第十話 神話、堕つ24
(まずいですね………)
戦況を眺めながら、リオネス公は内心で冷や汗をかいていた。はっきり言って、状況は良くない。
両翼同士の戦いは拮抗している。ヴェート・エフニート将軍率いる左翼は、連合軍(とはいっても純アルジャーク軍だが)の右翼と交戦している。ヴェート将軍が優秀なことはリオネス公も知っているが、敵右翼を率いる将も彼女に劣らぬ名将であるようで、双方一進一退の激しい戦いを繰り広げている。何よりも双方とも兵の士気が高い。おそらくこの戦場で最も兵士の士気が高いのはここであろう。
一方、アルテンシア軍の右翼を率い、連合軍の左翼と交戦しているのはガーベラント公だ。こちらは左翼に比べると随分静かな戦場だった。しかし、それは決して緩いという意味ではない。むしろこの戦場の空気は指で触れれば切れてしまいそうなほど張りつめている。
ガーベラント公と敵将はまるでチェスを指すかのように兵を動かしていく。相手の動き方からその思惑を推測し、それに応じて部隊を動かす。決して派手さはないが、見るものが見れば唸り声を上げずにはいられない素早さと正確さである。そしてどちらかが悪手を打った瞬間にこの均衡は崩れ、戦場の趨勢は一気に決するであろう予感を二人の将は共有していた。
アルテンシア軍と連合軍の両翼同士の戦いは拮抗しており、悪く言えばこう着状態に陥っている。そんななか今まさに趨勢の天秤が傾きつつあるのは主翼同士の戦いだ。そしてこの戦いは、そのままこの決戦の趨勢さえも決しようとしていた。
現在アルテンシア軍主翼の指揮を執っているのはリオネス公である。しかし、彼はもともとシーヴァの補佐役であり、ヴェート将軍やガーベラント公のように用兵に秀でているわけではない。
連合軍の主翼を率いているのはアルジャーク軍のアールヴェルツェ将軍なのだが、百戦錬磨の名将の相手をするのにリオネス公では力不足であった。時々刻々と押し込められていく戦況を見ながら、彼は内心で焦りを募らせていく。
戦闘を開始する前、シーヴァは「敵主翼を破れば、それでこの決戦の趨勢は決する」と考えていた。もちろん彼は自分が敵主翼を突破することでこの決戦の趨勢を決定付けようとしていたのだが、思いもよらぬ要素がここで加わることになる。
それが、今シーヴァと死闘を演じている剣士、ジルド・レイドである。リオネス公自身もガルネシアの古城で何度か彼の姿を見かけている。まさか戦場で、しかも敵味方として再会するなど、あの時は思いもしなかったが。
彼が登場したことで、シーヴァとアルテンシア軍の予定は大幅に狂ってしまった。シーヴァがジルドとの決闘に没頭することで、主翼の指揮をとることができなくなってしまったのである。
(どうする………?部隊を割いて陛下の援護に回すか………?)
そう考えては見たものの、それが現実的ではないことはリオネス公にも分っていた。連合軍主翼の猛攻を受けているこの状況で、シーヴァの援護に割ける戦力はない。それにアルテンシア軍がシーヴァの援護に部隊を回せば、連合軍とてジルドの援護に部隊を回すだろう。あちらにしてみればジルドがシーヴァを釘付けにしている現状こそが最大の好機なのだから。
それに、シーヴァが自由に動けるということは、ジルドも自由に動けるということだ。あのシーヴァ・オズワルドと互角に戦える剣士が自由に動き回ったとして、アルテンシア軍にどれほどの被害が出るか想像も付かない。もちろん使っている魔道具の差があるから単純にシーヴァ相当として考えることはできないが、動き回られて厄介な相手であることは確かだ。
そもそも二人の周りに兵を近づけること自体が困難なように思われる。二人の周りには放出された魔力が強風の如くに渦を巻いており、何人をも近づけさせぬ領域ができあがってしまっているのだ。
(しかしこのまま陛下が指揮に戻られなければ………!)
