第十話 神話、堕つ22
太陽が一番高くなるころ、ついに両軍は相対した。西側からやってくるのがシーヴァ・オズワルド率いるアルテンシア軍。その数、およそ八万。
それに対し、アナトテ山を後方に置き東側で迎え撃つのは十字軍とアルジャーク軍の連合軍。その数、およそ十四万。ただし、精兵とよべるのはアルジャーク軍の九万だけであるが。
アルテンシア軍は、主翼と両翼の三つに分かれている。主翼三万、両翼がそれぞれ二万五千ずつである。主翼を率いているのは当然シーヴァ・オズワルドであり、リオネス公がその補佐についていた。左翼を率いるのはヴェート・エフニート将軍であり、また右翼を率いているのはガーベラント公だ。
まさに磐石の布陣である。「質実剛健」の言葉を体現し、アルテンシア軍は街道をアナトテ山にむけて進む。シーヴァは数で勝る連合軍に対し、一切の小細工なく真正面から戦いを挑んだのである。
数で劣るとはいえ、強敵と呼ぶべきはアルジャーク軍九万のみで、それを考えれば実質的な戦力はほぼ互角ともいえる。なによりも内部に問題をほとんど抱えていないというのが、このアルテンシア軍の最大の強みであると言えるかもしれない。
一方、アルジャーク軍もまた主翼と両翼を作り、その後ろに本陣を置いていた。さらに付け加えるならばそのさらに後ろ、アナトテ山よりも西の地点には補給物資の集積拠点があり、そこにはランスロー子爵率いるポルトール軍数百名がいる。ちなみにニーナが待機しているのもここだ。まあ、もとよりこのポルトール軍が戦闘に参加することはないが。
さて、主翼と両翼の戦力は奇しくもアルテンシア軍と同じであり、兵は全てアルジャーク兵である。主翼を率いるのはアールヴェルツェ・ハーストレイト将軍。右翼を率いるのはイトラ・ヨクテエル将軍で、左翼を率いているのはレイシェル・クルーディ将軍だ。
さてここまでは戦力、兵の練度、指揮官の能力いずれをとっても互角といえる。ゆえに本来ならば、本陣六万の戦力を余計に保有している連合軍のほうが圧倒的に有利であると言える。
連合軍の本陣は、アルジャーク軍一万、十字軍五万から成っている。この混合軍の指揮を執るのは、連合軍の総司令官でもあるクロノワ・アルジャークである。カルヴァン・クグニス将軍がその補佐につき、実質的な指揮を執ることになっていた。
普通であればこの本陣六万は戦場の趨勢を決定付け勝利を引き寄せる切り札になりえるのだが、この混合軍は内部に幾つかの問題を抱えていた。
第一に、兵の練度に差がありすぎる。兵個人の能力はもちろんのこと、連携や命令に対する即応性など、あらゆる面でアルジャーク軍と十字軍では隔絶しすぎていた。これでは共に戦うどころか、足手まといになりかねない。
役に立たない、信頼できない味方と言うのは、ある意味で強力な敵よりもやっかいな存在である。だからこそアールヴェルツェは主翼と両翼をアルジャーク軍だけで構成し、十字軍はまとめて本陣に置くことにしたのだ。ただしそのせいで本陣が動く際には十字軍にあわせなければならなくなり、その動きは随分と制限されてしまうだろう。
また命令系統にも若干の不安がある。クロノワが本陣を直接率いることに異論は出なかったのだが、十字軍の総司令官である聖女シルヴィアの指揮権をどこまで認めるかで、少し話がこじれた。
「十字軍五万は聖女様が指揮するべきだ」
という意見が十字軍の参謀たちから出たのだ。彼らにしてみれば戦いの主役はあくまでも自分たちで、アルジャーク軍は援軍であるという意識が抜けないのだろう。
聖女シルヴィアはあくまでも象徴的存在だ。彼女に大軍を指揮する能力はない。ゆえに実質的な指揮は十字軍の参謀たちが執ることになる。彼らにしてみれば、自分たちの自由に動かせる戦力を手元に残しておきたいという気持ちがあったのだろう。
しかしクロノワはこの意見を却下した。彼らの思惑はあまりにも見え透いていたし、またそれが名誉欲や自己顕示欲、ギトギトとした功名心に起因していることも明らかだったからだ。
クロノワは十字軍五万を自分の補佐でもあるカルヴァンの指揮下に置いた。少なくともアルジャーク軍の邪魔だけはさせるな、というのがその意図であった。また彼であるならば本陣のアルジャーク軍一万と十字軍を上手く連動させることが出来るのでは、という期待も込められている。
