第五話 傾国の一撃⑪
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この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
新月は嬉しい反面ビビリ気味です。
一過性で終わりそうな気がヒシヒシと………。
五月の下旬、季節は春から初夏へと移ろうとしている。肥沃なオムージュの大地には色とりどりの花が咲き乱れ、生命の奇跡を誇っていた。
大陸暦一五六四年五月、アルジャーク帝国皇太子レヴィナス・アルジャークと旧オムージュ王国王女アーデルハイト姫との婚礼の儀はつつがなく執り行われたのだった。
結婚式において重要なのは、儀式そのものよりもその後の披露宴である。オムージュ総督府のおかれた王宮は、クロノワが呆れるほど絢爛豪華に飾り付けられ、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚を招待客たちに与えていた。
一つ意外なことがあったとすれば、それはレヴィナスの服装である。その衣服のセンスはいつもどおり神懸り的だが、華やかな披露宴の席のわりには幾分抑え気味であるように見える。とはいえその理由はクロノワにもすぐに分かった。アーデルハイト姫だ。こちらは目もくらむほど豪華に、しかし清楚さや上品さを失わないように着飾っている。こういった席では、主役は花嫁だ。花嫁が最も美しく着飾り、そして最も目立つのが作法であると言える。その辺りをレヴィナスもわきまえたのだろう。
「ご結婚おめでとうございます、兄上、アーデルハイト姫」
結婚式の後に開かれた披露宴で、クロノワは腹違いの兄であるレヴィナスとその花嫁であるアーデルハイト姫に祝いの言葉を述べた。
「クロノワか。モントルムより遠路はるばるよく来てくれた」
この麗人もこの宴を楽しんでいるらしく、浮かべる笑顔は快活で作り物には見えなかった。二言三言弟と言葉を交わしてから、レヴィナスは隣にいたもう一人の麗人をクロノワに紹介した。
「改めて紹介しておこう。こちらがこの度私の妃となったアーデルハイト姫だ」
楚々と純白のドレスを身にまとったアーデルハイト姫が進み出る。元々周辺諸国に美姫として知られていただけあって、その姿は確かに美しい。そして彼女もまた一点の曇のない笑顔をクロノワに向けた。
「アーデルハイトと申します。クロノワ閣下のお名前はかねがねお聞きしておりました。これからもどうぞレヴィナス様を、ひいてはこの国を支えて差し上げてください」
「もったいないお言葉です」
クロノワもまた笑顔を浮かべて応じる。ただ、彼の笑顔はどうしても業務用のものになってしまう。しかしそれに気づかれることはないだろう。初対面のアーデルハイトはもとより、レヴィナスとも彼は接点が薄い。
「ところで、兄上はコルグス殿の建築計画を引き継がれたそうですね」
前オムージュ国王コルグスはアーデルハイトの実の父親であり、今となってはレヴィナスの義理の父にあたる。彼が二十年来肝いりで進めてきた建築計画を、レヴィナスが引き継ぎさらに加速させたことはクロノワも聞き及んでいた。というよりも増税の主たる目的がそれであった。
「ああ、コルグス殿に計画の監督をしていただき、完成を急がせている」
レヴィナスの口調は熱を帯びており、この計画に対する彼の思い入れの深さを思わせた。
「さらに今、私独自の計画も練っているところだ」
私はこのオムージュを大陸で最も壮麗な、それこそ天上の神々が住まう園のようにして見せるぞ、とレヴィナスは熱く語った。
建築計画の話から増税の話しに持っていく、というのがクロノワの筋書きであったが、その目論みは次のレヴィナスの言葉であっさりと費えることになる。
「そういえば、クロノワよ。お前は海上貿易に手を出し始めたそうだな」
「え、ええ。そうです。兄上のお耳にも入っておりましたか」
お恥ずかしい限りです、と恐縮してみせる一方、クロノワは内心で少し驚いていた。彼が海上貿易に手を出し始めたと言っても、その規模はまだまだ小さい。レヴィナスの耳に入るのはもう少し先だと思っていたが、なかなかどうして情報が伝わるのは速い。
「なに、そう謙遜することもあるまい。これから私の計画が進めば色々と要りようになってくる。その時は頼むぞ」
