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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
外伝
185/187

外伝 ロロイヤの遺産7

この話を入れて、後三話で終わりです。

なので、金・土・日と投稿して終わりにしたいと思います。


どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 フロイトロース・フォン・ヴァーダーが父であるビスマルクの後を継いで魔導卿となってから、そろそろ五年の時間が経つ。カンタルクという国の情勢は思わしくないが、彼自身は魔導卿の職責を滞りなく果たしていた。しかしそれでも、フロイトは魔導卿と呼ばれるたびに苦いものを感じずにはいられない。


 フロイトには姉がいる。名をアズリアという。血は半分しか繋がっていないが、それでもフロイトは姉が大好きだった。しかしその姉を、彼はヴァーダー侯爵家から追い出してしまった。


 フロイトは小さい頃、足が悪く歩くことができなかった。母親であるノラは魔導卿の伝手を最大限に活用して彼の足の治療法を探したが、結局彼の足が治ることはなかった。そして息子の足が治らないことが分かると、彼女は息子を別宅の一つで養生させた。いや、養生と言うよりは幽閉と言ったほうがいい。少なくとも彼女は息子がそこから出てくることを期待も望んでもいなかったのだから。


 そんなフロイトのもとを訪ねてきたのが、腹違いの姉であるアズリアだった。彼女はフロイトを可愛がった。色々な話を聞かせ、また車椅子を押して庭を散策した。


 そしてなにより、アズリアはフロイトの足を治してくれた。いや、厳密に言えば治したわけではない。彼の脚は今なお、自力では立つこともできない状態だ。しかしアズリアは彼が歩くために必要な魔道具を用意してくれた。


 今にして思えば、その魔道具を作ってくれたのは数日前にフロイトの部屋を訪れた自称魔法使いだったのだろう。しかし、その魔道具を彼のもとに持ってきてくれたのは紛れもなく姉のアズリアだった。


 その魔道具を渡せば、フロイトが歩けるようになればどうなるのか、アズリアは十分に承知していたはずだ。そして実際、フロイトがブレイスブルグのヴァーダー侯爵家邸宅にやって着たその日、彼女はその家を出て行った。


 最初、フロイトはなぜアズリアがいないのか不思議だった。姉に会えないことが寂しくて、母親であるノラに「会いたい」と言ったこともある。しかしその時彼女は怖い顔をしてアズリアのことを罵り、そして「忘れなさい」とフロイトに厳しく言い聞かせた。以来、彼は母には姉の話をしなくなった。


 父であるビスマルクにアズリアのことを聞いたこともある。彼はただ彼女について「自分の意思で家を出た」とだけしか教えてはくれなかった。


 アズリアがなぜ家を出たのか、いや出なければならなかったのか理解できるようになったのは、フロイトが両親と暮らすようになってしばらくしてからだった。自分を取り囲む状況と、姉についての知識が増えるにつれて次第に理解できるようになったのである。


 その理由を一言で言ってしまえば、「フロイトが魔導卿になるためにはアズリアが邪魔だったから」である。彼女はそのことを十分に承知しており、そのため排除される前に自分から身を引いたのだ。


『僕が、僕が姉さんを追い出してしまったんだ……!』


 フロイトはそう考え、またその考えはある面で正しかった。さらに残酷なことに、それに気づいたときにはもうアズリアは死んでいた。より正確には「戦死した」とビスマルクから聞かされたのだ。


 フロイトは父を恨んだ。アズリアの人生を捻じ曲げ、そして最後には責任を取ることなくあっさりと捨てた父を恨んだ。しかしそれ以上に母を憎んだ。アズリアが家を出て行かなければならなかった、その直接の原因となった母を憎んだ。そして父を恨み母を憎んでも、それでもヴァーダー侯爵家の嫡子であることを辞められない自分を呪った。


 フロイトには両親への反発から魔導卿になることを拒んだ時期もあった。その時ビスマルクは何も言わなかったが、ノラは金切り声を上げてわめいていた。フロイトはいい気味だと思った。このまま自分が魔導卿にならなければ、姉の復讐ができるのではないかとも思った。