クロノワとアールヴェルツェにしてみれば、アルジャーク軍と十字軍、つまり連合軍全体を完全に掌握するためにもこの采配は譲れない。しかし十字軍内部にはこれを快く思っていない人間も居るだろう。土壇場でそれがどう響いてくるのか、やはり若干の不安が残る。
ちなみにカルヴァンは任された十字軍のあまりの練度の低さに驚き、すぐさま再編と訓練に取り掛かった。参謀を含めた十字軍の兵士たちには「一年分を一日で叩き込むかのような」激烈な訓練が課され、阿鼻魔境の地獄絵図が繰り広げられたとか。
ベルベッド城の攻防戦にも参加していたとある十字軍兵士は、
「『災いの一枝・改』を構えたシーヴァ・オズワルドよりも、訓練中のカルヴァン将軍のほうが恐ろしかった」
と後日漏らしたそうな。
まあそれはともかくとして。これらの布陣を考えたのはアールヴェルツェなのだが彼の思惑としては、本陣は動かさないつもりだったのだろう。九万のうち一万をクロノワの護衛として残し、アルテンシア軍とは互角の戦力でぶつかる。十字軍は邪魔にならないよう後ろにおいておき、いざという時にはクロノワの盾代わりになってくれれば御の字、と思っていたのかもしれない。
完全に意識の統一がなされているアルテンシア軍に対し、連合軍は完全な一枚岩になりきれてはいなかった。ただそれは二つの軍隊が連合を組む上で、仕方のないことであるとも言える。
お互いの内部事情がどうあれ、決戦のときは刻一刻と近づいてきている。これが歴史的な決戦になることは、その場にいる者ならば末端の兵士であっても理解していた。確かにこの戦いは歴史的な決戦になった。ただし、その場にいる誰もが予想しなかった形で。その結末をこの時点で正確に思い描けていたのは、この戦場にはいないただ一人だけであった。
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接近してきたアルテンシア軍は、連合軍の人影を目視できる距離まで近づくとそこで一度停止した。そして連合軍もまた、アルテンシア軍に近づこうとはしない。お互いがお互いの出方を窺い、また値踏みするかのように相手の陣形を観察していたからだ。
「見事だな」
アルテンシア軍を率いるシーヴァ・オズワルドはただ一言そういった。彼は自分の認めた強敵に対して賛辞を惜しまない男であったが、これはそのなかでも最上級の褒め言葉であった。
「そうですね」
主君たるシーヴァの言葉にリオネス公も頷く。彼はガーベラント公とはことなり軍勢の指揮に秀でているわけではないが、それでもこれまでの戦いの中で幾度となく敵味方の陣形を観察してきたのだ。連合軍の陣形がこれまで戦ってきた十字軍のそれと比べて、はるかに優れており見事であることは分った。
「布陣と構成はほぼ同じ。いえ、本隊が後ろに控えている分、敵のほうが有利でしょうか」
そう言うリオネス公の言葉には、若干の緊張が浮かんでいる。ただし恐怖で身をすくませるような、後ろ向きの緊張ではない。集中力は研ぎ澄まされ、四肢には力が満ちている。そしてそれは、アルテンシア軍全体に同じことが言えた。
(いい状態だな)
自分が率いる軍勢に、シーヴァは頼もしさを覚えた。こういう状態にあるとき、人は良い働きが出来るものなのである。
「さて、いつまでもにらみ合っていても仕方がないな」
「御意」
シーヴァがこうして軍勢を停止させていたのは、敵軍を観察するほかに接触があるかもしれないと思ったからだ。しかし連合軍の側から使者が来る様子はない。そしてアルテンシア軍のほうから使者を送るつもりは、シーヴァにはなかった。
(交渉や取引でどうにかなる段階は、もはや過ぎているのだ)
シーヴァはそう思う。二度行われたアルテンシア半島への十字軍遠征。そして三度目の画策。この先ずっと脅かされ続けるのかと思えば、統一王国としては教会を屈服させて無力化し、国民の安全を守るほかない。
仮にこの場で連合軍側から講和の使者が来たとしても、シーヴァは教会にとって屈辱的な条件を取り下げることは出来ないし、また教会がそれを飲むこともないだろう。
結局、一戦交えて雌雄を決する以外、道はないのである。
(世はまさに乱世………)
そして軍勢をもって意を通すのが、乱世の習いであろう。
(さて、往くとしよう)
シーヴァは短く目をつぶり、息を吐き出す。そして息を吸い込みながら目を開け、鋭い視線を眼前の敵軍に向けた。
「全軍、攻撃開始」
