最終話 神話、堕つ エピローグ
ポルトールの港町サンサニア。その港町を見下ろす小高い岡の上に立つランスロー子爵の屋敷の一室で、イストは浅い眠りから目を覚ました。のろのろと体を起こし、ベッドの隣におかれた水差しからコップに水を注ぎ喉を湿らせる。
「暇だ………」
とはいえ何かしようという気にもならない。少し前まで傷が原因と思われる高熱に苦しみ、こうしている今も熱が下がりきっていないのだ。
「起きたのか、イスト」
「ああ、ついさっきね」
部屋に入ってきたのはジルドだった。手には簡単な食事を乗せたトレイを持っている。どうやら昼食を持ってきてくれたらしい。
「ニーナはどうしてる?」
「相変わらず、だな」
そっか、とイストは呟いた。この屋敷に来てからニーナは魔道具の研究に没頭している。イストから与えられた課題ではない。個人的に興味を持っていた義肢の魔道具について、である。
「わたしが師匠を歩けるようにしてあげるんですっ!」
今にも泣きそうな顔でニーナはそう意気込んだ。意気込むというよりも気負っているようにイストには思えた。今ではイストだけでなくニーナにまで世話が必要な状態になっている。まったく、無駄に肩に力を入れて気負ってみても頭は働かないというのに、困った弟子である。
「頃合を見て、優しく落とすか飲み物に睡眠薬を混入するなりして休ませてやってくれ」
「………了解した。適当に息抜きして休むように言っておこう」
よろしく~、とイストは手を振る。その様子を見て、ジルドは苦笑を浮かべるのであった。
イストに昼食を届けたジルドは、その足で今度はニーナの部屋に向かう。部屋にいるはずなのだが、ノックをしても返事がない。仕方がないので一言断ってからジルドは部屋の扉を開けた。
中を覗くと、ニーナが机に向かっていた。頭を抱えてなにやらブツブツと呟いている。どうやら随分と行き詰まっているらしい。
「ニーナ」
名前を呼んでみるが反応はない。ジルドはため息を一つ漏らすと、部屋の中に入りそのままニーナの傍らに近づき、今度は肩に手を置きながら名前を呼んだ。
「あ!ああ、ジルドさん………」
ジルドに全く気づいていなかったニーナはビクッ!と体を一瞬震わせ、それからジルドの姿を認めて力を抜いた。
「少し根をつめすぎではないか?」
「ええ、まあ………。でも、はやく形にしたいですし………」
ニーナの視線が机の上に戻る。そこには何枚もの紙に数式やら術式やらが殴り書きされていた。専門的なことはジルドには分らないが、順調とは言いがたいことはなんとなく分った。
息抜きをしたらどうだ、と言おうとしてジルドはその言葉を飲み込んだ。そういう言い方ではニーナは言うことを聞かないだろう。まったく、頑固なところは師弟揃ってそっくりである。
だから、ジルドは代わりにこういう言い方をした。
「イストのために、少し果物でも買ってきてくれないか」
そういうと、ニーナは少し困ったような笑みを浮かべた。名残惜しそうに机の上を眺めてからため息を一つつき、諦めたように苦笑してから「それじゃあ買ってきます」と返事をした。
サンサニアの港町は活気に溢れていた。新たな領主であるランスロー子爵が交易に力を入れており、アルジャークの協力もあって少しずつではあるが成果が現れ始めているのである。通りで客を呼ぶ露天には珍しい物品も並べられており、店を冷やかすニーナの顔も自然と綻んだ。
「あら!もしかしてニーナ?」
突然、名前を呼ばれた。驚いて顔を上げて声の主を探すと、そこには特徴的なシラクサの民族衣装を身に纏う、思いがけない女性がいた。
「翡翠、さん………」
こんなところで逢えるなんてすごい偶然ね、と思いがけない再会にヒスイは手を叩いて喜んだ。
「イストはどうしてるの?」
ヒスイにイストの事を聞かれ、ニーナは不意に目頭が熱くなるのを感じた。どうして、と思う間もなく込みあがってくるものを、ニーナはもう抑えることができなかった。
「ど、どうしたのよ!?」