『それでは、アズリア様が身を引かれた意味がなくなるのではありませんかな』


 そう言ってやさぐれるフロイトを戒めたのは、侯爵家に古くから仕えている老執事だった。彼のその言葉にフロイトは悔し涙を流した。


 両親の、特にノラの思い通りになるのは嫌だった。しかし、アズリアがクズのために身を引いたことになるのは、もっと嫌だった。


 せめてアズリアが身を引くのが当然であるとフロイト自身が思えるだけの、結果が必要なのだ。そしてそのためには魔導卿になるしかない。


 だから、フロイトは魔導卿になった。魔導卿になり、その職責を十全に果たしてきた。そして周りからの評価も高い。国を支える柱の一つとして、彼は多くの人から頼りにされていた。


 しかしそれでも。フロイトは自分が魔導卿であることに苦さを感じずにはいられない。アズリアの人生を捻じ曲げ最後には戦死にまで追い込んだその椅子に、今自分が座っていると思うと生理的な嫌悪さえ感じる。まるでアズリアの屍の上に立っているような気分さえするのだ。


(唯一、よかったことがあるとすれば……)


 それは、ささやかながらも両親に姉の復讐ができたことだろうか。魔導卿の地位を継ぐと、フロイトは両親を半ば強制的に隠居させた。ビスマルクはともかく、ノラは外戚として魔導卿の職責に口を出すつもりであることがありありと分かっていたため、それを封じるべく地方の別宅に送ったのだ。その別宅はフロイトが幼少時代を過ごしアズリアと出会ったあの別宅で、彼なりの意趣返しだった。


 ビスマルクのほうは、むしろ自ら望むようにして隠居した。ノラは、みっともなくわめいた。自らの意思で家を出て行ったアズリアとは比べるまでもない往生際の悪さで、結局フロイトは最後の最後まで母に尊敬すべき点を見出すことができなかった。


 ビスマルクとノラをブレイスブルグの邸宅から追い出し、胸のすく想いは確かにした。その達成感は一日も保たずに萎んでいき、後に残ったのは苦さだけだった。そしてその苦さを、フロイトは今に至るまで抱え続けている。


 なぜアズリアは、侯爵家に居場所がなくなることを承知しながら、自分に魔道具を渡し歩けるようにしてくれたのだろうか。フロイト自身その疑問について考え続けたが、結局納得のいく答えを見出すことはできなかった。


 だからかもしれない。フロイトは考えてしまうのだ。「もし自分が歩けるようになりたいなどと願わなければ」と。願わずにいれば、もしかしたら姉さんは……。


「埒もない……」


 小さくはき捨てるようにそう呟いて、フロイトは頭を小さく振った。歩きたいと願わずにいることなど、あの頃の彼にはできなかった。願わずいるには、あの頃の彼はあまりにも幼すぎたのだ。


 深く、そして苦いため息を付くと、フロイトは椅子の背もたれから身を起こし執務机に向かった。夜はもう随分と更けてしまったが、今日中に決裁すべき書類が残っている。王であるゲゼル・シャフトが職責をほとんど放棄してしまっているため、大臣たちや魔導卿たる彼の仕事が増えているのだ。


 しばらくの間、紙をめくる音とペンを走らせる音だけが薄暗い部屋の中に響く。そして不意に、フワリと風が吹き机の上の書類が浮いた。それを見て、フロイトは不快げに眉を潜める。


(窓は閉めておいたはずだが……)


 フロイトは書類から顔を挙げ、そして目を見張った。自分一人しかいないはずの部屋の中に、いつのまにかもう一人分の人影があったのだ。


「何者だ?」


 緊張感を孕んだ声で、フロイトは鋭く詰問する。さらに曲者からは見えない位置で手を動かし、机の引き出しから護身用に用意しておいた短剣型の魔道具を取り出す。そして薄暗がりにいてよく見えない曲者の姿を、注意深く観察する。


