるのか。


ようやく彼は私を見。
今何時だとたずねた。
透は瀕死の域に達していた。
誰が正常なのかもわからないし、そんなやつらを好きになれるかどうかわからない。
あきらめ。
完全でない世界を完全にするために君がいるんじゃない。
いいことも悪いこともあったろう。どんなにかがんばってもいいこともわるいこともあっただろう。がっかりだろう。
ちっちゃな世界ででっかい図体したいい大人が大きな荷物をもって鬼ごっこ。
やめた病院の院長がいっていた。
だれでもなにかしゃべれば予言になるんだろうか

透は楽しい風になんてしなくていいという。
いまの若いやつらはなんていい方をする。
場の空気を作ろうとする。意図が見えた時点で興ざめだという。
白けてなにがわるい。沈黙がそんなにいやか。
「10時15分」
こんなに歩いたのはいつ以来だろう。子供のころの遠足を思い出す。食べたいものも選んで食べる。
デザートの生クリームの上に乗せられたミントの葉っぱを箸でよける。透はまとめて口にほおばった。
私が湯冷めに冷たい緑茶を作ろうとあれこれ算段をはじめたころ彼は横になっていた。まだお酒の徳利を放さず窓辺に横たわり外を見ていた。下から這い上がろうとしている。まるで床から下の下半身ががけに落ち込んでいあるかのように見えた。
「外は寒いわ」
「ああ」
「おれもすぐ行く」
私が一人で露天風呂に向かうのをいっていた。
何とか時代を乗り越えつつあった。互いにでもあるし単独でもそうだったろう。

桶を抱え外に出る。笹の葉をゆすってみる。ぱらぱらと足元に転げ落ちた雪は冷たくなかった。
降る雪はつぎつぎと湯船に解けて消えていった。

いろんなことを忘れてはじめることもできるだろう。疲れてなければ何度でもできるだろう。
「疲れをとるには温泉だね」
透がやってきた。
湯船に顔が映る。
ゆらゆらゆれておかしい。
桶を湯船に浮かべる。
そして並んで空を見上げた。
「おれのさベスト景色ってのがあって、それはもう見れないんだ、昔の話でごめんな」
「あれはやっぱり10何年も昔もことだ。おれが友達んちで飲んで自分の部屋に帰る途中の工事現場」
「道路工事中で拡張工事っていうやつ、通行禁止になってた。道路の街灯がオレンジできれいだった。」
「静かな夜で雪が音もなく降ってきた。降り始めの雪でこれは朝まで積もるぞってやつ」
「おれは道路の真ん中に仰向けになってさ」
「きれいだったな」
「寒くもなかった」
「黒い空から白い雪オレンジの街灯」
「このまま死んでもいいなんてさこのことかなんてね」
「朝まで顔に雪積もらせてさ」
「うそ」
「うそ」
「ちゃんと聞いててありがとね」
「今日もさんざんつき合わせてありがとね」
「なによ、どうした」
「今も悪くないよ」
「最高の眺めだ」
「てっ、どこ見てんのよ」
「空だよ 空」
「見てないでしょ」
「家にさ指輪置いてきた」
「はっ」
「何かをさ作っていくっていうかだましていくというか」
「おれについてこいなんてうそはつけないけどさ」
「それもうそといわなきゃ一番いいやり方だとは思うけど」
「好きだ、だからこれからもよろしく」
プロポーズというやつだ。
返事も聞かず逃げ出した。
何もいえなかった
決まっていたことなのかもしれない
断る理由もなかったが
はっきりとした返事もできなかった。
透るもそうなのだろう
はっきりした何かなどなく無理やりに作ったのだ。
そしてそれを嘘にしたくない。駄目にしたくない。
それは私もそうだ。
それをどう伝えるかだ。

Fin














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