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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第五話 傾国の一撃
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第五話 傾国の一撃③

「失礼します、クロノワ閣下。アルテンシア半島の情勢について、新しい情報が入りました」


 報告してもよろしいでしょうか、と主席秘書官のフィリオは尋ねた。彼はいつも温厚でその声からも常に余裕が感じられるのだが、このときは少々いつもとは違っていた。それだけで彼の持ってきた情報が、重大なものであることがリリーゼにも想像できた。


「聞かせてください」


 クロノワの声にも少し硬いものが混じる。手に持ったティーカップは、結局口をつけることなくそのまま受け皿に戻す。


 アルジャーク帝国モントルム領旧王都オルスクの本日の天気はまさに小春日和で、日差しが燦々と降り注ぐこの総督執務室を十分に暖めている。にもかかわらず、リリーゼは室内の温度が下がったかのような錯覚を覚えた。


 では、と前置きしてからフィリオが報告を始めた。


「結論から申し上げますと、シーヴァ・オズワルドがアルテンシア半島の北側を切り取りました。詳しい規模は分りませんが、恐らくはその版図九十州以上かと」


 その報告を聞いてリリーゼは殴られたような衝撃を受けた。クロノワも視線が鋭くなっている。


 アルテンシア同盟がロム・バオアに造った大要塞、パルスブルグ要塞の司令であるシーヴァ・オズワルドが同盟に対して反旗を翻した、という情報はすでにモントルム総督府でもつかんでいた。ただ彼が軍をもよおしたのはどんなに早くても今年の二月ごろだったはずだ。逆算するに二ヶ月たらずで九十州以上の版図を切り取ったことになる。


「速い。速すぎる」


 一度遠征を経験したことのあるクロノワはその速度の異常性を正しく理解している。加えてあのアルテンシア半島だ。


「一体幾つの城や砦を落としたことやら」


 アルテンシア同盟は領主たちの集合体だ。例えば一人の領主が三州ずつの領地を持っているとすると、九十州を切り取るには三十人の領主を相手にしなければならず、単純に考えれば最低でも三十個の城を落とさなければならない。実際には野戦で決着をつけた戦いもあるのだろうが、それにしてもたったの二ヶ月で成し遂げたというのであれば、驚愕を通り越して呆れるばかりだ。


「どうやら領主たちは領民に見放されたようです」


 フィリオの話によると、シーヴァが侵攻をしかけるのと時期を同じくして各地で民衆の決起が相次いだのだという。


「なるほど。アルテンシア同盟は腐っている(・・・・・)という話でしたからね」


 クロノワは一応の納得をみせた。


 アルテンシア半島における領主たちの腐敗ぶりはクロノワも知っている。そんな状態がいつまでも続くわけがないとは思っていたが、とうとう領民から三行半を突きつけられたというわけだ。


「外と内の両方から崩された、ということですね………」

 そういってリリーゼも、うんうんと頷いた。


「閣下、これからシーヴァはどう動くと思われますか」


 フィリオにそう問われ、クロノワは少し考え込んだ。


「そうですね………。単純にアルテンシア半島を手に入れたいのであれば、同盟に参加するのが最も手っ取り早いと思います」

「同盟に、ですか………?」

「そうです」


 アルテンシア同盟とはすなわち領主たちの集合体だ。同盟内において一人一人の領主たちのパワーバランスを考えた場合、それはその領主が保有している州の数そのものに比例することになる。今までは領主一人につき三~七州で平均化されていて突出した力を持つ者がいなかったため、同盟に参加している領主たちは皆平等でいられた。


