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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第四話 工房と職人
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第四話 工房と職人⑧

「『知識や技術の十や二十、盗まれたところで何の問題がある?』か………」


 パートームの街にある工房「エバン・リゲルト」の一室に、男の声が響いた。男の名はカイゼル・ファラー。年の頃は五十の始めといったところか。かつて「ドワーフの穴倉」でニーナの祖父の弟子として働いていた魔道具職人だ。


「なんというか衝撃的な発言だな、トレイズ」


 そういってカイゼルは自身の愛弟子を振り返った。弟子の名はトレイズ・サンドル。宝石店でイストと揉めた三人のなかで、一人冷静だったあの人物だ。商家の三男坊なのだが、自分は商人には向かないと見切りをつけて、カイゼルの弟子となったのだ。


「はい。さすがに私も耳を疑いました」


 魔道具職人にとって命よりも大切なものがあるとすれば、それは間違いなく自身や工房が積み上げ蓄積してきた知識と技術である。それが盗まれることになんの危機感も示さないあの男の言い草に、トレイズは呆れるよりも先に恐怖を感じた。


「流れの職人というのは、こうも我々と価値観が違うのでしょうか」

「さて、我が師も流れの職人に師事したと言っておられたが、情報の管理は徹底しておられた」


 その男が異常なだけだろう、とカイゼルは結論した。それよりも問題なのは、その男が口にした言葉そのものだ。もし本気で言ったのであれば・・・・・・。


「久しぶりに顔を出してみるか…………」

 古巣である「ドワーフの穴倉」に。


「本気ですか、師匠」


 商売敵であるはずの相手がのこのことやってくるのだ。門前払いをくらう公算が大である。それにたかだか(・・・・)流れの職人から何かを学ぼうと言う姿勢を快く思わない者もいるだろう。


「なにも『ドワーフの穴倉』から盗もうと言うのではなし、その男の口ぶりからすれば、側で見ている分には問題あるまい」


 それに未知に対し貪欲になれと言うのが我が師の教えでな、といってカイゼルはさっさと準備を始めた。


「ですが………」


 先方にしてみればカイゼルは工房を捨てた裏切り者だ。あの流れの職人はいいかもしれないが、工房主であるガノス・ミザリがはたして敷居をまたがせるかどうか。


「かまわん」


 弟子の逡巡を断ち切るようにカイゼルは強い調子で言った。しかしその言葉から漂ういい様のない苦さを感じ取ったのは、彼自身だけではないはずだ。


**********


 優秀な魔道具職人というのは、優れた魔道具を作れる職人ではなく、考え出せる職人のことである。少なくともカイゼルはそう考えている。


 個々の質にピンキリはあれど、作ることを主眼に考えるならば、魔道具製作はそれほど難しい作業ではない。もし仮に魔道具が量産できるとするならば、この世界の魔道具職人の数は現在の一〇〇倍から二〇〇倍、あるいはそれ以上になっていてもおかしくはないだろう。


 だが魔道具は量産できない。ゆえに作る側には個々の質を高めることが求められ、それに答えることのできる職人だけが富と名声を得ることができるのだ。魔道具職人たちは一つ作品を作り上げたならば、次はそれを上回る作品を求められる。


「今できる最高のものを。次はさらに良いものを」


 高みを目指す果てのない階段を上っていくようなものだ。魔道具職人を志す多くの者たちが、途中でその歩みをやめてしまう。歩みを止めずその階段をひたすら駆け上がって行ける者、その者こそが本当に優秀な魔道具職人であるとカイゼルは考えている。


 そういう意味で、ガノス・ミザリは優秀な魔道具職人であると、カイゼルは知っている。


 彼の父に師事しかつて共に働いたことのあるカイゼルは、ガノスの腕と才を知っている。そのために日々の糧を稼ぐことに精一杯で、職人として十分な仕事が出来ていないガノスの現状がもどかしくて仕方がない。


「いつまで『ドワーフの穴倉』にこだわっているつもりだ」

 そう思わずにはいられない。


 カイゼル自身は「ドワーフの穴倉」を捨てて「エバン・リゲルト」に鞍替えしたことを後悔していない。というよりも魔道具職人とはそういうものだ。


 魔道具職人の人生とは、すなわち新たな魔道具の開発の日々であり、そのためにより良い環境を整えてくれる工房へ移るのはごく自然なことである。


 それにガノス自身も「エバン・リゲルト」から現在進行形で勧誘されているのだ。その誘いを断り続け、「ドワーフの穴倉」にこだわっているのは彼自身だ。


「それで職人としての仕事ができなくなっては本末転倒ではないか」


 彼の娘であるニーナについても、カイゼルは幼い頃から良く知っている。彼女が魔道具職人に憧れていることは、薄々は察していた。


 ガノスやニーナを良く知るゆえに、カイゼルのもどかしさは大きい。

 そのためかもしれない。己の選択を何一つ後悔していないはずの彼の胸のうちには、しかし拭いきれない罪悪感が残っている。


 自分が抜けたことで「ドワーフの穴倉」が傾いたとは思わない。カイゼルはそこまで過大に自分を評価していない。それでも、その責の一端は間違いなく自分が負うべきものだ。


 かつての同門であり互いに切磋琢磨しあったガノスと、彼の娘であるニーナがくすぶっている、そうするしかない現状は無言のうちにカイゼルを責め立てている。何かしたいと思っても、互いの立場ゆえに動くこともままならない。気が付けば、時間だけが過ぎてしまった。


(なにか、変わってくれればよいが…………)


 ゆえにカイゼルは期待する。誰もが考えていなかった“流れの魔道具職人”、その登場に。自分ではどうしようもなかったこの現状を、あるいは変えてくれるのではないだろうか、と期待する。


