外伝 ロロイヤの遺産3
アルテンシア統一王国は、〈大崩落〉の直前に英雄シーヴァ・オズワルドによって建国されたいわゆる新興国家である。シーヴァは腐ったアルテンシア同盟を崩壊させ、さらに半島を統一する形で建国を果たした。
しかし二度の十字軍遠征に、シーヴァが直々に親征した教会成敗にと、統一王国の激動の幕開けだったと言っていい。さらに統一王国はそれまで領主たちが勝手バラバラに行っていた領地の管理を、中央集権型の政府の下一元的に行うことにしている。
つまり、これまでとまったく異なる政治体制をゼロから作り上げなければならないのだ。そのために必要な労力とどうしても生まれてしまう混乱は、並みの王であればそれだけで国を潰しかねないものだったと言われている。
「まさにシーヴァ・オズワルドその人だったからこそ、この時期に統一王国を建国し、さらに国体を磐石なものとすることができたのである」
後の歴史家の一人は著書の中でそう書いている。ただし、彼のこの言葉は決して独創的なものではない。むしろごく一般的な共通認識と言ったほうがいいだろう。
さてシーヴァには国内を安定させるためにどうしても避けては通れない懸案が幾つもあったが、そのなかでも可及的速やかに解決するべき問題があった。すなわち、彼の正室選び、つまり誰をアルテンシア統一王国の王妃とするべきかという問題である。
統一王国には独自の領地を保有する五人の公爵がいる。五公爵と呼ばれることもある彼らは、革命の最初期からシーヴァに協力した、まさに彼にとって盟友と呼ぶべき存在だった。
そして、言うまでもなく彼らは国内の最有力者たちである。いずれは彼らの妹か娘か孫(年齢的に姉は無理だった)を王室に迎え入れ、さらにシーヴァの子か孫をそれぞれの家に送り込んで姻戚関係を結ばねばならない。それもまた国内の安定のためにはどうしても必要なことと言えた。
しかし、五公爵家の中から正室を向かえることだけはできなかった。いや、将来的にはそういうことも起こりえるだろう。しかしシーヴァに関してはまずかった。
建国して間もないこの時期に五公爵家の一つから正室を迎えれば、その家は国政に深く関わりいわば筆頭公爵家とでも言うべき存在になってしまう。いずれは五公爵家の中にも力関係や序列ができるだろう。しかし、王家公認のような形でその序列を固定化してしまうことだけは絶対に避けなければならない。五公爵家はあくまでも対等でなければならないのだ。実質的なナンバー2は、この国にはまだ早い。少なくともシーヴァはそう考えていた。
ではどこから正室を迎えるのか。五公爵家はダメだ。では外国の王家の姫ならばどうか。つまり、よくある政略結婚である。しかし、それもシーヴァには良い案には思えなかった。
統一王国は生まれたばかりの未熟な国なのだ。西の大国などと言われているが、その実情はお粗末なものだ。国を治めるための統治機構さえ、まだ完成しきっていない。その状態で外国の影響を強く受ければ、例えば経済などの重要な部分を牛耳られてしまう可能性がある。国内最大手の商会が外国資本、というのはあまりいい状態ではないだろう。
唯一、相手がアルジャークであるなら、シーヴァも決断したかもしれない。しかし〈大崩落〉の直後は、クロノワにもシーヴァにもまだ子供は生まれていない。相手がいなければ結婚のしようもなく、結局アルジャークと統一王国の間に姻戚関係が結ばれたのは、彼らの孫の代になってからだった。
半島のさらに北西にある島、ロム・バオアに住むゼゼトの民の中から正室を迎える、というのもダメだ。彼らがシーヴァと共に親征を戦ったことで、ゼゼトの民に対する差別意識や偏見はかなり薄れてきている。しかしそれらの感情は根深く、完全に消えるには後一〇〇年は必要であろう。それゆえ、彼らの中から正室を迎えるとなれば、必ずや強い反発がある。
「王は我らよりも蛮族を頼みにするのか!?」
そんな声が必ずや上がるであろう。もちろん彼らとの関係強化のためにも側室を迎える必要はあるだろう。しかし正室はどう考えても無理だった。
そうなると、やはり国内で正室を探すしかない。しかし国民(というより五公爵家)が納得し、それでも王家の権威を脅かさない、そんな都合のいい人物がいるだろうか。
いた。シーヴァの脳裏に浮かんだその女性の名は、ヴェート・エフニートという。もともとはシーヴァの副将であり、親征の際には一軍を率いたこともある女将軍だ。革命どころかそれ以前からシーヴァと共に歩んできた、五公爵よりも古い、それこそ最古参の部下である。