「ですがそこに九十州以上の版図を持っているシーヴァが加わったらどうなるでしょう」


 当然、シーヴァが同盟内で最も力を持っていることになり、自然と彼が主導権を握るだろう。そうなれば名実共にアルテンシア半島の盟主になれる。


「ですが他の領主たちが参加を認めるでしょうか?」


 彼らにしてみればシーヴァは同盟に反旗を翻した裏切り者だ。その裏切り者を再び同盟の枠内に入れることをよしとする者がいるのか、リリーゼは懐疑的だった。


「残った領主たちにしてみればシーヴァが奪った版図なんて所詮他人事ですからね。擦り寄って甘い汁を吸おうと考える者がいてもおかしくはありません」


 そんなものかと釈然としないものを感じながらも、リリーゼは一応納得した。だが、


「ですが今回シーヴァがその策をとるとは考えられませんね」

 フィリオは真っ向からクロノワの意見を否定した。


「今回シーヴァの侵攻がこの短期間にこれだけの成果を上げられたのは、領民の支持があったからです」


 そのシーヴァが同盟に参加すると言い出したら、領民たちはどう思うだろうか。

「『彼も他の領主と同じだ』。そう思うでしょうね」


 そうなれば今度はシーヴァ自身が領民から三行半を突きつけられることになる。


「住民が期待する『新たな支配者』であるためにも、シーヴァは同盟に参加するわけにはいかない」

 フィリオはそう断じた。


「というか閣下も分ってたんじゃないんですか?」


 面白そうに詰問するフィリオを、クロノワは肩をすくめてかわした。


「アルテンシア半島のことを、これ以上ここで考えても仕方がありません」


 半島とアルジャークはエルヴィヨン大陸の端と端だ。国境を接するほどに、シーヴァと鎬を削りあうことはないだろうとクロノワは考えていた。巨大市場としてのアルテンシア半島に興味はあるが、今はそれだけだ。


「情報は引き続き集めるようにしてください」

「分りました」


 そういってフィリオは頷いた。シーヴァ・オズワルドに関する話が一段落したところで、クロノワは意識を別の問題に向ける。


「さて、当面の問題はオムージュ領ですね………」


 そうクロノワがいうと、フィリオも苦い顔をした。


「そうですね……。まったく、レヴィナス様もなにを考えていらっしゃるのか」

「あの………、オムージュ領がどうかしたのですか?」


 一人話しについていけないリリーゼは、つい口を挟んでしまった。


「増税、です。いや、増税なんですけど………」


 歯切れの悪いフィリオの答えにリリーゼは首をかしげた。増税が実施されたのであれば、それは民衆にとって一大事だ。それが問題なのではないのだろうか。


「問題はその増税を過去にさかのぼって適用したことです」

 クロノワが苦い顔で補足した。


 例えば今まで三割だった税金が五割に増えたとする。つまり二割の増税だ。ここまではいい。増税は褒められたことではないが、普通の政策だからだ。だがこれを過去五年間にさかのぼって適用したとするとどうだろう。そうなれば民衆は十割、つまり年収分を追加して納めなければならなくなる。


「そんなの払えるわけがないじゃないですか!?」

 リリーゼが悲鳴にも似た声を上げた。


「ええ。払えるはずがありません」

「問題はそれだけではありません」


 フィリオがクロノワに劣らず苦い声で続ける。


「そもそも法律を過去にさかのぼって適用すること自体が禁じ手です」


 これこれの行為は、昨日は合法だったが今日からは違法で、お前は昨日これこれの行為をしたから有罪だ、といわれたらどうだろうか。そんな無茶苦茶な、と思われるだろう。しかしこれが「法律を過去にさかのぼって適用する」ということなのだ。


「そんなことをしたら、法を作る側の恣意的な感情で、特定の個人を合法的に陥れることができてしまいます」


 それでは独裁だ。もはや法治主義が成り立たない。アルジャーク帝国は確かに皇帝が絶大な権力を持っているが、それでも法によって体制を維持しているのだ。法治主義が成り立たなくなれば、帝国そのものが立ち行かなくなる。


「兄上がどこまでやるのかは分かりませんが、事と次第によっては皇帝陛下にお話しなければなりませんね」


 そんな事態にならないことを祈るばかりだ。


「ひとまずモントルム総督府として、不測の事態に備えておきましょう」

「分りました」


 クロノワの言葉にフィリオが頷く。直接の関係者ではないため、できることは少ないだろうが、それでも「備え有れば憂い無し」だ。難民などの受け入れ態勢を整えておくだけでも、混乱を抑えることができるだろう。


「そういえば閣下は五月の下旬ごろにオムージュ領に行かれるんですよね?」

「ええ。兄上とアーデルハイト姫の結婚式に招待されていますので」


 本来であれば帝都ケーヒンスブルグで行えばよいのだが、レヴィナスの強い希望によってオムージュの旧王都ベルーカで式を挙げることになった。


「気に入った建物でもあったのだろう」

 というのが目下一致した見解である。


「その時にレヴィナス様と直接お話されてはいかがでしょうか」

「さて、その機会があればよいのですが………」


 結婚式の招待状が送られてきたと言うことは、クロノワはレヴィナスの中で一定の評価を受けたということになる。ただそれでも下から数えたほうが断然速いくらいの順位だろうと、クロノワは思っていた。果たして自分が言ったところであの兄が聞くかどうか、不安なところがある。


「そこをなんとか。オムージュ領が混乱すればこのモントルム領も巻き込まれます」

「………努力はしてみます」


 クロノワは力なく答え、冷めた紅茶を啜るのであった。




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