「承りました」
クロノワとしてはそういっておくしかない。
「これはこれはモントルム総督殿。わらわよりも先にレヴィナスに挨拶するとは、殊勝なことですね」
甲高い声と共に現れたのはレヴィナスの生母であり、クロノワにとっては悪意と迫害の急先鋒であった皇后である。こちらの装いは凄まじい。花嫁よりも目立たないようにするのが礼儀のはずなのだが、彼女は主役を食わんばかりに己を飾り立てていた。その姿は確かに美しいのだが、ゴテゴテといくつもの宝石を身にまとっているせいか上品さは感じられず、ともすれば下品にさえ思われた。
皇后の言葉の裏に隠された十分すぎる量の毒には気づかない振りをして、クロノワは彼女に微笑を向ける。このあたり修行の集大成といえるだろう。
「皇后陛下におかれてはご健勝なご様子でなりよりです。この後ご挨拶に伺おうと思っていたのですが、ご足労をおかけして申し訳ありません」
「別に貴方と話をしに来たわけではありません」
こうも露骨に言われては、クロノワとしても苦笑するしかない。これ以上藪をつついて蛇ならぬ鬼女を出す前に、彼は一礼してその場を離れることにした。
「レヴィナス、まずは結婚おめでとう。わらわの手で花嫁を見つけて上げられなかったことは残念だけど、皇帝陛下をはじめ、皆良縁だと喜んでいますよ」
クロノワがその場から消えると、皇后は先程までとは打って変わった猫なで声でレヴィナスに話しかけた。
「ありがとうございます、母上」
レヴィナスは完璧な笑顔で母親に応じた。しかしその笑顔はどこか作り物じみていると、隣で見ているアーデルハイトには思われた。
(レヴィナス様はお母上が苦手なのかしら…………?)
さすがに嫌いであるとは彼女も思わない。だが皇后の息子への熱の上げようを見ると、それを疎ましく思っていたとしても不思議ではないように思えた。
そんなことを考えているアーデルハイトのことは、皇后にとっては完全に意識のそとであった。花嫁には目もくれず、彼女は息子との会話に没頭していく。
「皇帝陛下から祝いの品を預かってきています。後で改めて渡しますね」
意外に思われるかもしれないが、結婚式を含めこの披露宴にもレヴィナスの父たる皇帝ベルトロワ・アルジャークは出席していない。その理由は至極単純で、座るべき席がないからだ。
結婚式や披露宴の主役は当然新郎新婦である。よって彼らが最も高い席次となる。ところが皇帝や国王と言った存在は、出席する以上は常に最も上座に座らなければならず、そのため結婚式などでは席がないのだ。
「近いうちにもう一度帝都ケーヒンスブルグに凱旋すると良いでしょう。きっと陛下が盛大な式典を開いてくださいますよ」
かん高い皇后の声は少し離れた場所にいるクロノワの耳にも届いていた。皇后の声を聞きながらも彼が考えていたのはアーデルハイト姫のことであった。
(笑っておられた、か…………)
彼女にとってアルジャーク帝国は祖国を滅ぼした仇敵である。しかもレヴィナスはオムージュ遠征軍の総大将で、いうなれば直接の仇である。そのような相手に彼女は恨みの気持ちの一つも持たないのであろうか。
(とはいえ笑って見せるしかないのも事実だが………)
一切の感情を排除し政治的な利点だけを追求するならば、アーデルハイト姫にとってアルジャーク帝国の皇太子との婚姻は理想的な選択肢であるといえる。現在においては旧オムージュ王家の血統を守ることができ、将来においてはアルジャーク帝国の皇后の地位が約束されている。
こうやって考えてみれば、一時の憎悪に身を任せるよりもレヴィナスを受け入れ婚姻を結んだほうが、遥かに政治的には賢明であると言える。
(何もしない彼女に不義を感じてしまうのは、私がそういうあり方を望んでいるからかも知れませんね…………)
亡国の姫君が征服者を成敗し祖国を回復する。どこぞの三流小説の題材にでもなりそうな話で、我ながら庶民嗜好だとクロノワは苦笑してしまった。
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「すごいですね…………」
もう何度目かも解らない感嘆のため息をリリーゼは漏らした。
