第三話 糸のない操り人形①
「入れ」
執務室の向こうから重厚な声がした。その声だけで既に威厳が満ちており、精神的に混乱しているアズリアは声だけで押しつぶされそうになった。
緻密な彫り物細工が施された扉を開け執務室に入る。そこに魔導卿ことビスマルク・フォン・ヴァーダー卿がいた。
年の頃は四十の始めくらいだと聞いた。しかし気苦労のためか、髪の毛には一筋の白髪が混じり、顔にはしわが現れている。だが、その眼光は研ぎ澄まされた剣のように鋭い。その視線を向けられたアズリアは思わず後ずさりそうになる。五臓六腑を刺し通し切り分けるかのような視線だ、とアズリアは思った。
「私がビスマルク・フォン・ヴァーダーだ」
「・・・・・・アズリア・クリークです」
かたくなにクリークの姓を名乗ったアズリアにビスマルクはなにも言わなかった。
「エルマーから話は聞いているな」
「・・・・・はい」
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あの後、アズリアがビスマルクの娘だと知らされた後、それでもアズリアは抵抗した。何の証拠があるのかと。
「クレア・クリーク様からお手紙を頂きました。自分が死んだ後、娘を頼むと」
その手紙を見せてもらうと、確かに死んだ母クレアの筆跡であった。日付は二年前の母が死ぬ二ヶ月前のものだ。
「母が下働きをしていたのは、ヴァーダー侯爵家だったのですね・・・・・」
自身の出生の秘密が明らかになっても、少しの嬉しさもなかった。あるのはただの苦さだけだ。
「で、ですが、わたしがビスマルク卿の実の娘だとして、それでも不可解です」
動揺しつつもアズリアは冷静であろうとした。魔導卿になるには、ヴァーダー侯爵家を継ぐには実力が何よりも重要だと、さきほどエルマー自身がそう言ったではないか。そしてそれは魔導卿たるビスマルクが誰よりもよく理解していることだろう。
「なのになぜ未熟者のわたしに目をつけるのです」
もっとふさわしい魔導士を、もっとふさわしい時期に選んで魔導卿の地位に据えればよいではないか。げんにビスマルクもそうして魔導卿に、そしてヴァーダー侯爵になったはずだ。
「魔導卿になるために必要な資質は魔導士として優秀なことだけではありませんからな」
魔導士たちを束ねる立場にある魔導卿は、カンタルク王国国内における魔道具の管理をもおこなっている。そのため魔道具の製造から販売にいたる流通の全て、また素材の価格や種類にいたるあらゆる知識が必要なのだ。
また、軍内部に強力な発言力がある以上、魔導士以外の運用についても知っておかなければならない。それだけではなく周辺諸国とのパワーバランスや、はてには外交関係までをも考えねばならないのだ。
「旦那様はヴァーダー家の養子となられる前は魔導士一本のお方でして、そのため色々と苦労なされたのです」
それゆえ、早い段階から魔導卿に必要な教育を受けさせようというのだ。そのためには若い方がいい。
「だからこそ、貴女が選ばれたのです。アズリアお嬢様」
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「午前は講義だ。魔導卿に必要な知識を学べ。午後からは魔導士の訓練。時間があれば私も稽古をつけてやる。夜は社交界のマナーを身につけろ」
淡々と、事務連絡のように淡々とビスマルクは告げた。
「何か質問はあるか」
「・・・・・・なぜ今になってわたしを呼んだのですか・・・・・・」
搾り出すようにして、アズリアはいった。
「必要になった。だから呼んだ。それだけだ」
アズリアが何も言わないのを見ると、ビスマルクは彼女に下がるように命じた。執務室の扉が完全に閉まってから、エルマーは主に少々非難めいたことを言った。
「少し・・・・・冷たすぎるのではありませんか・・・・・」
諸事情とさまざまな思惑が複雑に絡まって此度の事態になったとはいえ、父と娘の初めての対面である。もう少しそれらしい言葉や態度があってもいいのではないか。
ビスマルクはただ「フッ」と笑った。それは嘲笑の笑いではなく、面白がるような笑い方だった。
「あれも私を父だなどとは思いたくなかろうよ」
先ほど見た自分の娘を思い出す。恐らくは母親似だろう。自分に似なくて良かったと思うのは親馬鹿に似た心境かもしれない。
「しかし運が悪い・・・・・」
手紙を受け取るまでもなく、かつてこの屋敷で下働きをしていたクレア・クリークが自分の子どもを産んでいることは知っていた。よほどのことがない限り干渉するつもりはなかったが、それは逆を言えばいつでも手を出す準備は出来ていたということだ。
「士官学校に入らなければ、魔導科に入らなければ、首席にならなければ・・・・・・」
こんな、およそ考えうる最悪の形で手を出すことはなかった。
「本当に、運が悪い。が、諦めてもらうほかないな」
「旦那様・・・・・」
「魔道具は好きなものを選ばせてやれ」
感傷に浸るのは終わりだ。魔導卿として、ヴァーダー侯爵としてやるべきことは際限なくあり、そして自分にはそれをこなし続ける責務がある。
「御意に」
エルマーが下がると、ビスマルクは仕事に戻った。
やるべきことは多く時間は少ない。魔導卿とは、ヴァーダー侯爵とは、貴族という言葉から連想されるほどに優雅な存在ではない。いうなれば純然たる役職なのだ。