アルテンシア軍主翼は、連合軍主翼に敗れることになる。そして両翼同士の戦いが膠着している以上、その勝敗がそのままこの決戦の勝敗に直結する。
リオネス公は奥歯を噛締める。自分が醜態を曝すだけならば別にかまわない。しかしそれが原因でこの遠征が失敗に終わるようなことになれば死んでも死にきれない。その上、ここで負ければ教会が再び西へ手を伸ばしてくるかもしれないというのに。
(どうする………!?)
考えろ、とリオネス公は自分に命じる。しかしながら彼はもともと策士であり軍師だ。つまり通常、彼の仕事の大半は決戦が始まる前に終わっている。実際に兵を指揮して作戦を実行するのは、本来ならばまた別の人間の仕事なのだ。
だが現状はそのようないい訳を許してはくれない。シーヴァが動けない以上、アルテンシア軍主翼の指揮を執ることができるのはリオネス公しかいないのだから。
「リオネス公、我らが行こう」
焦りを募らせるリオネス公に声を掛けたのは、ゼゼトの戦士ガビアルだった。彼が率いるゼゼトの戦士五千はシーヴァ直属の部隊として主翼に編入されている。ただ、現在シーヴァがジルドによって足止めをくっているため、今までのところこの部隊は待機状態が続いていた。
いや、シーヴァから指揮権を預けられていることを考えれば、ゼゼトの戦士五千を動かす権限は、今はリオネス公にあると言える。しかし権限などよりももっと根本的な部分、つまり感情や器量の問題でリオネス公はこの部隊を動かすことを躊躇っていた。
つまりリオネス公は、
「陛下でなければ、ゼゼトの戦士たちを使いこなすことはできない」
と、そう考えていたのである。
その考え自体は間違ったものではない。実際、ゼゼトの戦士たちはシーヴァ以外の大陸人から頭ごなしに命令されたとしても、そんなものは頑として聞き入れないであろう。そしてそのようなことが続けばアルテンシア軍は内部に不和を抱えてしまい、この遠征自体が失敗してしまう可能性さえある。そうでなくとも、せっかく改善され始めた統一王国とロム・バオアの関係が再びこじれてしまうだろう。
遠征軍幕僚の一人として、なにより統一王国を支える五人の公爵の一人として、リオネス公はそのような危険を犯すわけにはいかなかったのである。
しかし、ガビアルのほうから「自分たちが行く」と言ってくれれば、話は違ってくる。それであれば「使いこなせないかも」などと心配をする必要もない。
恐らくだが、ガビアルのほうも自分たちが扱いにくい存在であることを自覚していたのだろう。それで自分から動くと言うことで、彼らなりに「信」を見せたのではないだろうか。
少なくとも、リオネス公はそう感じた。そして相手が「信」を見せたのであれば、自分もまた「信」を見せなければならない。
リオネス公は馬から降りるとガビアルの正面に立った。ゼゼトの民である彼はリオネス公よりも頭一つ分ほど大きく、肩幅にいたっては二倍以上もあるように見える。敵であれば、本当に恐ろしい巨人兵だ。リオネス公など拳の一振りで殺されてしまうだろう。しかし、今目の前にいる彼は敵ではなく、心強い味方だ。
「よろしくお願いします、ガビアル殿」
そういってリオネス公は右手を差し出す。ガビアルは一瞬とまどったような顔を見せ、そのあと照れくさかったのか厳しい笑みを見せて差し出された右手を握った。
(そういえばガビアル殿と、いやゼゼトの民とこうして握手するのは初めてだな………)
壁を作り遠ざけていたのは自分のほうかと思いリオネス公は反省した。そして恐らく、その思いはガビアルのほうも同じなのだろう。
握手を終えて手を離すと、途端にガビアルの顔つきが戦士のものになる。
「では、行ってくる」
「ええ、お願いします」
