外伝 ロロイヤの遺産4
「そういえばジルドさんって、さっきはお城から出てきたし、資料も『頼んでみる』なんて言えるってことは、もしかして結構エラい人?」
アルテンシア統一王国王都ガルネシア。世界の中でも飛びぬけて新しいこの街の大通りに面した開放的なカフェで、カスイは二杯目のお茶を飲みながらそう尋ねた。尋ねた相手の名はジルド・レイド。彼女の父であるイスト・ヴァーレの、旅仲間だった男だ。
「いや、偉くはないな」
そもそも自分は統一王国に正式に仕官しているわけではない、とジルドは言った。
「あれ? でもジルドさんは城から出てきたし、兵士の対応も丁重でしたよ?」
ソウヒは首をかしげながらそう疑問を口にした。あの兵士の対応からして、それなりの地位にいるのだとばかり思っていた。
「ふむ、なんと言うべきか…………。今のワシの身分は、陛下の個人的な顧問官、という形になっておるのだ」
陛下、というのはもちろん統一王国国王シーヴァ・オズワルドのことだ。ジルドはそのシーヴァから私的に雇われている(つまり給料が国庫から出ていないと言う意味)ので、「正式に仕官しているわけではない」のだ。
「あれはちょうど、シラクサでイストたちと別れてカルフィスクに戻ってきたときのことだな」
カルフィスクでジルドを待っていたのは、なんとシーヴァの使者だった。要件はスカウト。「未熟なこの国に力を貸して欲しい」。シーヴァ直筆の手紙にはそう書いてあったそうだ。
「でもジルドさんとシーヴァ……陛下は戦場で戦った間柄なんでしょう? そんな相手をわざわざスカウトしに来たの?」
カスイの言うとおり、ジルドとシーヴァはアナトテ山の麓でアルテンシア軍と連合軍(アルジャーク軍と十字軍の混成軍)が戦った際に、その戦場のど真ん中で死闘を演じている。結局、その戦いは〈大崩落〉が起こったことで決着はつかず引き分けに終わったが、「殺し合いをした相手をわざわざスカウトしようと思うだろうか」というカスイの疑問は尤もだった。
「ワシも陛下も、相手が憎くて戦ったわけではなかったからな……」
当時のことを思い出しながら、ジルドはそう語った。その時のジルドは、むしろシーヴァに感謝したいくらいだった。よくぞこれほどの高みに立ち、よくぞ自分と相対してくれた。強くなるほどに渇きを感じていたジルドにとって、自分の全力を受け止めてくれるシーヴァは運命さえ感じる相手だった。
そしてそれはシーヴァも同じだったのだろう。直接剣を交えたジルドはそう思っている。だからこそ、彼はそのスカウトの話を受けた。ただジルドが宮仕えの堅苦しさを嫌ったため、シーヴァの個人的な顧問官と言う形で彼の身分は落ち着いたのだ。
『つまるところ、シーヴァは友人が欲しかったのではないだろうか』
歴史家の中にはそんなふうに言う者たちもいる。確かにシーヴァは孤独だった。有能すぎた、と言ってもいい。シーヴァの能力は統一王国を建国し、またその基をすえる上で必要不可欠だったが、反面彼を理解できる人間はほとんどいなかった。
ジルドとてシーヴァの全てを理解していたわけではない。だが、彼の一面、つまり武人としての渇きは理解することができた。なぜなら同じものをジルドもまた感じていたからだ。その一面において、ジルドは確かにシーヴァを理解することができたのである。
加えてシーヴァには別の思惑もあった、と歴史家たちは見ている。つまりジルド・レイドという男が統一王国と敵対することを恐れたのだ。
どこかの勢力が統一王国と戦争をしようと思った場合、どうしても排除できない要素がある。それは「災いの一枝・改」を振るうシーヴァ・オズワルドその人だ。彼を封じ込めなければ戦争には勝てない。そう言っても過言ではないだろう。しかし万の兵をつぎ込んだとしても、彼一人を封じ込めることができるかどうか定かではない。
そこでジルド・レイドだ。たしかに彼は一介の剣士でしかない。しかしかのシーヴァ・オズワルドと互角に戦える唯一の剣士でもある。「シーヴァに一人で対抗できる」というただ一点において、彼は万の兵よりも価値のある剣士だった。
そんな彼が、例えばアルジャーク帝国に仕官したらどうか。それは統一王国にとって大きなリスクになる。そのリスクを最も確実に、そして簡単に回避する手段こそ、先にジルドをスカウトしてしまうことだったのだ。
「ふうん……、なるほどねぇ……」