シーヴァの命令は伝令の兵を通して瞬く間に全軍に伝えられていく。そしてアルテンシア軍は動き始めた。
事前の予定通り、まず動いたのはアルテンシア軍の両翼だった。主翼はまだ動かず、元の位置で静止している。
アルテンシア軍両翼の動きに呼応するかのよう、連合軍の両翼もまた行動を開始する。そして、両翼と距離が開くことを嫌ったのか、連合軍の主翼もまた数瞬遅れて前進をはじめた。
「本陣は動かぬか………」
望遠鏡(ちなみに魔道具だ)を覗き込みながら、シーヴァはそう呟いた。戦術的な思惑があって動かないのか、はたまた動けないだけなのか。
「恐らくは動けないのでしょう」
リオネス公はそう断じた。先ほど観察したとおり、連合軍の主翼と両翼の陣形は見事で兵士と将官の質は非常に高いことが窺える。それはつまり、主翼と両翼はアルジャーク軍のみで構成されており、十字軍が混じっていないことを意味している。となれば十字軍はまとめて本陣に回されている、と考えるべきだ。
「まあ、我でもそうするが」
アルジャーク軍と十字軍では実力差がありすぎる。一緒に動かして連動させようとすれば、かえって足手まといになりかねない。
邪魔だけはしてくれるな、というアルジャーク軍の意図を正確に察し、シーヴァとリオネス公は揃って苦笑をもらした。
「さて、我々も前に出るぞ」
連合軍の両翼はヴェートとガーベラント公がそれぞれ抑えてくれる。本陣の主力は弱兵がメインの十字軍で、これを退けることは容易い。ならば目の前に迫り来る敵主翼を突破できれば、この決戦の趨勢を決することが出来る。
(分りやすくてよいな………)
果たすべき目標が簡潔なのはいいことだ。余計なことを考えず全力を尽くすことが出来る。そう思いながらシーヴァは主翼に前進の指示を出した。
動くのを遅らせたせいか、アルテンシア軍の主翼は両翼よりも後ろに位置している。両軍の両翼はすでに交戦状態に入っており、一進一退の攻防を繰り広げていた。そしてその二つの戦場の真ん中をアルジャーク軍の主翼がアルテンシア軍の主翼に向かって接近していく。それぞれが動いたタイミングの問題で、全体として見ればアルジャーク軍が凸形でアルテンシア軍が凹形という状態になった。
やがて両軍の主翼も激突する。その様子をシーヴァは注意深く観察していた。定石どおりのぶつかり方で、実力は両軍拮抗している。敵軍の主翼を率いているのはよほど優秀な将軍であると見えた。
ただ、シーヴァが最も気にしているのは、そこではない。
「魔導士部隊はいないようだな」
シーヴァが言うとおり魔導士戦につきものの派手な火炎弾や爆音が響くことはない。前回の戦いでガーベラント公の部隊に穴を穿った魔導士がいるはずだが、その魔導士は主翼にはいないらしい。恐らくだが本陣にいるのだろう。
強力な火力を誇る魔導士部隊を一般の部隊で相手取ることは難しい。敵に魔導士部隊がいるならば自分が真っ先に潰さねばならないと思っていただけに、これはシーヴァにとって僥倖だった。
アルテンシア軍に魔導士部隊はまだないのだ。アルテンシア同盟時代、同盟軍のなかにも魔導士部隊はなかった。同盟時代は各領主たちがそれぞれ個人的に魔導士を雇っているという状態だったのだ。
それが、同盟が崩壊したことで、領主たちに雇われていた魔導士たちは一時的にフリーになってしまっている。もちろん統一王国も国として彼らを再び雇用し魔導士部隊を編成しているのだが、如何せん建国以来まだ日が浅く動かせる状態にはなっていなかった。また、「災いの一枝・改」という強力な魔道具と、それを操るシーヴァ・オズワルドという絶対的魔導士がいたため、部隊の編成を急ぐ必要がなかったという理由もある。
一方でアルジャーク軍である。アルジャーク帝国もまた、最近急速に版図を拡大したため、併合した国々が持っていた魔導士部隊の再編が間に合っていない、という事情がある。しかし帝国が元々持っていた魔導士部隊はいつでも動かすことが可能なはずで、つまり今回は意図的に連れてこなかったことになる。
今回の編成を考えたのはアールヴェルツェ将軍なのだが、彼がなぜ魔導士部隊を置いてきたのかといえば、それは保険のためであった。
アールヴェルツェが想定した事態。それはアルジャーク軍が大敗して、クロノワが少数の護衛のみで本国へ逃げ帰らなければならない、というものであった。この場合、アルジャーク軍の主要な将軍たちは全て討ち死にしているか、生きていたとしてもクロノワを守るための十分な戦力が手元にない、というのがアールヴェルツェの想定である。
