第二話 モントルム遠征⑦
オムージュへの援軍がモントルムの王都オルスクを出立したその日は、まるで彼らの出陣を祝うかのような快晴であった。かねてからの計画通り、この援軍五万はラーゴスタ自身が率いており、親征である。
馬上でラーゴスタは上機嫌だった。全て彼の計画通りにことが運んでいる。最後の大仕事はオムージュ軍と共にアルジャーク軍十四万を撃退することであるが、それも勝利が約束されたかのような気分である。
(アルジャークの小僧の悔しがる姿が目に浮かぶようだ。己の不明を恨むがよい)
しかし彼こそが己の不明を恨むことになるのである。
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その日の夜は新月であった。雲は少なく無数の星が輝いているがみえるが、やはり暗い。そのせいか野営の陣のあちこちで燃やしている焚き火がやたらと目立った。
(月明かりがあればもう少し進めたのだがな・・・・・)
オムージュへの援軍は早ければ早いほど良い。夜を徹して進みたい気持ちもあったが、この暗がりを進むのは危険だ。
(まぁ、疲れ果てた兵を連れて行っても役に立たぬしな・・・・・)
そう考えることで自分を納得させ、ラーゴスタは杯をあおった。中身はモントルムの誇る白ワインだ。行軍の初日ではあるが、うまくアルジャークの小僧を出し抜き気分を良くしたラーゴスタは早速一本目を開けたのだった。
程なくして軽く酔いが回り始めたラーゴスタはそのまま天幕の中に横になった。今アルジャーク軍はダーヴェス砦にいる。敵襲の心配は無い。全ては計画通りである。
いい夢が見られそうであった。
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「ここから西におよそ五キロのところに篝火が多数認められました。恐らくはモントルム軍の野営かと」
アールヴェルツェは斥候の報告を聞くと一つ頷いた。そして全軍に出陣を指示した。
「よいか、音を立てるな。馬にはくつわをかけて嘶きをたてさせるな。兵は葉を口に挟んで落とすな」
夜陰に紛れアルジャーク軍が動く。ダーヴェス砦にいるはずの六万の軍隊が。
残念ながらラーゴスタの安眠は朝まで続かなかった。あるいは永眠とならなかったことを感謝すべきなのかもしれない。
鳴り響く銅鑼の音で彼は飛び起きた。
「敵襲!!」
見張りの兵が狂ったように叫び、同僚たちを必死にたたき起こしている。
一瞬、ラーゴスタの思考は停止した。敵襲?誰が我々に夜襲を仕掛けるというのか?いや誰が仕掛けられるというのか?
「アルジャーク軍襲来!」
彼は疑問の答えを兵士の悲鳴によって得た。
「くっ・・・・・」
背中に氷刃を差し込まれたような悪寒が走る。だがそれによってラーゴスタは冷静さを無理やりにではあるが取り戻した。甲冑を身に付けることもせず、彼は天幕から飛び出した。
「陣を整えよ!敵を防ぐのだ!」
だが、アルジャーク軍は速かった。いや、モントルム軍がアルジャーク軍の接近に気づくのに遅れ、距離が縮まったのだ。それは新月だったことが要因の一つだし、アルジャーク軍を率いているアールヴェルツェが音を立てないよう、細心の注意を払ったからでもある。
満足な陣容を整えることができないまま、モントルム軍はアルジャーク軍と交戦状態には入ったのであった。
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ラーゴスタの計画は、共鳴の水鏡を用いた和平交渉で時間を稼ぎ、その間に援軍を整えオムージュに向かう、というものであった。仮に交渉がまとまっても合意文章が無いことを盾に白を切るつもりであった。
が、クロノワはそれを予想していた。いや、そういう風に誘導したといってもいい。
モントルムが生き残るにはどうしてもオムージュに援軍を送る必要がある。だがそれにはダーヴェス砦に入っている六万のアルジャーク軍が邪魔になる。この軍に動き回られると援軍を送るに送れなくなるのだ。
ゆえに、是が非でも足止めをしなければならない。
一方、クロノワたちにとって一番困るのはモントルム軍が王都オルスクに立て篭もってしまうことだ。王都を戦場にしてしまえば必ずや住民との間に軋轢が残る。それは今後の統治にしこりを残すことになるため、可能な限り避けたい。
かといって手をこまねいていては、レヴィナスの率いる十四万の軍が先にオムージュを制圧してしまう。
そうなると、援軍を送らせないという点では成功していても、クロノワの功績は小さく見られてしまうだろう。いや、クロノワ一人の話ならばそれでも良い。だがアールヴェルツェやグレイス達も同じように見られてしまうだろう。それはクロノワにとって望むものではない。
とすれば、どうにかしてモントルム軍をオルスクから引きずりださねばならない。
そこでクロノワが使ったエサが「共鳴の水鏡を使った交渉」であった。
本来の交渉で共鳴の水鏡を使わないことくらいクロノワとて知っている。それでもあえて用いることでアルジャーク軍はダーヴェス砦にいると相手に思い込ませたのだ。
こちらから「降伏しないか」と持ちかけた以上、モントルム側は和平交渉を申し込めば必ず乗ってくると判断したはずだ。それに共鳴の水鏡を使ったことでラーゴスタがクロノワのことを青二才の愚か者と誤解したのも、アルジャーク側にはプラスに働いた。まぁ、この時点では知らないことだが。