 曲者はローブを目深にかぶっていて、その顔を判別することはできない。体格は小柄なように見えた。であれば女か、あるいは少年か。


 ふと、フロイトの脳裏に甦る光景があった。幼きあの日。唐突に訪ねてきた、自称魔法使いのあの男。曲者の雰囲気は、なぜか彼と似通っていた。


「アズリア・クリーク」


 曲者は唐突にそう言った。女の声である。しかもまだ子供であるように聞こえた。であるならばそれは彼女の名前であると考えるのが普通だろう。しかし、フロイトはそう考えることができなかった。


「なぜ、その名を……」


 曲者が口にしたその名前。「クリーク」と言う姓は、アズリアがヴァーダー侯爵家に引き取られる前と、そして侯爵家を出た後に名乗っていた名前だ。フロイトが知ってはいても、今の今まで耳にすることのなかった、姉のフルネームだ。


「彼女が今どうしているのか、知りたくはない?」


「……何を、言って……!」


 思わず、フロイトは立ち上がった。曲者の視線が少しだけ動いて彼が右手に持った短剣に向けられるが、フロイトはそれにも気づいていない。もしかしたら、自分が立ち上がったことにさえ気づいていないのかもしれない。


「姉さんは、死んで……!」


「アズリア・クリークは生きているわ」


 曲者はそう断言した。それを聞いて、フロイトは言葉を失い立ち尽くす。そんな彼を見て、曲者は不思議そうに言葉を続けた。


「知らなかったの?」


「小さな頃に、戦死したと聞かされて……」


 それを聞くと曲者は「ああ」と納得した様子を見せた。そしてしばらくの間考え込んだあと、おもむろに口を開いた。


「カンタルク軍の一員としてアルジャーク軍と戦ったアズリア・クリークは捕虜になったの」


 アズリアのほかにも捕虜はいた。全部で数百名ほどか。しかし国王ゲゼル・シャフト・カンタルクは彼らを見捨てた。国に帰れなくなった彼らをクロノワはアルジャークの国民として迎え入れ、旧オムージュ領のカンタルクとの国境近くに住まわせた。


「それは知っている。だが、その中に姉はいなかった」


 実は敗戦のあと、ビスマルクはオムージュに定住した元カンタルク兵たちのなかにアズリアがいないかと探したそうだ。結果として彼女は見つからず、また行方を知っている者もいなかったため、ビスマルクはアズリアが戦死したと結論し、またそのようにフロイトにも話したのである。


「アズリア・クリークはクロノワから直接アルジャークに誘われたの。今は……」


 そこまで言って、曲者の少女は思わせぶりに言葉を切った。目深にかぶったローブからかろうじて見える口の端が、にやりと笑っている。その意図はあまりにも見え透いていた。


「幾らだ?」


「お金なんて要らないわ。その代わり、教えてほしいことがあるの」


「……何を知りたい?」


 内心で警戒の度合いを上げながら、フロイトはそう尋ねた。情報と言うのは、ともすれば金貨の山よりも価値がある。魔導卿という地位にいる彼は、そのことをよく知っていた。確かに彼は人より多くのことを知っていたが、しかしその全てを軽々しく口に出せるわけではないのだ。中には墓場まで持っていかなければならない秘密もある。


「そんなに大したことじゃないわ。『世界樹の森』って聞いたことない?


「世界樹の森……。いや、聞いたことはないが……」


「じゃあ、なにか曰くつきの森について教えて」


 さして落胆した様子も見せずに、曲者は問い掛けを変えた。それから思い出したように「ああ」と言って言葉を付け加えた。


「『魔女がいる』とか、『悪霊が出る』とか、そういう類の話はいいから」


 少々うんざりした様子の曲者の声に、フロイトは薄く苦笑した。確かに、曰くつきの森について調べれば、そういう話が多く集まってくるだろう。そういう話にうんざりしているということは、彼女はもっと信憑性の高い情報を求めているに違いない。


「…………『迷いの森』、というものを知っているか?」


 数十秒ほど考え込んで、ようやくフロイトは記憶の底からその単語を拾い上げた。いつ聞いたのかは、もう覚えていない。


「知らないわ。詳しく教えて」


 曲者の声が、わずかに弾む。それを聞いて、フロイトは少し安心した。どうやら彼にとって重要ではない情報で何とかなりそうである。


「ラキサニアと旧オムージュの国境に、『迷いの森』と呼ばれる森がある」


 その森にはいつも深い霧が立ち込めていて、その霧は森の奥へ進むほどに濃くなり、伸ばした手の指さも見えなくなるという。それほどまでに濃い霧の中を進めば、容易に道に迷ってしまう。しかし「迷いの森」と言う名前はその霧に由来するものではなった。