披露宴の会場として使われているこの王宮の大広間は、ため息が出るほど壮麗に飾り立てられている。リリーゼのような反応を示しているものは他にも多々見受けられた。
「これってレヴィナス皇太子が取り仕切ってやらせたんですよね?」
「ええ、そういう話でしたね」
今リリーゼの隣にいるのは、彼女の直接の上官に当たるフィリオ・マルキスである。彼らはクロノワの随行員としてこの場にいた。
本来、クロノワが連れて行くつもりだったのは主席秘書官であるフィリオだけだったのだが、
「華々しい席に野郎二人で行くなんて寂しすぎます!」
とフィリオが駄々をこねたため、急きょリリーゼにも声がかかったと言うわけだ。ちなみにグレイスに声がかからなかったのは、彼女を連れて行くとストラトス・シュメイルが仕事をサボって総督府の業務が滞るのでは、という懸念があったからである。総督たるクロノワが仕事を空ける以上、そのしわ寄せをもっとも受けるのは執務補佐官たるストラトスで、そんな彼に仕事をサボらせるわけにはいかないのだ。今頃は椅子に縛り付けられて仕事をしていることだろう。
「これはこれは、美しいお嬢さんですな」
そういいながら近づいてきた男の年の頃は、三十半ばから四十の始めと言ったところだろうか。フィリオとリリーゼはこの男性と直接の面識はない。だが、前々から名前は知っていたし、他の招待客が彼の名を呼んでいたので、名前と顔は既に一致していた。
「ゲゼル・シャフト・カンタルク陛下………!」
彼の治める国であるカンタルクが、南の位置する因縁の隣国ポルトールと現在戦争中であることは、フィリオとリリーゼも知っている。カンタルクはオムージュ領と国境を接しているから、結婚式に彼を招待するのは礼儀だが、状況を鑑みるに代理の大使が来るであろうというのが大方の予想であった。しかし、その予想を裏切って本人がこの場に来ている。
(つまり戦局はそれほどまでにカンタルク有利、ということでしょうか………?)
フィリオはゲゼル・シャフトがこの場にいることの意味を何とかして洞察しようとする。そんな彼には目もくれず、ゲゼル・シャフトはリリーゼに次々と背中がむず痒くなるような賞賛の言葉を浴びせていた。リリーゼとしてもどう対応したらいいのか分からず、曖昧に笑っているしかない。とはいえ嬉しいよりも恥ずかしい、というのが彼女の内心の感想であった。
「ところでお嬢さん。私と一緒にカンタルクに来るつもりはないかな?」
三分ほどの間、途切れることなく賞賛の言葉をリリーゼに浴びせ続けたゲゼル・シャフトは、唐突にそう切り出した。
「それは…………!」
さすがにリリーゼでもその言葉の意味するところは分る。すなわち、「自分の後宮に入るつもりはないか」と言うことである。
この時代、女性にとって王者の後宮に入ることは、一つ究極の目的であるといえる。そこに入ってしまえば贅の限りを尽くした生活が保障され、寵を受けるようになれば一国の命運すら左右する立場を得ることになる。
とはいえ、リリーゼはこの申し出になんら魅力を感じなかった。彼女が求めているのは豪勢な籠に入れられた小鳥の生き方ではない。大空を自由自在に飛び回る隼のような生き方をしたいのだ。もしかしたら彼女には鋭い爪も嘴もないのかもしれない。しかしそれでもリリーゼはすでに籠から一歩外に出てしまったのだ。果てしなく続く大空を知ってしまったら、もう籠の中へは戻れない。
だがしかし、相手は一国の王である。その申し出はどこまで本気かは分らないが、感情と願望に任せて断ってしまうには相手が悪い。答えるにも答えられず、内心で冷や汗を流していると、ありがたいことに助けが入った。
「困りますね、ゲゼル・シャフト陛下」
「クロノワ閣下………!」
にこやかな笑みを浮かべながら近づいてきたのは、クロノワ・アルジャークその人であった。クロノワはそのままリリーゼに近づくと、おもむろに彼女の腰に手を回して軽く引き寄せた。
「え…………!」
突然のことにリリーゼはドギマギして顔を赤くする。そんな彼女のことを、恐らくは意図的に無視して、クロノワはゲゼル・シャフトへと視線を向けた。
「彼女は私の大切な部下です。いかに陛下といえど、お渡しするわけには参りません」
「これはこれは。なるほど………」
ゲゼル・シャフトはクロノワの言葉など聞いていなかった。クロノワもまた言葉で拒否の意思を伝えようなどとは思っていない。