実績があり、シーヴァの信頼も厚い彼女ならば王妃として冊立してもどこからも不満は出ないであろう。ヴェート以上の適任は他にはいないように思えた。
「ヴェート。そなたの残りの命、我とこの国のために捧げてくれ」
ある日、シーヴァは執務室に呼び出したヴェートにそう言った。それに対し彼女はすぐさまその場に跪き「御意に」と答えたという。
それを見たシーヴァは一つ頷くと、すぐさま命令を下して婚礼の準備を始めさせた。この段階になってようやく、ヴェートは先程の彼の言葉がプロポーズであったことに気づいたと言うが、これは恐らく色恋沙汰に縁のなかった彼女をからかうための笑い話であろう。
例えばアルジャーク帝国のクロノワとシルヴィアなどは仲睦まじい夫婦であったと記録に残っているが、ではシーヴァとヴェートは果たして幸せな夫婦であったのだろうか。「少なくとも不幸ではなかったようだ」というのが歴史家たちの見解である。
シーヴァはともかくヴェートは晩婚と言われても仕方のない年齢であったが、それでも二人は四人の子供をもうけた。シーヴァはその一生の間に二桁の側室を迎えたが、そのうちの誰一人として「寵愛を一身に受けた」とは記録されていない。シーヴァが特別扱いをするのは、ただ一人ヴェートだけであった。
だからといってヴェートが増長したという記録はない。ある侍女が残した日記には「お二人はいつまでたっても上官と部下のような関係だった」と少々不満げに書かれている。もしかしたら、それが二人にとって最適な関係だったのかもしれない。
閑話休題。シーヴァの話はこれくらいでいいだろう。そんな彼が治めるアルテンシア統一王国にカスイとソウヒの二人がやってきた。
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アルテンシア統一王国の王都はガルネシアという。ガルネシアはもともと廃墟になっていたのだが、シーヴァが半島再興の象徴として王都に選び、そして復活させた街だ。ほとんどゼロから建設せねばならず、それこそ歴史に残る一大事業になったが、その反面詳細な計画を立てることができ、その計画に基づいて建設は行われた。いや、〈大崩落〉からおよそ二十年が経ったいまでも建設は続いている。完全に完成するのはおよそ三十年後の予定だった。
ガルネシアは綺麗な街だった。ルティスのように華やか、と言う意味ではない。区画わりがきちんとなされて街並みが整理されている、そういう意味での美しさである。
主要な道路は広くまっすぐで、しかも行き止まりがほとんどない。その上、シーヴァはガルネシアの詳細な地図を作成して住民に配布している。これは防衛の観点からすればありえないことだ。
「泰平を迎えるこの時代、だれがこのガルネシアを脅かすと言うのか」
そう言ってシーヴァは反対する閣僚たちを説き伏せたと言う。この一点からして、彼が軍事的な才能だけではなく政治的な才能も持ち合わせていたことがわかる。
シーヴァはガルネシアを人が住みやすい都市にしようとしたのだ。住みやすいと言うことは、つまり商売がしやすいと言うことでもある。彼は軍事よりも経済のほうに重きを置いてガルネシアを設計したのだ。
さらに言うならばガルネシアは荒廃したアルテンシア半島の縮図そのものだった。ここをどのように復興させるかは、そのまま半島の今後の方針となる。少なくとも住民たちはそう受け取るだろう。つまりガルネシアはシーヴァの治世の象徴となる街だったのだ。
さて、そんなガルネシアには一つのお城がある。シーヴァの居城にして統一王国の王城たるガルネシア城である。完全に軍事拠点として作られた城であり、無骨で華やかさにはかける。ただ頑丈な城であり、そのためこの城を王城にふさわしく造りかえるための改装は、計画はあるものの後回しにされていた。
そのガルネシア城の門のところで、一人の少女が門を警備する兵士と押し問答をしていた。
「だ・か・ら! 中に入れてくれなんて言わないわよ! オーヴァ・ベルセリウスっていう魔具職人がいるかどうか確認してきて欲しいって言ってるだけじゃない!」
シラクサの民族衣装を身につけた少女で、長くて美しい黒い髪の毛はポニーテールにしてまとめてある。ルティスから陸路で(ここ重要)ガルネシアまでやってきた、イストの娘にして当代のアバサ・ロット、カスイだ。彼女の右目には、ルなぜかルティスについたときにはなかった片眼鏡がかけられていた。