ダーヴェス砦にクロノワと共に残ったのは、当初戦力として数えていなかった補給部隊で、いわば弱兵である。これをグレイスが率いていた。
そしてアールヴェルツェはほぼ無傷の本隊六万を率いて王都オルスクへと向かっていた。当然そこから出立する援軍を野戦で叩くためである。
とはいえ六万の軍が移動しているのに気づかなかったのだろうか?それには三つ理由がある。
第一にモントルム側の消極的な思い込みである。
国王ラーゴスタをはじめとして廷臣たちは、アルジャーク軍はダーヴェス砦にいると思い込んでいた。もちろんそれらしい情報は入っていたが、彼らはそれを斥候かなにかぐらいにしか考えなかったのである。クロノワによって思考をそう誘導されていたとはいえ、柔軟性を欠いていたといえる。
第二にダーヴェス砦にモントルムの詳細な地図があったことが挙げられる。
その地図を手に入れたことでアールヴェルツェはなるべく人目に付かないルートを選びながら移動することができたのだ。これは幸運というよりは砦を預かっていたウォルト・ガバリエリの不手際だろう。いかに配下の兵士たちに押し切られたとはいえ、こういった重要な書類は廃棄しておいて然るべきだったろうに。
あるいはこの事を悔やんで彼はこの後の栄達一切を拒んだのかもしれない。
第三にアールヴェルツェの行軍の仕方である。
彼は移動に際し周辺に斥候を放ち周到に情報を集め、なるべく人目を避けて王都オルスクを目指したのである。
これらの理由が重なり合い、王都オルスクにいるモントルムの首脳部はアルジャーク軍の接近を感知できなかったのである。
陣容をまともに整える時間が無かったモントルム軍は最初の接触でアルジャーク軍騎兵隊の突入を許してしまった。
アールヴェルツェが直接指揮している騎兵三万はまるで一つの生き物のようにモントルム軍の陣内を縦横無尽に動き回った。かと思えば数千の単位に分かれて敵軍を翻弄したり、分断したりしていった。
このときの状況について騎兵を率いていたアールヴェルツェ・ハーストレイトは後にこう語っている。
「とても暗く、人がいることくらいしか分からなかった。当然敵味方の区別など付かない。モントルム軍は歩兵が主体になっていたから騎兵には『指示があるまで歩兵は全て敵だと思え』といい、味方の歩兵には『騎兵には近づくな』と指示した」
同士討ちが起こったかどうかは記録されていない。
追い散らされるモントルム兵にアルジャークの騎兵は容赦なく戦斧を振り下ろし、槍を突き刺した。視界が赤いのは炎が広がったからか、舞い上がる血しぶきがそう見せるのか。騎兵が通り過ぎた跡にはただ死が残った。
分裂と集合を繰り返しながら戦場を駆け巡る騎兵。ここまで自由自在に動き回る騎兵は大陸広しといえどもアルジャークにしかいないであろう。その練度たるや他国の騎兵とは太い一線を画している。
モントルム王ラーゴスタはそのことを最悪の形で思い知らされたのであった。とはいえ、彼とて自軍が崩壊していく様を座して眺めていただけではない。
「騎兵の足を止めろ!とめてしまえば的でしかないぞ!」
無論、モントルムの兵士たちはそれを実行しようとした。が、そのつどアルジャーク軍の歩兵部隊に邪魔をされた。騎兵隊の側面を突こうとすれば長槍を持ったアルジャークの兵士たちがそれを阻んだ。兵をまとめようとすれば矢の雨が降り注ぎ、集結することなく散らされた。
アルジャークの歩兵はそうやって騎兵が動き回れるようサポートに徹した。
モントルム軍が崩壊するのにそれほど時間はかからなかった。もとより新月の夜である。一度暗がりに紛れてしまえば逃げるのはそれほど難しくは無い。一人またひとりと武器を捨て甲冑を脱ぎ捨て夜陰の向こうへと逃げていった。
歩兵部隊と合流したアールヴェルツェのもとに一人の男が引き出された。身に付けている甲冑はきらびやかで、身分の高いことを示している。
「モントルム国王、ラーゴスタ陛下とお見受けする」
「・・・・・これが一国の王に対する扱いか!」
アールヴェルツェは非礼を認めると彼を拘束していた兵士に下がるよう指示した。兵士たちは短く返事をしてラーゴスタを放したがすぐ後ろに立って睨みを利かせている。不審な行動をすればすぐに取り押さえるためだ。
「なぜ・・・・・貴軍がここにいる・・・・・。ダーヴェス砦にいるのではなかったのか」
「そう思わせるのがクロノワ殿下の策です」
アールヴェルツェからクロノワの策略のあらまわしを聞くと、ラーゴスタはうなだれた。
和平交渉中に兵を動かすとは何事か、と非難することもできない。完全にお互い様だからだ。いや、そもそも和平交渉など行っていないと突っぱねられるだろう。ラーゴスタ自身が最初に目を付けたとおり、共鳴の水鏡を用いて交渉を行うなど通常はありえないのだから。
クロノワはそれさえも計算に入れていたに違いない。
余談ではあるが、このモントルム攻略の一連の采配を通して世間はクロノワに対し「策略家」というイメージを抱くようになる。それさえも彼は利用していくのだが、それはまた別の話だ。
「世間知らずの青二才と侮り、策に乗せられたのは我であったか・・・・・」
こうしてラーゴスタは己が不明を悔やむこととなったのである。
モントルムは陥落した。