第十話 神話、堕つ⑮
片膝をついて跪いたシルヴィアの目には、神子ララ・ルー・クラインのつま先しか映っていない。今はシルヴィアの叙任式の真っ最中で、ララ・ルーが不慣れな様子で彼女の功績を称える詔を読み上げていた。
(聞いていて背中が痒くなる………)
シルヴィアがこれまでに経験した戦場はたったの二つである。詔はその二回の戦いにおける彼女の活躍を、あらん限りの美辞麗句を駆使して褒め称えている。群集から顔が見えないのをいいことに、シルヴィアは苦笑を隠そうともしていなかった。
詔の中身自体は枢機卿の誰かが書いたものだと聞く。装飾に富んだ文章は確かに美しい。しかしそれは詩文的な美しさだ。そういったものに興味を示してこなかったシルヴィアにしてみれば、文章にするほどの功績がないために美辞麗句を駆使して埋め合わせをしているようにしか思えなかった。
(ならば聖女になど祭り上げなければよいものを………)
シルヴィアを聖女にするという教会の決定が、多分にして打算的なものであることを彼女自身は良く理解していた。
戦略的な価値はともかくとして、シルヴィアはこれまで負け続けてきたアルテンシア軍に二度も勝って見せた。教会や神聖四国の人々からしてみれば、彼女は救世主の如くにも思える存在だろう。そんな彼女にさらに「聖女」の称号を与えて求心力を高め、十字軍の戦力回復を図ろうという考えはあまりにも見え透いている。また「聖女」という称号は兵士たちの士気を高め、戦場で命を捨てて戦わせるのに大いに役立つだろう。
さらに戦場の外においても、「聖女」の名が持つ効力は大きい。
聖女という神秘的な存在がいれば、民衆は進んで十字軍に協力して多くのものを寄付してくれるだろう。露骨な言い方をすれば、十字軍が抱える物資不足という問題を解決するのに大いに役立つ。
加えて、アルテンシア軍の猛進に圧されて教会と距離を取り始めた国々においても、教会の信者たちは「聖女様に協力すべし」と立ち上がる。その流れは国としても無視できまい。国内の騒乱を鎮めるためにも、それらの国々は教会の傘下に戻らざるを得なくなるのだ。そうなれば教会は過去の栄光を取り戻すことができる、とそんなふうに思っているのかもしれない。
(なんとも幸せな夢じゃ………)
教会の、いや枢密院の思惑をほぼ正確に推測したシルヴィアは、呆れたように心の中で嘆息した。仮に枢密院の思惑通りになったとしても、それは結局一時的な熱狂に過ぎない。そして時間が経てば熱狂は冷めるものだ。聖女などというものは所詮幻想でしかなく、それで全てが解決することなどありえない。
また実際問題としてアルテンシア軍に勝てるのか、という問題もある。答えは明白である。たとえシルヴィアが聖女となり十字軍を率いたとしても、シーヴァ・オズワルド率いるアルテンシア軍には勝てない。
(当たり前じゃ。現実は寓話のようにはいかぬ)
劣勢に陥った国に救国の聖女が現れ見事に敵国を撃退する。いかにも吟遊詩人が好みそうな寓話である。もしかしたら教会の信者たちはそんな寓話が実現することを無邪気に信じているのかもしれない。
彼らはそれでもよい。しかしどうにも枢機卿たちまで同じことを信じているような気がしてならない。それはつまり教会の舵取りをすべき者たちが思考を放棄してしまったということだ。
(教会はすでに内部崩壊を起こしておるのかもしれぬな………)
ララ・ルーが詔を読み終わり、シルヴィアに聖女の称号を与えさらに十字軍の総司令官に任命すると宣言する。一瞬の沈黙の後、シルヴィアは事前に決められている台詞を口にした。
「魔王シーヴァ・オズワルドの魔の手より、必ずや御身をお救いいたします」
魔王!ついにシーヴァは魔王になってしまった。
しかしシーヴァは魔王と呼ばれるようなことをこれまでしてきたであろうか。町や村を襲って戯れに人々を殺害し、ありとあらゆるものを略奪し、女を陵辱して泣かせてきたのは、むしろ十字軍のほうではなかっただろうか。
正義の定義は立場によっていくらでも変わる。教会が正義を主張し続けるのであればそれに敵対するアルテンシア軍は確かに悪であり、それを率いるシーヴァは魔王とも呼ぶべき存在だろう。しかし後世の歴史家たちは、はたしてシーヴァのことを「魔王」と評するだろうか。
シルヴィアの内心の苦さを無視するように、広場を埋め尽くした兵士たちは「聖女様、万歳!」と大声で歓声をあげる。内心の苦々しさを押し殺して必死に澄ました顔をつくるシルヴィアの頭に、ララ・ルーがオリーブの冠を乗せる。
この瞬間、シルヴィア・サンタ・シチリアナは聖女になった。彼女にできるのは、与えられた「聖女」という役を演じることだけである。
シルヴィアが立ち上がると、兵士たちの歓声がさらに大きくなる。マントを翻して兵士たちに向き直ったシルヴィアが手を上げると、その歓声が一瞬で静かになった。
その場の全ての視線がシルヴィアに集中していた。兵士たちは目を輝かせて彼女を見つめている。この全てを背負わなければならないのかと思うと、膝が笑って足元がおぼつかなくなった。
しかし、この場で倒れるわけにはいかない。なぜならシルヴィアは聖女なのだから。
「勇敢なる十字軍兵士諸君!今、この神聖なるアナトテ山が蛮夷の魔王によって脅かされている。神々に祝福された神殿と神子の御身が魔王の手に落ちることなど、あってはならない!
