外伝 ロロイヤの遺産9
「禁じ手を使うわ……」
ロロイヤの遺産を守る封印。その封印を解除するための魔道具の試作三号機が惜しくも失敗に終わると、カスイは完全に据わった目でソウヒにそう告げた。本気、というよりはヤケである。
カスイの言う「禁じ手」とは、なにも危険を伴う手段ではない。むしろ、普通に考えていけば簡単に思いつく手段だ。つまり、「複数の魔道具の同時使用」である。
「姉さん、それは……」
「コレしか! もうコレしか手はないのよ!」
なぜカスイとソウヒは今まで失敗しながらもこの“禁じ手”を使おうとしなかったのか。それはひとえに魔道具職人のプライドだった。
ロロイヤが封印のために使っている魔道具は恐らく一つ。ならばこちらも一つの魔道具でそれを解除してみせる。言ってみれば、二人はロロイヤとの一対一の勝負に拘ったのである。だが、そんなことを言っている余裕はもうなくなっていた。
「勝負には負けても試合には勝つわ!」
勝てばいいのよ勝てば! とカスイはヤケクソ気味に吼えた。そんな姉の姿を見てソウヒは肩をすくめる。どうやら異論を差し挟む余裕はなさそうだ。もっとも、異論などもともとないが。
二人は早速、試作四号機の製作に取り掛かった。基本的には試作三号機と同じだが、補助となる魔道具をさらに四つ製作する。数によるゴリ押しである。やはり、あまりスマートな手とはいえない。
とはいえ二人ともその辺りの感傷は無視して作業を進めた。遺産にたどり着けないことには、手段に拘っても無意味なのである。
術式の部分に手直しをほとんど加えなかったこともあって、試作四号機とその補助魔道具は次の日には完成した。そしてその日の昼過ぎ、カスイとソウヒはロロイヤの封印に対して四度目の挑戦を敢行した。
「今度こそ、死にさらせ……」
据わった目をしながらドスの聞いた声でそう呟き、カスイは試作四号機と四つの補助魔道具を起動した。「だからロロイヤはとっくの昔に死んでいる」とツッコミを入れられる空気ではない。カスイもソウヒも、真剣な表情で“実験”を見守っている。
試作四号機と四つの補助魔道具を用いた封印の解除はひとまず順調に進んだ。試作三号機の時と同じく、いや少し早いくらいのペースで封印が不安定になり空間が歪んでいく。
「このまま……! このまま……!」
カスイは願うようにそう呟いた。やがて空間の歪みが拡大していくペースが鈍り始める。しかしまだ停止してしまったわけではない。遅々としたペースになっているが、それでもまた空間の歪みは拡大を続けている。
そしてついに、空間の歪みの向こう側から緻密な彫り物細工が施された木箱が現れた。
「きたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
カスイが叫んだ。しかしロロイヤの遺産が入っていると思われるその木箱は、なかなか歪みの向こう側から完全に現れてはくれない。それどころかようやく半分程度見えたところで動きが止まってしまった。
「こんなところでっ!!」
カスイが悲鳴を上げる。ここまできてまた失敗してしまうのか。こんなところでまた終わってしまうのか。それもうさすがに、我慢できなかった。
「こんのぉぉぉぉぉ!!」
そう叫んでカスイは右手を突き出した。彼女が突き出した手のひらに魔方陣が展開される。するとその魔方陣に吸い寄せられるようにして、木箱が少しずつ空間の歪みから這い出してくる。
カスイは展開した魔方陣の制御に全神経を集中していた。不安定になって“暴れる”封印に合わせ時々刻々とパラメータを変化させていく。少しでも制御を誤ればこの魔方陣自体が異物になってしまい、封印の解除はまたしても失敗するだろう。そんな事になったら頭の血管がまとめてぶち切れる自信があった。
「こ、れで……、どうよっ!!」
手応えを感じたカスイは一気に腕を引き戻した。その動きに合わせるようにして木箱が歪みから一気に出てくる。歪みから完全に抜け出し、そのせいで重力にしたがって落っこちる木箱をソウヒが慌てて確保した。
封印も完全に解除された。歪みは徐々に薄れてただの空間に戻っていく。見た目的には失敗したときとなにも変わっていないように見えるが、しかしもうモノクルや解析用の魔道具を使っても何も反応は帰ってこないだろう。なぜなら、もうここには何もないからだ。
封印が解除されたのに合わせて、試作四号機と四つの補助魔道具も動作を停止する。静かになった森のかなでカスイとソウヒはようやく手に入れた木箱を前に、二人で向かい合うように座った。二人ともしばしの間、無言である。
「「…………や、やったぁぁぁぁああああ!!!!」」
