幕間 とある総督府の日常 中編
後編と思わせといて中編です。
リリーゼ・ラクラシアのモントルム総督府における役職は、総督クロノワの秘書である。とはいえ四人いるうちの下っ端で、書類をあちこちの部署へ持っていったり持ってきたりと、現時点ではデスクワークよりも肉体労働のほうが割合としては多い。その他にもクロノワにお茶を出したりしているのだが、彼の仕事を横から見たりフィリオをはじめとする先輩たちが色々なことを教えてくれるため、リリーゼの毎日は充実していた。
今、彼女の目の前で主席秘書のフィリオが総督であるクロノワに、聖銀の製法の件で最終報告をしていた。
「聖銀の製法ですが、当初の思惑通り大陸中の工房に売却することができました。細かい数は報告書を上げてあるので、そちらを見てください」
クロノワは報告書と思しき書類をめくりながらフィリオの報告を黙って聞いている。彼は終生、人の話しに口を挟むということをほとんどしなかった。
「………次にこの件での収入と支出についてですが、まあ細かい項目は報告書を参照してもらうとして、純利益だけでいいですよね」
一から十まで説明するのが面倒くさいのか、フィリオは報告を大幅に端折った。クロノワもそれを咎めない。全てを聞いていては時間がないからだ。
「純利益はおよそ二四三万シク。総督府の取り分が全体の一割ですから、およそ二四万シクとなります」
二四三万シクといえば独立都市ヴェンツブルグの年間予算の四倍近くだ。これでヴェンツブルグを発展させるために必要な資金に、ひとまずメドが立ったことになる。
「………最後に教会の動向ですが、内部でごたごたしているようですが、今のところこちらに横槍を入れてくる気配はありません。製法を買い取った工房にも圧力を掛けている様子はありませんし、こちらの思惑通りにいったと考えて良いのではないかと。報告は以上です」
フィリオの報告を聞いて、クロノワは一つ頷いた。純利益二四三万シク、今のところ教会が何かしてくる気配はない。上々の結果だ。
「懸念があるとすれば、突然巨額の資金を手にしたヴェンツブルグに教会が疑いを抱く、といったところでしょうか」
「そうなったら『その資金は城に隠してあった財宝から総督府が出したものだ』とでも説明しましょう」
クロノワが言った通り、この城の隠し部屋には財宝が隠されていた。ただ、その大部分は彼が凱旋する際に戦利品として持ち帰っている。
「それで総督府の取り分である二四万シクですが………」
「はい。かねてからの予定通り、帆船を購入します。まずは五隻程度でしょうか。じつは既に目星も付いていまして、船員を含め早ければ五月中には動かすことが出来ると思います」
フィリオの報告にクロノワは満足そうに頷いた。
その帆船は「種」だ。いずれ種は花を咲かせ、そして花は新たな種をつけるだろう。そうやって花が増えていき、世界中に種を落とすときクロノワの野望は成就する。
(この世界を小さくするための、これは第一歩)
ひとまずは順調な滑り出しと言うべきだろう。
「とはいえ、利ザヤが出るまでどれくらいかかることやら………」
クロノワがやろうとしていることは海上貿易だ。しかも世界規模の。商売である以上、利益が出なければ続けていくことはできない。しかし始めてすぐに黒字を確保できると考えるほど、クロノワは楽観的ではなかった。
「それでもよそが一から始めるよりは、断然有利な立場だと思いますよ」
フィリオの言葉は正しいだろう。ヴェンツブルグのレニムスケート商会がいろいろと力を貸してくれる手筈になっているし、モントルム総督府ひいてはアルジャーク帝国という申し分ない後ろ盾がある。
「そうですね。通貨も統一されていて商売はやりやすい環境ですし、せいぜい頑張るとしましょう」
「はい。普通は異常なんですが、今は感謝ですね」
フィリオのいう“異常”という単語が、リリーゼには引っ掛かった。それでつい口を挟んでしまった。
「あの、なにが“異常”なんですか?」
クロノワとフィリオが揃って彼女のほうを向いた。ただ、彼らの目は優しい。それがリリーゼを安心させた。
「ではリリーゼ嬢のために、一つ講義をいたしましょう」
恐れながらクロノワ閣下も必要な知識がおありか試させていただきます、とフィリオは大仰に一礼してみせた。大事になってしまったとリリーゼは焦ったが、クロノワを見ると、おや私もですか、と笑っていて楽しんでいるように思われた。
「さて、まずは硬貨についてです」
右手の親指をピンと立ててフィリオが説明を始める。
この時代、通常硬貨には貴金属が用いられている。しかし金貨にしろ銀貨にしろ、同量の素材と比べた場合、硬貨のほうがはるかに価値が高い。それはなぜか。
「その硬貨を発行している国が、その価値を保障しているからです」
