外伝 ロロイヤの遺産1
かつて、〈大崩落〉と呼ばれる事件があった。その事件は当時落ち目にあったとは言え、世界で最も影響力のあった宗教組織、教会に最後の止めをさして完全に瓦解させた。
ある意味でその日は、世界が変わった日と言える。教会はその権威を失墜させ、神聖四国は聖の称号を捨て、エルヴィヨン大陸の中央部はもはや政治・文化・宗教の、つまり世界の中心ではなくなった。
代わって台頭したのが、それまで辺境とされてきた大陸の東西だった。東のアルジャーク帝国と西のアルテンシア統一王国。それらの大国を率いるのは、クロノワ・アルジャークとシーヴァ・オズワルド。これからの世界の中心となるのはこの二つの大国であり、そして世界を率いるのはこの二人の主君であるというのは、この時代に生きる万人の共通した考えだった。
古い時代に幕を引き、そして新しい時代の到来を告げた大事件。それが〈大崩落〉であるという認識は、歴史家たちにとって常識である。しかしその〈大崩落〉を引き起こした人間については、一般にはまったくと言っていいほど知られていない。
その人物の名は、イスト・ヴァーレ。流れの魔導具職人である。彼が「面白そうだから」という理由で〈大崩落〉を起こしたと知れば、歴史家たちは一体どんな顔をするであろうか。歴史の転換点に大きな決断と重大な真実が隠されていると考えるのは、あるいは歴史家の一人よがりな願望なのかもしれない。
さて〈大崩落〉を起こした後、イストが流れ着き腰を落ち着けたのは、エルヴィヨン大陸の南にあるシラクサだった。
シラクサ、というのはもともと島の名前でも地域の名前でもない。この地域にはローシャン島とヘイロン島という二つの島があるのだが、シラクサというのはもともとはローシャン島にある貿易港の名前である。ただ、シラクサが大陸との交易の玄関口になっていたので、大陸では「シラクサ」という名前が二つの島をまとめたこの辺の地域の名称として定着していったのである。
そのシラクサに、イストが開いた魔導具工房がある。名を「へのへのもへじ」という。なんとも珍妙かつふざけた名前で、一度聞けば大いに脱力し、そして二度と忘れられぬであろう。覚えがいいと言う意味では、ある面非常に優秀な名前と言える。
珍妙でふざけた名前だとしても、「へのへのもへじ」で作られる魔道具は素晴らしい。その評判はあっという間に大陸中に広まり、そしてシラクサが貿易港として栄える大きな一因となっている。
そんな魔道具工房「へのへのもへじ」の工房主は言うまでもなくイストだが、彼の妻の名は翡翠という。そしてイストは彼女との間に三人の子供をもうけた。上から長女華翠、長男奏翡、次女琥珀である。シラクサには姓名をなのる習慣がないので、イストを除けば皆名前だけである。無理に名乗るならば「ヴァーレ」となるのだろうが、語呂が悪いとえらく不評だった。
三人の子供の名前は、実は全てヒスイに関係している。カスイとソウヒは「翡翠」から一文字ずつ取っていることはすぐに分かるが、ではコハクはというと、実は彼女の名前をつけたのは祖母のシャロンだった。
「ヒスイの名前をつけるとき、コハクとどちらにしようか迷ったのよ」
彼女はその名前の由来をそんなふうに語ったものだ。
まあ前置きはこのくらいにしよう。〈大崩落〉からおよそ二十年。大陸の喧騒からは程遠いシラクサの地で、子供たちは健やかに成長していった。これから語るのは初代アバサ・ロットたるロロイヤ・ロットの遺産にまつわるお話。このとき、カスイ十七歳、ソウヒ十五歳、コハク十歳であった。
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イストら一家が住んでいる家は、正確には彼らの家ではない。ヒスイの父親であるセロンの家だった。魔道具工房で十分に稼いでいるはずのイストが自分の家を持たないのは、本人が言うところによれば「面倒くさい」からであり、またセロンの家が十分すぎるほどに広いからだった。