二人は同時に歓声を上げた。長旅が、そして封印の解析と解除のための努力が報われた瞬間である。姉弟は興奮気味に手を取り合って喜びを分かち合った。
「ついに……! ついにロロイヤの遺産とご対面ね!」
ひとしきり喜びを表現し終えると、カスイは満面の笑みを浮かべながらそう言ってようやく手に入れた木箱のほうに視線を向けた。それを聞いて、ソウヒも少しだけ表情を引き締めて木箱の方を見る。
改めて木箱をよく観察する。木箱の大きさは、縦が約三十センチ、横が約四十センチ、高さが約十五センチ、といったところか。全面に緻密な彫り物細工が施されている。恐らくはロロイヤの手彫り。術式的な意味も持っているのだろう。
木箱には金属の部品は一つも付いていなかった。つまり、鍵やちょうつがいはついていない。モノクルで観察するカスイも、この木箱が魔道具であることは間違いないが今は機能を停止している、といった。つまりこれ以上何かある、ということはなさそうだ。
「じゃあ、開けるわよ?」
カスイが緊張感のある声で厳かにそう宣言し、ソウヒも生唾を飲み込みながら頷いた。カスイの手がそっと木箱の蓋に触れる。蓋はほとんどなんの抵抗もなく開いた。
「「…………!」」
カスイとソウヒは無言で木箱の中を覗き込んだ。中に入っていたのは光り輝く黄金、ではなく。色とりどりの宝石、でもなく。記録にも残っていない新たな魔道具、でもない。そこに収められていたのは、「紙」だった。
重ねられた大き目の封筒が、二つ。そしてその封筒の上に、恐らくはロロイヤ直筆のメモ書きが乗っている。そして、そのメモにはこう書かれていた。
『封印の解析・解除に一時間以上かかった者、これで勉強のやり直し』
「「は……い……?」」
カスイとソウヒは頬を引きつらせながらかろうじてそう声を出した。そして恐るおそる、収められていた二つの封筒を一つずつ手に取り、その中身を確かめる。
カスイが確かめた封筒には「空間構築論」のレポートが、ソウヒが確かめた封筒にはロロイヤの作った封印用魔道具(やはり木箱そのものが魔道具だった)の詳細なレポートが収められていた。
どちらもロロイヤ直筆のもので、「狭間の庵」にも保管されていない、つまりまったく初見のレポートである。大変に貴重なものであることは間違いない。
しかし。しかし、だ。この封印を解除するためには「空間構築論」と「根源の法」がどうしても必要になる。つまり、封印を解除した者にとって、「空間構築論」のレポートを改めて渡されてもなんのありがたみもない。すでに知っている、知っていなければならない内容だからだ。
そしてなにより、「空間構築論」そのものは「狭間の庵」にもないが、それとほぼ同じ内容を記したものならば存在している。イストが「根源の法」を解析してまとめたものだ。つまりこの「空間構築論」には、ロロイヤ直筆であること以上にはあまり価値が無いことになる。
そして封印用魔道具(「封印の棺」という名前らしい)についての詳細なレポート。こちらは完全に初見である。ソウヒがななめ読みしただけでも、それは輝くばかりの知性と知識で埋め尽くされている。
(いや、これ結構面白い……)
そう思いながら、ソウヒはパラパラとレポートをめくる。しかしその様子はレポートに熱中しているようには見えなかった。
なぜなら、カスイとソウヒはすでに「封印の棺」を解析しきっているからである。もちろんそれは封印の解除に必要な部分を完全に解析したのであって、設計段階から詳細に記録されているこのレポートに及ぶものではない。
しかし、まったく同じものは無理でも、似たような機能をもつ魔道具ならば作ることができる。それくらい、詳細な解析がすでに済んでいるのだ。今更種明かしをされても、強い感動が生まれるはずもない。
つまり端的に言って。封印を解除してようやく手に入れたロロイヤの遺産は、しかし封印を解除したその瞬間に宝としての価値を失ってしまっていたのである。
あまつさえ。「勉強のやり直し」である。つまりロロイヤは封印を解除するためにどんな知識や技術が必要であるかを十分に知った上で、箱の中に収める“お宝”を選んだのだ。箱を開けたその瞬間に無価値になると知りながら。
本人にしてみれば、ちょっとした悪戯だったのかもしれない。しかしカスイとソウヒにとっては悪戯などでは済まされない。一ヶ月以上の時間をかけて封印を解除した結果が、コレなのだ。
「……ふ、ふふ……、ふふふ……ふ……」
ソウヒの横でカスイが不気味な笑い声をもらす。それを聞いてソウヒが引きつった顔を上げた。そして、次の瞬間。
「ムゥゥゥゥッキィィィィィ!!!!」
カスイが怒髪天を突く勢いで奇声を上げる。ようやく手に入れた遺産がお宝でなかったことに怒っている、わけではない。千年をかけたロロイヤの壮大な悪戯にまんまと引っかかってしまったことが悔しいのだ。
