第五話 傾国の一撃⑬
「今度は貴方ですか、ランスロー子爵」
半ばうんざりした様子で、王都近衛軍司令官エルトラド・フォン・ジッツェール伯爵はランスローを迎えた。
「何度来られようとも、私の返答は変わりませんぞ」
「まあそう言わず、話だけでも聞いていただけませんか」
そう言うと、エルトラドはランスローを執務室に迎え入れた。部屋のソファーに向かい合って座るやいなや、まず口を開いたのはエルトラド伯の方であった。
「ランスロー子爵、貴方は派閥抗争の中にあっても比較的まともであると聞いておる。ならば分っているはずだ。今この状況で内戦を戦うことの愚かしさが」
私よりも先にお父上を、アポストル公を説得するのが先のはず、とエルトラド伯は説く。その言葉が正しいことはランスローも重々承知している。そして同じくらい無意味だと言うことも。
「………残念ですが、私が言ったところで父は聞かないでしょう」
「………でしたら、これ以上お話しすることは何もありませんな………」
王都近衛軍は国王陛下の、ひいてはポルトール王国の剣。内戦などに使うべきものではないし、使うつもりもない。内戦が避けられないのであれば、むしろ積極的に温存しておかなければならない。そういってエルトラド伯は自分の決意を語った。
王都近衛軍がそうであるように、エルトラド伯個人も派閥抗争に関しては中立を守ってきた。彼は中立貴族の中では力のある貴族で、それゆえに先王ザルゼス陛下からも頼りにされていたと聞く。そんな彼だからこそ、敬愛する主君の後継を争う内戦は見るに耐えないものなのだろう。
「お引取りを願いたい」
硬い声に拒絶の意思を乗せてエルトラド伯は言った。だが、ランスローとしてはここで引き下がるわけにはいかない。この内戦がいかに馬鹿馬鹿しいものであろうとも、彼としては勝たねばならず、そのための努力をすると決めたのだから。
「確かに内戦に王都近衛軍を使うのは馬鹿げています。それは私も同じ考えです」
ランスローがそういうと、予想していなかったのかエルトラド伯は眉をひそめた。
「ですが、相手がカンタルク軍であったらどうでしょう?」
「カンタルク軍、ですか………」
アポストル公とラディアント公は二人ともカンタルク軍に助力を願い出ている。その内容は、若干は異なるかもしれないがおおよそ同じはずだ。しかしカンタルク軍がそのどちらか一方を必ず受け入れる、という保証はない。二人の公爵が内輪もめをしている間に、ポルトール国内で無法を働く可能性だって十分にある。
「王都近衛軍司令官殿には、アシュタドの門に近衛軍全軍を集め、カンタルク軍に対処していただきたい」
アシュタドの門とは王都近衛軍が管理している三つの関所の一つで、北の街道に置かれている。ちなみに東の街道に置かれている関所はツェボルの門といい、南西の街道に置かれている関所はゼガンの門という。
ちなみにこれは命令ではない。王都近衛軍司令官に命令できるのは国王唯一人である。しかし要請することならばできるし、国王不在の今、その要請を受け入れるかはエルトラド伯の胸一つである。
ランスローの申し出を聞いたエルトラド伯は眉間に寄せたシワをさらに深くした。
王都近衛軍は確かに精鋭ぞろいである。しかしその戦力は三万。カンタルク軍十八万に対処するにはどう考えても少なすぎる。それが解らないランスロー子爵ではあるまい。
エルトラド伯はランスローの言葉をもう一度思い出し、その裏にある意図を探った。そして彼が出した結論は、
「…………ゼガンの門を明け渡せ、いや不法占拠を黙認しろ、ということですかな」
その答えに、ランスローは満面の笑みを浮かべた。無論、業務用であったが。
王都近衛軍がアシュタドの門に全軍を集めれば、当然残り二つの門は空になる。空になったその門を失敬させていただこうと、ランスローは考えたのだ。これならば欲しいものの一つは手に入る。
「この辺りが良い落とし処だと、そうは思われませんか?」
「いや、しかし………」
渋るエルトラド伯に、ランスローは言葉を続けた。
「このまま王都近衛軍がゼガンの門に残っていれば、父は攻撃を仕掛けてでも門を奪うでしょう」
「………私を脅すおつもりか………!」
だがその可能性が高いことはエルトラド伯も承知している。野戦をおこなうとなれば、アポストル公はラディアント公に及ばない。となれば篭るための拠点がどうしても必要になる。協力してもらえないのなら力ずくで、とそう考えるようになるだろう。
「それにゼガンの門に篭らないとすれば、王都に篭ることになります」
そうすると今度は街道を北上してくるラディアント公が、王都近衛軍がアポストル公に味方していると考えて、門に攻撃を仕掛けるかもしれない。そうでなくとも王都攻略の拠点として門を欲するかもしれない。
「………門を開いておけば、そのようなことにはならないでしょう………」
エルトラド伯の口調は弱い。そのことに同情を覚えながらもランスローはさらにたたみ掛ける。
