第五話 傾国の一撃⑥
「ザルゼス陛下が崩御された………?」
目の前が真っ暗になるのを、ランスローは自覚した。
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カルティエに見送られたランスローは、騎兵ばかり二千を率いてポルトール王都アムネスティアへと駆け上った。王都に着いた彼はイエルガに軍を預けて郊外に残し、自身は数騎の護衛を引き連れてまずはティルニア伯爵邸を目指したのである。
そこで義父であるミクロージュと数ヶ月ぶりに再会したランスローは、挨拶もそこそこに今度は実の父であるアポストル公爵のもとへと向かったのであった。
五年ぶりに再会した父は、随分と老け込んでしまったように見えた。ランスローと同じ色の髪の毛は細くなり、しわの数が増えている。体から溢れる“覇気”は五年前と変わっていないが、老いのせいかどこか狂気じみたものを感じてしまう。
「連れてきたのは騎兵ばかりを二千騎か………」
自分の三男からあらかたの報告を受けたアポストル公は、不満そうな声を隠そうともせずにそう唸った。
「なるべく早くアムネスティアに来たほうが良いと思いまして。ただ準備はさせてありますので、呼び寄せることは可能ですが」
権力闘争に巻き込まれたくない、という極めて個人的な理由はおくびも出さず、ランスローは涼しい顔で答えた。それが聞こえているのかいないのか、アポストル公は眉間にしわを寄せ、難しい顔で考え込んでいる。
「………どうかされましたか?」
父であるアポストル公が“思慮を重ねている”様子はランスローとて何度も見ている。しかし今アポストル公は明らかに“悩んで”いる。父が悩む様子など見たことのなかったランスローは、その姿に不安を感じる。
(つまりそれほどまでに状況は切迫しているのか………?)
彼のその予感は最悪の形で的中することとなる。
「お前はまだ知らないようだから教えておいてやろう」
そういって視線を上げるアポストル公の眼には、やはり狂気が混じっている。そして彼はその重大な事実を告げたのだ。
「ザルゼス陛下が崩御された」
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「ザルゼス陛下が崩御された………?」
目の前が真っ暗になるのを、ランスローは自覚した。
「シミオン殿下の戦死を聞かれ、心が折れたのだろう。病状が悪化し、そのままお亡くなりになられた」
「まさか、そんな………」
無意識のうちにもれた自分の声でランスローは我に返った。あらゆる動揺と浮かんでは消える思考をひとまず全て自分の中に押し込め、最大の懸案事項を口にした。
「………それで………、王位継承について、何かご遺言は………?」
ほとんど祈るような気持ちでランスローは父であるアポストル公に問いかけた。ラザール王子にしろマルト王子にしろ、ザルゼス陛下が自分の後継者を指名していれば、国を二分する問題を未然に防ぐことができる。しかし彼の期待は裏切られた。
「なにも。遺書が開封されたが、シミオン殿下を喪主に、としか書かれていなかった」
家長の葬儀の際に喪主を務めるのは、その家を継ぎ家長となるものである。であるから、この場合「シミオンを喪主に」と言っているのは、「シミオンを次の王に」と言っているのと同義、ということになる。
しかし、すでにシミオンが戦死している以上、そんな遺言書には何の意味もない。
ランスローは愕然とする一方で、どこか納得するものを感じていた。それは父アポストル公から感じる狂気の、その理由だ。
(マルト王子を玉座に。それを諦められないということか…………)
我がことではないにせよ、自嘲に似た想いがこみ上げてくる。あるいは、それはこれから起こるであろう権力闘争に巻き込まれたくないと思いながらも、すでに諦めてしまっている自分に対するものなのかもしれなかった。
「それで、陛下の葬儀の日程は?」
「詳しくは決まっていない。シミオン王子のご遺体が戻られてから合同でおこなわれる」
