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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第十話 神話、堕つ
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第十話 神話、堕つ25

 ――――アールヴェルツェ将軍、戦死。


 その知らせが本陣にもたらされた時、クロノワは目立った反応は見せなかった。むしろ彼の横に控えていた近衛騎士団騎士団長グレイス・キーアやカルヴァン・クグニス将軍を始め、回りの兵士たちのほうが顔色をなくし動揺を見せている。


 そんな中、クロノワは数瞬だけ目を瞑った。そして目を開けると腰を上げ、そしてこう言った。


「行きましょう。主翼を掌握しなければ」


 アールヴェルツェが戦死したせいか、先ほどまで優勢だったはずの連合軍主翼が徐々に押され始めている。今は悲しみに暮れているべき時ではない。一刻も早く主翼の指揮系統を立て直さなければならず、そしてそれができるのはクロノワだけなのだ。


 カルヴァンに任せることはできない。彼には十字軍の指揮を任せているし、なによりも主翼の各部隊を指揮しているのはアールヴェルツェの部下たちだ。指揮系統上、カルヴァンには彼らに対する命令権がない。


 仮に、戦死したのがイトラかレイシェルであった場合、アールヴェルツェは左翼または右翼をすぐさま自分の指揮下に再編することができる。彼には本陣以外の部隊全てに対する命令権が与えられているからだ。しかし、主翼への命令権者はアールヴェルツェとクロノワだけである。


 無論、非常事態であることはアールヴェルツェの部下たちも承知しているだろう。また総司令官であるクロノワの命令という根拠があれば、カルヴァンが彼らに命令することにも一応筋が通る。


 ただ、それでも命令を徹底するのに多少なりとも時間がかかるだろう。今は時こそが要である。手っ取り早く主翼を掌握するには、もともと総司令官として全軍に対する命令権を持っているクロノワが出向くのが最も良い。


「私は直属の一万を率いて先行、主翼と合流してこれを掌握します。カルヴァンは十字軍を率いて主翼の援護を」


 戦局次第では私の補佐についてもらうかもしれませんから、そのつもりで。クロノワはそう命令を出した。それはつまり、カルヴァンが主翼と十字軍の両方の実質的な指揮を執ることになるかもしれない、ということだ。


「御意!」


 カルヴァンは片膝をつき鋭く答える。いざとなれば彼が全軍の実質的な指揮を執らなければならなくなるのだが、その事に対し彼は気負いはあれど不安はないように見えた。流石はアレクセイの一番弟子と呼ばれた男である。


「さて、行きましょう。急がなくては」


 クロノワが歩き始めると、その斜め後ろにグレイスがつき従う。彼女の仕事はただ一つ、クロノワの命を守ることである。


「グレイス殿、陛下のことくれぐれもよろしく」

「は。この命に代えましても」


 カルヴァンから念を押されたグレイスは、そう自分の決意を述べた。アールヴェルツェが何よりも気にかけていたのがクロノワの命だ。それをこのような辺境(・・)で散すわけにはいかない。


 クロノワは自分の馬にまたがると、何も言わずその腹を蹴って疾駆を開始した。連合軍本陣六万のうちアルジャーク軍一万が、それを合図にして彼の後につき従う。


 クロノワは馬を全速力で疾駆させる。そのせいで歩兵との距離が開いてしまうがかまわない。拮抗している両翼はもちろん、主翼も押され気味になっているとはいえ裏に回られているわけではないからだ。


 ほとんど単騎で駆け出したクロノワに、すぐさまグレイスを始めとする騎兵たちが追いつく。そして流れるようにして彼の周りを固める。クロノワのすぐ横につけたのは、やはりグレイスだった。


「陛下、あまりお一人で飛び出されぬよう………」


 諫言を口にするグレイスの様子は、すでにいつもと同じだ。アールヴェルツェの死については、今は心の奥底に封印しているのだろう。


 グレイスらしいお小言に、クロノワは一瞬だけ苦笑をもらす。しかしすぐに真剣な表情に戻り、馬を走らせることに集中する。そして主翼に合流すると、彼は声を張り上げた。


「これより!主翼の指揮はこのクロノワ・アルジャークが執る!」


 すぐに数人の男たちがクロノワのもとに集まってくる。クロノワも見知った者たちで、たしかアールヴェルツェの参謀たちのはずだ。彼らは悲壮な色を瞳に浮かべ、鎧の上から右手の拳で胸をたたいた。アールヴェルツェが戦死したことで最も悔しい思いをしているのは彼らであろう。