一度仲間たちの下へ戻るガビアルの背中を見送ると、リオネス公は再び馬にまたがり戦場を見渡す。戦況は依然アルテンシア軍不利。しかし先ほどまでの焦りは、もはや彼の中にはなかった。
「ゼゼトの戦士たちが前線に出る!押し返すぞ!!」
おお!と周りの兵士たちが答える。そんな彼らに、リオネス公は頼もしさを覚えた。
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(あの男の言葉は、決して誇張ではなかったか………)
アールヴェルツェのいう「あの男」とは、先日アルジャーク軍の陣内に侵入してきた不審者のイスト・ヴァーレのことだ。彼は一緒にいたジルド・レイドという剣士に、敵主将シーヴァ・オズワルドを「斬っちゃっていい」と話していた。あの時はジルドが発する凄まじい覇気に圧されて何もいえなかったが、一度冷静になればそれはどう考えても不可能なように思えた。
まあ、仮にジルドがシーヴァにあっさりと破れ死んでしまったとしてもアルジャーク軍には何の影響もない。もとより自分たちだけでアルテンシア軍を何とかするつもりでここまで来たのだ。邪魔にならなければそれでよい。多少なりともシーヴァの足止めをしてくれれば御の字。アールヴェルツェはその程度に考えていた。
しかし、アールヴェルツェの予想は外れた。今まさにジルド・レイドは戦場のど真ん中でシーヴァ・オズワルドと死闘を演じている。それもアールヴェルツェが考えていたのよりもはるかに高い次元の戦闘だ。その戦いは速すぎて目で追うことができない。武人としては軽く嫉妬さえ覚えてしまう。
(いずれにしても、シーヴァが「災いの一枝・改」を自由に振るえぬこの状況は好機………!)
加えてシーヴァの代わりに指揮を執っている敵将は、用兵家として二流。アールヴェルツェの指揮する連合軍主翼(純アルジャーク軍だが)は敵主翼に対して優位に立つことができている。
始めに見せ付けられた「災いの一枝・改」の力は想像以上だった。それだけにジルドがシーヴァを抑えてくれている間になんとしても戦場の趨勢を決めてしまいたい。それがアールヴェルツェの思いだった。
とはいえ、そうなにもかも上手くはいかないのが戦場という場所である。敵軍より今まで温存されていたと思しき歩兵部隊およそ五千があらわれ、猛然とこちらへ突進を開始したのである。
新たに現れた歩兵部隊。彼らがただの歩兵であれば、そう警戒する必要などない。しかし彼らはただの歩兵ではなかった。全員が巨躯を誇るゼゼトの民なのだ。その威圧感と迫力たるや、一万の兵に勝るとも劣らない。
「まさに巨兵だな………。あれがゼゼトの戦士たちか」
戦場に雄叫びを響かせながら突進してくるゼゼトの戦士たちを見て、さすがのアールヴェルツェも背中に冷たいものを感じる。だがこの程度のことで彼の指揮能力が奪われることはない。
「接近させるな!弓矢を集中させろ!」
アールヴェルツェの命令にしたがって数千本の矢が突っ込んでくる巨兵めがけて放たれる。しかしゼゼトの戦士たちは盾で頭部を守りながら速度を落とさずに向かってくる。中には防ぎきれずに矢が首筋に刺さって倒れる者もいたが、彼らは一切の躊躇や動揺を見せずに突っ込んでくる。
弓矢の雨を防いだゼゼトの戦士たちは、勢いそのままに敵へと襲い掛かる。鉈のような大剣を振り回し鎧ごと敵兵をほふっていく。槍を突き出されればそれを素手でつかみ、そしてそのまま放り投げて道をこじ開ける。彼らの太い腕や脚には何本も矢が突き刺さっているのだが、そんなものは彼らにとって蚊に刺された程度にしか感じていないのだろう。敵兵の血霞を巻き上げながら、ゼゼトの戦士たちは前進していく。
(ちっ………!厄介な………!)