「ですが、それでは王都アムネスティアが戦場になってしまいます」
そうなれば王都近衛軍の存在価値はどこにあるのか。そう言うとエルトラド伯は苦々しく顔を歪ませた。
部屋の中を、しばしの間沈黙が支配する。その沈黙は重く、エルトラド伯の心の葛藤の深さを思わせた。
ランスローもまた何も言わない。言うべきことはすでに言った。後はエルトラド伯の出方次第だ。
「………分りました。王都近衛軍は全軍をアシュタドの門に集め、カンタルク軍に対処することにしましょう」
ただし!とエルトラド伯は強い調子で続けた。
「王都近衛軍はツェボルの門とゼダンの門の管理権を放棄するわけではない。あくまでも一時的に空になるだけのことですぞ」
貸すわけではない、状況ゆえに不法占拠を見逃すだけだ、ということだ。その建前がなければ、王都近衛軍がアポストル公に味方したと思われてしまう。ランスローの見積もりどおり、この辺りが最大の妥協点だろう。
「それで十分です、エルトラド伯。ご理解に感謝いたします」
恭しくランスローは頭を下げた。これでラディアント公に対してなんとか五分々々の戦いをすることができるだろう。そんな彼にエルトラド伯は苦笑する。
「さて、何に対する感謝ですかな」
「それはもちろん、“カンタルク軍の押さえ役を買って出て下さったこと”に対して、ですよ」
満面の笑みを浮かべてランスローはそういった。今度の笑顔は業務用ではなかった。
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「こうも上手くいくとは思わんかったな…………」
机の上に並べられた二通の書状を前にして、ウォーゲン・グリフォードは苦笑をもらした。並べられた書状の差出人はアポストル公とラディアント公である。そしてその内容はまったくと言っていいほど同じで、つまるところが、
「自分たちに味方してくれ」
ということであった。ただ二通の手紙には温度差がある。アポストル公の手紙からは必死さが窺えるのに対し、ラディアント公からの手紙は、敵対はしないで欲しいといった程度に抑えられていた。その温度差がそのまま二人の公爵の戦力差を表しているようで、ウォーゲンとしては苦笑するしかない。
「儂らが敵で侵略者であると、忘れておるのではないかな」
国家の末期症状を示す言葉として、こんなものがある。
「派閥抗争は癌のようである。彼らは外の敵よりも内の味方を憎む」
まさに今のアポストル公とラディアント公の状況に当てはまるだろう。カンタルク軍という外敵を抱えているこの状態だ。いくらカンタルク軍がブレントーダ砦から動かずいまだ領地に実質的な被害が出ていないとはいえ、そのような状況で内戦を戦うことを決意するなど、利害関係を超えた憎悪がなければ決断できるものではない。しかもその外敵と手を結ぼうとしているのだがから、もはや救いようがないと言っていい。
「さて、決戦の招待状をもらったのに出向かないのは無作法じゃろうな」
ウォーゲンはニヤリと壮絶な笑みを浮かべてそういった。それを側で聞いていた三人の副官は一様に緊張で体を硬くした。
「………出陣、なされるのですね?」
モイジュの口調は疑問ではなく確認だ。その言葉には隠しようのない熱がこもっている。彼もまた間違いなく戦士だ。
「ウィクリフ、ひよっこ共の様子はどうじゃ」
「十分実践に耐えうるかと。もちろん元々の精鋭の代わりにはなりませんが」
ウィクリフの言葉にウォーゲンは頷いた。彼自身、新兵五万の調練を何度か視察し、その動きがさまになってきていることを確認している。
「二日で準備を整えよ。それが済み次第、出陣する」
「二日、ですか………?準備は一日もあれば可能ですが………」
アズリアが怪訝そうにそう言った。もとより今は遠征中。兵士各員は大将軍の声がいつかかってもいいように常に準備をしている。余裕をもって見積もったとしても、準備に二日もかからない。
「主役は遅れて到着するものじゃ」
その言葉で副官三人はウォーゲンの真意に気づいた。どちらに味方するにせよ、彼は二人の公爵を争わせ戦力を消耗させるつもりなのだ。
「それで、どちらに味方なさるおつもりなのですか?」
ウィクリフが三人を代表する形で最大の懸案事項を尋ねた。
「そうじゃな、弱いほうに味方すれば大きな恩を売れるじゃろうが、強いほうに味方して確実に勝つというのも捨てがたい」
両方まとめて叩き潰すのもいいのぅ、とまるでレストランでメニューを選ぶかのような気楽さで、ウォーゲンは答えた。
「………つまり、まだ決めておられないと?」
「ま、道すがらゆるりと考えるとするかのぅ」
悪戯めかしてウォーゲンはそういった。彼が本当にまだ決めていないのか、三人の副官は互いに目配せしつつ考えたが、老将の言葉や表情からその心中を察するには、彼らはまだまだケツが青い。
第五話もそろそろ佳境。
感想お待ちしております。