「乱れた隊列を整え、戦線を修復しなさい!アールヴェルツェが命を懸けてくれたこの戦、決して負け戦にしてはいけません!」

「「「「御意!!」」」」


 クロノワの言葉に参謀たちが力強く答える。そして彼らの瞳に決意がたぎり始めたのを見て、クロノワは内心で深く頷いた。大丈夫、まだ彼らの心は折れていない。ならば自分の役目はさらに士気を高め、その士気に明確な方向性を与えてやることだ。


「この戦いに疑問を持つ者も、この中にはいるかもしれません」


 クロノワはあえてそう言った。この戦いがアルジャーク帝国の国益に直接結びつかないことは、すこし考えれば分ることである。ましてアールヴェルツェの下にいた参謀たちならば百も承知していることであろう。


 極端な言い方をすれば、この戦いはアルジャークにとって得をするためのものではなく、損をしないためのものなのだ。しかし、クロノワはそのことを指摘しようとは思わなかった。それは戦場の外の思惑である。今ここで、戦場の真っ只中で戦っている兵士たちにとって、それは意味のある言葉ではない。


 代わりに、クロノワはこういった。


「ですがそれは今ここで無様を見せていい理由にはなりません!」


 あまりにひどい戦いを見せれば、アルジャーク帝国は大陸中の人々から笑いものにされるだろう。


「所詮は辺境の蛮族」

「大陸最強などと、聞いて呆れる」

「田舎者は大人しく土にまみれていればよかったのだ」


 敗者への罵詈雑言に事欠いた例は歴史上存在しない。


 大陸の中央部にアルジャークが進出するのは、これが始めてだ。だからこの戦いは、いわば「アルジャーク帝国ここにあり」と大陸中に知らしめるための舞台なのだ。それはだれも意図しなかったことではあるが、歴史的な観点からことを眺めればそう言わざるを得ない。である以上、ここで悪評を被るようなことになれば、その評価はこの先ずっとアルジャーク帝国について回ることになる。


「アルジャーク帝国?ああ、アルテンシア軍に無様に負けた、あの………」


 実情はともかく、一般の人々の間にはそういう印象が末永く残ることになるのだ。それはこれから世界をまたに駆けて海上交易を展開しようとするクロノワにとって、望ましいことではない。


 そしてなによりもここで無様に負ければ、戦死したアールヴェルツェはこの先ずっと嘲笑の的になり続けるだろう。


「アルジャークの兵は精強にして屈強。一度動けば目的を達し得ないことなどないのだと、この戦いをもって大陸中に知らしめなさい!それがアールヴェルツェへの最大のはなむけです!!」


 クロノワがそう声を張り上げると、その声が届いた兵士たちは地鳴りのような鬨の声をあげる。この瞬間、連合軍主翼は完全に息を吹き返した。強引ささえ感じさせる勢いで前に出て敵の勢いを押し止め、逆流しかけた戦場の流れを押し返していく。


 その勢いに便乗する形で、カルヴァン率いる十字軍五万がアルテンシア軍主翼の右側面に回りこみ牽制する。兵の質はともかく、数だけ見ればこの部隊がこの戦場で最も多いのだ。決して無視しえる存在ではない。


 十字軍のこの動きに、アルテンシア軍の左翼を率いるヴェート・エフニート将軍も当然気がついていた。しかし連合軍右翼と激戦を繰り広げている彼女に、十字軍の側面か背後を突かせるために割ける部隊はない。そのため、アルテンシア軍主翼はほとんど単独で二方向の敵と戦わなければならなくなった。


 彼らにとってまず注意すべきは、正面から猛攻を加えてくる連合軍主翼(純アルジャーク軍だが)である。どうやら敵将を討ち取ったらしく、一時は士気が下がり指揮に乱れが出ていた。しかし、後ろにいたはずの本陣が合流した途端に彼らは息を吹き返し、これまで以上の破壊力を見せ付けてくれている。


 そして右側面に回りこんだ連合軍本陣のうちの十字軍五万。こちらの動きはどうにもいやらしい。


 積極的に攻撃を仕掛けてくるわけではない。いや、むしろ攻撃に関しては消極的といってもいい。しかし常に部隊を動かしてアルテンシア軍主翼の隙をうかがい、チクチクと指揮を執っているリオネス公の神経を刺激する。


 しかもわざわざ対処できるように動くのだ。おかげでリオネス公は、十字軍が動くことで戦列に隙を見つけそこを修復する、という妙な作業を先ほどから延々くり返す羽目になっている。


(ええい!鬱陶しい!)