アールヴェルツェは舌打ちをもらす。ゼゼトの戦士たちの戦闘能力は、その見かけどおり凄まじい。しかしそれだけならば対処の仕方はいくらでもある。ましてここにいるのはアルジャークの精兵たちだ。巨躯や怪力、見慣れない武器などで腰が引けるような者たちではない。
ゼゼトの戦士の厄介なところ、それは怯まないことだ。まるで恐怖という感情がごっそり抜け落ちているかのようである。自らが傷つくことを恐れず、また味方が倒れればその死体を踏み台にして彼らは向かってくる。
そしてさらに厄介なのは、彼らのそうした獅子奮迅の戦いぶりが、アルテンシア軍主翼全体を奮い立たせ士気を高めることである。つまり一部の部隊の働きが、全体の戦闘力を底上げすることに繋がるのである。
(さて、どうするか………)
無論、このまま好き勝手にやらせておくわけにはいかない。かといって彼らに対処しようとして兵を集めて手薄な場所を作ってしまえば、士気が高くなった敵軍にそこを突かれかねない。そうなれば戦場の流れが逆転してしまうことになりかねない。
(となれば………)
敵が温存していた部隊を出してきたように、こちらも温存しておいた部隊で対応するしかない。そして現在、連合軍主翼において自由に動かせる待機中の部隊は、アールヴェルツェの直属部隊しかない。
「あの巨兵どもは私の直属部隊で抑える!各員奮起せよ!これで趨勢を決めるぞ!」
おお!と味方から声が上がる。頼もしいその反応に一つ頷いてから、アールヴェルツェは馬の腹を蹴って駆け出した。
アールヴェルツェの直属部隊は騎兵ばかりが三千。数の上ではゼゼトの戦士たちに劣るが、歩兵の一人と騎兵の一騎は異なる。定石どおり騎兵一騎につき歩兵三人と計算することは出来ないかもしれないが、互角かそれ以上の戦いは可能だとアールヴェルツェは踏んでいた。
そしてなによりも………。
「行くぞ!!日ごろの訓練の成果を存分に発揮せよ!」
「「「「は!!」」」」
この騎兵たちはアールヴェルツェ子飼いの部隊だ。彼直々に厳しい訓練を施した、アルジャーク軍の中でも最精鋭と呼ぶに相応しい部隊である。個人の能力、部隊としての連携、そしてクロノワとアールヴェルツェへの忠誠心。そのどれもが最高水準であると言って間違いない。
「弓隊、援護!!」
アールヴェルツェの命令に呼応して千数百本の矢が騎兵隊の頭上を飛び越えゼゼトの戦士たちに降り注ぐ。それを防ぐために攻撃が手薄になった瞬間、アールヴェルツェは直属部隊を敵部隊に突撃させる。
アールヴェルツェ直属部隊の働きはめざましい。敵の進行方向に対して斜めから突撃した彼らは一撃を加えた後、数百程度の部隊に分かれて縦横無尽に駆け巡り、敵部隊を翻弄し切り裂き分断していく。
怪力を誇るゼゼトの戦士たちに、力勝負を挑んでも勝ち目はない。そこでアールヴェルツェは騎兵の機動力を存分に発揮して彼らをかく乱していった。決して足を止めず、すれ違いざまに攻撃を仕掛ける。致命傷を与えることにはこだわらず、ただ相手の足を止め、できることならば地面に倒れさせ、この部隊を無力化していく。
アールヴェルツェの主要目的はこの部隊に壊滅的被害を与えることではない。この部隊をかく乱して無力化し、ゼゼトの戦士たちが思うように戦えないようにすることで、この戦場の流れを相手に渡さないことが、彼の目的だった。ここさえ抑えておけば、全体としては連合軍有利なのだ。このままであれば、押し切ってしまうのはそう難しいことではない。そして全体の趨勢が決まってしまえば、一部の部隊がどれだけ頑張ったところで意味はない。
しかし、被害を与えることが目的ではないとはいえ、攻撃を仕掛けているのは大陸最強と名高いアルジャークの騎兵隊、しかもその最精鋭部隊である。末端の一兵士に至るまで意識の統一がなされ、その連携行動たるやもはや芸術の域である。
