第四話 工房と職人⑦
ふう、と一息ついてクロノワはペンを置いた。そのまま椅子の背もたれに身を預ける。執務机の上を見れば、未だに書類の山が残っている。その現実からしばし逃れるため、クロノワは席を立ち窓から外を見た。
「雪、ですか・・・・」
窓の外には雪が舞っている。モントルムの旧王都オルスクでこの天候では、さらにその北であるアルジャーク帝国は、既に一面の銀世界だろう。
「早めにこちらに赴任してきて正解でしたね」
クロノワがケーヒンスブルグに凱旋してから遅れることおよそ二週間後、レヴィナスもまたオムージュ遠征から凱旋した。クロノワと同じく凱旋報告の席で皇帝ベルトロワから褒美を与えられることになったとき、彼が求めたのはオムージュの王女アーデルハイト姫との結婚の許しだった。今まで婚約者のいなかったレヴィナスがいきなり婚姻の許しを求めたことにその場はどよめいたが、皇帝が許しを与えたことでどよめきはすぐに祝福へと変わったのだった。
その後開かれた任命式でレヴィナスはオムージュ総督に、クロノワはモントルム総督にそれぞれ正式に任命された。新年を帝都ケーヒンスブルグで迎えてからオルクスに来るという選択肢もあったのだが、真冬のアルジャークを旅するのは危険で、そうなると春まで待つしかなくなる。それを嫌ったクロノワは凱旋記念パーティーに出席すると、本格的な冬が始まる前にモントルムへ総督として赴任したのである。
「失礼します」
その声と共に部屋に入ってきたのは、クロノワと同い年くらいの若い男だった。名前はフィリオ・マルキス。クロノワと同じくオルドナスの教え子であり、その縁で友人として付き合ってきた。同年代の友人がほとんどいないクロノワにとっては貴重な存在である。そんな彼は今現在、主席秘書としてクロノワを支えている。
「ああ、フィリオですか。何かありましたか」
「はい。オルドナス先生、いえ執政官から報告が届きました。無事に着任したとのことです」
オルドナスやリリーゼを始めとするヴェンツブルグの使節団もまた、クロノワたちと共にケーヒンスブルグからオルクスへと旅をし、そこから分かれて彼らは独立都市へと向かったのだ。
「それと聖銀の件ですが、例の方向で執政院の合意が取れた、とのことです」
彼の言う「例の方向」とは、つまるところ聖銀の製法を大陸中の工房に売りつけるにあたり、モントルム総督府のひいてはアルジャーク帝国の関与を認めるということだ。ヴェンツブルグ一都市だけでは思うように事が進まないということをリリーゼから聞いたクロノワが、新たな執政官となるオルドナスに相談してみたのだ。
「そうですか。思ったよりも早かったですね。あちらも手詰まりだったのでしょう」
「ええ、これからヴェンツブルグはお金が必要になりますし、そういう腹もあったのではないかと」
フィリオの言葉にクロノワは頷いた。
モントルム総督府が口を出すために、製法の購入額である一万シクを総督府が肩代わりすることになっている。その代わり製法の売却でえた純利益の一割が総督府の取り分となり、残りの九割は三家とレニムスケート商会の懐に入れるのではなく、ヴェンツブルグの発展のために用いる、というのが取り決めだ。確かにこれからヴェンツブルグが発展するにあたり、お金はいくらあっても足りない。それを考えれば、製法の売却益は良い収入源となるだろうが・・・・・・。
「総督府の取り分が一割というのは、少なすぎますよね・・・・・・」
「そこは教え子の弱み、と言うヤツですね」
クロノワの言葉にフィリオも、ですよね~、と同意した。かつて教師と生徒の関係だった二人は、オルドナスに対して頭の上がらないところがある。
「よろしいですね」
と、あの厳しい面でズイッと迫られては反対もできない。
「そういえば、リリーゼ嬢も春を待ってこちらに来るそうですよ」
親御さんを説得できたみたいですね、とフィリオは嬉しそうだ。常々職場の男性比率が高すぎる、とフィリオが文句を言っているのをクロノワは知っている。
