第三話 糸のない操り人形⑦
「姉上、どうかしましたか?」
フロイトロースのその声で、アズリアは我に返った。視線を落とすと、膝の上に座ったフロイトがこちらを見上げている。
「あ、ああ。すまない。考え事をしてしまった」
今、二人は屋敷の書庫にいる。夕食後にフロイトがねだったので、ここで本を読んでやっているのだ。
フロイトは既に絵本を卒業したらしく、今読んでいるのは子供向けの小説だ。文字が大きく平易な言葉で書かれており、絵本ほどではないが挿絵も多い。船乗りの少年が宝の地図を手に入れ、仲間と協力しながら海賊たちと戦い、ついには財宝を手に入れて恋人と幸せに暮らす、という内容だ。
この屋敷に来てから、毎晩少しずつこうして読んでやっている。
「『水平線の彼方から、黒い帆を張りドクロマークの海賊旗を掲げた船が、こちらに向かってすごい速さで近づいてきます。・・・・・・・・・』」
続きを読む。けれどもアズリアの思考は、別のところへと離れていく。
『フロイトロース・フォン・ヴァーダーの足が動くようになるとはどういうことか、一度良く考えてみることだ』
あの、イスト・ヴァーレとかいう魔道具職人が去り際に言ったその言葉は、彼女の心に言いようのない影を落としている。
気にする必要はない。無視すればいい。そう分かっている。けれども、彼が語った言葉はそれを許さない。
『足、動かすだけなら方法はあるかもしれないぞ、と』
治すことは無理だ。けれども動かすだけなら、意外と方法はある。彼はそういったのだ。
ゆえに、アズリア・フォン・ヴァーダーは考えねばならない。
フロイトロース・フォン・ヴァーダーの足が動くようになったとき、自分にはどのような影響があるのか、ということを。
「『・・・・・船乗りたちは船の積荷を次々と海に捨てていきます。少しでも船を軽くして、海賊たちに追いつかれないようにするためです。・・・・・・』」
昨日、この屋敷の侍女長に泣かれた。
「アズリア様がいらしてから、お坊ちゃまは本当によく笑われます。あんな楽しそうなお坊ちゃまを見るのは初めてです・・・・・!」
そういって、侍女長は泣きながら自分に礼を言ったのだ。
歩けるようになれば、フロイトは喜ぶだろう。そして、もっと笑うようになるに違いない。恐らくは、王都フレイスブルグのヴァーダー侯爵家の屋敷で生活するようになるのだろう。今現在のように、日陰者扱いされることもなくなる。
足さえ動けば万事うまくいきフロイトは幸せになれる、などと安直に考えられるほどアズリアは子どもではない。足が動こうがそうでなかろうが、苦労も苦痛も後悔も苛立ちも、経験していかなければならない。けれども少なくとも歩ければ、その苦労も苦痛も後悔も苛立ちも、前向きにしていけるのではないかと思うのだ。
「・・・・・突然、空に黒い雲が現れました。風が強くなり、雨が降り始めます。雷の鋭い光と大きな音が響くと、雨がさらに激しくなりました。・・・・・・」
フロイトの足が動くようになったら、ビスマルクは喜ぶだろうか。
アズリアがヴァーダーの姓を名乗るようになってからおよそ一年半。ビスマルクは一度として父親の顔を見せはしなかった。彼は良くも悪くも厳格な魔道卿で、その領分を越えてアズリアと接することはなかった。
だから、フロイトが歩けるようになったからといって、ビスマルクが感情を表に出して喜んでいる姿をアズリアは想像できない。もっともこれは、多分にして彼女の独断と偏見に基づく予想だが。
まあ、それでも、嬉しいか嬉しくないかの二択を突きつけられれば、嬉しいと答えるのだろう。彼とて人の親。それくらいの感情は持ち合わせているはずだ。これもまた、多分にして彼女の独断と偏見に基づく予想だが。
ノラ夫人はどうだろう。アズリアとノラにはほとんど接点がない。この一年半の間、姿を見かけることは稀だったし、挨拶程度の簡単な会話でさえ、あるいは両手の指の数ほどもしていないかも知れない。
