第五話 傾国の一撃②
「あれがブレントーダ砦………」
無意識のうちにアズリアは白銀の魔弓「夜空を切り裂く箒星」に触れていた。
その砦において最も目を引くのは、間違いなくその城門だ。左右に向かい合うように描かれた竜と、その竜がもつ巨大な宝珠は遠くからでも確認することができた。
「そうだ。そして我が国にとって文字通りの“鬼門”でもある」
カンタルク軍を率いる大将軍ウォーゲン・グリフォードはほとんど唸るようにしてそう言った。カンタルクにおいて最も長い軍歴を誇る彼は、最も多くこの砦に挑み、そして同じ数だけの敗走を経験している。さらに言うならば、最も多くの戦友をこの地で失っているのも彼に他ならない。
「守護竜たちよ、今日こそはその宝珠、砕かせてもらうぞ」
老将軍はそう静かに宣言した。
カンタルクの貴族たちが好んで使う「忌々しい」とか「血に餓えた」とかいう枕詞を、ウォーゲンは使わなかった。戦争で血が流れるのは始まる前から分っていることで、自軍が流した血を敵のせいにするのは愚かなことだと彼は思っている。血を流したくなければ戦争などしなければよい。まして自分から仕掛けた戦争の責任を相手に押し付けるなど、言語道断である。
(そういう意味では、あの魔道具はよくできている)
戦争をすれば必ず血は流れる。ならば自軍の損耗を最小限に抑えたいと願うのは、ヒトとして当然の性だろう。その果てに生み出されたのがあの魔道具「守護竜の門」であると考えれば、数限りなく煮え湯を飲まされてきたウォーゲンであっても、道具そのものを憎む境地にはなれなかった。むしろ敬意さえ覚える。
とはいえ、今の彼はカンタルク軍の総司令官である。向かい合う二匹の守護竜が持つ宝珠を砕かないことには、カンタルク軍はまたもやこの地で大量の血を流すことになる。ポルトールが自国を守るために「守護竜の門」を作ったのであれば、ウォーゲンは配下の兵を生きて祖国に帰すためこれを砕かねばならない。
そのための手段を、彼は用意している。
「アズリアよ、調子はどうじゃ」
これが初陣となる自分の副官にウォーゲンは声をかけた。
「………やるべきことをやるまでです」
その声からは緊張が窺える。だがそれだけだ。恐れはなく気負いも少ない、良い状態だといえる。こういう時、人はいい働きができるものだ。
「そうか。期待しておる」
そう言ってウォーゲンは砦に視線を戻した。さて、と呟き大きく深呼吸をする。
「全軍前進。ただし近寄りすぎるなよ」
ウォーゲンが手を掲げると、カンタルク軍がゆっくりと動き始める。アズリア・クリークの初陣が始まろうとしていた。
カンタルク軍の動きに、シミオンは眉をひそめた。
「あやつら、あんなところで立ち止まってどうするつもりだ………?」
動き出したかと思ったカンタルク軍は、砦の前の平原で再び足を止めている。あの位置では砦から矢を射掛けてもカンタルク軍には届かない。当然のことながらカンタルク軍の攻撃も届かない。あの場所でとまった敵軍の意図を、シミオンは図りかねた。
(こちらから軍を出し、おびき寄せてみるか………?)
まさにシミオンがそう考えた瞬間のことであった。一筋の閃光が飛来し、右竜の宝珠を破壊したのは。
後に言われるところの「傾城の一撃」。この一撃で戦いの趨勢が決まったといっていい。
その一撃を放った途端、アズリアは言いようのない虚脱感に襲われた。まるで貧血でも起こしたかのように、体には力が入らず肺と喉は空気を求めて喘いだ。
(それでも………)
それでも彼女の放った一撃は、絶大な効果を及ぼした。白銀の魔弓「夜空を切り裂く箒星」とその専用の矢である「流れ星の欠片」は、所有者たるアズリアの魔力を喰い尽くしその威を存分に発揮したのだ。
放たれた閃光は右竜の宝珠を打ち砕き、さらには厚さ十センチの銅の城門にこぶし大の穴を開けて貫通し、その内側に破壊を及ぼした。
――――オオオオオオオオオオオオオ!!!!!
味方から、地を震わすかのような歓声が沸きあがった。古参の兵の中には、泣いている者さえいた。
一番心に迫るものを感じているのは、最も長い軍歴を持つウォーゲンだろう。しかし彼がそれを表に出すことはなかった。一切の感情を感じさせない冷たい目で砦を睨みつけたまま、彼は自分の副官に命じた。
「アズリア、第二射急げ。奴らを立ち直らせてはいかん」
「………はいっ!!」
大きな声を出し、自らを奮い立たせる。手にした白銀の魔弓に再び銀色の矢をつがえ魔力を込め、そして込められた魔力は「流れ星の欠片」へと収束していく。その間アズリアは全身から魔力をしぼり取られていく、その暴力的とさえ思える虚脱感に耐えていた。
(まだだ……!まだ、足りない………!)
歯を食いしばり四肢になけなしの力を込めなんとか姿勢を維持する。
その横で、ウォーゲンが眉をひそめた。左竜の宝珠が輝きを放ち、その守護結界が発動したのだ。その動きからはブレントーダ砦の焦りが感じられた。
今までの例を考えれば、守護竜の結界は軍隊に対して用いられるものだ。なのに軍が動いていないにもかかわらず、砦は結界を発動させた。稼働時間には限界があるのだから、先に発動させては意味がない。消えるのを待ってから軍を動かせばよいのだから。
とはいえこのタイミングで結界を発動させた砦側の思惑も理解できる。なんとかして右竜の宝珠を砕いた一撃を防ぎたいのだろう。
結界が展開されたのはアズリアとて目にしている。しかし彼女は魔力を込めることを止めようとはしなかった。
(今更止められるか………!)
