第四話 工房と職人⑩
吹雪、とはよく言ったもので強い風に吹かれた雪は、下に落ちるのではなくほとんど水平に飛んでいく。地吹雪が雪原に風の模様を描くロム・バオアの大地に、移動式のテントが幾つか立っている。ゼゼトの民が使用する「パオ」と呼ばれるもので、気密性に優れており中は驚くほど温かく、骨組みがしっかりしているおかげで強風下でも壊れることはほとんどない。
それらのパオの中の一つに、ある男が胡坐をかいて座っている。長身痩躯で、歳の頃は三十と少しといったところか。黒い髪を無造作に伸ばしている。彼のすぐ脇には一本の大剣が鞘に収められて置かれていた。魔剣「災いの一枝」。パルスブルグ要塞司令官及び要塞常備軍司令官シーヴァ・オズワルドの愛剣である。
シーヴァは背筋を伸ばしてすわり腕を組み、目をつぶって瞑想している。後ろに控えている女性仕官もまた声を発しない。
「司令、客人がお見えになりました」
声はパオの外から聞こえてきた。扉が開き兵士に案内されて、三人のゼゼトの民が中に入ってくる。その姿を確認し、シーヴァと女性仕官は立ち上がった。
「招きに応じていただけたことを感謝する。私がシーヴァ・オズワルドだ。それとこちらが私の副将を勤めている………」
「ヴェート・エフニートです」
自己紹介を済ませると彼女はそれ以上なにも言わず、またすぐにシーヴァの後ろに控えたたずんだ。
「ワシはエムゾー族族長ウルリックという」
ゼゼトの民は、エムゾー族、ベレグサ族、トルドナ族、シジュナ族、クセノニア族の五つの氏族に分かれている。姓名は基本的にはなく、無理に名乗るのであればそれぞれの氏族の名を名乗ることになる。例えばウルリック・エムゾーといったふうだ。
ウルリックと名乗った男は、ゼゼトの民としては小柄なほうだった。とはいえ服の上からでも分るそのがっしりとした体つきは、彼がまぎれもなくゼゼトの男であることを証明している。
「五人の族長で話し合った結果、ワシが代表になった」
ひとまずお手柔らかに頼む、とウルリックはシーヴァに手を差し出した。シーヴァはその手を握り、内心でひとまず胸をなでおろした。
(冷静な話し合いには応じてもらえるようだ)
とはいえ油断や侮りはない。たとえ相手が蛮族であっても、そういった先入観をもって臨めば思わず足をすくわれるだろう。実際ウルリックの言葉は明瞭だし、その目は油断がならない。
「それとこっちの男はガビアル。トルドナ族族長の息子じゃ」
紹介された男は典型的なゼゼトの民であるように思われた。背が高くて肩幅が広く、胸板が厚い。まさしく巨躯である。そしてその巨躯にふさわしい大剣を持っていた。シーヴァも長身だが彼よりも背が高く、肩幅にいたっては二倍近くあるかもしれない。
カビアルは軽く頭を下げたが、なにも言わなかった。その目には友好的とは言いがたい光が宿っている。
「それとこの娘はメーヴェ。恥ずかしながら我が娘じゃ」
どうしても付いて行くといって聞かんでな、とウルリックは頭を掻いた。
ゼゼトの民で規格外なのはどうやら男だけらしい。メーヴェと呼ばれた娘は少なくとも表面上は普通の女性に見えた。目鼻立ちは整っている。可愛いというよりは鋭利とでも言うべき顔立ちをしており、その鋭い視線も重なり氷や刃を連想させた。こちらは弓と矢の詰まった矢筒を携えている。
一通りの紹介が終わると、シーヴァは腰を下ろすように勧めた。三人と二人はパオの真ん中に置かれた暖炉をはさんで向かい合うようにして座った。
「すでに承知していると思うが改めてお願いしたい。手を貸してほしい」
アルテンシア半島を切り崩す為に、とはシーヴァは言わなかった。この場にいる人々にとっては既にそのことを知っているからだ。この会談の前にシーヴァは一度ゼゼトの民に話を通してある。
「受けるにしても断るにしても、一度あって話をさせてほしい」
そういうわけで、この度の席が設けられたのだ。ゼゼトの民のほうでも、ある程度は話し合いが成されてきたはずだ。
「ふざけるなよ………!」
代表であるはずのウルリックは黙してなにも語らない。代わりにほとんど唸るようにして声を上げたのはガビアルであった。
「ロム・バオアの大地に上がりこみ我々を北に押し込めたのは貴様らだろうが!それをこの期に及んで手を貸せとは虫が良すぎる!」