それに対しゼゼトの戦士たちは個人の能力は凄まじいが、集団での戦闘については経験が浅い。極端なことを言えば真正面から突撃していくことしか出来ない。ただその攻撃力は絶大で、彼らの突撃に耐えられる部隊など十字軍には存在しなかったから、これまではそれでも問題なかったのだ。
しかし連合軍(の主力たるアルジャーク軍)は違う。たとえ個人の能力で及ばないとしても、それを補って余りあるだけの連携能力を有しているのだ。そしてその最高峰たるアールヴェルツェの直属部隊の前に、ガビアル率いるゼゼトの戦士たちはいい様に翻弄されていた。
ゼゼトの戦士たちは迫り来る騎兵を恐れてはいない。それどころかタイミングを合わせて反撃しようと待ち構えている。騎兵相手に動き回っても勝負にはならないから、盾を構えて腰を落とし、すれ違うその一瞬に斬りつけるのだ。
だが、それができている戦士はほとんどいない。振り上げた大剣は先頭の騎兵によって打ち払われ、体勢を崩したところを後続の騎兵によって喉もとを槍で一突きにされる。致命傷をまぬがれたとしても劣勢は変わらない。次々に襲い掛かる騎兵たちによって地面に倒され、そこを馬に踏みつけられてへい死する者たちが続出した。
(ち、厄介な………)
しかし、アールヴェルツェの内心は苦い。劣勢ながらもゼゼトの戦士たちは未だに抵抗を続け、その戦いぶりがアルテンシア軍全体を鼓舞しているからだ。
これだけいいようにやられれば、普通の部隊であれば撤退する。それが無秩序な敗走なのか、それとも戦術的な撤退なのかはさておき、ともかく一度下がるというのが常識的な行動である。
しかしゼゼトの戦士たちは下がらない。隣で同胞が倒れようとも、そんなことは気にもかけず戦い続けている。幾つもの傷を負い全身を紅に染め上げながらも好戦的に笑うその姿は、アールヴェルツェでさえうすら寒いものを感じずにはいられない。
かつて、アールヴェルツェはアレクセイ・ガンドールにこう尋ねたことがある。
「最も優秀な兵士とは、どのような兵士だろうか」
それに対しアレクセイはこう答えた。
「逆境にあっても踏みとどまり粘り強く戦うことができる兵士。それが最も優秀な兵士である」
目立つことを好む兵は、一騎打ちなど戦場の華とも言うべき局面においては無双の力を発揮するだろう。しかし戦場において輝かしいのはほんの一部で、それ以外は辛くて厳しい局面ばかりである。そのような兵は逆境に陥れば驚くほど脆い。そんな兵は幾らいても戦力になどならない。
それよりも、逆境にあっても命令を遵守し踏みとどまれる兵は貴重である。そのような兵士がいればこそ、劣勢を撥ね返して最後に勝利を掴むことができるのだ。それに逆境で力を発揮できる兵は、優勢なときにはさらなる力を発揮してくれる。
(アレクセイ殿がこの場におられれば、彼らこそ最も優秀な兵士たちである、とそう言われたかも知れぬな………)
かつて共に切磋琢磨した男のことを、アールヴェルツェは少しだけ思った。
それはともかくとしても、ゼゼトの戦士たちのなんと屈強なことか。彼らは自分たちの命を塵あくた程にも気にかけていない。ほんの一瞬でも隙を見せれば状況をひっくり返されてしまうだろう。
「攻撃の手を緩めるな!」
馬を走らせながらアールヴェルツェは檄を飛ばす。その様子を射抜くように見据える一人の男がいた。ゼゼトの戦士、ガビアルである。
満身創痍。今の彼の姿を形容するとしたら、この言葉しかないであろう。腕と脚には矢が突き刺さり、全身の傷から血が流れ出ている。それでも彼は力強く大地を踏みしめ、その目は抗戦の意志を失ってはいない。
とはいえ、このままでは負けることも承知している。
死ぬこと自体はそれほど惜しくはない。シーヴァ・オズワルドという最強の戦士と戦場を駆け抜けその果てに死ねるというのであれば、それはゼゼトの戦士にとってむしろ僥倖である。
(だが何もできずにただ死ぬわけにはいかん!!)
