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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第五話 傾国の一撃
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第五話 傾国の一撃① 

 一人の青年が執務机に向かって書類と格闘していた。年の頃は二十代の半ばといったところか。赤銅色の髪と目をしている。彼の名はランスロー・フォン・ティルニア。ティルニア伯爵家の婿養子であった。


 余談ながら貴族にはその階級を示すミドルネーム「フォン」があるに対し、王族がミドルネームを用いることはほとんどない。国名を冠するその姓こそが、彼らの誇りであった。ちなみにカンタルクの王族のミドルネーム、例えばゲゼル・シャフト・カンタルクの「シャフト」は両親のうち王族でないほうの姓である。


 書類仕事でランスローの対応は三つに分かれる。一つ目はただサインをして判子を押すだけ。二つ目は注意点を書き添えて、サインをして判子を押す。三つ目は要再考。これにはサインはしないし判子も押さない。


 ランスローは休むことなく書類に目を通し、決済していく。その仕事は素早くも確実で、彼の取り決めは小気味よい。ティルニア伯爵家に婿養子に来てからおよそ五年。もはや彼を「青二才の押しかけ婿」と馬鹿にする者はいない。ランスロー自身としても領地を切り盛りし、領軍を組織する仕事にはやり甲斐を感じていた。


「これも父上のおかげ、か」

 ランスローは皮肉っぽく笑った。


 ここでいう「父上」とはティルニア伯爵のことミクロージュ・フォン・ティルニアのことではない。実の父であるコステア・フォン・アポストル公爵のことだ。ランスローは彼の三男坊で、本来ならば受け継ぐべき領地もなく、騎士として身を立てるか学者になるか、最悪なところで穀潰しになるかぐらいしか人生の選択肢はなかった。


「それが婿養子とはいえ領地を受け継ぐことができた。これを幸運と呼ばずして何と呼ぶのか」


 とはいえ彼の声音から皮肉の色が消えることはない。


 彼がティルニア伯爵家に婿に来ることになったその理由は、ごくごくありふれた政治的なものだった。


 ポルトールの王宮中では二つの派閥が互いに鎬を削りあっている。一つはエンドレ・フォン・ラディアント公爵を筆頭とする軍閥貴族の派閥で、この派閥は国の南部に勢力を持っている。そしてもう一つがランスローの父であるコステア・フォン・アポストル公爵を中心とした文民貴族の派閥で、こちらは国の北部に勢力を持っていた。


 事態を極大化してみればラディアント公とアポストル公の対立なわけだが、現在はアポストル公の側に軍配が上がっている。シミオン第一王子の妃であるミラベルが彼の妹だからだ。すでに第一子であるマルト・ポルトール王子(厳密には違うが面倒なので王子と称する)も生まれており、その地盤は磐石だ。ラディアント公は第二王子であるラザール王子を担いでいるが、第一位王位継承者の血縁者であるアポストル公とはどうしても一歩及ばないところがある。


 政治の主導権を握ったアポストル公が円滑な政を行うために打った手が、すなわち自身の三男ランスローのティルニア伯爵家への婿入りであった。


 ティルニア伯爵家は代々軍閥貴族であり、元々はラディアント公の派閥に属していた。しかし先々代の当主が大ポカをやらかしたおかげで、派閥内では肩身が狭くなり、また政治の中枢からも遠ざかっていた。領地を召し上げられた訳ではないので、経済的に困窮しているということはないが、ティルニア伯としてみれば面白いわけがない。領地に押し込められて無聊を囲っている、と感じても無理からぬことであろう。


「そこに目をつけたのが、我が父上アポストル公だったわけだ」


 アポストル公のような大貴族からの縁談話に、ティルニア伯は狂喜乱舞した。もとよりティルニア伯爵家は派閥内では肩身が狭くなっているし、他の軍閥貴族たちとも疎遠になっている。相手が敵対派閥の筆頭格とはいえ、表立って反対してくる者はいないであろう。なによりも伯爵家が再び表舞台に上がるためには、この話を受けるほかないように思われた。


 アポストル公の狙いは様々にある。


 ティルニア伯爵家は代々の軍閥貴族。疎遠になっているとはいえ、他の軍閥貴族たちとの良いパイプ役になるだろう。これによって派閥同士の摩擦が減り、円滑な政が行えるとこをアポストル公は期待していた。