略式だがな、とアポストル公は続けた。ブレントーダ砦をカンタルク軍に占拠された今の状況では、確かに大掛かりな式を催すことは困難だろう。事態を収束してから改めて正式な葬儀をおこなうのだろう。
「喪主はサントリア侯爵で、ということになっている」
それを聞いてランスローは頷いた。サントリア侯爵という人選はこの状況下では容易に想像できたし、また納得もできるものであった。
サントリア侯爵家は王家の外戚で、王家の外にあってその血筋を保全してきた。ただ政治的権力とは無縁で、代々ポルトール王国の歴史の編纂を家業としている。当然政治的には中立の立場で、それゆえに派閥抗争の調停役として声がかかることが度々あった。
「カンタルク軍への対応はいかがなさるおつもりですか」
ザルゼス国王の葬儀の話が一段落すると、ランスローは急を要することに話を変えた。途端にアポストル公の表情が苦々しく歪む。その様子を見てランスローはだいたいの事情を察した。すなわちアポストル公の思い通りにはならなかったのだろう、と。
「ラザール殿下を摂政に据え、和平交渉を申し込むことが決まった」
妥当な決定であろう。アポストル公としてはマルト王子を交渉の矢面に立たせたかったはずだが、お飾りであることが明白である以上味方の士気にまで悪影響が及んでしまう。ラザール王子にしても、ラディアント公のお飾りであることに変わりはないのだが、少なくとも彼は成人男性であり体面を保つことはできるだろう。摂政にしたのは王位継承の問題を先延ばしにするためか。
さらに野戦を挑むのではなく和平交渉を申し込むというが、こちらも少し考えればすぐに納得できる。カンタルク軍はポルトールの北側から南下してくるのであり、国の北側に勢力を持っているのはアポストル公を中心とする文官貴族の勢力だ。当然戦は苦手で、仮にカンタルク軍と同数の兵を集めたとしても抗しきれるのか、はなはだ疑問である。であるならば早期に和平交渉をまとめ損害を最小限にしたい、というふうに思考が傾いたのだろう。
また南部に勢力を持つ軍閥貴族たちにしても、ライバルの土地を守るためにわざわざ兵を出し遠征するというのを嫌ったと考えられる。
「ふん!ラディアント公の考えることなど見え透いておるわ」
アポストル公は苦々しく鼻をならした。
ラディアント公の思惑としては、ラザール王子の名で早期に交渉をまとめ上げその功績をもって彼を至高の座つける、といったところだろう。
事態がこのまま進めば、アポストル公にそれを阻む術はない。シミオン王子の義理の兄として権力の座に最も近かったはずが、最後の最後で大逆転負け。狂いたくもなるというものだ。ラディアント公もこの事態に狂っているだろう。ただしそのベクトルの方向は真逆のはずだが。
「何か………、何か手はないものか………」
アポストル公が呻く。そんな父の様子をランスローは冷めた目で見ていた。彼としては今後の方針がきちんと決定し、派閥抗争に巻き込まれずに済みそうなのを歓迎する気持ちのほうが強い。
(どうかこのまま収束に向かって欲しい………)
しかしそんなランスローの願いは、またもや打ち砕かれることになる。
「父上!!」
そう叫んでアポストル公の執務室に飛び込んできたのは、アポストル公爵家の長男でランスローの兄でもある、ライシュ・フォン・アポストルであった。随分と急いで来たらしく肩で息をしているが、その表情からは明らかな喜色が窺える。
兄のその顔を見て嫌な予感にとらわれたのは、どうやらランスロー一人だけのようであった。
「どうした!?なにがあった!?」
アポストル公の声も、さきほどより幾分弾んでいる。
「先程、『共鳴の水鏡』でブレントーダ砦のカンタルク軍から通信が入りまして………」
ライシュは一旦そこで息を整えた。そしてウォーゲン・グリフォードが打ってきた「傾国の一手」を明かしたのだ。
「交渉の相手役としてマルト王子を指名する、と!」
ようやく「傾国の一手」が明らかになりました。
どんな狙いがあるのかはまた次のお話で。お楽しみに。