 隙がなくなれば十字軍は無理に戦おうとせず後退する。しかしその後を追うことはできない。そちらに兵を割けば、正面から猛攻を加える敵主翼に対処できなくなるからだ。そして敵主翼との戦いに集中しようとすると、ふたたび隙を突くようにして十字軍が動くのである。


(このままでは押し込められる………!)


 リオネス公は焦った。この危機を打開できるのはただ一人、シーヴァ・オズワルドだけである。しかし彼は未だにジルド・レイドによって釘付けにされ身動きが取れない。


(この際、犠牲は覚悟の上で部隊を差し向け、陛下に動いていただくしか………!)


 リオネス公がそう決断を下そうとした、まさにその瞬間。

 地面が波打ち、衝撃が突き上げた。


**********


 その世界は、恐ろしく静かだった。


 しかし、それは決して音がしない、という意味ではない。むしろどんな些細な音でさえも今のジルドが聞き逃すことはない。


 わずかな呼吸音。靴が草原を踏みしめる音。剣の柄を握りなおす音。


 戦場で鳴り響く怒号は、ジルドの耳には届かない。無意識のうちに邪魔な情報を遮断しているのだ。今彼が神経を研ぎ澄ませて収集しているのは、普段であれば気にも留めないような小さな音だ。


 いや、小さな音だから気にかけているわけではない。問題なのはその音を立てている存在、すなわちシーヴァ・オズワルドだ。


 静かだった世界に音が戻ってくる。アレは極限の集中力がなす一種のトランス状態なのだろう。なろうと思ってなれる状態ではないが、この戦いの中、ジルドはすでに何度もその状態を経験していた。


 互いに得物を正面に構え慎重に間合いを計る。二人とも肩で息をしてはいるが、乱れているというほど荒いものではない。なによりも二人の顔に浮かぶのは疲労とは程遠いものだ。


 恐怖と歓喜。


 その二つの感情を混ぜこぜにすれば、今のジルドとシーヴァが浮かべているような表情になるのかもしれない。


 死ぬかもしれない。恐ろしい。それは生物として正常な反応だ。しかしそれでも足は前に出る。血がわき立ち肉体には力が満ちている。充足を感じる一方で飢えを覚える。


 もっと、もっと、もっと。この渇きを癒し飢えを満たしてくれ。


 刹那的、といわれれば反論はできない。ただこの一瞬こそが全てで、この先のことなど考えていないのだから。


 ジルドが獰猛な笑みを浮かべると、シーヴァもまたそれに答えるように同質の笑みを見せる。それを合図にしたように二人は同時に地面を蹴って前にでて間合いを詰める。

 シーヴァが上段から振り下ろした一撃を、ジルドは姿勢を低くしわずかに左に避けてかわす。そこから太刀を突き出して反撃しようとするが、その瞬間に嫌な感覚を覚えとっさに太刀の軌道を修正。魔力を込めながら漆黒の大剣に刃を立てる。


 銀色の太刀と漆黒の大剣が触れるがはやいか、大剣の周りに黒き風が渦を巻く。そしてほとんど同時にジルドは「万象の太刀」の能力を使いその攻撃を散す。黒き風の効果範囲は結構広かったらしく、突きを入れていれば今頃体を削り取られていたであろう。


 シーヴァは「災いの一枝・改ディス・レヴァンテイン」に魔力を喰わせて黒き風を発生させ続け、そしてジルドもまた「万象の太刀」に魔力を込めてそれを散し続ける。散された魔力、そして二人のせめぎ合う魔力は暴風となって渦を巻き彼らを戦場から隔離する。


 魔道具の力が拮抗している以上、あとは単純な腕力の勝負になる。この勝負で分があるのはシーヴァだ。彼はゼゼトの民にも劣らない腕力を誇っている。鍔迫り合いの天秤はすぐにシーヴァに傾いた。


 しかしそのことでジルドは焦らない。もとより腕力の勝負ではシーヴァに勝てないことなど百も承知だからだ。だからシーヴァがさらに力を込める瞬間を見計らって自分から後方に飛ぶ。


 体が宙に浮いた瞬間、ジルドは足に履いた魔道具「風渡りの靴」に魔力を込め、周囲に渦を巻いている風に乗る。そのまま上空へと駆け上がり、そして素振りをするかのように何度か太刀を振るう。


