第六話 そして二人は岐路に立ち⑨
「たぶん一番面白そうなのは、あの壁画だな」
あの壁画、とは今日彼が見つけた御霊送りの神話について伝えるあの壁画のことだ。壁画に刻まれていた古代文字は擦れていて読めないものが多かったが、かろうじて読めたものからその内容を推測すると、恐らく次のようになる。
「世界樹の種に光を込めよ。されば園への道は開かれん」
実際に使われている単語はもしかしたら違うのかもしれないが、大意はこれであっているはずだ。
「これのどこが面白いんですか?」
多少趣は違うが、これも御霊送りの神話の一節だ。似たようなパターンは大陸中に存在しているだろうし、さして目新しいものではないはずだ。
「“光”ってのは教会用語で魔力を指す言葉だ。つまり『光を込めよ』って文は『魔力を込めよ』って意味になる」
魔道具職人の観点からすれば、「魔力を込める」という行為は「魔道具を使う」ことと同義だ。この神話の場合、魔力を込める対象は世界樹の種であるから、すなわち世界樹の種は魔道具である、ということになる。
「御霊送りの神話では、世界樹の種は神々が神子に対して与えたもの、ということになっている」
そのキーアイテムが実は人工の魔道具であったとすれば、今までの大前提が崩れることになる。
「極論を言えば、『神々が神界の門を開いて人々を迎え入れた』って話自体、なんらかの魔道具を使って人為的に行ったのではないか、って考えることができる。できてしまう」
御霊送りは遠い過去に神々が行い、そして今なお現世に残された唯一の奇跡である、というのか教会の教えであり、そして信者たちの拠り所なのだ。それが丸っきりの大嘘であるとしたら、教会はその大義名分を失い急速に弱体化するだろう。つまりこの解釈は教会のアキレス腱であるといえる。
しかもハーシェルド地下遺跡はおよそ千年前、御霊送りの神話が誕生した時期の遺跡である。そこから得られる情報は、御霊送りの真の姿に近い。つまりその分だけ信憑性が高くなる。
「でもそれって結局は師匠の個人的な意見ですよね?」
そこはニーナの言うとおりである。これはイストの個人的な解釈、いやなんの根拠もない思いつきでしかない。それに彼の解釈が世に出たとしても、教会が自身に不利な解釈を認めるとは思えない。そもそも解釈の仕方さえ、複数あるのだ。
「神々からもたらされた世界樹の種という鍵を使うためには魔力が必要なのであり、“園”とは神界のこと、そこに通じる“道”とは神界の門のことである」
教会が公式にそう発表してしまえば、多くの信者はそれを信じるだろう。そして教会が基本姿勢を変えない限り、その解釈が御霊送りの真の姿になる。
そんなことは無論イストにも分っている。だからこの場での話は、理屈をこねくり回して遊んでいるに過ぎない。いってみれば話していること全てが冗談だ。
「ふむ。仮に御霊送りが奇跡ではないとして、どんな魔道具があれば人為的に再現できると思う?」
魔道具職人としても意見を聞きたいな、とジルドがつまみに手を伸ばしながらイストに声をかけた。イストが流れの魔道具職人であることはすでにジルドに教えてある。アバサ・ロットの名を受け継いでいることは教えていないが。
「そうだな、可能性としては空間型、それも亜空間設置型が最有力かな」
煙管型魔道具「無煙」を燻らせ、白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出しながらイストは答えた。その姿からして緊張感がまるで足りない。
亜空間設置型魔道具とは、その名の通り核となる部分に亜空間を創りだして固定し、その空間を利用する魔道具のことだ。例を挙げるならば、イストがクロノワに贈った「ロロイヤの腕輪」やアバサ・ロットの工房が隠されている「狭間の庵」がそれにあたる。
「ま、オレには無理だがね」
これにはニーナが驚いた。なにしろイスト・ヴァーレはアバサ・ロットの名を継ぐ、間違いなく最高レベルの魔道具職人である。さらに彼が保有する情報量は他の工房の追随を許さない。もう一ついえば初代アバサ・ロットたるロロイヤ・ロットは亜空間設置型の魔道具の大家であり、この分野における彼を超える才能は歴代のアバサ・ロットの中にさえ現れていない。つまりロロイヤが遺した資料を保管しているイストはこの分野において誰よりもアドバンテージを持っているのだ。その彼が「無理だ」と断じた。
(それって少なくとも今現在、それができる職人は一人もいないってことじゃ………)
そんなニーナの内心には気づかないまま、イストは「無煙」を吹かして話を続ける。
「神話では、神々はパックスの街ごと人々を神界に引き上げたことになっている」
それを魔道具で再現するならば、最低でもパックスの街が入るほどの亜空間が必要ということになる。イストが設置することができる亜空間の大きさは最大でも小さな部屋一つ分で、言うまでもなく全然足りない。
「しかも倉庫代わりに使うとかそういうんじゃなくて、その亜空間の中だけで生活しようってんだろ?」
それはすなわち完全な閉鎖型バイオスフィアを形成するということだ。最低でも食料生産が可能な環境を整え、空気と水の循環系を完備していなければならない。それは一個の世界を創造するということだ。どうやればいいのか見当もつかない。
「ではとりあえず空間だけ用意して、必要なものは外から補給するとしたらどうだ」
「それもだけでも難しいな。そもそも用意する空間が大きすぎる」
イストが即答する。しかしジルドは納得がいかないようだ。
「だが亜空間の設計は出来るのだろう?理論上でも無理なのか?」