死ぬならば同胞のために。それがゼゼトの戦士たちの教えだ。そしてガビアルにとって同胞とはもはやゼゼトの民だけではない。この戦場にいるアルテンシア軍の戦友たち全てが、彼にとっては同胞というべき存在であった。
そして彼は見つける。将と思しき男が指示を出しているのを。彼こそ自分たちを翻弄し圧倒していく敵騎兵隊の指揮官であろう。
「その首、もらったぁぁぁぁあああああ!!!」
絶叫と共に、ガビアルは右手に持っていた大剣を投げつけた。振りぬいた腕から舞い上がった血しぶきが、彼の視界を淡く紅に染め上げる。
アールヴェルツェは突然投げつけられた大剣を紙一重のところでかわしたが、その代償として落馬してしまう。
「ぐっ!」
地面に叩きつけられたアールヴェルツェの体は悲鳴をあげる。また彼が率いていた騎兵たちは急に止まることができず、アールヴェルツェは孤立してしまう。
馬から落ちた敵将が孤立したのを、ガビアルは見逃さなかった。彼は盾を投げ捨てると近くに落ちていた武器を両手に拾う。右手にはゼゼトの戦士が用いる大剣を、左手には普通のサイズの剣を。両の手に二つの剣を持ち、ガビアルは敵将に迫る。
「アアァァァアアアアァアアアアア!!!」
ガビアルはまず左手を振りぬいた。重く激しいその斬撃を、アールヴェルツェは腰を落として姿勢を低くし、槍を両手で持って受け止める。
一瞬の拮抗の後、アールヴェルツェのほうがだんだんと押し込められていく。ついに彼が片膝をついたとき、ガビアルは凶暴な笑みを浮かべて右手を振り上げた。
「将軍!!」
しかしガビアルが右手に持つ大剣がアールヴェルツェを襲うことはなかった。一度通り過ぎていってしまった騎兵たちが舞い戻ってきたのである。
先頭を行く騎兵が、今まさに振り下ろされたガビアルの大剣を受け止め、そして勢いそのままに弾き飛ばす。そして後続の騎兵が彼の喉もとに狙い済ました一撃を放った。
自分の喉もとめがけて迫りくる穂先を、ガビアルはあろうことか得物を失った右の手で迎え撃った。彼は穂先の根元をつかむと、手のひらに刃が食い込むのを気にもせずにそれを振るい、槍を持っていた兵士を馬ごと強引に払いのける。思わぬ反撃に、騎兵隊はそれ以上ガビアルに攻撃することができなくなった。
しかし、この援護のおかげでアールヴェルツェを抑え込むガビアルの力が弱まった。彼は全身の筋肉を駆使してガビアルを押し戻し、さらに腹に蹴りを入れて一瞬だけ相手の体勢を崩す。
「舐めるな!!若造がぁああ!!」
アールヴェルツェが槍を突き出すのと、ガビアルが左手に持った剣を振るったのはほぼ同時。防御をかなぐり捨てた互いの一撃は、そのまま互いの命を奪う致命傷となる。
アールヴェルツェが突き出した槍はガビアルの喉もとを貫いている。ガビアルが振るった剣の刃はアールヴェルツェの右肩を砕きそのまま心臓にまで達していた。
先に絶命し倒れたのはガビアルだった。槍を引き抜いたアールヴェルツェは、そのまま穂先を天に掲げる。
「アルジャーク帝国と陛下に、栄光あれぇぇぇぇぇぇ!!!」
それが、彼の最後の言葉になった。
ただ今「あとがき」を全力で執筆中!
書きあがり次第、残りの話とあわせて投稿します!