 だからこそ、積極的に関わろうと思ったのだ。


**********


 久方ぶりに見上げる古巣の外観は、あの頃となんら変わっていない。しかし活気に溢れていたあの頃とは違い、そこから力強さを感じることはなかった。


 そんな思いを悟られないように、カイゼルは努めて普通を装いその門を叩いた。


「はい、どちら様でしょうか」


 門を開けたのはガノスの娘であるニーナだった。彼女は少し見ない間に、随分と綺麗になっていた。恐らくは母親似だろう。


「自分に似ないでよかった」

 昔ガノスがそう言っていたことを思い出す。


(だがこの子の気性は間違いなくお前譲りだよ、ガノス)

 少しばかり感傷に浸っていると、ニーナも訪問者が誰なのか気づいたようだ。


「・・・・カイゼル・・・・さん・・・・・」

 名前に「さん」付けをするまでに、一拍の沈黙があった。


 昔は「カイゼルおじさん」と呼ばれていた。だがこれが今の自分と彼女の距離感なのだろう。


 一瞬感じた寂しさを、カイゼルは黙殺した。


「ここに流れの魔道具職人がいると聞いてな。取り次いでもらえるかな」

「イストに、ですか…………」


 どうやらその職人の名前はイストと言うらしい。


「オレになんか用か?」


 ニーナの後ろから見知らぬ男が現れた。どうやらこの男がイストらしい。おそらく自分の名前を聞きつけてこっちに来たのだろう。


「はじめまして、だな。カイゼル・ファラーという。こっちは弟子の・・・・・」

「トレイズ・サンドルです。先日は同僚が失礼して、申し訳ない」


 そういってトレイズは頭を下げた。ただイストは特に気にしている様ではなかった。トレイズの顔を見て、ああ宝石店で、と呟いただけで後は何も言わなかった。


「イスト・ヴァーレだ。で、何のようだ?」


 イストが例のいざこざを蒸し返さずに本題に入ってくれたことに、カイゼルは感謝した。


「お前さんから、技術や知識を盗みに来た」


 ニヤリと笑い、カイゼルはここに来た目的を隠すことなく率直に告げた。あまりの率直さに隣にいたトレイズのほうが慌てている。だが言われた当のイストは、なんと笑っていた。それも蔑むような笑い方ではない。呆れたような、それでいて面白がっているような、そんな笑い方だった。


「いいよ。邪魔しないでくれるなら、勝手に盗んでいけ」


 実にあっさりと、イストは承諾した。ただ間借りしている身としては、工房主の意向を確かめなければならない。ガノスに聞きにいくと、彼も簡単に許可を出した。


 失礼すると断りながら、カイゼルは久方ぶりに「ドワーフの穴倉」へと足を踏み入れた。工房の中はあの頃と変わっていなかった。だが使っていないのか、ホコリを被った機材が多い。それがそこはとない寂しさをかもしだしていた。


「お前も早く来んか」


 その寂しさを隠すようにして、カイゼルはトレイズに声をかけた。とんとん拍子に進む話に彼は目を白黒させていたが、慌てて師の後を追う。


 イストは既に、定位置と決めているらしい工房の角の一画に座り込み準備を始めていた。ビンから粉末を匙で陶器の器に移し、そこに水を入れて粉末を溶かしていく。


 足元に置いてあった布の巻かれた長細い包みを解くと、そこには一本の刀が包まれていた。柄も(つば)も、ましてや鞘もない、ただの鉄の塊である裸の刀だ。イストがレスカから買ったあの刀だ。


 その優美に反った刀身、透明感のある鋭い刃。鍛冶師としてはド素人であるトレイズから見ても、相当な業物であることが分る。イストはその刀身に水で溶いた粉末をはけで丁寧に塗っていく。


「うわぁ……」

 魔力を込めたのか、刀身が青く光る。その様子にニーナが感嘆の声を漏らした。


(あの粉末は『星屑の砂』だったのか………)


 目の前の光景から、トレイズはそう当りをつけた。

 「星屑の砂」は魔道具の一種で、イストがしたように水に溶き、例えば金属などに塗るとそこを流れる魔力を可視化してくれるのだ。人工石の鑑定に使った「目利きのルーペ」と同じ効果なのだが、ルーペでは一点しか見ることができないため、結晶体の鑑定以外ではこの「星屑の砂」が使われる。


「見事だな」


 青く輝く刀身を見て、カイゼルがそう感想をもらした。トレイズも同じ意見だ。刀身に浮かぶ青い光の筋はまだムラや澱みがあるが、それは彼らの目から見れば無視していいものに思えた。恐らく既に下準備を終えているのだろう。


 しかし、彼らのその考えはすぐに否定される。


「ああ、まだ下準備もなにもしていないのに、これだけ均一に魔力が流れる。流石だな」

「まだ下準備をしていないのか!?」


 カイゼルが驚いたように声を上げた。それはトレイズも同じだ。まだ下準備をしていないということもそうだが、それにもかかわらずあれだけ魔力を均一に流せる素体を彼は初めて見た。


「ああ、下準備はこれからする」


 こともなさげにイストはそう答える。それを聞いてトレイズが感じたのは、しかし落胆だった。下準備は魔道具製作における基礎中の基礎で、それを見学したからといって知識や技術を盗めるとは思えない。


(出直したほうがいいのでは?)


 そんな思いを込めて振り返ると、師であるカイゼルは難しい顔をして腕を組み、ほとんど睨むようにしてイストの仕事を観察していた。


「トレイズ、よく見ておけ」


 滅多に見られないものが見られるから。そういうカイゼルの声は、トレイズが今まで聞いたことがないほど強張っていた。




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