アズリアとしては積極的に彼女を避けたつもりはないが、あるいはノラのほうがアズリアを避けていたのかもしれない。
ゆえに、アズリアはノラ夫人の人となりを知らない。だが、なぜ彼女がヴァーダー侯爵家に来たかは耳に入っている。そういう類のゴシップは、たとえ耳を塞いでいても聞こえてくるものだった。
だからきっと、ノラ夫人はフロイトが歩けるようになれば喜ぶだろう。彼女の父であるヴィトゲンシュタイン伯ともども、狂喜すると言ってもいいはずだ。
喜んで、狂喜して・・・・・・、どうするのだろう・・・・・。
「『・・・・・突然の嵐を切り抜けると、海賊船の姿は見えなくなっていました。船員たちはほっと安心しました。さらに、嬉しいことがおきました。鳥が見つかったのです。その鳥は、陸地の近くにしか住んでいない鳥でした。・・・・・』」
では、翻ってわが身はどうだろう。この、アズリア・フォン・ヴァーダーは。
もちろんフロイトが歩けるようになれば嬉しい。嬉しいに決まっている。
アズリアがヴァーダーの姓を名乗るようになった、そもそもの理由の一つはフロイトが生まれつき歩けなかったからだ。少なくとも彼女はそう思っている。そして、その意識は常に小さな痛みをアズリアに与え続けている。フロイトロース・フォン・ヴァーダーの不幸と苦しみの上に今の、少なくとも世間一般には恵まれているといえる、自分がいる。そういうふうに考えてしまうのだ。
これは、はっきりと分かる。
(わたしは、フロイトに負い目を感じている・・・・)
フロイトが歩けるようになれば、この負い目から解放される。だから嬉しいのだろうか。そう考えると鬱になる。なんだか、彼を純粋に祝福できていないようで。
(自分が楽になりたいがために、フロイトの足が動くことを望んでいるみたいだ・・・・・)
それは、嫌だ。
「『・・・・・・その日の夕方、彼らは島に着きました。どうやら、ここが宝の島のようです。急ぐ必要はないと思った船長は、みんなにキャンプの準備をさせました。ですが、彼らは知りません。海賊たちもまた、この島に流れ着いていることを』」
そこまで読んでパタンと本を閉じる。
「今日はここまでにしよう」
フロイトは「もっと」せがんだが、夜も更け彼にはもう寝る時間だ。不満げなフロイトも、また明日と約束すると納得してくれた。
弟を部屋に送ってから、アズリアも自室に下がる。本来は客室なのだが、ほんの数日でもそこで生活すれば愛着が沸く。
(そういうことにこだわるタチではないと、自分では思っていたのだがな・・・・・)
思えば士官学校の寮を出るときも寂しく感じた。
ベッドに腰を下ろし、再び考え始める。
フロイトの足が動くようになり、彼が歩けるようになれば、自分は彼を祝福できるだろう。しかし、その祝福はともすれば自分の負い目からくるもので、心から喜んでいることにはならないかもしれない。
「心から祝福してあげたいのだけれど・・・・・」
そのために、何か理由がほしいと思った。けれども何も浮かばない。いや、そうやって理由を求めること自体が、なにやら不純な気がするのだ。
ふと、思う。
歩けるようになったフロイトを、心から、負い目とか関係なく祝福してあげたいと思うこと。それは我儘なのだろうか。
(そうかもしれないな・・・・)
結局それはアズリアの問題であって、フロイトの問題ではない。
歩けるようになるのも、それによって環境ががらりと変わるのも、全てはフロイトの問題だ。わたし、アズリア・フォン・ヴァーダーは結局それを外から眺めていることしかできない。わたしが何を思っていたとしても、それでフロイトが歩けるようになるわけではないし、その逆もまたしかりだろう。
二つの違う問題を、ごっちゃに考えていたから悪かったのだ。そう思うと、なにやら気が楽になった。
(フロイトの問題が解決したことを喜べばいい。わたしのほうは、まぁおいおい・・・・)
ひとまず結論らしきものが得られたことに、アズリアは満足した。