興味がないのか、カスイは気のない返事をした。それから、目を輝かせながら身を乗り出してこう言った。
「それより、ジルドさんのことをもっと聞かせて」
そんなカスイを見てジルドは苦笑した。イストもそうだった。興味のない話にはとことん興味を示さず、逆に興味のある話には目を輝かせて食いついた。本当によく似た親子だとジルドは思った。
「ワシの話、と言ってもな。そう面白いものでもないぞ」
「ジルドさんは陛下の私的な顧問官という話でしたけど、普段はどんなことをしているんですか?」
そう尋ねるソウヒにジルドは「大したことはしていない」と答えた。最初は本当にシーヴァと話しをしたり、あるいは手合わせをしたりする程度だった。そのうちに兵士たちの調練にも付き合うようになり、今では月に十日ほど城に顔を出していると言う。
「じゃあ、それ以外はどうしているの?」
「最近では道場にいることが多いな」
「ご自分で開いた道場ですか?」
「いや、そういうわけではないのだが……」
ジルドが苦笑しながら言いよどむと、カスイの瞳が好奇心で光った。そして身を乗り出し、「そこのところ、もう少し詳しく聞かせて?」と詰め寄る。その遠慮のない食いつきに、ジルドはおどけたように両手を上げて肩をすくめた。
シーヴァの顧問官になりたての頃は、城にいないときは旅をすることが多かった。行き先は風の吹くままで、半島を出ることもあれば国内を巡ることもあった。ジルド自身旅をすることは好きだったし、またシーヴァが旅先の話を聞きたがった。恐らくそうやって情報を得ようとしていたのだろう。
あるときジルドはガルネシアから歩いて一日程度の距離にある街を訪ねた。いや、訪ねたと言うよりはガルネシアに向かう途中に立ち寄った、と言うべきか。ちなみに彼がその街を訪ねるのはこのときが初めてだった。ガルネシアからあまりにも近く、このときまでは逆に足が向かなかったのである。
ともかく彼はその街で一晩の宿を求めた。とはいえ、その街には宿屋がなかった。今はあるが、その当時はなかったのだ。代わりにあったのが一軒の剣術道場。稽古場を一晩貸してもらえればと思い、ジルドはその道場を訪ねた。
『どちら様ですかな?』
応対に出てきたのは六十代と思しき一人の老人だった。この道場の師範だという。ジルドが名前と要件を告げると、老人は快く一晩彼を泊めることに同意した。
『ところで旅の方。その腰の物を見るに、剣士ですかな?』
廊下を歩きながら、老人はジルドが腰に差した太刀に目を向けながらそう言った。
『自分の身を守れる程度には、嗜んでいるつもりです』
もしこの場に彼の旅仲間だったイストがいれば大いに呆れたことだろう。「おっさん、そりゃほとんど嘘だ」とでも言ったに違いない。そして意外にも、老人もまた同じようなことを口にした。
『なるほど。シーヴァ・オズワルド陛下と互角に打ち合えるほどであれば、確かに我が身を守るには十分でしょうなぁ、ジルド・レイド殿?』
少々からかうような笑みを浮かべながら老人はそう言った。それに対し、ジルドはとても笑う気にはなれない。見ず知らずの相手に自分の素性が知られている、というのは決して気分のいいものではなかった。
『そう警戒せんで下され。ジルド殿の剣気にあてられると、この老いぼれではポックリ逝ってしまいそうですわい』
この街はガルネシアから近い。加えてここは剣術道場。王の私的な顧問官になった剣士ジルド・レイドの話は自然と耳に入る、と老人は言った。
『ジルド殿は陛下がお認めになったお方。そのようなお方を招くことができようとは、大変な名誉でございますじゃ』
どうぞ一晩と言わず幾日でも滞在していってくだされ、と言って老人は深々と頭を下げた。そう言われてジルドもようやく警戒を解き、「ご厄介になります」と言って頭を下げた。
『色々と話を聞かせてくだされ』
老人はそう言ってジルドを居間に案内した。応接室などという洒落た部屋はないのである。案内された部屋には一人の娘がいた。老人の孫で、名はクラニス。両親は既になく、今は二人暮らしであるという。
『ジルド殿、どうか一つ、お手合わせを願いたい』
おそらく老人とジルドの会話が聞こえていたのだろう。彼が部屋に入るより早く、クラニスは彼の目を真正面から見て挑むようにそう言った。老人がたしなめるが、クラニスは目を逸らそうとはしない。
『…………いいでしょう』