 とはいえこの期待は外れてもよい。ティルニア伯を引き込めれば、その分だけラディアント公の派閥は弱体化し、自分の派閥は強力になる。それだけでも十分に意味のあることといえる。


 また婿にやるのは彼自身の三男である。であるならばティルニア伯爵家はもはや彼のものになったも同然ではないか。


「なんともまあ見事なまでの政略結婚じゃないか」


 こうして自分がティルニアの姓を名乗るに至る経緯を眺めてみると、ランスローとしてはどうしても皮肉な思いを禁じえなかった。


「別に恋愛結婚がしたかったわけじゃないが………」


 彼とてアポストル公爵家の端くれである。結婚に対しそんな甘い幻想を抱くはずもない。ただ実際の当事者であるはずの自分たちが、父たちにとっては完全に道具でしかないことがあまりにも滑稽なだけだ。


「まあいい」


 望んでもいない状況に置かれてしまうのは、万人に共通の悩みだろう。人は己の生まれを選べないのだから。


「私は幸運だ。そう思うことにしよう」


 細かい感情と事情は四捨五入してそう結論を下す。と、その時………。


 ――――コンコン。


 執務室の扉を誰かが控えめにノックした。


「失礼します、ランスロー様」


 少しよろしいでしょうか、といって部屋に入ってきたのは妙齢の女性だった。白いブラウスと青いスカートを着込み、プラチナブロンドの細毛を背中の半ば辺りまで伸ばして楚々とたたずんでいる。


(二つ目の幸運………)


 愛おしい人の姿を認め、ランスローは心の中でそう呟いた。


「?何かおっしゃいましたか、ランスロー様」

「いや、なんでもない。それよりどうした、カルティエ」


 女性の名はカルティエ・フォン・ティルニア。ミクロージュの一人娘にしてランスローの伴侶その人である。


「小耳に挟んだのですが、まもなくカンタルク軍との戦端が開かれる、というのは本当でしょうか」

 カルティエは心配そうにそう尋ねた。


 かりにカンタルクとの全面戦争になれば、軍閥貴族たるティルニア家も兵を出すことになるだろう。その時領軍を率いて陣頭に立つのはランスローだ。


 ティルニア伯爵家当主たるミクロージュはランスローが婿に来てからの五年間、王宮中での工作に日夜走り回っており、領地には年に数えるほどしか帰ってこない。その間領地の管理と領軍の訓練はもっぱらランスローが行っており、つまり有事の際にティルニア軍を率いることができるのは彼だけなのだ。


 そのことはカルティエも十分に理解していた。だからこそ、ともすれば夫が戦場に赴かなければならないこの状況が心配なのだろう。


「すでにシミオン王子がブレントーダ砦に向かわれた。私の出番はないさ」


 戦いが長引けばその限りではないが、そのことはあえて無視しランスローは妻を安心させた。


「だと、よいのですが………」


 カルティエはまだ心配そうだ。そんな彼女をランスローは優しく抱き寄せた。


「ブレントーダ砦には『守護竜の門』がある。きっと大丈夫だ」


 これまで幾度もカンタルク軍の侵攻を防いできた魔道具「守護竜の門」には、ひとつの言い伝えがある。それはこの魔道具が、かの伝説の魔道具職人アバサ・ロットの作だというものだ。考案者の名前が正確に残っていないという現状が、皮肉なことにこの言い伝えに信憑性を持たせ、国民の間に一種信仰じみた確信を生み出していた。


 ただランスロー自身は「守護竜の門」を過大評価してはいなかった。完全無欠で絶対無敵の魔道具など、彼は信じていない。


 しかし「守護竜の門」の名前はカルティエを安心させる効果はあったようだ。ようやく笑顔を見せてくれた彼女に、ランスローも安心する。


「今日は仕事も少ない。午後からは遠乗りでもしようか」


 ランスローがそういうと、カルティエの表情がパッと華やいだ。その清楚で可憐な外見に反して、実は彼女は活動的で屋敷の内よりは外を好む気性であった。


「素敵です。お弁当を用意しておきますわ」


 ランスローから身を離し、約束ですよ?と念を押してから、カルティエは足取りも軽く執務室を後にした。


 執務室で再び一人になったランスローは苦笑をもらす。思いがけず入れてしまったデートの予定。あれだけ喜んでくれたのだ。まさか反故にするわけにもいかない。


「さて、仕事仕事」


 約束を守るため、ランスローはいつもより多い(・・)書類の山に取り掛かるのであった。




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