そんな広い家であるから、イストの娘であるカスイも自分の部屋を持っている。しかも一人部屋だ。そして一人部屋であるのをいいことに、彼女は部屋の中を散らかしまくっていた。
「散らかしてないわよ! どこになにがあるのか、ちゃんと分かるもん!」
床の上に片付けているだけだ、とカスイは抗弁する。だがその主張が母親のヒスイに聞き入れられたことはなく、いつも綺麗さっぱり片付けられては「アレがない、コレがない」と涙目になっていた。
ちなみにカスイは片づけができないわけではない。時たま、ヒスイの手が入る前に我慢できなくなると、誰に言われずとも念入りに大掃除をする。だから、ただ単にやろうとしないだけなのだ。それがまたヒスイを呆れさせ怒らせる原因になっている。
そんなカスイだが、彼女は今日も懲りずに部屋の中を散らかしていた。部屋の中に散乱しているのは、大部分が魔道具に関する資料やレポートである。また魔道具を作るための道具もあちらこちらに転がっている。乱雑極まりない室内であるが、カスイにしてみればコレが一番効率がよく、落ち着く状態なのだ。もちろん、母親であるヒスイはその主張を決して認めないのだけれど。
シラクサの寝台は、大陸と多少デザインは違うものの、ベッドと呼んで差し支えのないものだ。そしてカスイの部屋の中でベッドは唯一と言っていい、散らかっていない場所でまるで“聖域”のようだった。とは言えっても、それはただ単に寝るときに邪魔だから片付けているだけだ。
そんなベッドの上でカスイはお行儀悪く胡坐を組んで座っていた。ヒスイが見れば「はしたない」と言って顔をしかめたことだろう。長女がちっとも女の子らしくしてくれないことが、彼女の最近の悩みだった。
女の子らしくしてくれない、と言ってもそれは外見の話ではない。カスイはもちろん、一目見てそれと分かる女の子である。しかも美少女と言っていい、恵まれた容姿をしていた。
卵形の整った顔立ちに、勝気の強そうなつり目。癖のない黒くて長い髪の毛は、後ろでまとめてポニーテールにしてある。白くて決めの細かい肌には、何もしていないと言うのにシミ一つない。日頃から肌のお手入れに気を使っているヒスイなどは「これが若さなのね……!」と戦慄せずにはいられない。
そもそもヒスイとカスイはよく似た親子なのだ。そんなカスイの見た目が女の子らしくないことなどありえない。では彼女のなにが女の子らしくないのかと言えば、それはもちろん普段の素行だった。
カスイの興味は専ら魔道具製作に向いていた。しかも、彼女には才能があった。十七歳にしてすでに一人前と言っていい腕を身につけ、数々の作品を世に送り出している。そして現状に満足することがない。負けず嫌いで向上心が強く、知識や技術に貪欲だった。
工房の娘としては、それは得難い資質だった。娘に類稀な才能があることを、ヒスイも嬉しく思っている。ただそれだけに傾倒されると、ちょっと悲しくなるのだ。
ヒスイはカスイに料理や裁縫といった仕事も教えている。カスイだけはない。弟のソウヒにも教えているし、末の妹のコハクにも少しずつ教え始めている。それは生活していくうえで必要な能力だからだ。ちなみにイストだって人並みに料理に裁縫、掃除に洗濯だってできる。
カスイはそれらの仕事を不足なく覚えた。ヒスイの目から見ても、娘の上達は早かった。しかしいくら上達が早くとも、カスイは必要以上の興味を示さなかった。彼女の興味は、やはり専ら魔道具のほうに向いていたのだ。
同年代の女の子たちがおしゃれや恋の話で盛り上がっているとき、カスイは工房でイストや彼の弟子たちと喧々諤々の議論を戦わせていた。変人の巣窟に入り浸る彼女は、その影響をもろに受けていた。その結果、カスイは人目を気にせず自分の趣味に邁進する少女になっていた。彼女の容姿は母親似だったが、彼女の行動原理は間違いなく父親譲りで、全然女の子らしくなかったのだ。
「あの子の恋の相談に乗るのは、一体いつになるのかしら?」