「おのれロロイヤァ!!」
「落ち着いて! 落ち着いて姉さん!」
悔しさのあまり手に持った論文を引き千切ろうとするカスイを、ソウヒは慌てて押さえ込む。これが、カスイとソウヒが初めての旅で行き着いた、結末だった。
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「…………と、まあ。そんな感じ」
ロロイヤの遺産を探す旅からシラクサに帰ってきたカスイとソウヒは、家で家族に土産話を話して聞かせた。もっとも話していたのは主にソウヒで、カスイのほうは遺産の中身を思い出したのか、ぶんむくれた不機嫌な顔をしてテーブルの上のお菓子をひたすら食べまくっていた。
「まあ、それは残念? だったわねぇ……」
ヒスイはそう言って頬にてを当てながら苦笑した。ただ、遺産の中身が期待外れだったことよりも、子供たちがこうして無事に帰ってきたことの方が彼女にとっては重要だった。
「でもあのレポートはやっぱり凄いんだ」
そう言ってソウヒは笑顔を見せた。ロロイヤの遺産である「空間構築論」と「封印の棺」の製作レポート。その中身はやはりというか、凄まじいものだった。大筋は予想通りの内容だったが、細かな点を見れば今まで知らなかったまったく新しい知識もあり、帰りの旅の途中はよく興奮したものだ。
なにより、その知識の伝え方が素晴らしい。天才と言うのは自分で理解している事柄を他人に教えるのが苦手だとよく言われるが、どうやらロロイヤは例外らしい。二つのレポートはどちらも非常に理解しやすいもので、それこそ本当にロロイヤから直接手ほどきを受けているかのようにさえ感じた。これほどまでに読む人間のことを考えたレポートというものを、ソウヒは今まで読んだことがない。
もっとも、だからと言ってロロイヤの性格がひん曲がっていることに疑いの余地はないが。この二つのレポートだって、言ってみれば「どれだけ理解していないか」を思い知らせるためのものだ。きっと意地の悪いことを考えながら書いたに決まっている。
「まあでも、書いた人はともかく内容はやっぱり凄いよ。ね、姉さん?」
「あ、そうだ! コハクにお土産買ってきたのよ!」
露骨に話題を逸らしつつ、カスイは妹のために買ってきたお土産を取り出した。オルゴールだが、鳴らすと人形が踊る仕掛けがついている。立ち寄った街にいたある名工の作品で、カスイの作った魔道具と交換してもらったのだ。
オルゴールの鳴らす音楽に合わせて踊る人形を見て、コハクは目を輝かせる。そんな妹の様子を見て、カスイは満足げな笑みを浮かべる。そんな姉の様子を見て、ソウヒはやれやれといった苦笑を浮かべる。そんな子供たちの様子を見て、ヒスイは幸せそうな微笑を浮かべた。
カスイがこうも露骨に話題を逸らすのは、やっぱりロロイヤの悪戯に引っかかったのが悔しいからなのだろう。もちろん彼女だって手に入れたレポートの価値は認めている。実際、ソウヒに負けないくらい彼女だってそれらのレポートを旅の中で読みふけっていた。
それでもやっぱり、引っかかったことは悔しい。しかも「時間をかけすぎだ」と千年を越えてダメ出しまでされてしまった。時空を超えられるのなら一発ぶん殴りに行きたいところだった。
「コハク、良かったな。……ところでソウ、その『封印の棺』のレポート、ちょっと見せてくれないか」
今まで黙っていたイストが、コハクに優しく笑いかけてから真剣な表情をしてソウヒのほうに顔を向けた。父の鋭い眼差しにちょっと動揺しながら、ソウヒは件のレポートを取り出してイストに手渡す。イストは真剣な表情のまま受け取ったレポートをものすごい勢いで読み始めた。いや、読むというよりは目的の箇所を探しているかのように見えた。
「……ここだな……」
そう小さく呟き、イストはレポートを熟読し始めた。カスイとソウヒは首をかしげながらも黙って父の様子を見守る。ちなみにコハクはオルゴールに夢中だった。
「……やっぱりな……、ったく……」
小さく悪態をついて、イストは顔を上げた。そしてカスイとソウヒの顔を見ると、唐突にこう言い放った。
「ど阿呆」
半眼で睨むようにしながらそう言われ、ソウヒは言葉に詰まった。カスイもそれは同じだったが、彼女はすぐさま父親にこう言い返した。
「なによ、ロロイヤの悪戯に引っかかったのは事実だけど、そんなこと言わなくたっていいじゃない」
そう言って喧嘩腰になるカスイ。ヒスイもいきなり暴言を吐いたイストに非難の視線を向ける。だがイストはそれらを気にした様子もなく「違う、そういう意味じゃない」といった。