「きちんと一仕事終えたようですね」
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凱旋記念のパーティーで、日陰者から一目置かれる存在となったクロノワの周りには、多くの人が群がった。そんな人の波も一段落し彼がバルコニーで涼んでいたところ、淡いグリーンのドレスで正装したリリーゼが近づいてきたのだ。
「良くお似合いですよ」
「ありがとうございます、殿下」
彼女はドレスやアクセサリーで着飾るのは好きではないと言っていたが、そこはやはり年頃の女の子。まんざらでもない様子だ。
リリーゼはごく自然にクロノワの隣にたたずんだ。
「使節団のみんなと話し合ったのですが、帰りもご一緒させていただければと思います」
本格的な冬が始まる前にモントルムへ赴任するつもりであることは、既に彼女たちにも伝えてある。一緒に行ったほうが何かと都合がよいと判断したのだろう。
「そうですか。では後で詳しい日程をお知らせします」
クロノワがそういうと、会話がたえた。人々の笑い声や音楽が、かろうじて二人の耳に届く。
「あの・・・・・・」
意を決したように、リリーゼが声を上げた。クロノワに近づいてきたのは、何か話したいことがあるからなのだろう。
「帰りもご一緒するとなると、一度オルクスに立ち寄ることになりますよね」
「そうですね。そうなります」
クロノワたちの目的地はオルクスだ。一緒に行くというのであれば、立ち寄ることになる。
「そのまま総督府で働かせてはもらえませんか。知りたいことが沢山あるんです」
アルジャーク帝国への使者に立候補した時、あのときに感じた稲妻の閃光のような運命は、日に日にリリーゼを未知なる世界へと駆り立てる。その内なる衝動に、彼女はむしろ進んで身を任せた。
「それはヴェンツブルグには戻らずに、と言うことですか」
「はい」
「でしたら賛成しかねます」
驚いたようにリリーゼはクロノワを見つめた。焦った様子でなおも言い募ろうとする。しかし彼女が言葉を発するよりも先に、クロノワが口を開いた。
「貴女は望んで使者となったのでしょう?でしたらまずは使者としての仕事を果たすべきです」
彼の口調はキツイものではない。しかしその内容は厳しく、目に見えてリリーゼの勢いをそいだ。
「それに、少なくとも私は途中で仕事を放り出すような部下は欲しくありません」
そうトドメを刺され、リリーゼは己の敗北を悟った。肩を落としともすれば泣きそうになっている彼女を見て、クロノワは気づかれないように微笑をもらす。
「きちんと親御さんを説得して、それから来なさい。そうしたら考えてあげます」
クロノワにそう言われ、リリーゼはさっきまで落ち込んでいたのがウソのようにパッと顔を輝かせた。これで終わりではない、自分はもっと先に行ける。そう実感できるのがたまらなく嬉しいのだろう。
そんな彼女の様子を見て、クロノワはこう思ったのだ。
(やっぱり、彼女といると新鮮ですねぇ)
宴の夜は更けていく。
**********
「リリーゼ嬢が来る前に、閣下も剣術の腕を上げておかなければいけませんね」
「さて、なんのことやら」
フィリオにからかわれ、クロノワはとぼけた。
実はケーヒンスブルグに滞在している間に、クロノワはリリーゼと手合わせをしたことがある。その時に、なんとクロノワは負けてしまったのだ。それが悔しかったのか、以来彼はアールヴェルツェを始めとする騎士たちから稽古を付けてもらっている。
「まあ、彼女に偉そうな事を言っておいて、私たちが仕事を疎かにしてはいけませんね。早いとこ今日の分を片付けてしまいましょう」
強引に話題をすり替えた主に、フィリオは笑いをこらえるだけで何も言わなかった。
「アールヴェルツェはどうしていますか」
「はい。将軍は・・・・・・・」
モントルムの冬は深まっていく。