第二話 モントルム遠征⑬
レヴィナス率いるオムージュ方面遠征軍は、ついにオムージュの王都ベルーカに入った。すでに降伏する旨が届けられており、大きな混乱もなくレヴィナスは入城したのであった。
ベルーカに入ってすぐ目に付いたのは、建設途中の建物であった。既に八割がたが完成しているらしく、大まかな造形は見て取れた。
「あれは、劇場か何かか・・・・?」
心の琴線にふれるものがあったらしく、レヴィナスの言葉は熱を帯びている。
「そういえば、オムージュ国王コルグス陛下は優れた才をお持ちだと聞いたことがあります」
そういいながらアレクセイもレヴィナスの視線を追いかけた。その建物は壮麗にして荘厳で、なるほど完成すれば傑作と呼ぶにふさわしい姿となるだろう。
王宮に入ると、レヴィナスはまず部屋を一つ一つ見て回った。廊下を歩けばあちらこちらから黄色い悲鳴が聞こえ、すれちがう女官たちは魂を抜かれたように惚けて立ち尽くした。皆、レヴィナス・アルジャークのその美貌にあてられたのである。
とある部屋に入ると、そこには美しく着飾り正装した一人の姫君がたたずんでいた。アーデルハイト王女その人である。
「姫の評判はアルジャークにも届いております。いずれお会いしたいと思っておりました」
万人を魅了する笑顔でレヴィナスは亡国の姫に挨拶をした。
「もったいないお言葉でございます」
姫の言葉は丁寧であったが卑下た様子はいなかった。それから二人はしばらくの間、語り合った。レヴィナスはこういう場での話題を数多く知っていたし、なにより話術が巧みであった。アーデルハイトもまんざらではない様子であった。何よりも目が熱っぽく、表情が生きいきとしている。レヴィナスが平素の彼女を知っていれば驚いたであろう。実際、彼女の部屋で給仕をしていた女官は驚いていた。
「姫様のあのようなご様子は初めて見ました」
レヴィナスの美貌よりもそのことに驚いたというから、ただ事ではあるまい。
「何か不自由されることがあれば、遠慮なく申されよ」
名残惜しそうにするアーデルハイトにそう声をかけ、レヴィナスは辞した。
その日の晩餐に、レヴィナスはコルグスを招待した。彼に建築の才があることを知ったレヴィナスが話を聞きたいと思ったのだ。
「それはそれは。光栄ですな」
現れたコルグスはすっきりとした表情をしていた。「憑き物が落ちた」という表現が合うかもしれない。国家という重圧から解放された人間は、こういう表情が出来るのかもしれない。
レヴィナスは凱旋途中に見た建設途中の建物をしきりに褒めた。やはりあれは劇場だったらしい。
「完成すれば東国一、いや大陸一の名作として後世までその名を轟かすでしょう」
さらにあの劇場の基本設計をコルグス自身がおこなったことを知ると、レヴィナスはさらに驚き彼を賞賛した。
コルグスとしても彼が二十年以上をかけて進めてきた肝いりの計画が、この麗人によって評価されたことが嬉しかったらしい。全国各地で同時進行させている建築計画の図面をレヴィナスに見せ、凝らされた数々の意匠とこだわりを熱っぽく語った。レヴィナスも自身のアイディアを告げたりと、二人の議論は自然と白熱していった。
「ケーヒンスブルグに凱旋したあかつきには、私はおそらく父上からこの旧オムージュ領の総督に任命されるでしょう。そのときには是非、貴方にこれらの計画の仕上げをお願いしたい」
レヴィナスは若干興奮気味に亡国の王に求めた。
コルグスは一瞬、押し黙った。レヴィナスの申し出が癇に障ったから、ではない。戦に負けたにせよ一国の王であった者に征服者の下で働け、というのは普通侮辱以外の何者でもなかろう。しかし、コルグスがもっとも心血を注いできたのは、なにを隠そうこれらの一連の建設計画なのである。その最後の仕上げが自分で出来るのであれば、それはむしろ僥倖であるといえる。
しかし彼は首を振り、若い征服者の申し出を断った。
「亡国の王であった者が大きな事業を任されたとあっては、部下の方々が不満に思われましょう」
彼も一国を治めていた王。こういった政治的な考え方は嫌というほどしてきたのだろう。だがレヴィナスは諦めなかった。
「では、アーデルハイト姫を私にくださらないか」
無論、妃として迎えたいという意味である。
「なんと、娘を・・・・」
コルグスは絶句した。
「左様。そうすれば貴方は私の義理の父。誰も文句は言いますまい」
悪い話ではない。それどころか格別にいい話といっていい。
レヴィナスはアルジャーク帝国の皇太子である。その彼とアーデルハイトが結婚し、その間に生まれた子供が将来的にアルジャーク帝国の版図を受け継ぐことになれば、オムージュ王家の血統は考えうる最高の形で守られる。それにレヴィナスがアーデルハイトを娶れば、旧オムージュ王国の臣下や国民も新しい為政者であるレヴィナスを受け入れやすくなるだろう。
それにレヴィナスが言ったとおり、コルグスが建設計画を取り仕切っても不満が出ることはあるまい。
そう、これはいい話なのだ。オムージュという国とコルグス個人の両方にとって。
コルグスは立ち上がり、たたずまいを正した。そして若く美しい征服者に、また彼の義理の息子とも主君ともなる人物に深く頭を下げた。
「娘のこと、国民と臣下のこと、全てお願い申し上げる」
レヴィナスは鷹揚に頷いたのであった。