ニーナが突然泣き出してしまい、ヒスイは慌てた。なにか悪いことをしただろうかと思うが、彼女とは今さっき再会したばかりで心当たりなどあろうはずもない。仕方なく、ヒスイはニーナを道の端に連れて行き、そこで優しく抱きしめて彼女が泣き止むのを待つのであった。
「それで、どうかしたの?」
ニーナが落ち着いたのを見計らって、ヒスイはそう尋ねた。いくらなんでもいきなり泣き出すなど、尋常ではない。さては師匠であるイストが何かしたのかと思い、事と次第によっては鉄拳制裁を加えてやろうと心の中で握りこぶしを作った。
「実は………」
目を真っ赤に腫らしたニーナが事情を説明し始める。それを聞くにつれて、ヒスイの顔はみるみるうちに強張っていくのであった。
**********
ぼんやりとした頭で、イストは天井を眺めていた。ジルドが持ってきてくれた昼食を食べ終えてしまうと、本格的にやることがない。
「暇だ………」
とはいえ頭が働かないのでは、おちおち魔道具の研究も出来やしない。かといって寝ようと思ってもついさっきまで寝ていたものだからまったく眠くならない。
「ええい、くそう………」
何もしないでいると、左足の大怪我が自己主張を始める。最近では痛みも引いてきたのだが完全とはいいがたい。心臓の鼓動にあわせて脈打つように傷が痛むのは、なんとも言いがたく不快で憔悴させられる。
「酒が飲みたい。酒が」
飲まずにやってられるか、といささかヤケクソ気味にイストは呟く。と、ちょうどその時、ドタバタと誰かが廊下を走る気配がした。はて誰だろうか、と思っていると部屋の扉が勢いよく開け放たれ、転がり込むようにして人影が中に入ってくる。
「ヒスイ………?」
部屋に入ってきた人物の顔を見て、さすがにイストも驚いたような顔をした。肩で息をし髪を乱したヒスイは、顔を上げるとイストのことをキッと睨みつける。目じりに今にも流れ落ちそうな涙をためて。
「バカッ!なんて無茶してるのよ!!」
そしてヒスイはイストのもとに歩み寄ると、彼が言い訳を口にするより速く彼の頬をムンギュと抓り上げた。
「ヒヒャイ、ヒヒャイ」
イストが抗議の声を上げるもヒスイは抓る力を弱めない。涙をたたえた目でイストを睨みつけている。ヒスイが何を求めているのか察したイストは内心で苦笑すると、素直にその言葉を口にした。
「ごめんなひゃい」
イストが謝ると、ヒスイは「よろしい」と言って彼の頬から手を離し目元の涙を拭って微笑んだ。
「それはそうと、なんでサンサニアに?」
ベッドの傍の椅子にヒスイが腰掛けてから、イストは彼女にそう尋ねた。南国シラクサの人間であるヒスイが、何用で大陸に来たのだろうか。
「営業よ」
ヒスイは簡潔にそう応えた。なんでも魔ガラスの販路を拡大するために、大陸側の商会にも営業をかけることにしたのだという。最初は弟の紫翠と共にカルフィスクの商会に足を運んで終わりにする予定だったのだが、サンサニアが将来有望という話を聞いてこちらにも足を伸ばしたのだという。
「町でニーナと逢って、そしたらイストが大怪我したって聞いて………」
呆れたような、怒ったような口調でヒスイはこれまでの経緯を話した。何に呆れそして怒っているのか重々承知しているはずのイストは、軽く肩をすくめてヒスイの責めるような視線をやり過ごした。
はあ、とことさら大げさにヒスイはため息をついて見せた。その程度でイストの鉄面皮を突き破ることはできないと知っていたが。
体調や傷の具合について、ヒスイはイストに尋ねた。それによれば、大怪我ではあるが処置が適切だったおかげで化膿することもなく、経過は今のところ順調だという。もっとも、当分は絶対安静を言いつけられているそうだが。
「………これから、どうするの?」
一通り尋ね終わった後、ヒスイはそう尋ねた。片足を失っては、これまでと同じく旅を続けることなどできまい。
「どうするもなにも、魔道具を作るさ」
オレは魔道具職人だからな、とイストは答えた。