「何度も言わせるな! そんな魔道具職人、聞いたこともない!」
怒鳴るようにしてそういう兵士には取り付く島もない。彼にしてみれば、この少女は見るからに外国から来た立派な不審者だった。さらにいえば、右目にかけたモノクルが胡散臭さを増している。まともにとり合う気に、まったくなれない相手だった。
ちなみにこのモノクルはカスイがルティスで見た老執事に憧れて作ったものだ。モノとしては上品でいい品物なのだが、いかんせん若い女の子であるカスイが身につけるとどうにもチグハグだった。
そんな怪しい人間を門前払いにするのは、むしろ兵士の真っ当な職務である。しかしカスイも引き下がらない。その結果、双方ともだんだんと不機嫌になっていった。
「姉さん。知らないって言ってるし、一旦戻ろうよ」
見かねたソウヒがそう言った。彼もまたシラクサの民族衣装を着ており、兵士からすれば不審者の仲間という位置づけだった。
「嫌よ! このおっさんが適当なこと言ってるだけかもしれないじゃない!」
ソウヒのほうを振り返り、左手で兵士を指差しながらカスイはそう言った。彼女からは見えていないが、おっさん呼ばわりされた兵士に青筋が浮かぶ。ちなみに彼の年齢は二十五歳だ。
小娘め、一晩牢屋にぶち込んでやろうか、と兵士が思い始めたちょうどその時、門の向こう側から一人の男が現れた。年の頃は五十代の半ばだろうか。頭は白髪が目立つようになっている。ただ身体は鍛えられていて、歩みにも隙が無い。武人らしく、腰には太刀が一本差してあった。
特に考え事をするでもなくただ普通に歩いてきた彼は、ふと門のところで騒ぎを聞きつけなにげなくそちらに視線を向けた。彼が見たのは、シラクサの民族衣装を着た黒髪の少女が左手を突き出して兵士を指差している光景である。
それだけならば、彼はすぐに視線を戻して足を止めることなく歩き去っただろう。しかし、少女の左手首に嵌められたものに彼の目が留まった。
「『狭間の庵』……?」
小さなその呟きを少女は聞き逃さなかった。つい先程まで騒いでいたのが嘘であるかのように静かになり、彼女は目を大きく見開いて門の向こう側から来た男を見た。
「……コレを知ってるの?」
自分の左手首につけた「狭間の庵」を撫でながら、カスイはそう尋ねた。「狭間の庵」について知っていると言うことは、アバサ・ロットについて色々と知っている可能性が極めて高い。知っているからといってどうこうするつもりはまるでないのだが、やはり興味は引かれた。
「シラクサの民族衣装……。ということはやはり君たちはイストの子供か……!」
確かにヒスイの面影がある、と男は嬉しそうに話した。男から両親の名前が出てきて、カスイとソウヒは驚いた。
「あの、ジルド殿……。この二人はジルド殿のお知り合いで……?」
話の流れに付いていけていない困惑した様子で、さっきまで青筋を立てていた兵士が男にそう尋ねた。その問い掛けに男、ジルド・レイドは嬉しそうな様子のまま一つ頷きこう答えた。
「うむ。いや、直接に合ったことは今までなかったが、どうやらこの二人はワシの友人の子供らしい」
カスイとソウヒの顔を眺め、ジルドは懐かしそうに目を細めた。二人の姿に彼らの両親を重ねているのかもしれない。なんだか少し恥ずかしくて、姉弟は揃って頭を下げた。
ジルド、という名前に二人はもちろん心当たりがあった。それは父親のイストが度々話して聞かせてくれた、彼の旅仲間だった剣士の名前である。
『とんでもないおっさんでな。職人冥利に尽きる人だったよ』
そう言ってイストは「無煙」を吹かしながら話してくれたものである。加えて彼が手放しで賞賛するのはジルドくらいしかおらず、それもまた二人が彼の名前を覚える要因だった。
「なにやら揉めていたようだが、ここはワシに預からせてくれぬか?」
ジルドがそう言うと、兵士は安堵した様子で「もちろん」といった。厄介事が片付き、内心で歓声を上げているかもしれない。
「ひとまず落ち着けるところで話をしよう」
そう言ってジルドが誘ったのは、どうと言うことのない普通の喫茶店だった。大通りに面していて明るく開放的な雰囲気のお店だ。恐らく以前から知っていたわけではなく、丁度目に付いたのでそこにしたのだろう。
好きなものを頼みなさい、と言ってくれたのでカスイとソウヒはそれぞれケーキとお茶を注文した。ジルドはお茶だけである。注文したものが運ばれてくる前に三人はそれぞれ簡単に自己紹介をした。この思わぬ出会いをひとしきり驚いてから、三人はさっそく本題に入った。