戦おう、兵士諸君!私が、この私が諸君に勝利を約束する。教会と神子のために戦う我らに神々の祝福を!神聖なるこの地を汚さんとする魔王に正義の鉄槌を!たとえ戦いの中で我が身が果てようとも、神界へと召された我が魂は諸君らを導くだろう!!」
言った。言ってしまった。
この言葉もやはり、考えたのは枢機卿の一人だ。しかしこの場で語ったのがシルヴィアである以上、これはもはや彼女の言葉になってしまった。もう撤回することはできない。もう、後には引けないのだ。
(覚悟していたこととはいえ、他人に決められてしまうのはなんとも不快じゃ………)
負け惜しみのように、シルヴィアは心の中で呟く。
おそらく自分はアルテンシア軍との戦いの中で死ぬだろう。いや、死ぬまで戦うことになるだろう。それ自体は覚悟していたことだ。しかしその覚悟をこういう形で利用というか、強要されるのはたまらなく不快だった。
その上、教会はシルヴィアの死さえも利用しようとしているのである。戦場で果てた聖女シルヴィアは物言わぬ便利な象徴として、信者を戦場に送るために使われるだろう。シルヴィアはそんなことを望んで戦場に立ったわけではないのに。
その後、シルヴィアは用意された白馬にまたがって御前街の大通りを行進した。管楽器が演奏され花吹雪が舞う。
そのパレードの間中、シルヴィアは微笑み続けた。
微笑むしか、なかった。
**********
「聖女!聖女ときたか!」
シルヴィア・サンタ・シチリアナに聖女の称号が与えられたという話を聞いたとき、イスト・ヴァーレは腹を抱えて爆笑した。
御霊送りの儀式が奇跡などではなく、パックスの街を落とすことが可能であることを確認した後、イストら一行はアナトテ山と御前街を離れてフーリギアまで赴きベルベッド城を遠くから監視していた。
別にその城砦に興味があったわけではない。ここでシーヴァ・オズワルド率いるアルテンシア軍が十字軍とぶつかると予想してのことである。
その予想は当った。ただ、流石にベルベッド城が半日足らずで落ちるとは思っていなかったが。
その後、イストたちは付かず離れずの距離を保ちながらアルテンシア軍の動向を監視し斥候の真似事を続けた。戦況を左右する力を持っているのは、十字軍ではなくアルテンシア軍だからだ。パックスの街を落とす最上のタイミングを見極めるため、イストはアルテンシア軍に張り付いた。
そこから先は、なんと言うか衝撃的だった。サンタ・ローゼンの領内に侵入したシーヴァは、城砦を手当たり次第に破壊して行ったのである。
しかもまともな仕方で攻略したわけではない。漆黒の魔剣「災いの一枝・改」の威力に物言わせて片っ端から破壊していくのである。
「昔の名将たちに謝って来い」
思わずそう突っ込んでしまったイストである。戦術とかセオリーとか、そういうものを一切無視したそのやり方にニーナは呆然としていたし、イストもあきれ果てていた。ただジルドだけは随分と物騒な笑みを浮かべていたが。
ただ逆の見方をすれば、戦術を無視しえるだけの力があるということである。その力を持っているのは「災いの一枝・改」であり、またその規格外な魔道具を操るシーヴァ・オズワルドその人なのだろう。
さて、順調にアナトテ山に向けて進軍していたアルテンシア軍であったが、あと少しというところで撤退し始めてしまった。不審に思い少し調べてみたところ、どうやら十字軍の別働隊に補給部隊をやられたらしい。
「食料なんて現地調達すればいいのにな」
古来より多くの軍隊が、兵糧が足りなくなった時には現地調達してそれを補ってきた。しかしシーヴァはそれをよしとはせず、ベルベッド城まで戻って補給するという。
「潔癖だねぇ………」
呆れたように笑いながら、イストはそう言った。だがシーヴァがそういう人間だからこそ、イストは彼のことを気に入っているのだし、オーヴァも彼に「災いの一枝・改」を与えたのだろう。
それはともかくとして。ベルベッド城に戻るアルテンシア軍を、イストは追いかけなかった。アナトテ山からは遠ざかるのだから、追いかけてみたところで何か面白いことは起こらないだろうと思われたからだ。