「ちっ………!」


 ジルドが太刀を振るうたび、一瞬送れて不可視の斬撃がシーヴァを襲う。その斬撃をシーヴァは「災いの一枝・改ディス・レヴァンテイン」を振るって払いのける。


 襲い来る斬撃は鋭い。試してみる気はないが、直接受ければ鎧を着ていようとも深手はまぬがれないだろう。ただ攻撃は直線的で、ジルドが振るう太刀の向きを見ていれば、払いのけるのはそう難しくはない。それにジルドとてこのような小細工でシーヴァにダメージを負わせられるとは思っていないだろう。


(とはいえ、このまま続けられても鬱陶しいな………)


 襲い来る斬撃を払いのけながらシーヴァは「災いの一枝・改ディス・レヴァンテイン」に魔力を込めて、小さな魔弾を幾つも用意しそれ打ち出していく。しかしそれらの魔弾は直接ジルドを狙うものではない。


 狙っているのは彼の足元、のそのすぐ下。爆発した魔弾は直接ジルドにダメージを与えることはないが、爆発に起因する突風が彼を押し上げる。


「ぬっ!?」


 突然、足元が盛り上がったかのように感じ、ジルドは体勢を崩した。そのまま地面に墜落することなく宙を駆け続けられたのは、ひとえに彼の力量ゆえだろう。


 ジルドが足に履く「風渡りの靴」は、風の上を滑るようにして駆けることができる魔道具である。しかしこの魔道具は決して自由自在に空を駆け巡ることを可能にするものではない。その性質上、風向きや風速などによって多少なりとも制約を受ける。その上、風とは目には見えないものだ。それに乗る、といわれても多くの人はピンとこないだろうし、またそう簡単にこなせるようなことでもない。


「分ってはいたが、おっさんは大概異常だな」

「失礼だな。ワシほど正常な人間は少ないと自負しておるぞ」


 イストとジルドの間でそんな冗談が交わされたとか、かわされなかったとか。


 まあそれはともかくとして。「風渡りの靴」の名前は知らなかっただろうが、その空を駆けるための魔道具についてシーヴァはこの戦闘中にその特性について大まかにではあるが把握し始めていた。


「どうにも風から影響を受けるか、あるいは利用しているものらしい」


 そこまで見当が付けば、あとはその推測を試してみるだけである。風を利用しているのであれば、突発的な突風が起これば必ずやその影響を受ける。そう考えたシーヴァは小さな魔弾を爆発させることで突風を起こしたのである。


 結果として、シーヴァの考えは当っていた。爆風に煽られたジルドは、しかし爆風以上の影響を受けて体勢を崩した。彼にとってどれほどの衝撃だったのかは分らないが、少なくともシーヴァにとってジルドの行動を阻害する手段を得られたことは大きい。


 ここまでの二人の仕合は、鍔迫り合いをするほど接近すればシーヴァに分があったが、そういう状況になるたびにジルドは今のように空を駆けて距離を取って体勢を整え、そして彼の神速をいかして攻撃を仕掛けてくるのだった。


 シーヴァは移動を補助するタイプの魔道具は持っていない。ゆえにジルドの動きに合わせて戦うことは不可能だ。行動範囲に絶対的な優位がある以上、ジルドのほうには常に“距離を取る”という選択肢が存在するのだ。


 ちなみに魔弾を使えば遠距離からでも攻撃はできる。ただ魔弾を撃っても難なく切り裂かれてしまうため有効とは言いがたい。


 それだけに、相手の優位性をすこしでも崩せるのは大きい。小細工だと承知しているが、こういう小細工が一番癇に障るのだとシーヴァは理解している。逆上し冷静さを失ってくれれば御の字と思ってはいるが、さすがにそこまで上手くはいかないだろう。


 体勢を崩したジルドめがけて、シーヴァは魔弾を打ち込む。当れば必殺の威力だが、爆裂する前にジルドはそれを太刀で切り裂いた。しかしそのせいなのか、彼の体は宙に浮かぶことを止め地面に落下する。


 トン、と膝をうまく使い重さを感じさせず実に軽やかにジルドは着地した。シーヴァとしてはその瞬間を狙って攻撃を仕掛けられれば良かったのだが、あいにくと距離が開きすぎている。


 二人の間に距離が開いても、そこに兵士たちが流れ込んでくることはなかった。敵味方問わず、全ての兵たちが理解しているのだ。


「この戦いを邪魔してはいけない。割って入ってはいけない。いや、そもそも邪魔することも割って入ることもできはしない」


 連合軍としては下手に手出しをしてシーヴァが自由に動けるようになることは避けたい。そしてアルテンシア軍としては割ってはいることでシーヴァが「災いの一枝・改ディス・レヴァンテイン」を自由に使えなくなることは避けたい。そんなふうに両者の思惑は重なっていた。