同年代の母親たちが娘からその手の相談を受けたと話すのを聞いて、ヒスイは内心でため息を付きながら嘆く。十七歳と言えば、恋愛どころか結婚していてもおかしくない年齢である。早い娘ならば、子供を生んでいることだってあるだろう。
シラクサの気風はおおらかなので適齢期に入ったからと言って結婚を急かすような空気はそうそう生まれない。ヒスイ自身だって、イストと結婚したのは二十歳を過ぎてからだ。しかし色恋沙汰に一番興味があるはずのこの年齢で、浮いた話が一つもないというのはどうなのだろう。彼女の母親としての楽しみは、当分先になりそうだった。ちなみに昨今彼女があげた最大の成果は、毎朝自分の髪の毛を櫛ですいて整えることをカスイに習慣づけたことである。
いや、実際にはカスイにも見合いの話がある。カスイは魔道具工房「へのへのもへじ」の主イストの娘で、しかも彼女自身も腕のいい魔道具職人だ。繋がりを持ちたい、囲い込みたいと思う人間は多い。しかしそういう意図の見え透いた話は、全てイストが「まだ未熟だから」と言って断っていた。
ヒスイだって娘には自分の望む相手と一緒になって欲しいと思っている。ただそれがいつになるのか現状ではさっぱり見通すことができず、ヒスイとしては頭を抱える原因になっている。なにしろ本人の興味がまったくそちらに向いていないのだから。
さてそんな自らの趣味に邁進し続けるカスイがベッドの上で胡坐をかいて何をしているのかと言えば、難しい顔をしながら一冊の本とにらめっこしていた。とても古い本で、中身は古代文字で記されている。ただしその文字は非常に乱雑に書いてあり、そのためカスイはその内容を読むのに四苦八苦していた。
「……ちょっとぉ、ロロイヤ……、もう少し丁寧に書きなさいよ……」
千年前の知る人ぞ知る偉人に、具体的に言うなら初代のアバサ・ロットにカスイは文句を言った。彼女が読んでいるのは彼の日記と言うか、覚書きである。日々思いついたことを何の脈絡もなく書きとめてあるもので、イストなどは落書きと呼んで憚らない。実際、落書きみたいなものだった。
この資料はもちろん当代のアバサ・ロットであるイストが所有する、アバサ・ロットのための工房「狭間の庵」の資料室から持ってきたものだ。つまりカスイは父であるイストが伝説の魔道具職人アバサ・ロットの名を受け継ぐものであることを知っていることになる。
カスイだけではない。彼女の弟であり、同じく魔道具職人の道を志すソウヒもこのことを知っている。しかしイストの妻であるヒスイは知らないし、また工房のほかの弟子たちも知らない。だからこそ、こうして工房ではなく自分の部屋で読んでいるのだ。
落書きとはいえ、それを書いたのは他でもないかのロロイヤ・ロットである。半分以上は本当に意味のない事柄だが、ときおり魔道具関連のアイディアが書かれていたりするから侮れない。しかもそのアイディアは秀逸で、千年経った今でもまったく時代遅れではない。いや、ロロイヤが時代を先取りしすぎていたのだろう。
ただ、これは後の世に残すために記されたレポートではない。そのため走り書きと言うか殴り書きと言うか、読む他人のことをまったく考えていないものだった。そのためカスイは解読に苦労させられていた。
眉間にシワを寄せながらカスイは資料をゆっくりと読み進む。とある貴族を破滅させた、と書いてある。正直、どうでもいい。
「ああもう……。もう少し内容をまとめおいてよね」
ブツブツ文句を言いながら、それでもカスイはロロイヤの遺した覚書きを読み進める。さらに何ページか読み進めると、そこにはこんな一文があった。
『……そういえば世界樹の森に隠したアレを誰か見つけただろうか……』
その記述を見た瞬間、カスイの目が輝いた。結婚前に大陸中を旅していたというイストから色々な場所の話を聞いたことがあるが、「世界樹の森」という地名は聞いたことがない。恐らくイストも行ったことのない場所だろう。ロロイヤはそこに何かを隠したとここには書いてある。
「これだ!!」
そう叫んでカスイは飛び上がった。そして本を持ったまま工房へと走る。この時間であれば、イストは工房にいるはずだった。