「じゃあどういう意味よ!?」
「ロロイヤが本当に隠したかったのはレポートなんかじゃない。世界樹の森そのものだ」
イストがそう言うと、カスイとソウヒは「え?」と呟いて目を点にした。そんな二人にイストはさっきまで読んでいた「封印の棺」のレポートのある箇所を示して「ここを見てみろ」と言った。
「この術式は外部に充満している魔力を使って封印を維持するためのものだ」
イストの解説にカスイとソウヒは揃って頷く。それはレポートを読んだ二人も知っている。しかし、それがなんなのか。
「分からないのか? 普通ならこの術式は机上の空論でしかない。なぜなら外部に十分な魔力が存在していることなど、普通はないからだ」
しかし「封印の棺」は現実に存在し、この術式は机上の空論にはならなかった。なぜなら世界樹の森には世界樹が垂れ流しにする潤沢な魔力が存在していたからだ。つまり世界樹さえあればこの術式は机上の空論ではなくなるのだ。
恐らく、だからこそロロイヤは世界樹の森とこの術式を隠蔽しようとしたのだ、とイストは思った。
ロロイヤが生きた時代、教会は彼が書いた「空間構築論」をもとにして「人造神界計画」をぶっ立てていた。ロロイヤがその計画の全貌を把握していたとは思えないが、しかし彼はその計画の失敗を予想していた、あるいは知っていたはずである。そして計画の失敗を隠すために人柱が必要になることも。
だが世界樹とこの術式があればどうか。この二つがあれば、神子という情報漏洩に繋がりかねない要素を排除しても、計画の失敗を半永久的に隠し続けることができる。教会にとってはまさに喉から手が出るほど欲しい、まさに宝と言うべき存在だ。
そして教会が世界樹を手にしたらどうなるか。十中八九、教会は世界樹と世界樹の森を独占するだろう。だからこそ、ロロイヤは世界樹の森を隠そうとしたのだ。実際、その情報はこうして千年の間秘匿され続けてきた。
情報の秘匿に加え、ロロイヤはもっと直接的に世界樹の森を隠せないかと考えた。しかし森である以上、小物を隠すのとは訳が違う。そこでロロイヤは相手の目先を変えることにした。ダミーのお宝をでっち上げ、そちらに相手の注意を向けることにしたのである。そのダミーのお宝こそ、ロロイヤの遺産というわけだ。
世界樹の森の情報を秘匿しつつ、さらにそれでもその場所に行き着いた者が居た場合のために、そこに目先を逸らすための“お宝”を配置しておく。こうしておけば、森は“お宝”を隠すための場所としてしか考えなくなる。たぶんだが、森の周りの空間が歪んでループしていたのは、狙ったそうしたわけではなくイレギュラーだったのではないだろうか。
世界樹の森を隠す理由は、少なくともロロイヤが隠そうと思ったような理由は、千年の時を経てほとんど失われたといっていい。〈大崩落〉によって「人造神界計画」の失敗は公に露見し、さらに教会組織は瓦解した。もはやロロイヤが懸念したように教会が計画の失敗を隠蔽するために世界樹を独占するような事態は起こらない。
だが、世界樹の価値は少しも失われていない。
「ああ、もう……。世界樹と組み合わせればあんな魔道具もこんな魔道具も作れるじゃないか……!」
居ても立ってもいられない様子でイストはそう言った。少し考えただけでも革新的な理論や魔道具のアイディアが幾つも思い浮かぶ。魔道具開発において新たな時代が来ることをイストは予感した。しかしこうしている間にも世界樹の価値に気づいたどこかの勢力が独占しようと画策しているかもしれない。そう思うと、本当に居ても立っても居られなかった。
「今すぐ確保……!」
「はいはい、せっかく家族が揃ったんだから夕食はみんなで一緒に食べましょうね」
椅子から立ち上がり今にも飛び出しそうな様子のイストを、しかしヒスイは立ち上がった瞬間に彼の肩を掴んで座りなおさせた。そのあまりの手際の良さに、その場に居た彼女以外の人間が全員“ポカン”とした顔になる。
「さて、なにを作ろうかしら? スイ、ソウ。なにか食べたいものはある?」
「あ~、じゃあ、ええっと……」
さっそく夕食の献立を考え始めるヒスイ。どうやら魔道具の新たな時代が来るのは家族団欒の後になりそうだった。
―外伝・ロロイヤの遺産 完―
というわけで。
「外伝 ロロイヤの遺産」いかがでしたでしょか?
今回のお話には、考えてはいたけどまとまった分量の話にならなかったネタを色々と放り込んでみました。このお話をもって新月が考えていた乱世のネタはすべて出し切りました。もう逆立ちしたって出てきませんとも、ええ。
最後になりましたが、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!!