「俺の女に手を出すな」
と、つまりはそういうことだ。親しげな二人の様子は明らかに“男女の仲”があることを示唆している。もちろんクロノワがそう誤解させているだけなのだが。
「私の申し出は野暮だったようですな」
もともとあまり本気ではなかったのか、ゲゼル・シャフトはあっさりと引き下がった。それではこれで、と背を向けてまた別の女性に声をかけに行く彼の姿を見ながら、クロノワはため息をついた。
「まったく、ゲゼル・シャフト陛下も困った方ですね」
好色家として知られている彼であったが、このような席で露骨に女性を口説くとはおもっても見なかった。
「なんにせよ助かりましたよ、閣下。あやうくまた総督府の男性比率が上がるところでした」
冗談めかしながらも安堵の表情を浮かべるのはフィリオだ。
「あ、あの…………!」
顔を真っ赤にしたリリーゼが声を上げた。クロノワが回した腕は彼女の腰を抱いており、いまだに二人の体は密着している。薄いドレスの生地を通して感じる熱が、リリーゼの鼓動を速くする。
「ああ、これは失礼」
そう言ってクロノワはリリーゼを放した。こちらはどこまでも平然としており、焦った様子など微塵もない。顔を赤くして動揺しまくっているリリーゼとはどこまでも対照的で、それがさらに彼女を気恥ずかしくした。
「………かっかのばかぁ~………」
男二人には聞こえないように、リリーゼは小さく不満を漏らした。
「それにしても…………」
そんなリリーゼの様子を、恐らくは意図的に無視して、クロノワは披露宴の招待客を見渡した。
「聖職者の姿が目立ちますね…………」
確かに、大広間にはロザリオを下げた聖職者の姿が多数見受けられる。
「アレですよ、閣下。今、オムージュの貴族のところには聖職者がよく転がり込んでいるそうですよ」
一家に一人どころか二人三人という所もあるという。転がり込んだ先で何をしているかといえば、美食を貪り美酒をあおり美女と戯れていると聞く。
「うわ…………」
羞恥心から回復したリリーゼが呆れた声を上げる。
「誤解のないように言っておきますが、彼らの生活スタイルは今に始まったものではありませんよ」
貴族の下に転がり込んで遊び始めたわけではない。彼らはもともとそういう生活を送っていたのだ。
聖銀の売却益で教会が年間活動予算のおよそ三割を得ていた、という話は前にした。この三割、細かい事情を四捨五入し多少の独断と偏見を混ぜて断定するならば、豪遊費であった。教会という、国土と国民を持たない組織だからこそ、こういうありえないお金の使い方ができたのだ。
聖銀がもたらす潤沢な収入が、聖職者たちの一般にはありえないその豪遊の生活を可能としていたのだが、その製法がどこからか流出してしまい、それどころか短期間のうちに大陸中に広まってしまった。当然聖銀の値は下がり、教会は年間活動予算のおよそ三割という巨額の収入を失った。
しかし失った分は言ってしまえば遊ぶ金である。豪遊さえ止めてしまえば何の問題もない。ないはずであった。
「止められるわけがありませんよ。長い間そうやってきて、染み付いているのならなおのことです」
そして豪遊費を失った聖職者たちが遊び続けるために取った行動が、「貴族の下に転がり込む」という選択だったわけだ。
貴族の側にしてみても聖職者を庇護していると言うのは体面にいい。「司祭さまがご入用である」というのは増税をするのにもっともらしい理由に思える。
なんとも欲にまみれた結びつきであるが、それだけに強固であるともいえる。皇太子の結婚式披露宴にまでしゃしゃり出てくるのだから、相当なものだろう。
「忙しくなりそうな予感がしますね………」
ただでさえレヴィナスが建築計画の促進のために増税し、さらにはその増税分を過去にさかのぼって適用しているのだ。つまりオムージュ領の民は増税分と、過去の未納分を収めなければならない。さらにそこに聖職者の豪遊費まで負担させられては、とうてい払いきれるものではない。
「流民対策を考えておく必要がおりますね」
フィリオもクロノワの予測を肯定した。
ため息しか出ないほど壮麗に飾り付けられた大広間。しかしその裏で支えているのが民の血税だと思うと、その神々しさはどうしても翳って見えてしまうのだった。