「お父さん、世界樹の森って知ってる!?」
工房の一室でイストを見つけると、カスイは勢い込んでそう尋ねた。
「知らん。というか、世界樹の森……?」
娘の質問に、イストは即答した。即答してから、その単語に聞き覚えがあることを思い出す。そしてカスイが持っている本を見ておおよその事情を察した。
「ああ、ロロイヤの落書きを読んだのか」
「ってことはお父さんもコレ読んだことあるの?」
なんだぁ、とカスイはあからさまに落胆して空いているイスにストンと腰を落とし、背もたれにだらしなく身体を預けた。イストが知っていると言うことは、すでに彼が探した出した後だと思ったのだ。しかし、イストは苦笑しながら娘の予想を否定した。
「いやいや、『知らん』と言ったろう? 読みはしたが探しには行かなかった」
「本当!?」
カスイは再び目を好奇心に輝かせて身を乗り出した。
「ああ。オレが知る限り世界樹の森の記述はそこにしかない。森がどこにあるかも書かれていないし、探し回るのは面倒だった」
宝探しにさほどの興味はないしな、とイストは付け加えた。魔道具職人の本分は既にある完成品を探し出すことではなく、今はない何かを作り出すこと。そういう意味では、彼の考え方は非常に職人らしいものと言えた。
「じゃあ、コレ探しに行ってもいい!?」
カスイはイストにそう尋ねた。つまり大陸に渡って旅がしたい、ということだ。幼い頃からイストの旅の話を聞いてきた彼女は、いつか自分も同じように世界を旅して回りたいと思っていた。世界樹の森に隠されたロロイヤの遺産は、そのいいきっかけになりそうだった。
「別に構わないが……、一人で行くつもりか?」
「ううん、ソウも連れて行くわ!」
なら大丈夫だな、とイストは軽く頷いた。こうして本人のあずかり知らぬところでソウヒもこの旅に同行することが決まったのだが、まあこの姉弟にとってはいつものことである。
「ああ、それから。部屋の掃除をしてから行けよ」
すぐに準備をしなっくっちゃ、と意気込む娘にイストはそう言葉をかけた。途端、カスイは苦笑を浮かべて「うっ」と言葉に詰まる。面倒くさがっているのだ。
しかし部屋を散らかしたまま旅に出れば、ヒスイが彼女の部屋を掃除してしまうだろう。ヒスイもわきまえていて道具や書類を勝手に捨ててしまうことはないが、しかし万が一と言うこともある。長期間家を空けるのであれば、きちんと部屋を片付けてから出かけた方がいい。
「はぁい」
数秒の間、父親と無言で押し問答をした後、カスイは観念してそう言った。そしてイスから立ち上がり、気だるそうな足取りで部屋を出て行く。これから自分の部屋の大掃除である。
「ああ、そうだ、スイ」
部屋を出て行く娘の背中に、イストは思い出したかのように声をかけた。彼女が「なに?」といって振り返ると、そこへ手のひら大の物体が投げて寄越される。反射的に両手でキャッチしてまじまじと見ると、それはイストが左の手首につけている魔道具「狭間の庵」だった。
「やる。もって行け」
まるでおもちゃを与えるかのようにして、イストはそう言った。しかし渡されたものは間違ってもおもちゃなどではない。「狭間の庵」はアバサ・ロットの工房であり、そしてこれまでの歴史そのものだ。これを受け取ると言うことは、つまり伝説の魔道具職人アバサ・ロットの名を受け継ぐと言うことである。
「……ん、ありがと」
受け取った腕輪を少しの間まじまじと見たあと、カスイはそう短く礼を言うとその腕輪を自分の左の手首につけた。気負った様子はなにもない。貰えるのであれば貰っておく、と言った感じだ。その様子からはアバサ・ロットという存在への畏怖や羨望は感じられないし、ましてその名を受け継ぐことへの感慨は微塵もないように見えた。
「まあ、やりたいようにやればいいさ」
「うん。絶対に妥協しないし、気に入った人からはお金は取らない」
それでいい、と言ってイストは笑った。そして要件は終わったとばかりに彼は机に向き直り、そしてカスイは部屋を出て扉を閉めた。
こうして、カスイはアバサ・ロットになった。