納まりが付かないのか、ガビアルは積年の恨みを吼えるようにしてまくし立てた。それに同調するようにウルリックの娘であるメーヴェも声をあげる。
「十分な食料を得られないせいで、冬を越せない子どもたちが何人いたと思う!?同胞がなめてきた辛酸をわかっているのか!?」
「なにを勝手な・・・・・!」
たまりかねたのか、ヴェートが身を乗り出してくる。シーヴァはそれを、片手を上げて制した。
彼女が言いたいことはわかる。もともと先に略奪を行い始めたのはゼゼトの民が先である。ロム・バオアにパルスブルグ要塞を建造してゼゼトの民を北に追いやりその活動範囲を制限したのも、制海権を確保しゼゼトの民が半島に来られないようにしたのも、穀物を渡さず食糧事情を圧迫したのも、全てはアルテンシア半島の民を守るためであった。
しかし、シーヴァはそれらの事情をこの場で言うつもりはない。言ってしまえばそれこそ双方納まりが付かなくなる。それではこの席を設けた意味がなくなってしまう。
「力を貸していただければ、要塞を除いて我々はロム・バオアから撤退する。後は自由にされるがよかろう。交易で半島に渡ってこられる分には、これを妨げるつもりはない」
略奪をするようであれば相応の覚悟をしていただくが、とシーヴァは付け加えた。ガビアルがまたなにか吼えるが、それを無視して彼は続ける。
「無論、協力していただいた礼は存分にさせていただくつもりだ。好きなものを望まれるがよかろう」
如何か、とシーヴァはウルリックに返答を促した。
「………確かにお前さんが砦の長になってから、ワシらは随分と楽になった」
「親父殿!?」
メーヴェが驚いたように父親の顔をのぞきこんだ。そんな娘を嗜めるようにウルリックは言葉を続ける。
「本当のことじゃろ。豊かになったとは言いがたいが、この男が穀物を融通してくれるようになってからは、餓えて死んだものはほとんどいない」
シーヴァは要塞司令になると、それまで制限されていたゼゼトの民との交易を大幅に緩和した。もちろん彼らが海を越えて半島へ渡っていくのを許可したわけではないが、それでも要塞近くでの取引を認めたことにより、ゼゼトの民は主に獣の肉や毛皮と交換することで、小麦をはじめとする穀物を手に入れられるようになったのだ。ちなみにこのパオも、穀物と交換したものだった。シーヴァの側からすれば、半島から肉類を持ってくるよりもゼゼトの民から仕入れたほうが安上がりである、という理由もあった。
「だが同胞たちの恨みは!」
「それは双方同じこと。それにこのままではどうにもならんと思ったからこそワシらはこの場に来たのじゃ」
先の見えておらんガキはだまっておれ、とウルリックは睨むようにして叫ぶ娘を黙らせた。彼の気迫に押されてガビアルも言葉を詰まらせる。若者二人を黙らせてから、エムゾー族の族長はシーヴァに向かい合った。
「シーヴァよ、お主が言ったことすべてを守ってくれるならば、我々としても力を貸すのはやぶさかではない。それが族長たちで話し合った結果じゃ」
ウルリックの後ろに控えていたメーヴェとガビアルが驚いたように顔を上げる。どうやら彼らもこの話は知らなかったようだ。
「それはありがたい。無論盟約は守るが、さてどうすればそれを信じていただけるのか」
大陸に住む人々の常識からすれば、このような場合は約束の内容を書面にしたため、そこに双方が署名をする、というのが一般的だ。
「お主たちの紙切れになんぞ用はない。そんなものがあろうがなかろうが、守るものは守るし、破るものは破る」
その言葉を聞いてヴェートが唸った。国同士の条約が破られただのそんな事例は歴史書を紐解けばいくらでも見つかる。それを知っているだけにウルリックの言葉を否定することが出来ないのだろう。
ようはシーヴァ・オズワルドという人間が信頼できるかどうかだ、とエムゾー族の族長は視線を鋭くして言った。
「ふむ。信頼を得るために私になにをしろと?」
そう言うと、ウルリックは悪戯を思いついたように笑った。
「そうじゃの、ここにいるガビアルと仕合ってもらおうかのう」
そのとっぴな提案に、シーヴァも思わず笑いが漏れる。
「勝てばよいのかな」
そういうことにしておくか、と嘯くウルリックにシーヴァは了承を伝えた。