「それで、あの兵士とはなにを揉めておったのだ?」
「実は、お父さんの師匠だった、オーヴァ・ベルセリウスっていう魔道具職人を探しているの」
イストから聞いた話によれば、オーヴァはシーヴァに協力していたという。ならばガルネシア城まで行けば何かしらの手がかりがあるはずだと思い、ここまで来たのだとカスイは話した。
「なのにあの兵士め……。『そんな職人は知らない』の一点張りよ!」
思い出したら腹が立ってきたのか、カスイは大口を開けてケーキを頬張った。ヤケ食いである。さらに追加でケーキをもう一つ注文。お金をはらうジルドはその様子を苦笑しながら見ていた。
「しかし、そうか……。ベルセリウス老を訪ねて、な……」
呟くようにそういうと、ジルドは何事か思案するかのように顎を撫でた。その様子に、ソウヒは少し不吉なものを感じ取る。ちなみにカスイはその横で二つ目のケーキを頬張っている。
「実はな、ベルセリウス老はもうすでに身罷られておる」
ジルドがそう言った瞬間、ソウヒのみならずケーキに夢中だったカスイまでも言葉を失い目を大きく見開いた。
オーヴァが死んだのはおよそ十年前であると言う。死因はおそらく老衰。ただ、死の一年ほど前から床に臥せることが多くなっていたと言う。
『あと十年。あと十年あれば神々の領域に手が届くものを……。無念だ』
オーヴァは最後にそう言い遺した。最後まで未知への好奇心と創作への意欲を失わず、また周囲を巻き込んで猛威を振るい続けたという。かつてアバサ・ロットの名を名乗った魔道具職人として、実にそれらしい人生を歩んだと言えるだろう。
「あの兵士はおそらく、ベルセリウス老が死んでから働き始めたのであろうな」
生前のオーヴァを知っているならば、たかだか十年で忘れられるはずもない。ジルドはそう言って笑った。さもありなん、とカスイとソウヒは思った。オーヴァに会ったことのない二入だが、彼が困った変人であったことは疑いようがない。なにしろ、彼は先々代のアバサ・ロットだったのだから。
「ただ、ベルセリウス老が残した資料はいろいろと残っておる」
オーヴァはガルネシア城の一角に工房を構えて仕事をしていた。彼の死後もその工房では弟子たちが仕事を続けている。そしてその工房にはオーヴァが遺した資料が保管されていて、弟子たちはそれをもとにして修行に励んでいると言う。ただし、オーヴァは彼らのことを決して「弟子」とは呼ばず、ずっと「職員」と呼んでいたが。
「それらの資料を見たいというのであれば、ワシのほうから頼んでみることもできるが……」
「いいえ、結構よ。聞きたかったのはそういうことじゃないから」
それに工房の資料は門外不出。部外者には決して見せないのが普通だ。多少のつながりがあるからと言って、いきなりやってきた怪しい人間になど見せてくれるものではない、とカスイは言った。
「怪しいって自覚はあったんだね、姉さん……」
「言葉の綾よ、言葉の綾」
そう言ってカスイはソウヒの頭を叩き、さらに残っていた彼のケーキをフォークで突刺し自分の口に放り込んだ。「ああ、僕のケーキ!」とソウヒが悲鳴を上げるが、カスイは素知らぬ顔である。
「ああ……、手がかりがなくなっちゃった……」
そう言ってカスイはだらしなくイスの背もたれに身体を預けた。そんな彼女の様子に、ジルドは苦笑をもらす。
「何の手がかりを探しておったのだ?」
「ジルドさんは、『世界樹の森』って知っていますか?」
脱力しきって話す気が無いらしい姉に代わって、ソウヒはこれまでの経緯をジルドに説明した。それを聞いてジルドは二人がオーヴァを尋ねてきた理由については納得したが、残念なことに世界樹の森については彼も知らなかった。
「すまんな」
「謝る必要なんてないわ。そもそもお父さんだって知らなかったんだもの。オーヴァさんが何か知っているっていう保障もなかったしね」
身体を背もたれから起こし、残念そうではあるがどこかさっぱりとした様子でカスイはそう言った。とはいえ、これで行くあてがなくなってしまった。
「どうする? ベルセリウス老の墓参りでもしていくか?」
「嫌よ」
ジルドの提案に、カスイは顔をしかめながらそう即答した。その反応にジルドは「おや?」という顔をする。会いに来たと言うのに、墓参りを嫌がるとは思っても見なかった。
「無理にと言うつもりはないが、どうしてだ?」
「だってお父さんの師匠よ? 墓参りなんてしたら呪われそうだわ」