かりに止めてしまえば込めた魔力は霧散し、後に残るのはこの耐え難い虚脱感だけである。さらに言うならば、ただでさえ一日に三発までしか打てない、その内の一発を無駄にすることになる。
「一日に使えるのは三本まで。それ以上使ったら命の保証はしない」
この魔弓と矢をアズリアに与えたアバサ・ロットことイスト・ヴァーレの言葉だ。その言葉がまさしく正しいものであると、今彼女は実感していた。
白銀の魔弓につがえられた矢が一際大きな輝きを放ったその瞬間………。
「!!」
第二射が放たれた。放たれた二射目はすでに展開されていた結界を、まるで紙切れか何かの如くに突き破り、再び銅の城門にこぶし大の穴を開けた。
――――ピィキィィィィイイインンン………。
戦場にまるで鈴の音のようなものが響いた。それが守護竜の結界の破られた音であることを理解するまでに、その場にいる人々は数瞬を要した。いまだかつてこの戦場において響き渡ったことのない音を彼らは耳にしたのだ。その音はポルトール軍には絶望を、カンタルク軍にはさらなる歓喜をもたらした。
――――オオオオオオオオオオオオオ!!!!!
再び大地を揺るがして歓声が上がった。しかし最大の功労者であるはずのアズリアには、喜びに浸るほどの余裕はなかった。
(くっ、外した………)
結界に当たったことで狙いがそれたのか、左竜の宝珠は無事だ。
体に力が入らなかった。四つん這いになっているが、それさえも辛い。いっそ完全に倒れてしまわないのが自分でも不思議だった。激しい運動をしたわけでもないのに、呼吸が乱れどれだけ空気を吸っても楽にならない。春先の、ともすれば汗ばむような陽気にも関わらず、全身が冷たく寒気がした。
「アズリア、大丈夫か!?」
一人の男が慌てて駆け寄り、彼女の青白い顔を覗きこむ。彼の名はウィクリフ・フォン・ハバナ。ウォーゲンの副官の一人で、アズリアにしてみれば先輩に当たる。そのミドルネームが示すとおり彼は貴族の血筋だが、それを感じさせない気さくな人柄でアズリアも仕事を教えてもらったりと良くしてもらっていた。
「大将軍、これ以上は無理です!左竜の宝珠は明日にしてください!」
アズリアの体を気遣い、ウィクリフがそう進言する。しかし………。
「………大丈夫……です……。できます……」
ウォーゲンが何か言う前に、アズリアは立ち上がりそういった。そんな彼女をウィクリフは慌てた様子で制止する。
「無茶だ!止すんだ、アズリア!」
「左竜の宝珠は今砕かなければ意味がありません。それは先輩も承知しているはずです」
「だが………!!」
かりに二つの宝珠が砕かれ、あの城門が魔道具「守護竜の門」として機能しなくなっても、銅の城門そのものは健在でありブレントーダ砦が強固な砦であることも変わらない。さらには十万近い兵が詰めているのだ。「守護竜の門」がなくなったからといって楽に落とせる砦では決してない。
「明日になれば敵の士気は回復します。落とすのであれば今しかありません」
目の前で宝珠の一つが砕かれ、さらには結界そのものまでも破られて敵軍の士気はもはや最低にまで下がっている。今こそが、ブレントーダ砦を落とすための千載一遇の好機なのだ。そしてその好機をより確実なものにするためには、なんとしてももう一つの宝珠を砕かなければならない。
「アズリア」
「はい」
ウォーゲンが青い顔をした自分の副官を見据える。
「存分にやれ」
「……はい!」
ウォーゲンの言葉に背中を押され、アズリアは三度「夜空を切り裂く箒星」を構えた。ウィクリフが何か言っているようだが、もはや聞くだけの余裕もない。力の入らない四肢で必死に踏ん張り、魔弓の弦を引き魔力を込めた。
「ぐぅ…………」
凄まじい倦怠感が全身を襲う。いや、もはや倦怠感を通り越し痛い。全身をねじ切られるかのような錯覚に陥ってしまう。
頭が痛い。吐き気がする。膝が笑い、平衡感覚さえなくなってきた。その全てに歯をくいしばって耐え、魔力を注ぎつづける。
――――血涙が、流れた。
「………アアアアァァァァアアァアアアアア!!」
もはや空っぽのはずの魔力を、声を上げて無理やりしぼり出す。その瞬間、「流れ星の欠片」が一際大きな光を放つ。
放たれた閃光はもはや遮るもののない空を駆け抜け、左竜の宝珠を正確に射抜いた。
三度、大地を揺るがす歓声が上がった。
(やった…………)
その歓声を意識の遠くで聞き、ささやかな満足を感じながらアズリアは意識を手放した。
「アバサ・ロットは歴史の表舞台には出てこない。しかし彼の作った魔道具はいつの時代も歴史を創り、あるいは変える」
これはこの作品「乱世を往く!」の基本コンセプトの一つです。
今回は、この基本コンセプトを話しにしてみました。如何だったでしょうか?
新月としてはなかなか満足しているのですが、物足りなく感じる方もおられるかも知れませんね。
そういう方、悪くありません。悪いのは文才のない新月です。
なんとか話を盛り上げようとはしているのですが、これがなかなか難しい。今後も努力です。
あ、あと感想をいただけると嬉しいです。