「具体的には?」
「そうだな………」
どこかの工房に雇ってもらうか、それとも自分の工房を開くか。なにしろイストは腕のいい魔道具職人だ。引く手は数多だろう。それにいざとなれば、クロノワを頼るという手もある。
「ま、あんまりアイツには頼りたくないけどね」
あれでなかなか腹黒だから一度頼ったら死ぬまでこき使われちまう、とイストは冗談めかして言った。
「………どうして………」
イストがこれからどうするのか。それはイストが自分の判断で決めるべきことだ。しかしヒスイは不満だった。
「どうして、ウチを頼ってくれないの………?」
「いやだって、迷惑かけることになるし………」
「迷惑なんかじゃないわ!」
思わず、ヒスイは叫んだ。ヒスイの家と工房「紫雲」は、イストに返し切れないほどの借りがある。少なくともヒスイはそう思っている。いや、シスイもセロンもシャロンも工房の職人たちも、みんなそう思っているに違いない。イストが困っているなら力になりたいと、みんな思っているのだ。なのに肝心のイストは自分たちを頼ってくれない。それがどうしようもなく不満で、悲しかった。
「こんなときぐらい、ウチを頼ってよ。わたしを、頼りにしてよ………」
俯いて涙を流しながら、ヒスイは懇願する。
(反則だろう、こりゃ………)
イストは内心で天を仰いだ。全く反則だ、本当に。ここまで言われたら、嫌とはいえないではないか。
「ん、じゃあ、まあ、世話になるよ………」
彼にしては歯切れ悪く、イストはそういった。
「うん!任せて!」
対照的にヒスイは満面の笑みで請け負う。
(反則だ、本当に………)
その笑みを見て、イストはもう一度天を仰ぐのだった。
こうしてイストがシラクサに行くことは決まった。とはいえまだまだ彼の容態は長旅に耐えうるものではない。少なくとも傷が完全にふさがるまでは安静にしていろ、と医者からも言いつけられている。
ヒスイはイストの看病のためサンサニアに残ることにした。シスイに事情を説明し両親への言付けを頼む。そして嬉々としてイストの世話を焼くのだった。
「酒が飲みたい」
「だめよ。大怪我してるんだから我慢しなさい」
「痛み止めだよ」
「だめですー」
「薬代わりにホットワインでいいから………」
「だ・め・で・すっ!」
「………はい」
世話を焼くのだった。
**********
イストが鈍く光る鋼の義足を左足に装着し、その具合を確かめている。その義足は魔道具であり、作り上げた職人の名はニーナ・ミザリという。
彼女が師匠であるイストに作品を見せるのは久しぶりだ。ただ胃の痛くなるような緊張感は、最後の課題を見せた二年前となんら変わらない。
パックスの街が落ち、イストが左足を失ってから三年がたった。
左足の怪我の容態が安定したのを見計らい、ヒスイの招きに応じる形でイストはシラクサへと向かうことにした。魔道具職人としての修行がまだ終わっていないニーナはそれについて行くことにしたのだが、ジルドとはそこで別れることになった。彼はこの先もまだ旅を続けるのだという。
「では、またな」
「ああ、また」
素っ気ないほどジルドとイストの別れは簡単だった。互いに必要以上に干渉しないその乾いた関係は、ニーナなどから見れば少し寂しく思うのだが、本人たちにはそれが最適な距離だったのだろう。
シラクサについたイストとニーナは、セロン宅に世話になることになった。ただ、以前とは異なりイストがこの先ずっとここに腰を落ち着けることになる、というのを誰もが予感していた。
イストはせっせと魔道具を作った。そりゃもう、見ている人間が呆れるくらいのハイペースで作りまくった。幸いなことにシラクサには魔道具工房は一つもなく、彼の乱作を疎ましく思う人間はいなかった。むしろシラクサの人々はイストの作る魔道具が商人たちを呼び込むとして歓迎した。