数秒間、クラニスの挑むような視線を受け止めた後、ジルドはおもむろにそう言った。それを聞いてクラニスは「ありがとうございます」と言って頭を小さく下げる。ただその様子は間違っても喜んでいるようには見えなかった。むしろ彼女の目には憎しみが燻っているようにジルドには見えた。
もちろんジルドとクラニスはこれが初対面である。ジルドのほうに恨まれ憎まれる心当たりなどない。しかし、クラニスのほうもそうとは限らない。彼女のほうに挑む理由があるならば、自分にはそれを受ける義務がある。ジルドはそう思ったのだ。
『ジルド殿……。申し訳ありませんなぁ……』
そう言う老人には、やはり何か心当たりがありそうだった。しかしジルドはそれを聞こうとはせず、ただ「お気になさらず」とだけ言うとクラニスの背中を追った。
道場でクラニスとジルドは向かい合った。お互い、手に持った木剣を正面に構えている。一見すれば同じ構えだったが、師範でもある老人の目には二人の差は歴然としていた。
自然体で、まるで凪いだ海のように佇むジルド。それに対し、クラニスは気持ちがはやり抑え切れていないのが構えに現れていた。この時点で既に勝負は付いていると言っても過言ではなかった。
『はじめっ!』
老人が開始の合図をする。彼は勝敗はすぐに決まってしまうと思っていたが、その予想は裏切られた。ジルドが守勢に回ったのだ。彼はひたすら攻めまくるクラニスの攻撃を、一つずつ丁寧に受け止めていく。
やがてクラニスの息が上がってきた頃、ジルドの木剣が静かに彼女の首筋にそえられた。勝負あり、である。クラニスは一瞬わけの分からなそうな顔をしたが、老人の「そこまで!」という声を聞いて悔しげに顔をゆがめた。
『もう一回!』
叫ぶようにしてクラニスはそう言った。ジルドは無言で頷くと、最初と同じように静かに木剣を構える。クラニスも木剣を構えるが、その構えは最初よりも雑になっていた。
『やあぁぁぁぁああ!!』
クラニスは合図を待たずに動いた。不意打ち、ではない。そもそもこのときの彼女に、そんなことを考える余裕はなかった。クラニスは出鱈目に攻めまくり、そしてジルドは一つ一つの攻撃を丁寧に受け止めた。
そして立ち合いを重ねること、およそ三十回。最後はもう、立ち合いのていをなしていなかった。クラニスはボロボロと涙を流して泣き叫び、ジルドの胸を弱々しく叩いている。握っていたはずの木剣は、いつのまにか床の上に転がっていた。
やがてひとしきり泣き終えたクラニスは逃げるようにして道場から出て行った。そんな孫の姿を見送ってから、老人は深々と頭を下げながらジルドに声をかけた。
『申し訳ありませんでしたなぁ、ジルド殿』
『いえ……。あれでよかったのでしょうか』
『ええ、ええ。これでクラニスも気持ちの整理をつけることができたでしょう』
何度も頷きながら、老人はそう言った。そして居間に戻ってから茶を淹れ、とつとつと事情を話し始めた。
『クラニスの父は、二度目の十字軍侵攻の際と教会討伐の際に、陛下に従って従軍しておりました』
一度目の戦争、つまり第二次十字軍遠征のときは無事に帰ってきた。これはアルテンシア軍がゼーデンブルグ大要塞に篭って戦っていたことが大きな要因だろう。実際、この戦いにおけるアルテンシア軍側の損耗率は驚くほどに低かった。
しかし二度目の戦争、つまりシーヴァが親征した教会討伐の際には無事に帰ってくることはできなかった。
『右腕を、失っておりましてなぁ……』
当時のことを思い出したのか、老人は沈痛な顔をして首を振りながらそう話した。片腕、しかも利き腕だった右腕を失っては、まともに働くこともできない。幸い多額の見舞金が出ていたので生活していくことはできたが、しかし出征の前と後では生活は大きく変わってしまった。
さらに、恐らくはその傷が原因だったのだろう。クラニスの父は熱を出して床に臥せった。クラニスの必死の介抱にも関わらず、快方に向かうことはなかったという。しかしその病床にあってなお、彼は顔を輝かせながらこう話したという。
『シーヴァ陛下は素晴らしいお方だ。あの方の下で戦えたことは、私の一生の誇りだ』
特に、教会討伐の最後の戦いで、シーヴァが戦場のど真ん中で一人の剣士と切り結んだときの話は何度も話したという。
『あれほどの戦いは見たことがない。まるで武神同士が戦っているようだった。武芸の極みを見ることができた私は、本当に幸せだった』