 いや、そんな思惑よりも、「近づかずに済むのなら近づきたくない」というのが両者の戦いを間近でみている兵士たちの素直なところだった。割り込めばボロ雑巾のごとくに殺される。彼らは直感的にそれを悟っていたのだ。


 その結果として、戦場のど真ん中、両軍がぶつかる激戦区にぽっかりと空白地帯が出来上がる、という奇妙な構図が出来上がっている。


 ジルドとシーヴァはそれぞれ得物を構えじりじりと間合いを詰めていく。そして互いに一息で跳びかかれる距離になると、ピタリと足を止めて向き合った。


 お互いに構えを少しずつ変化させながら相手の出方を伺う。その上、二人とも全身から膨大な量の魔力を無造作に放出し、それがせめぎあって周囲に強風が吹荒れる。


 二人の動きが止まる。シーヴァは「災いの一枝・改ディス・レヴァンテイン」を両手で上段に構え、ジルドは「万象の太刀」を、刃を寝かせてやや後ろに引く形で構える。


 二人の視線が擦れ、同時にためを作る。激しい戦いが再開されようとした、まさにその瞬間。


 地面が波打ち、衝撃が突き上げた。


**********


 ――――テオヌジオ・ベツァイ枢機卿に不穏な動きあり。


 神殿に設けられた自身の執務室でその報告を聞いたとき、居残ったもう一人の枢機卿であるカリュージス・ヴァーカリーは自分の耳を疑った。


(テオヌジオ卿がこのタイミングで何をするというのだ………!?)


 神殿の外、アナトテ山の東ではアルテンシア軍と連合軍の決戦が行われている。勝敗はともかくその決戦が終わるまでは、自分もテオヌジオもできることなど何もない。少なくともカリュージスはそう思っていた。


「どういうことだ?テオヌジオ卿が何をしているというのだ!?」


 聞けばテオヌジオが三十人ほどの集団を引き連れて神殿内を闊歩しているという。破壊や放火といった行動はしていないため、カリュージス子飼いの衛士たちは困惑しつつも拘束などはしていないとのことだ。ただ、あてもなく彷徨っているわけではなく、明確な目的地があるように思える。


「恐らくですが、御霊送りの祭壇に向かっているのかと………」

「なに………?」


 部下の言葉を聞いたカリュージスは眉をひそめる。このタイミングでそんなところへ向かい、いったい何をしようというのか。


「それと……、はっきりとした報告ではないのですが………」

「なんだ?話せ」

「テオヌジオ卿が神子の腕輪を持っていた、という話が………」


 それを聴いた瞬間、カリュージスは背中に氷刃を刺し込まれたかのように感じた。“神子の腕輪”とは、「世界樹の種」がはめ込まれた、代々の神子に受け継がれるあの腕輪のことであろう。テオヌジオがそれを持ち、そして御霊送りの祭壇に向かっている。それが意味するところは、すなわち………。


「衛士を集められるだけ集めて祭壇に向かわせろ!テオヌジオ卿を祭壇に近づけさせてはならん!」


 怒鳴りつけるようにしてカリュージスは命令を出す。命令された衛士は「わ、わかりました!」と返事をして彼の執務室を飛び出していった。


 命令を出したカリュージスも執務室で安穏としていられるわけではない。聖女の護衛として神殿から衛士を派遣したため、集められる数にはおのずと限界がある。少ない数で五十人規模の集団を制圧するには、指揮官としてカリュージス自身が出向かなければならない。


 部屋の隅においてある一振りの剣をカリュージスは身に帯びる。細身の剣で、軽いがその分折れやすく実戦には向かない。もっとも、実戦向きの剣を用意したところで、カリュージスがそれを使いこなせるかはまた別の問題だが。


 剣を持ち、見つけた衛士たちと合流しながらカリュージスは急ぎ足で御霊送りの祭壇に向かう。


 早足になっているとはいえ外から見る分には、カリュージスは冷静そのものであった。しかし彼は内心で大いに焦っていたし、彼の頭の中は「なぜ?」という疑問で埋め尽くされていた。


(なぜ、テオヌジオ卿はこのような暴挙に出たのか?)


