第三話 糸のない操り人形⑨
ふう、とビスマルクは大きく息をついた。夕方とはいえまだまだ九月。ここカンタルクは南国ではないが、気温はまだまだ生温い。それでも吸い込んだ新鮮な空気は彼を浄化していくようであった。
「お疲れのようですな、魔道卿?」
声をかけられ振り返ると、大柄な初老の老人が立っていた。顔には年相応のしわが刻まれているが、体には十分すぎる生気が満ちている。声にも張りがあり、老人特有のかすれた声ではない。
「ウォーゲン大将軍」
老人の名はウォーゲン・グリフォード。カンタルク王国の全軍を指揮する大将軍である。役職的にはもう一つ上に「軍事総監」という役職があるが、これは軍隊と言う組織全体をすべる役職であり、ウォーゲンは数々の戦場を監督する総司令官とも言うべき存在である。
難しく考える必要はない。数いる将軍の中で、一番偉い人と思っておけばそれで良い。
ちなみに軍歴もカンタルク軍の中では最も長い。十三歳で初陣に臨み、今年で六十二歳。大小八〇を超える戦場を経験し、未だ衰えを知らぬ。アルジャークの至宝と称されるアレクセイ・ガンドールでさえ、彼の軍歴には及ばないだろう。
「結論の出るはずのない会議じゃが、貴族どものガス抜きも必要じゃろうて」
老将軍の飾り気のない、というより飾る気のまったくない言葉に思わず苦笑する。その点に関しては自分もまったくの同意見だが、さすがにここまで率直にはいえない。この王宮内にあって言いたいことをいえるのは、この老将軍の特権だろう。
とは言え決して粗野な人物ではない。細かい気配りもできるし、何よりも年相応以上の老練さをも身につけているため、腹に一物あるような者にとっては悪魔の如くに恐れられている。
「いえ、そのようなことは。それよりもそちらに研修に出した魔導士たちの様子はいかがですかな」
さすがに同調するわけにもいかず、話題をそらした。ウォーゲンも心得ているのか、それ以上会議については何も言わなかった。
「兵士が命令を聞いてくれると、涙を流して喜んでおったよ。相も変わらず、苦労人ばかりじゃ」
そういって老将軍は声を上げて豪快に笑った。かつて同じ道を通ったビスマルクとしては苦笑するしかない。
この時代、鋳型に溶かした金属を流し込んで形をつくる「鋳造」の技術により、剣や槍、鎧などの武器を大量生産することはある程度可能になっている。しかし、魔道具を作るには下準備も含めれば一週間単位の時間がかかることもザラであり、しかもその全てを職人たちが手作業で行っている。そのため魔道具の大量生産体制は未だ確立されていなかった。
つまるところ、魔道具(特に武器は)需要に対し絶対数が少なくそのため高価であり、同じものを揃えることが難しいのだ。軍隊と言う、人数が多くて、一定の力を継続的に維持しなければならない組織にとっては、頭痛の種であると言える。
魔道具を十分な数確保できない以上、戦力向上のためには個々の魔導士の質を高めるしかない。それは国軍の一部たる魔導士部隊においても同様である。そこでは何よりも個人の実力が重視され、組織的な訓練よりも個人修練に時間が割かれている。
そのため魔導士という連中は基本的に個人主義であり、言葉を選んで評するならば「変人」が多い。自己鍛錬の名の下に、己が個性を強烈に成長させていく奴らが多いのだ。そして、困ったことにその傾向は優秀であればあるほど強くなる。命令無視ぐらいのことは日常茶飯事である。
個人主義者の集まりである魔導士部隊は、当然のことながら団体行動だの集団生活といった言葉とは疎遠である。しかし軍の一部である以上、最低限度の指揮統率は必要となる。そこで適正のある人材(はっきりといってしまえば我の強い問題児どもを引率する苦労人)が選ばれ、通常の部隊で指揮統率の研修を行うのだ。