わずかな嫉妬さえも見せることなくそう語ったと言う。しかしその話を聞けば聞くほどに、クラニスの心には暗いものが育っていった。
クラニスはシーヴァを恨んだ。これほどまでに彼に心酔しきった父を無事に帰してくれなかったシーヴァを恨んだ。誰も彼もがシーヴァを讃える中、彼女だけはシーヴァを恨んだ。恨んではいけない、お門違いだ、と思いつつも恨まずにはいられなかった。
そしてクラニスの父は病床から回復することなく死んだ。そして彼の死によってクラニスの中の恨みはさらに深くなった。しかしどれだけ恨もうともクラニスとシーヴァの間に接点などあろうはずもない。恨みはただ恨みのままで終わる、はずだった。
そんな時、二人の間に立って間接的にとはいえクラニスとシーヴァを結びつける人物が現れたのである。その人物こそ、他でもない、ジルド・レイドその人である。
『きっと、ジルド殿とシーヴァ陛下を重ねたのでしょうなぁ』
そう話す老人の言葉にジルドは苦笑した。彼自身としては「まさか」としか思えないが、しかしそれが真実だった。
そして少し考えてみれば、そう意外な真実でもない。クラニスは道場の娘で、立合いをしたことからも分かるように剣術を嗜んでいる。つまり武芸と言う物差しを持っているのだ。その物差しを使うとき、測るのは「武人」という側面になる。
武人としてのシーヴァ・オズワルド。彼に比肩する武人、ジルド・レイド。重ねて見るには十分であろう。
『クラニスは、恨むことに疲れておったのでしょう』
さすがに「誰を」の部分は省きながら老人はそう言った。自分の中の気持ちの悪い感情になんとか決着を付けたかったのだ。そんなときに現れたのがジルドだったのだ。
ジルドと立合うことでどんなふうに心の整理をつけたのか、それはクラニスにしか分からない。もしかしたら、父が命を賭けるだけの価値がシーヴァ・オズワルドという人間にはあったのだと納得したかったのかもしれない。ともかく、泣いた、泣けたということはある程度気持ちの整理は付いたのだろう。
『まことに、ジルド殿にはいくら感謝してもしたりませぬ』
そう言って老人はもう一度深々と頭を下げた。このことをきっかけにして、この先ジルドは度々この道場に泊まるようになった。最初はこの街に宿屋がなかったからだが、宿屋ができてからもこちらに泊まっていたのだから、彼の中で結構気安くまた居心地のいい場所だったのだろう。
ちなみに、この日の晩御飯はクラニスが部屋に閉じこもってしまったので、男二人で用意して非常にわびしいものになった。
「それだけ?」
カスイがそう言って詰め寄る。目を輝かせて。もっと聞かせろと無言でせがむ。お菓子をねだる子供のように。あるいは獲物を狙う獣のように。
「クラニスとはその数年後に結婚した」
苦笑を隠そうともせずにジルドはそう言い、それを聞いたカスイは満面の笑みを浮かべた。待ちに待ったお菓子にようやくありつけた子供のような、あるいはついに獲物を仕留めた獣のような笑みだった。
「それでそれで? 今はどうしているの?」
「子供も生まれてな。今は道場で門下生を教えながら、こちらにも顔を出している、といったところか」
観念して全てを話す、といったふうを見せながらジルドはそう答えた。それを聞いて満足したのか、カスイは乗り出していた身体を戻し少し冷めてしまったお茶を飲んだ。それを見てジルドは顔には出さず安堵の息を吐いた。
クラニスと結婚し、今は子供もいる。全て本当のことである。しかし、その前に一悶着あったことを、ジルドは話していない。というより、とてもではないが人に話せるようなことではなかった。
端的に言えば、襲われたのである。
ジルドの名誉のために言うが、いやこれで彼の名誉が守られているのかはなはだ疑問だが、襲ったのではない。襲われたのである。ジルドが、クラニスに。
いわゆる夜這いである。何度でも言うがジルドが夜這いをしたわけではない。クラニスがジルドに夜這いをかけたのである。そしてこれが決め手となってジルドはクラニスと結婚した。
(まったく……。この話は墓場まで持っていかねばならんな……)
女人に寝込みを襲われるなど、一生の痛恨事である。内心で苦いため息を付きながらも、しかしクラニスのことを嫌いになれないのは惚れた弱みと言うヤツか。
ジルド・レイドを統一王国に招いたのはシーヴァ・オズワルドだった。しかし、旅好きで風来坊な彼をこの国に留めさせた最大の功労者はクラニスなのかもしれない。
ではまた来週