「森の奥へと進み、霧にのまれて道に迷い、それでも歩き続けると、なんと入り口に戻ってきてしまうそうだ」


 決して森の最奥へはたどり着けない。最奥を目指すものを迷わし、入り口へと戻してしまう。それが「迷いの森」だった。


「へえ、面白いわね」


 そう言って曲者の少女は興味を示した。どうやら満足してくれたようである。


「では姉さんのことを、アズリア・クリークのことを教えてくれ」


「ええ、教えてあげるわ」


 機嫌よく、曲者の少女はそう言った。


 アルジャーク軍の捕虜になったアズリアは、皇帝であるクロノワからアルジャーク海軍に誘われた。そして彼女が赴任したのは、アルジャークの海洋権益の最前線となるシラクサ。


「シラクサ……。そこに、姉さんが……」


 オムージュで探しても見つからないはずである。ましてカンタルクは内陸国。海上の情報はなかなか入ってこない。優先順位が低いのだ。遠く離れたシラクサのことなど、端から眼中にないのである。


「アズリア・クリークは海軍士官としての訓練を受け、航海士になったわ」


 その一方で白銀の魔弓を手に魔導士としても活躍し、多くの海賊船を沈めた。その活躍から、海賊たちからは「ローレライ」と呼ばれて恐れられている。ただ、御伽噺のローレライが歌で船乗りを惑わし船を沈めるのに対し、アズリアは魔弓でどてっ腹に大穴を開けて沈没させる、随分と物騒なローレライだった。


「姉さんは、今はどうしている……?」


「結婚して、子供もいるわ」


 海軍には在籍しているものの、そのせいで船に乗る機会はめっきりと減った。海軍に所属する魔導士の指導が、今の彼女の主な仕事である。もっとも、海賊討伐の際には魔弓を手に船に乗り込み、ローレライの伝説に新章を追加し続けている。


「そうか、姉さんは……」


 椅子に座り込み、万感の思いを覚えながらフロイトは目を閉じた。死んだと思った姉が生きていた。それどころかアルジャーク海軍で活躍していて、結婚もして子供もいると言う。


 もちろん、それを聞いたからと言ってアズリアを追い出してしまった苦さが消えるわけではない。ただ少なくとも、彼女は可哀想な人ではなかった。自分の力で自分の人生を切り開いていける、強い人だった。それがフロイトには誇らしかった。幼きあの日に見たアズリアの微笑を、汚さずにすんだように思うのだ。


「最後にもう一つだけ教えてくれ」


 姉さんは幸せそうにしているのか、とフロイトは目を閉じたまま問いかけた。しかし帰ってくる返答は静寂のみ。彼がそっと目を開けると、そこに曲者の姿はなかった。それを見て、フロイトは小さく笑った。


 アズリアが幸せであれば、それはもちろん喜ばしいことだ。フロイトもまた、それを願っている。しかし彼女が幸せであるならば、それはある意味でフロイトにとっての言い訳になってしまう。


『幸せなのだから、もう思い煩うのはやめよう』


 そんなふうに考えてしまうかもしれない。もちろん、アズリアはフロイトが自分のことに囚われ続けることを喜びはしないだろう。しかしフロイトはこの負い目をなくしてしまいたいとは思わなかった。この負い目こそが、唯一つのアズリアとの絆であるように思えるのだ。


(そういえば、姉さんは僕の話を聞いたことがあるだろうか……?)


 フロイトの耳に、アズリアの話は入ってはこなかった。しかしアズリアの耳にはフロイトの話が入っているかもしれない。その時、彼女はどう思っただろうか。


『よくやったな』


 そう言ってあの笑顔を浮かべてくれれば嬉しい。幼かったあの日を思い出し、フロイトはそう願った。


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