逆を言えば、既に存在していない国の硬貨や信用を失ってしまった国の硬貨は、通貨としての価値を失うことになる。
「では、そもそも国家はどうして通貨を発行すると思いますか」
リリーゼ嬢どうぞ、とフィリオはリリーゼに話を振った。
「ええっと、お金があるほうが便利だから、ですか」
「二十点ですね。それならば他国の通貨を使ってもいいことになる」
フィリオの採点は辛口だ。リリーゼはがっくりとうな垂れた。
そんなリリーゼの様子を微笑ましく見守りながら、フィリオは説明を続ける。
「簡単に言えば、自国の経済を他国に牛耳られないようにするため、です」
通貨の価値は、それを発行する国が決める。今まで使っていたお金の価値が、ある日突然十分の一になってしまったら、経済の混乱は避けられない。それに通貨を支配されるということは経済を支配されることと同義で、そんなことになれば国を乗っ取られるのと同じだ。
「ですから、国家が複数あれば通貨も複数ある、というのが普通です」
ゆえに、国が複数ありながら通貨が一つしかないこの大陸は異常なのだ。
「でもどうして通貨は一つになったんですか」
「大昔にこのエルヴィヨン大陸は一度、統一されたのは知っていますね」
リリーゼに答えたのはクロノワだった。
大陸の統一を成し遂げた国が断行した政策が、度量衡と通貨の統一だった。さまざまに反発を呼びながらも、かの国はついにそれを成し遂げる。
「そのときの度量衡と通貨が今も使われています。不思議なことにね」
度量衡はともかくとして、存在しない国の通貨が価値を失わずに流通している。これは不思議な現象だ。
「理由はいくつか考えられます」
統一国家が倒れた後の混乱期において、円滑な商取引を行うためにはそれまでの通貨を使ったほうが都合が良かった。新しい通貨が発行されても、商人の大部分が古い通貨を使いたがった。それまで通貨が統一されていたため、両替商がいなかったこと。
「きっと、さまざまな理由が絡み合っての現状でしょうね」
クロノワがそう締めくくった。
「さて、そういうわけでこの大陸の通貨は今現在一つだけなわけですが、通貨政策で絶対にやってはいけないとされている“禁じ手”があります」
さてなんでしょう、とフィリオが問題を出した。
「通貨の大量鋳造と純度の引き下げですね。もっともこれらは通貨が複数あっても当然のことですが」
「閣下ぁ~、リリーゼ嬢に答えさせなきゃ意味ないじゃないですか」
ジト目で睨むフィリオに対し、これは失礼、とクロノワは肩をすくめてみせた。まったくもう、とため息をついてからフィリオは説明を続ける。
「先ほどお話したように、金貨というのは同量の金よりも価値があります。つまり金貨で金を買いその金で金貨を作れば、理論上必ず利ザヤが出ます」
「じゃあ、どうして“禁じ手”なんですか」
必ず利益が出るなら、誰かやりそうなものだが。
「理由はいくつかあります」
第一に大量の貴金属を買い占めようとすれば、当然市場での価格が上がり、その結果利ザヤは少なくなってしまうから。
第二にお金を大量に作りすぎると金余りの状態になり、経済が混乱し損害のほうが大きくなってしまうから。
第三にいきなり羽振りが良くなると、隣国から「戦争をするつもりでは?」と疑われてしまうから。
「このほかにも色々と理由はありますが、簡単に言ってしまえば、やりすぎてしまうとメリットよりデメリットのほうが大きくなってしまうんです」
だからこれは禁じ手、まともな国なら手を出さないことです、とフィリオはいう。
「それじゃあ、純度の引き下げというのは?」
例えば金貨二枚分の金で金貨三枚を作れれば、金貨一枚分の利ザヤができる。だが一枚一枚の金貨を比べると、使われている金の量は少なくなってしまう。
「こちらはもっと深刻ですね。通貨そのものの価値、ひいては信頼に問題が起こります」
誰だって純度が低いと分っている硬貨は使いたくない。そんな粗悪品が多く出回ってしまえば、人々はお金というものを使わなくなり、経済は大混乱に陥るだろう。
「もっとも、その心配はほとんどありませんがね」
「どうしてですか?」
「純度を測定するための魔道具があるのですよ」
答えたのはクロノワだった。
純度を測定する魔道具は「真実の目」というのだが、この魔道具があるおかげでこの大陸の通貨は品質を一定に保つことが出来ている。仮にある国が純度の低い硬貨を作ったとしても、結局それは早い段階でバレテしまい、最終的には周りの国から商取引を拒否されるというハメになるだろう。
「ま、ズルしてもいい事なんてないってことですね」
フィリオが綺麗にまとめて、講義は終わりとなったのだった。
通貨うんぬんは見なかったことにしてください………。
自分の無知が恨めしい………(泣)