そうやって資金を溜めたイストは、セロンの伝手などを頼りながらついに自分の工房を開いた。名前は魔道具工房「へのへのもへじ」。思わず脱力してしまう珍妙な名前だが、それゆえ一度聞けば決して忘れまい。
名前が珍妙で主が変人でも、「へのへのもへじ」で作られる作品は素晴らしい。すぐさま評判になりその名前は大陸中に広がった。工房の滑り出しとしては大成功といえるだろう。
イストの私生活についても、少し書いておこう。シラクサで生活するようになってからおよそ半年後、イストはヒスイと結婚に至った。一年後には大望の第一子(女の子だ)を授かった。現在は第二子がヒスイのお腹の中にいる。
この結婚を最も喜んだのはヒスイの両親であるセロンとシャロンだが、次に喜んでいたのはニーナだった。
「これでもう師匠のオモチャにされずにすみます!」
斜め上の喜び方をする彼女がこの先どんな目にあったのか、まあこの場では語らずとも良かろう。
そんなニーナではあるが、彼女はシラクサに来てからも目標に向かいブレることなく修行に励んだ。二年前に最後の課題を片付けてからは、自分の研究テーマである「魔道具製の義肢」を作り上げるべく研究に励んだ。
そしてついに満足のいく義足を作り上げ、今まさに師匠にして使用者でもあるイストがその具合を確かめているのである。
「………駄目だな。やはり生身の足に比べると違和感がある」
ゴチン、とニーナはテーブルに頭を打ち付けた。「そんなぁ~」と情けない声を上げる弟子に、イストは面白がるような笑みを向けた。
「でもまあ、普通の義足に比べれば格段に歩きやすい」
たいしたもんだよ、とイストは苦笑気味にニーナに告げた。
「それじゃあ!」
満面の笑みを浮かべてニーナは勢いよく立ち上がった。テーブルにぶつけた額が赤くなっているのはご愛嬌だ。
「合格だ」
イストがそう告げた瞬間、ニーナは歓声をあげた。この瞬間、彼女の職人修行が終わったといっていい。
「ニーナ」
イストは喜びに打ち震える弟子に声をかけ、ひとまず椅子に座らせる。
「お前はもう一人前だ」
だから、といってイストは右腕につけていた腕輪「狭間の庵」を外してニーナのほうに差し出した。
「もし受け継ぐ気があるのなら、コイツをやろう」
イストが差し出す「狭間の庵」はただの腕輪ではない。そこに固定された亜空間の中には歴代のアバサ・ロットたちが使っていた工房と、彼らが残した膨大な資料が収められている。つまりこの腕輪を受け継ぐということは、アバサ・ロットの名を受け継ぐということなのだ。
差し出された腕輪をニーナはしばらくの間呆然と眺めていたが、意を決して首を横に振った。
「わたしの夢は、お父さんの工房『ドワーフの穴倉』を継ぐことです。アバサ・ロットの名は受け継げません」
穏やかな笑みを浮かべながら、しかし毅然と彼女はそういった。そんな弟子を見てイストも満足そうに頷き腕輪を腕に戻した。
「代わりと言ってはなんだが、コレをやろう」
そういってイストが取り出したのは、漆塗りの光沢が美しい木箱だった。促されるままに開けてみると、中には細工用のナイフが大小十五本も収められている。全て聖銀製で美しい装飾が施されており、そして当然魔道具だ。
「頑張れよ。そして超えて見せろ、このオレを」
「師匠………!」
「まあ、そう簡単に超えさせてやる気なんてないけどな」
「師匠………」
最後まで変わらない師弟であった。
故郷に戻ったニーナは工房「ドワーフの穴倉」で魔道具の義肢を作り始める。魔道具というのは基本的に需要過多で作れば売れるものだが、その中でも「義肢」というのは全く新しい分野で、しかも人々からは切実に必要とされるものであった。そのため「ドワーフの穴倉」とニーナ・ミザリの名前は、すぐに大陸中に知れ渡ることになる。
ただ分野が限定されているため、シラクサの「へのへのもへじ」には一歩劣る、というのが巷の評価だ。それを聞くたび、しかしニーナは嬉しそうに笑ったという。
「いつか絶対超えてやります」
海の向こうを見据え、ニーナは口癖のようにそう言うのだった。