第二話 モントルム遠征④
結局、小魚との戦闘は片手で数えられる程度しか起こらなかった。ダーヴェス砦以南にアルジャーク軍が既に三万騎もいることを知った小魚たちは、砦に近づくこともできず、さりとて戦いを挑めるはずもなく、ただ隠れていることしかできない。アルジャーク軍としては探し出して叩いてもよかったのだが、クロノワは砦と合流さえしなければよい、といってそれをしなかった。
砦も息を潜めて動かない。否、動けない。砦の戦力は一万。アルジャーク軍騎兵三万と正面から戦って勝てるはずもない。奇襲も考えたが、歩兵が主力の砦の兵とはなにぶん足が違う。中途半端な戦力で奇襲を仕掛けても意味がないのでやるならば全軍でやることになるが、その間に砦を落とされては目も当てられぬ。
結局、動けない。そうやって日数だけが過ぎていく。援軍もやってこない。王都からやって来るはずの一万が既に壊滅していることはダーヴェス砦にも伝わっている。アルジャーク軍が睨みをきかせているので、周辺からやって来るはずの援軍は集結できない。まさに孤立無援の状態であった。
そしてついに砦の北側にアルジャーク軍の歩兵部隊三万が現れたのである。
「どうやら歩兵部隊が到着したようです」
「そうですか。思ったより早かったですね」
現在クロノワたちはダーヴェス砦の南側に街道を封鎖する形で布陣している。歩兵部隊が到着したのであれば、南北から挟み込む形で砦を包囲することができる。
「アールヴェルツェ将軍、歩兵部隊と合流したほうがいいと思いますか」
「いえ、南側を空けると周辺から援軍が集結することが考えられます。このままにしておいたほうがよいでしょう」
そうですね、といってクロノワは砦に視線を転じた。六万の戦力が整い、しかも敵戦力が一万しかない以上、砦を攻略することはたやすい。総攻撃を仕掛ければおそらく一日で落ちるだろう。
が、気乗りしない。それを想像すると少々鬱にさえなる。
(あの街道での戦闘のせい、でしょうか・・・・・?)
そうかもしれないと思う。あのような戦い経験すれば良し悪しはともかくとして変わらずにはいられない。
「とはいえ騎馬隊の兵糧も少なくなってきています。早めにけりをつけたほうが良いでしょう」
明日にも総攻撃を、とアールヴェルツェは言った。
「降伏勧告をしてみませんか」
そういってクロノワはアールヴェルツェと視線を合わせた。一瞬、緊張が走る。
「・・・・・・・勧告をするなら今日中にすべきでしょう。回答の期限は明日の夜明けまで。もし受け入れない場合は・・・・・」
総攻撃を仕掛けます、とはアールヴェルツェは言わなかった。しかし、もし砦が降伏を受け入れなかった場合、そうしなければいけないことはクロノワにもよく分かっていた。ダーヴェス砦を落として終わりではないのだ。
「勝てないと分かっている戦いを、わざわざする必要はないでしょう・・・・?」
砦に視線を向け、クロノワは一人そう呟いた。
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降伏勧告の文章はアールヴェルツェやその幕僚たちの意見を聞きつつ、クロノワ自身が書いた。かつて彼が視察先から送った報告書がみな名文だったことも関係しているのだろう。
彼が書いた降伏勧告文の要点をまとめると以下のようになる。
一つ、アルジャーク軍は三万ずつ南北に展開している。
二つ、王都オルスクからの援軍は、すでにこれをアルジャーク軍が壊滅させており、ダーヴェス砦にやってくることはない。
三つ、周辺からやってくる援軍も騎兵三万が砦の南側にいる以上、集結することはできない。
四つ、である以上砦の戦力一万のみでアルジャーク軍六万と戦わなければならず、モントルム軍に勝ち目はない。
五つ、当方は無用な流血を好まず、降伏を受け入れるならば一兵たりとも死なせないことを誓う。
六つ、回答の期限は明日の夜明けまで。
七つ、回答がない場合、総攻撃を仕掛ける。
これらのことが無駄な装飾を一切用いず、要点のみが述べられている。それが一層彼らの自信を表しているようであった。
さらにクロノワは策略家としての一面ものぞかせた。勧告文の内容を砦の兵たちにもわかるように情報を流したのである。ダーヴェス砦の将ウォルト・ガバリエリは忠臣で、たとえ勝てないとわかっている戦いでも、それでも戦うのが忠義の道だと思っている。しかし下々の兵はそうではない。彼らにしてみれば勝てないとわかりきっている戦いで命を落とすなど、愚の骨頂であった。
兵たちは降伏を受け入れるよう徒党を組んでウォルトに直訴した。いや、直訴という言葉では穏当すぎる。脅迫したといったほうがよい。なにしろ槍を持ち出し剣の柄に手をかけていたのだ。
「降伏を受け入れないのであれば、貴方の首を取ってでも・・・・・!」
と彼らは迫った。
ウォルトは死を恐れるような人物ではなかったが、兵士たちの心がもはや降伏に傾いていることを知ると、ついに心が折れた。これでは時間稼ぎもできないと思ったのだろう。
ウォルトは共鳴の水鏡を使って王都に降伏する旨を伝えると白旗を掲げさせた。このときウォルトは自決するつもりであったが部下の一人が止めた。
「差し出がましいようですが、閣下のお命は砦の兵士たちのためにお使いください」
「なるほど。生贄には将たるワシがふさわしい、ということか」
アルジャークが責任者の命を求めるかもしれない。死ぬならばそのときに、ということである。申し訳ありません、とうな垂れる部下の肩を彼はポンポンと叩いて慰めた。
ダーヴェス砦は戦わずして降伏した。
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ダーヴェス砦に入ったクロノワは約束どおり、ただの一滴も血を流さなかった。砦の兵たちは武装解除させて砦から去らせた。一万人の捕虜を収容しておく場所も養うための食料もないのだ。ただしウォルト・ガバリエリ以下幕僚たちは地下牢に押し込めてある。扇の要となる存在を自由にしておくわけにはいかないからだ。
余談ではあるがウォルト・ガバリエリはこの先モントルムがアルジャーク領となってからもダーヴェス砦を任された。もっとも国境警備の砦ではなくなったので兵員は大幅に減らされている。彼は栄達の機会が何度かあったがその全てを断り、終生この砦を預かって過ごした。地域住民からの評判もよく、彼の葬儀には献花の列が絶えなかったという。