アルテンシア軍がクロノワの後を追わないのであれば、特に問題はない。シーヴァの目的は教会であり、またアナトテ山の神殿だ。アルテンシア軍が敗走するクロノワの後を追う可能性は低いといえる。
しかし万が一そのような事態になった場合、クロノワの安全を守りアルテンシア軍を撃退することが可能なのは魔導士部隊だけである。ゆえにアールヴェルツェは切り札とも言うべき魔導士部隊をオムージュ西の国境付近に残すことで保険をかけたのだ。
アールヴェルツェのそうした思惑はシーヴァにとっては埒外だ。彼にとって重要なのは敵軍に魔導士部隊がいない、というただ一点である。
シーヴァは背中に背負った「災いの一枝・改」を引き抜くと、その魔剣に魔力を喰わせながら馬を駆って前線に向かって疾駆する。魔弾を四つ浮かせて魔力を注ぎ、敵軍が射程に入ったところで味方を巻き込まぬよう敵陣の少し奥を目指して打ち出す。
これが十字軍相手ならば、着弾し爆裂した魔弾は多数の兵を吹き飛ばして隊列を乱し、またその様子をみた兵士たちは戦意を喪失させるはずであった。
しかしアルジャーク軍はそのような醜態は曝さない。兵士たちは素早く着弾点を見極めると、そこから散って被害を最小限に収めた。そして暴風が収まると素早く隊列を整え、何事もなかったかのように戦闘を再開する。
「ははは、そう来るか」
知らず、シーヴァの口から笑い声がもれた。当たり前の話だが、これまでこのような仕方で魔弾を防いだ、いやいなして見せた軍勢は見たことがない。恐らくだが、十字軍から念入りに情報を聞き出し、それをもとに演習を繰り返したのだろう。
「が、その場しのぎの対処法に過ぎん。いつまで持つかな」
不敵に笑い、シーヴァは再び「災いの一枝・改」に魔力を喰わせて魔弾を生み出す。しかし魔力を込めているその最中に、千数百本の矢が彼がいる地点めがけて飛来する。それを見たシーヴァは一瞬眉をひそめたが、すぐにそれらの矢に向けて魔弾を放ちその攻撃を防いだ。
「直接相対するのはこれが初めてだというのに、良くぞここまでやるものだ」
攻撃を防いだというのに、シーヴァの声は苦い。今の攻撃は防いだのではなく、防がされたのだ。先の戦いでシーヴァがどのように飛来する矢を防いだか、アルジャーク軍は知っているに違いない。
魔弾自体を無力化する手段はない。ならば別の標的を攻撃させることで無効化すればよい。それが敵将の考えであろう。
シーヴァがそう考えている最中にもまた第二波の矢が千数百本、彼がいる場所めがけて飛来してくる。同じようにして魔弾を打ち出してこれを防ぎ、それからシーヴァは舌打ちをもらした。
(埒が明かぬ………)
魔弾を放つことでシーヴァの位置は丸分かりである。魔弾を放つこと自体は馬を走らせながらでもできるが、今それをやろうとすれば味方の隊列を乱しかねない。
(となれば………!)
第三波の矢がまたしても千数百本飛来する。シーヴァはそれを防がなかった。敵陣に向けて駆け出したのである。
(魔弾を打ち出すだけが「災いの一枝・改」の能ではないぞ!)
馬を駆りながら漆黒の大剣に魔力を喰わせる。込められた魔力に反応して、刀身の周りに黒い風が渦を巻き始める。シーヴァは前線に躍り出ると十分に魔力を喰わせた魔剣を振り上げ、そして振り下ろすと同時に黒き風を解き放った。
魔弾とは違い、黒き風は比較的敵に近い位置から放たれ、また効果が及ぶ範囲もそれなりに広い。その上、放たれたその瞬間から破壊力をもっており、かわすことは非常に難しいといえる。
アルジャークの兵士たちは、まるで真っ黒な濁流が突然目の前に現れたかのように感じただろう。その黒き風が兵士たちを飲み込むその寸前。
「な………!?」
「ほう………?」
アルジャーク兵とシーヴァの口から、ほぼ同時に言葉が漏れる。アルジャーク軍の一画を飲み込もうとしていた黒き風が、まるで雨雲が一瞬にして晴れたかのようにして切り裂かれ霧散したのである。
アルジャーク兵たちが見たのはそれをなした人物の後姿で、シーヴァが見たのは鋭い眼光と口元に浮かべた獰猛な笑みだった。
「まさか、ここでお主が現れるとはな。ジルド・レイド」
白銀に輝く長刀を構えた剣士、ジルド・レイド。シーヴァが知る限り自分に比肩し得る唯一の強敵が、目の前にいた。