第三話 糸のない操り人形④
悪夢を見た夜から数えて二日後、イストはカンタルク王国サンバント州のとある町に来ていた。
朝食が終わり、人々が本格的に働き出す時間帯だ。乾いた空気は心地よく、青く澄み渡った空は、人々の営みを祝福しているかのようだ。
イスト・ヴァーレはご機嫌だった。しかも、この清々しい陽気とはまったく関係のない理由で。
「・・・・本当に・・・・よろしいのですか・・・・・?」
呆れを通り越し、もはや驚愕の域に達した酒屋の店員の女性がイストに再度確認する。
「うん、よろしく~」
「はぁ・・・・」
彼女の前には空の魔法瓶が並べられている。
魔法瓶は中に入れた液体の温度や品質を一定に保つ効果のある魔道具だ。この時代、ガラスは比較的普及していたが、それでもある程度値が張った。つまり、お酒を買うたびにガラスの入れ物も買っていると、結構な出費になるのだ。そこで、魔法瓶などの容器を自分で用意して、酒屋に買いに来る客が多かった。
そういう意味では目の前のこの客も、一般的な部類に入るのだろう。
その、魔法瓶の数さえ考えなければ。
カウンターに並べられた魔法瓶は、軽く三十本はあるだろう。さらに彼の足元をのぞけば魔法瓶を納めた木箱が一つ二つ・・・・・。
どんだけ買う気ですか・・・・・・。
「では確認しますが、赤ワインと白ワインがそれぞれ十本ずつ、ブランデーとウィスキーが五本ずつ、残りはワイン以外の果実酒や各種リキュールを、でよろしいのですね」
「そそ、それでよろしく」
では、といって店員は奥に下がっていった。一人では手に余るから応援を呼びに行ったのだろう。すぐに複数の店員が出てきて作業を始めた。カウンターの奥にある酒樽から魔法瓶にお酒を移していく。
「いやいや、香りさえ久しぶり」
とは言っても三日程度の話だが。
「そういやさ~、町の外れに結構いいつくりの屋敷があるよな」
芳醇な香りを楽しみながら、イストは店員に声をかけた。
「ああ、ヴァーダー侯爵の別荘ですよ」
ヴァーダー侯爵と聞いて、イストは頭の端っこでホコリを被っていた情報を引っ張り出す。確か、カンタルクの魔導士の親分だったはずだ。
「親分って・・・・・。まぁ、似たようなものですが」
店員の話によると、ヴァーダー侯爵自身があの別荘に来ることは稀らしい。今のヴァーダー侯爵であるビスマルク卿は一度も来たことがない。
「じゃあ、あの屋敷は使ってないのか。もったいない」
「いえ、ご子息のフロイトロース様があの屋敷で暮らしておいでです」
ビスマルクとその夫人ノラの間に生まれた子供、それがフロイトロース・フォン・ヴァーダーである。魔道卿の子として生まれ、当然のことながら次期魔道卿そして次期ヴァーダー侯爵になることを期待される身である。だが今現在、彼には欠片の期待も寄せられていない。
なぜなら、フロイトロース・フォン・ヴァーダーは生まれながらに足が不自由だったからである。
ビスマルク卿は、というよりもノラ夫人は考えうる限りの手を尽くしたらしい。国中の名医を集めて息子の足を治療させようとした。だが、帰ってきた答えはいつも「治療は不可能です」という答えだった。
また、治せそうな魔道具も探した。だが、見つからなかった。夫たる魔道卿の情報網を用いてもフロイトロースの足を治せそうな魔道具は見つからなかったのである。
万策尽きたとき、ノラ夫人は自身の息子をこの王都から遠く離れたサンバント州の別荘に移した。いや、「移した」という表現は穏当すぎるだろう。「軟禁した」というべきであろう。少なくとも彼女は自身の「汚点」が一生涯人の目に触れないことを望んでいたのだから。
フロイトロースがあの町外れの屋敷で暮らすようになってから、今年で四年がたつという。今年で八歳というから、およそ人生の半分をあの屋敷で過ごしたことになる。だが、彼の感じ方は恐らくこうだろう。
「物心ついた頃からずっと」
幼い貴族に同情するように中年の女性が口を開く。
「きっと、ご両親のお顔もお声もご存知でないのだろうねぇ・・・・」
イストはただ肩をすくめただけだった。他人がどれだけ不本意な境遇にあろうとも、彼は興味を示さない。そこから抜け出すかどうか、そういう選択を含めそいつの人生だと割り切っているからだ。
「やりたいことは誰かから許可を貰って、まして命じられてやるもんじゃない」
そう、イスト・ヴァーレという人間は考えている。
「最近、何か変わったことは?」
フロイトロースの話しに一区切りを付けて、イストは話題を転じた。
「そういえば・・・・・」
フロイトロースの腹違いの姉にあたる、アズリア・フォン・ヴァーダーがあの屋敷に来ているらしい。
「へぇ・・・・・」
彼女の話は、カンタルク王国に入ったばかりのイストも聞いている。さすがに貴族のゴシップは広がるのが早い。
(おもしろくなりそうじゃないか・・・・・)
イストは内心、ほくそ笑んだ。
ちょうど、魔法瓶にお酒を移す作業が終わった。代金は三八ミル(銀貨三八枚)で、およそ一シク(金貨一枚)だ。酒代に金貨を使うという、一般人には到底考えられないお金の使い方をして、イストは酒屋を後にしたのだった。