普段言うことを聞いてくれない問題児の相手ばかりしている彼らにとって、一般の部隊の規律正しさは新鮮にうつる。
「おぬしの娘も、そのうち来るのであろう?」
およそ一年半前にヴァーダー侯爵家に迎え入れた自身の娘、アズリアについてはかなり初期のうちに話が広まっている。別に隠すつもりはなかったが、貴族どものこういう話に対する嗅覚は、異常なほどに鋭い。
「さて、あれに魔道卿になるだけの器量があれば、の話ですな」
ヴァーダー侯爵が魔道卿となるのではない。魔道卿の責に耐えうる魔導士こそがヴァーダー侯爵になるのだ。その信念は、ビスマルクの中でいささかも変わっていない。アズリアとて彼にとっては駒の一つに過ぎぬ。ふさわしくないと判断すれば切り捨てるだけだ。それを知ってか、ウォーゲンは苦笑した。
「相変わらずじゃな」
「魔道卿は国を支える柱の一つ。半端者にその席を譲るわけにはいきませぬゆえ」
然り、とウォーゲンは頷いた。それから話題を転ずる。
「陛下のご容態はいかがか」
カンタルク王国の国王、アウフ・ヘーベン・カンタルクは今現在病床にある。血の病らしく、宮廷の医師たちでも進行を遅らせることしかできていない。
自分の知りうる限りのことを教えると、ウォーゲンは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「では今のうちにあの小僧を再教育せねばならんな・・・・・」
ウォーゲンのいう「小僧」とは第一王子ゲゼルト・シャフト・カンタルクのことである。王子とはいっても今年で三十六歳となり、すでに国内の有力な貴族の令嬢と結婚しており子どももいる。当然のことながら次の王位継承者の最有力者であるが、そんな彼を「小僧」呼ばわりできる人間はこのカンタルク内においてウォーゲンただ一人であろう。
「そうですな・・・・」
さすがにゲゼルト殿下を「小僧」呼ばわりはできないが、ビスマルクの心情はウォーゲンに近い。
(殿下におかれては国を統べるという意識が低すぎる・・・・・)
ゲゼルト・シャフト・カンタルクは決して愚鈍な男ではない。だが、それ以上に自己顕示欲と虚栄心、そして情欲の塊のような人物であった。
陛下の死期は近く、もはや逃れ難い。ビスマルクは既にそう見切りを付けている。その事実は一臣下としての彼の心を曇らせるが、魔道卿としての職責は彼にその先を考えるよう強要する。おそらくはウォーゲンも同様だろう。そして大半の貴族たちも同様で、しかもより積極的であるといえるだろう。ここ数日行われている会議にしても、実際のところはアウフ・ヘーベン陛下亡き後の権力争いが名前を変えて行われているに過ぎない。
(まったく、この国は貴族どもの力が強すぎる)
そのために血筋よりも実力を重視し、魔導士と言う一種劇薬的な存在を統括する魔道卿と、その社会的地位を保証するヴァーダー侯爵家が生まれたともいえる。貴族たちがその財力にものを言わせて魔導士戦力を囲いこまないように、予防線を張ったのだ。魔道卿にはそういう側面が確かにある。
それはさておき、このカンタルクでは貴族の発言力が強い。そのため王座に付く人物には、貴族に流されず惑わされず、この国を導くための器量が求められるのだ。
「残念ながら、あの小僧にそれがあるとは思えんがのう」
「ウォーゲン大将軍、人に聞かれますぞ」
老将軍のあまりに率直な物言いを、ビスマルクはさすがにたしなめた。しかし彼とてまったくの同意見なのだ。
(殿下がこのまま玉座におつきになれば・・・・)
この国は一部の貴族たちに私物化されてしまうかもしれない。
「まあそうならぬよう、陛下がご存命の内にあの小僧の意識改革を促すしかあるまいて」
老将軍の、妙にさばさばした物言いに、ビスマルクは神妙に頷くしかなかった。