「恥ずかしながら無理だ」
イストだけではなく歴代のアバサ・ロットたちにも無理であった。ロロイヤの理論は完璧すぎて、隙と無駄がなさすぎる。有体に言えば理論に発展と応用がきかない。彼らにできたのはロロイヤの遺した資料を理解し魔道具を再現するところまでで、別仕様の魔道具を作ることができないのだ。任意にできる事といえば腕輪を指輪にするのが精々であろう。
(そもそも資料の残し方がおかしいんだけどな………)
亜空間設置型や空間拡張型の魔道具を支える基礎理論を、そこに至る過程をロロイヤは遺していないのだ。少なくとも「狭間の庵」にはない。これはイストが弟子の時代に探し回って確認した。
これがどのくらい異常なことかといえば、例えば足し算引き算をすっ飛ばして微積分の理論を発表するような、そんな感じである。
無論、説明しようと思えばできる。
ロロイヤがその基礎理論を確立した、あるいは知ったのは彼がアバサ・ロットを名乗る前で、その場所に資料を残してきたから「狭間の庵」にはない。そう考えることができる。というかそうでなければおかしい。
(そういえば、ロロイヤってどこで魔道具製作のイロハを学んだんだろうな………)
それを調べたことはなかった。今度調べてみよう。
「どうかしたか?」
ジルドがいきなり黙ったイストに怪訝そうに声をかけてくる。イストは自分がアバサ・ロットであることをまだジルドには教えていない。「なんでもない」と「無煙」を吹かして、心のうちの疑問を口にすることはなかった。
「あと、面白いっていうか不思議なものは、アレですよね。円の中に古代文字を彫り込んだ………」
ニーナの言うアレとは“魔法陣モドキ”のことだろう。円の内側、その円周に沿うように古代文字が彫られており、その見かけは良く魔法陣に似ている。
「アレって何の意味があるんでしょうね………?」
ニーナのその問いかけは、明確な答えを期待したものではなかった。
「本当に魔法陣だった、ということはないのかな」
それはジルドの、素人ならではの荒唐無稽な思い付きだった。それは言った本人も十分に分っている。だからこれはほんの軽いジョークだろう。
「もしそうだとした、魔道具職人は全員廃業だな」
それはそうだろう。「適当に円の内側に古代文字の単語並べてみたら魔法陣になってました」なんていわれたら、「今まで溜め込んだ知識は一体なんだったの!?」って話だ。まあ技術的には画期的かもしれないけど。
「まあ、謎って言えば、古代文字自体に一個謎があるけどな」
つまみを口に放り込み、杯を傾けながらイストは軽い調子でそういった。その言葉にジルドとニーナが揃って驚いた様子を見せる。ジルドはともかく、古代文字を読めるニーナまで驚くとはちょっと意外だ。
「師匠、その謎って言うのは………?」
「じゃあニーナ、古代文字で“太陽”って単語はどう発音する?」
その質問にニーナは固まった。「あれ?ん?あれ~?」と首を捻って考えるが、出てこない。その様子を見て、ジルドは“謎”の内容に検討が付いたようだった。
「古代文字には音がない。発音がまったく残っていないんだ」
普通、言語というのは音が意味を持っている。つまりまず最初に音があって、その音を表す記号として文字が存在するのだ。これは文字をもたない言語が存在していることからも明らかである。書き記された書物の場合、読み手はそこに記されている文字から音を識別し、その音から意味を理解するのだ。
これが言語というコミュニケーションシステムの基本的な構造といえるだろう。
「ところが古代文字という文字を使っていた言語には、その裏側にあるべき音がなにも残っていない。そう、まるで最初から存在していなかったみたいにな」
これは本当に不思議なことだといえるだろう。なにしろ古代文字は一時期大陸中で使われていた。それは各地の遺跡に遺されている古代文字を見ればすぐに分かる。それなのにその言語の音がなにも残っていないのだ。文法や単語の変化形はともかくとしても、“太陽”や“月”、あるいは特定の花の名前など、簡単な単語や人物の名前としてつかえそうな単語の発音さえも残っていない。
「でも、使われなくなったんだから発音が残っていないのも当然なんじゃ………」
「あのなバカ弟子、オレたちは使っているだろうが」
「あ………!!」
そう、これこそが最大の謎なのだ。誰も使っていないのならともかく、アバサ・ロットは千年の昔から古代文字を使い続けている。それは文法などもある程度は残っているということだ。それなのに単語の一つもその発音が伝わっていない。
「………なんででしょう?」
「知らん」
ニーナの疑問をイストはばっさりと切って捨てた。こればっかりは本当に分らないのだ。見当さえつかない。
「では、お主たちのいう『古代文字の解読』とはどうやっておるのだ?」
「そうだな………」
手順を説明すれば、「古代文字で書かれた字面を識別」し、「対応する常用文字の単語を思い浮かべて」、「その単語の音から意味を理解」する、となるだろうか。
「つまり声に出して読める、という訳ではないのか」
「その通りだ」
幸いなことに古代文字の言語と常用文字の言語は文法が似通っており、歴代のアバサ・ロットたちは記録を残す分にはそれでも不自由はしてこなかった。古代文字の不自然さにニーナが言われるまで気づかなかったのもそれが一因だろう。
「なにか大きな秘密でも隠されていたりしてな」
もしそうだったらとても面白そうだとイストは思う。なにしろその秘密とやらに一番近いのは、古代文字を使い続けている自分たちなのだから。