 テオヌジオ・ベツァイは穏やかで篤信の信者でもある枢機卿だ。自分のことしか考えていない枢機卿が多い中、彼は神子と教会をいつも最優先に考えていた。少々理想を追いがちな面もあるが、為政者や宗教家が理想を持つのは悪いことではあるまい。


 カリュージスも、テオヌジオと何度も協力し案件を通したことがある。またその逆に反対したこともされたこともある。どのような場合であっても常に一本筋の通った理由があり、彼なりの信念を感じることができた。損得勘定で考えがぶれる他の枢機卿たちとは違い、彼との話し合いにはやりがいを感じたものである。


 テオヌジオ・ベツァイという人物を、カリュージスはある面尊敬していたのである。教会という宗教組織の中にあって、カリュージスは自分が政治家でしかないことを自覚している。その中枢にいながら、いや中枢にいるためなのか、宗教家になることはついにできなかった。


 しかしテオヌジオは徹頭徹尾、宗教家であった。私利私欲のために自分の地位を利用することなど、彼にとっては考えられないことであったろうし、また回りの人間もそれを認めていた。枢密院の中にあって彼は自分の信念を曲げず、高潔であり続けた。そういうテオヌジオのあり方に、カリュージスはある種尊敬の念を抱いていたのである。


『道義的責任』

 という言葉をテオヌジオは使った。いかにも彼が使いそうな言葉だと、カリュージスは思っている。それは思惑や損得勘定を超えたところにある“理由”であり“動機”だ。そして政治家でしかないカリュージスにはたどり着けなかった言葉でもある。そこへ導いてくれたテオヌジオに対し、彼は恩義に似たものさえ感じていた。


 だからこそそれだけに、テオヌジオがこの時このような仕方で行動を起こしたことは、カリュージスにとって非常に衝撃的なことだった。


(なぜ、テオヌジオ卿はこのような暴挙に出たのか?)


 同じ疑問が頭の中で繰り返される。答えは出ない。出ないまま、カリュージスはパックス湖を見下ろす御霊送りの祭壇が置かれた広場に到着した。御霊送りの儀式を行うのもこの広場であり、そのため随分と広いつくりになっている。その広場に人影はまだまばらだ。急いだおかげなのか、あるいはテオヌジオが寄り道をしたのか、そこにはカリュージス子飼いの衛士たちの他にはまだ誰もいない。


(間に合ったか………)


 その事にカリュージスはひとまず胸をなで下ろす。もしも御霊送りの神話の裏に隠された真実が明るみに出れば、今行われているアルテンシア軍と連合軍の決戦の勝敗など関係なく教会は一挙に崩壊し歴史から消え去ることになる。


 アルテンシア軍が勝つようならば、それが運命であったと受け入れよう。しかし勝敗が決していないこの時点で、教会がそれも内部から崩壊に向かうようなことはなんとしても止めなければならない。


(教会を守ると、そう決めたのだ………)


 それがテオヌジオから教えられた、「道義的責任」というものなのだから。しかしそれを果たすために、教えてくれたテオヌジオを止めなければならないとは、一体どういう皮肉なのだろうか。


 やがて、テオヌジオと共に五十人ほどの集団が広場に現れる。カリュージスの姿を認めると、テオヌジオは穏やかに微笑んだ。


「ああ、カリュージス卿、こちらにおられたのですか。お部屋のほうにはおられなかったのでどうしたのかと思っていましたが、ちょうど良かった」


 実はお話したいことがあったのです、とテオヌジオは言った。


「伺いましょう」


 話とやらの内容について、カリュージスはおおよその予想は付いている。しかし彼は自分の予想が間違っていることに一縷の望みをかけてテオヌジオに続きを促した。


「実はこれから、神界の門を開こうと思うのです」


 テオヌジオがそういった瞬間、カリュージスは自分の予想が当ってしまったことを悟った。彼は目を閉じ、全神経を動員して表情筋を制御する。そうしなければ、苦虫を噛み潰したような顔になってしまいそうだった。


「もはや現世に救いはありません。ならば神界の門の向こう側、神々の住まう天上の園に救いを願うのは当然のことでしょう。敬虔な信者の方々を救うためには、もうこれしかないのです」


 テオヌジオの声音に憂いが混じる。だがカリュージスの内心はさらに憂鬱だった。神界の門の向こう側に救いなどないことを、彼は知っているのだから。


 なんとしても彼に神界の門を開かせるわけには行かない。その決意を胸にカリュージスは目を開いた。


「………死後、魂となって神子によってそこへ導かれるのが正しき道筋であり手順、そして神々の御意志です。それを無視しては、救いなど得られるはずもございますまい」


 御霊送りの秘密を暴露するわけにもいかない。だからカリュージスはテオヌジオの信じる教会の教義を全面に出して説得を試みた。しかしその一方で、その説得が無駄に終わることを彼は予期していた。


