第七話 夢を想えば プロローグ
第七話です。
この話は「夢」という単語がキーワードになります。
なるはずです。なるったらなるのです。なるといいなぁ~。
別れの数だけ強くなったと思っていた
でも違った
出会いの数だけ強くなっていた
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第七話 夢を想えば
「陛下のご容態はいかがですか?」
アルジャーク帝国皇帝ベルトロワ・アルジャークの寝室に入ってきた皇后の姿を認めると、ベルトロワの侍従医たちは皆一様に腰を折った。皇后はそれを片手を上げて制し、ベッドに横たわる皇帝の下へ近づいていく。
「未だ、目を覚まされませんか?」
「はっ………、手は、尽くしているのですが………」
およそ三日前、皇帝ベルトロワは馬で遠乗りを楽しんでいる最中に落馬し、その時に頭を強く打ったのか、以来意識不明の状態が続いている。ベッドの上に横たわるベルトロワの姿は、頭に巻いた白い包帯を除けばどこに異常はなく、すぐにでも起き上がってきそうに思える。だが彼はこの三日、一度も覚醒していない。
「あなた方は良くやってくれています。陛下がお目覚めにならないのは、あなた方のせいではないでしょう」
「恐縮にございます」
皇后としては、今のこの状況は望んだものではない。彼女としては、ベルトロワには確実に死んでもらいたかった。しかし、修正不可能でもない。いや、結果としてはこのまま意識不明でいてくれたほうがいいかもしれない。
「しばらく、二人だけにしてください」
皇后にそういわれ、侍従医たちは寝室から退室していく。パタリ、と扉を閉める音がしてから彼女はベルトロワのそばへと近寄り、彼の頬に手を添えた。
「まったく、体だけは丈夫な人ですこと」
指先で、顎を撫でる。
「いつ死んでもかまいませんが、できればもう少しこのまま粘ってくれると嬉しいですわ」
その間に自分はレヴィナスを摂政にする。全てはレヴィナスのため、そして自分の夢のためだ。
以前アルジャーク帝国のヒエラルキーは上から、皇帝、宰相、そして三人の大臣、であるという話はした。では摂政という役職がどこに入るのかといえば、皇帝と宰相の間に入る。
アルジャーク帝国において摂政という役職は、皇帝が存命中にその後継者が実権を得るための役職である。つまり摂政は、帝位を別とすればほとんど全ての権限を皇帝より与えられており、名実共に後継者のための位なのである。
皇帝暗殺には失敗したが意識不明には追い込んだ皇后が、次の手として考えたのがレヴィナスをこの摂政位につけ、次期皇帝の座を安泰にすることであった。
レヴィナスを摂政にすることは難しくあるまい。なぜなら彼は皇太子である。皇太子という称号は帝位継承位第一位を表しており、つまりこの時点でレヴィナスは後継者として将来を約束されていることになる。その彼が摂政位に付くことに、どんな異議があるというのか。
「もともとは、すぐさま皇帝にしてあげるつもりでしたけど………」
しかしその目論見はベルトロワが一命を取りとめたことで崩れてしまった。しかし彼はいつ死んでもおかしくない状態で、ひとまず摂政位につけるのも悪くはあるまい。
レヴィナスが摂政位に付けば「次の皇帝はレヴィナスである」と内外に公言したようなもので、いきなり皇帝になるよりは軋轢が少なくて済むだろう。もっともそのような軋轢など皇后の、いや皇太后の権力で握りつぶすつもりでいたが。
「クロノワなどに大きな顔をさせることなど、もうありませんわ」
クロノワには皇帝危篤と即時帰還を求める使者が出ているはずだ。
ちなみにこの使者は帝都ケーヒンスブルグから出されるのではない。おそらくカレナリアの王都ベネティアナから出るはずだ。
クロノワがカレナリアを征服したことはすでにケーヒンスブルグでも知られている。だからまず宮殿の「共鳴の水鏡」を使ってモントルムの旧アルジャーク大使館まで連絡が行き、そこからモントルムのカレナリア大使館を経由してベネティアナまで知らせが行く。ややこしくて面倒くさい手順のように思えるが、帝都ケーヒンスブルグから早馬を飛ばすよりもよっぽど早い。
クロノワは今、恐らくカレナリアの南、テムサニスの領内にいるだろう。知らせを聞いて慌てて戻ってくるだろうが、それでもかなりの時間がかかると見ていい。彼が帰ってくるその前に、レヴィナスを摂政にするというのが皇后の考えだった。
「レヴィナスが摂政になってしまえば彼奴など、どうとでもなる」
邪魔ならば殺せばよい。目障りならば左遷すればよい。いずれにしても皇后はこれ以上クロノワに日を当ててやるつもりはなかった。日陰者は日陰者らしく隅でおとなしくしていればいい。でしゃばりさえしなければ生かしておいてやってもいいと、皇后は鷹揚に考えていた。
「ただ、誤算は………」
誤算があったとすれば、むしろレヴィナスのほうだ。皇帝ベルトロワが意識不明になってからその日のうちに、皇后はレヴィナスを呼び戻すため「共鳴の水鏡」を使ってオムージュの旧王都ベルーカにある、オムージュ総督府にいるであろうレヴィナスと連絡をとろうとしたのだが、生憎と彼女の息子はそこにはいなかった。
「殿下は今、視察に出ておられます」
総督補佐官と名乗った男はそう言った。なんでもオムージュ領各地で進められている建築計画の視察に行ったのだという。
これは誤算だった。思わずその男を怒鳴りつけそうになったが、飲み込んで平静を保つ。そして「陛下が落馬され危篤であられる」と告げ、大至急レヴィナスに知らせるようにと命令する。
総督補佐官は皇后の言葉を聞くと、青ざめて唇を振るわせた。政変の予感を感じたのだろう。
「す、すぐにお伝えいたしますっ!」
慌てて一礼すると、あわただしく「共鳴の水鏡」がおかれている地下室から出て行った。レヴィナスがケーヒンスブルグに帰ってくるまで、何日かかるか現状では予想できない。一度ベルーカに戻ってきたときに連絡はくれるだろうが、そもそも何時ベルーカに戻れるかが未知数なのだ。
(彼奴より遅れる、ということはないと思うのだけれど………)
クロノワが戻ってくる前に全てを終わらせ、口出しをする余地を残しておかない。これが皇后にとってはベストである。クロノワがいるのはテムサニスのはずだ。テムサニスのどの辺りにいるのかは分らないが、アルジャークとテムサニスは大陸の南北の端である。隣国(元だが)にいるレヴィナスが遅れることは考えにくい。
しかし、もし遅れたら?
遅れたところで皇太子であるレヴィナスの優位は揺るがない。揺るがないはずだ。
しかし、しかししかししかし。
(不測の事態とは、いつの世も起きうるもの………)
いざというときは、この手で皇帝を………。
「わらわに都合のいいときに死んでくださいまし、陛下」
そうしたら、冷たくなっていくその瞬間くらいは、愛して差し上げますわ。
魔性の笑みで、皇后は笑った。