「いいえ、カリュージス卿。これこそが神々の御意志なのです」


 テオヌジオは満面の笑みを浮かべてそういった。カリュージスにとってその答えは予想外のものである。怪訝な顔をするカリュージスに対し、テオヌジオは神子の腕輪を掲げて見せる。その腕輪にはめ込まれた「世界樹の種」は、煌々と赤い光を放っていた。


「それは………!」

「これが神々の御意志なのです、カリュージス卿」


 貴方も是非ご協力していただけませんか、とテオヌジオは柔和な笑みを浮かべてカリュージスに手を差し出す。そんな彼を、カリュージスはにらみつけた。


「神子様は、いかがなされた?」

「………残念ながら、神子様にはご賛同いただけませんでした」

「………!」


 カリュージスは目を見開いた。神子ララ・ルー・クラインはテオヌジオの計画に賛同しなかった。しかしその腕輪は今テオヌジオの手の中にある。それが意味するところはつまり………。


「神子様を弑たのか!?テオヌジオ卿!!」


 テオヌジオは首を振るだけで何も言わない。それがカリュージスに自分の推測が正しいことを教えた。


「………テオヌジオ卿、いやテオヌジオ・ベツァイとその一味は神子様に危害を加えた可能性があります。即刻全員を拘束しなさい」


 カリュージスの言葉でその場が一気に緊張する。カリュージス子飼いの衛士たちが武器を構えて前に出、それをみたテオヌジオ側の衛士たちもまた武器を手に前に出る。


「カリュージス卿、どうしてもご協力いただけませんか?」


 残念そうなテオヌジオの声が響く。それをカリュージスは無視した。


「………行け。抵抗するものは殺してかまわん」


 カリュージスの言葉をきっかけに、その場が動き出す。悲鳴と怒号が飛び交い、金属同士がぶつかったり擦れたりする音が騒がしく響く中、カリュージスとテオヌジオだけが互いに向かい合い動かずにいる。ただその表情は対照的だ。カリュージスが鋭く相手を睨んでいるのに対し、テオヌジオはただ穏やかに微笑み続けている。


 数秒間、一方的に睨んだ後カリュージスは剣を鞘から抜きその切っ先をテオヌジオに向けた。


「その腕輪をこちらへ」


 拒否するならば実力行使もいとわない。カリュージスのその覚悟を承知しているはずなのに、しかしテオヌジオは無言で首を横に振るとそのまま静かに祭壇に向かって歩き始めた。


「テオヌジオ卿!なぜだ!?」


 ゆっくりと、しかし真っ直ぐに向かってくるテオヌジオに向かって、カリュージスは剣を振り上げて迫る。相手を間合いに捕らえたカリュージスは剣を振り下ろし、しかし途中で右腕が何かにぶつかり剣を落としてしまう。


「かっ………は………!」

「救われたかった。そして救いたかった。ただ、それだけのことです」


 気がついたときには、テオヌジオの顔がカリュージスの耳元にあった。テオヌジオが持つ短剣が、カリュージスの腹部に突き刺さっている。


 カリュージスが剣を振り下ろすその瞬間、意外な素早さを見せたテオヌジオは間合いを詰めて彼に抱きつくような形で短剣を腹に刺したのである。振り下ろそうとした右腕はテオヌジオの左肩によって阻まれていた。


「せめて貴方の魂も、私が神界の門の向こう側に連れて行きましょう」


 テオヌジオが体をずらしてカリュージスから離れると、彼は力なくそのまま地面に倒れこんだ。その様子をテオヌジオは左肩をおさえながら静かに眺めている。血を流しながらも死に切れないカリュージスが下から血走った目で睨みつけるが、それに応えるテオヌジオはあくまでも穏やかだ。


 やがてテオヌジオのほうが視線を外した。彼はカリュージスに向けていた視線を御霊送りの祭壇のほうに向け、そしてそちらに向かって歩を進める。


「ま………!」


 カリュージスは「待て」と言おうとしたが、しかしその言葉が形になることはなかった。地面に這い蹲りながらもカリュージスは必死に手を伸ばすが、その手はただ空を掴むばかりである。


 やがてテオヌジオは祭壇の上に立つ。


「さあ、皆さん。共に参りましょう。神界の門の向こう側、神々の住まう天上の園に」


 テオヌジオは満面の笑みでそういい、「世界樹の種」がはめ込まれた腕輪を天に向けて掲げた。彼がそれに魔力を込めようとしたまさにその瞬間。


「かぁ………は………」


 無数の閃光がテオヌジオの体を貫き、そして彼の命を奪った。


 閃光に撃ち抜かれたテオヌジオの体が崩れ落ちるより早く、彼が掲げていた腕輪が下に落ちて祭壇にぶつかり、そのまま血を流して倒れているカリュージスのほうに転がってくる。それを掴もうとしてカリュージスは必死に手を伸ばし、しかしその直前に別の手がその腕輪を拾い上げた。


「悪いがコイツはオレのものだ」


 テオヌジオを殺害し腕輪を奪ったその人物、イスト・ヴァーレはそういって不敵に笑った。彼が腕輪を手にした途端、そこにはめ込まれた「世界樹の種」は赤い光を放たなくなる。


「そんな………!」


 テオヌジオに賛同していた人々はその様子を見て悲嘆にくれる。テオヌジオが死んでしまったことを悲しんでいるわけではない。「世界樹の種」の赤い光がなりを潜めたということは、彼らにとっては「神々が自分たちを受け入れるのを拒否した」ということだ。希望を失った彼らは次々に座り込み、騒がしかった広場は途端に静かになる。


 テオヌジオの一味が抵抗をやめたことで、カリュージス子飼いの衛士たちはやることがなくなってしまい困惑気味に互いに視線を交わした。数人がカリュージスのもとに駆け寄るが、そのほかは何をすればよいのか分らずに立ち尽くしている。


 そういった一切を無視して、イストは御霊送りの祭壇に足を向ける。それを見た衛士の何人かが彼を止めようとして駆け寄るが、ある者は閃光に撃ち抜かれ、ある者は突然現れた魔法陣に弾き飛ばされてイストに近づくことができない。


 そしてついに、イストは祭壇の上に立つ。そして眼下で水を湛えているパックス湖を最後の見納めとばかりにしばしの間眺めた。数秒して飽きたのか、煙管型禁煙用魔道具「無煙」を取り出して吹かす。


「やれやれ、感傷にふけるのは性に合わない」


 湖を見ながらイストは苦笑をもらす。ずっと、ずっと待っていたのだ。この瞬間を。シーヴァが挙兵したことで随分と延期してしまったこの瞬間を。もう一秒だって待つ気にはなれない。


「さあて、楽しもうじゃないか。神話が堕ちる瞬間だ」


 狂気じみた笑みを浮かべ、イストは腕輪を投げ上げる。そして素早く「光彩の杖」を構えて魔法陣を展開し、無数の閃光を放った。放たれた閃光は腕輪に突き刺さりそれを破壊していく。


 そしてついに、一つの閃光が「世界樹の種」を貫き破砕した。


 ――――その瞬間、空が歪んだ。


 空は渦を巻くようにして歪んでいく。いや、実際に空が歪んでいるわけではない。目の前の空間が歪んでいるのだ。「世界樹の種」という核を失った亜空間が、断末魔の悲鳴をあげながら消滅しているのである。


 そして、空間の歪みは唐突に修正される。たるんでいた糸が勢いよく張り伸ばされるようにして、その歪みは、亜空間はなくなったのだ。


 しかし亜空間が消え去ったからと言ってその中に入っていたものまで消えてなくなるわけではない。亜空間がなくなれば、そこに収められていたものは実空間に戻ってくる。


「壮観だな………」


 歪みが消え去った空。そこに浮かぶ巨大な岩塊、パックスの街の成れの果てを見て、イストは恍惚とした様子でそう言葉を漏らした。


 ついに、御霊送りの神話が堕ちたのである。


 一瞬の停滞の後、宙に浮かぶ巨大な岩塊は下のパックス湖めがけて自由落下を開始する。落下の衝撃は、湖によって緩和されているとはいえ、地面を伝わり巨大な地震を発生させた。大質量の落下物は巨大な水柱を造り上げて湖から水を溢れさる。そしてその水しぶきは、高台にある神殿をも飲み込んでいった。


「最高だ!最高じゃないかぁぁ!!!」


 襲い来る濁流を前にしても、イストの顔から喜悦の色が消えることはない。狂ったように笑い声を上げながら、彼はそのまま濁流に飲まれていった。




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