「それよりも御前街に行ってみよう」
おそらく十字軍のほうでも動きがあったはずだ、とイストは言う。これまで十字軍はアルテンシア軍を撃退する、あるいはシーヴァ・オズワルドを討ち取ることに固執してきた。しかし補給部隊の強襲に時間稼ぎ以上の意味はない。いくら無能とはいえ十字軍の幕僚たちもそれは分っているはずで、であるならば戦略の主眼を変えさせる何かが内部であったと考えるのが自然だ。
そうしてアナトテ山の御前街にやってきたとき、イストたちはシルヴィアの活躍と彼女に聖女の称号が与えられたことを知ったのである。
「どう見る、イスト」
「ただの生贄だろう? 聖女なんてさ」
ジルドの問いに、イストは彼らしく毒のある言葉で答えた。
「シルヴィア・サンタ・シチリアナを聖女にしてみたところで、両軍の戦力差はどうにもならないでしょ」
聖女シルヴィアを旗印として立てることは、十字軍にとって戦力や物資の回復など多方面においてメリットがある。さらに聖女が陣頭に立つとなれば、兵士たちの士気も上がるだろう。
しかし言ってしまえばそれだけである。それだけでは十字軍とアルテンシア軍の戦力差は埋まらない。それに聖女シルヴィア・サンタ・シチリアナは英雄シーヴァ・オズワルドの対抗馬として、どう考えても格が足りていない。
「それでもシルヴィアは戦わなければならない。聖女だからな」
毒のある口調でイストはそういった。彼の言うとおり、聖女になってしまったシルヴィアは戦い続けなければならない。アルテンシア軍を撃退するか、あるいは戦場で果てるその日まで。
そして必死になって戦う彼女を、教会はとことん利用するだろう。去っていった信者たちを呼び戻し、各国への影響力を再び強め、そして減ってしまった寄付金を増やすために。ありとあらゆる責任を聖女に押し付け、自分たちは甘い汁を吸おうというのである。
「きっと死んでからも利用されるんだろうな」
というより、死んでからのほうが利用されるだろう。死者は文句を言わないし、不祥事も起こさない。美談や逸話はいくらでも捏造できるし、さらに重要なこととしてその幻想が打ち壊されることはない。なぜなら本人はもう死んでいるのだから。
「まさに生贄、だろ?」
そういってイストは教会と聖女を嘲笑った。ただそこには怒りも含まれているように弟子のニーナには思えた。
「しかしそう上手くいくのか?」
「アルジャーク軍次第じゃないのか」
ジルドの問いにイストはそう答えた。アルジャーク軍が間に合えば援軍を得た十字軍はアルテンシア軍を撃退し、教会は聖女を利用し続けることが出来るかもしれない。しかし間に合わなければ、教会は聖女とともに滅ぶことになるだろう。
「あ、いやでもオレがパックスの街を落とせばどの道教会は滅ぶだろうから、そんなに関係ないのかな………?」
とはいえ、イストはまだどのタイミングで街を落とすのかは決めていない。舞台が盛り上がってさえいれば、アナトテ山がアルテンシア軍に占拠された後でもいいと思っていた。
「ふむ。大陸の歴史はアルテンシアとアルジャーク、シーヴァ・オズワルドとクロノワ・アルジャークによって決められる、か」
ジルドは感慨深げにそう呟いた。大陸の中央部が衰退していき、逆に西の果てと東の果てが栄えてくる。それはある意味、当然の流れだったのかもしれない。
「だけど、クロノワは来るんでしょうか?」
クロノワがアナトテ山まで来るとすれば、それはすなわち親征である。それが大変なことであるのはニーナにも分る。
「来るさ。アイツは必ず来る」
しかしイストははっきりとそういい切った。根拠などない。しいて言うならば勘である。アバサ・ロットとしての、そしてクロノワの友としての勘だ。
(さっさと来い、クロノワ。じゃないと、世紀の一大イベントに間に合わないぜ?)
どこにいるのか分らない友人に、イストはそう語りかけるのだった。
**********
「助かりました、ファウゼン伯爵。ご協力に感謝します」
「いえいえ。クロノワ陛下をお助けできたのであれば、望外の喜びでございます」
そういって恰幅の良い壮年の男、ファウゼン伯爵は笑った。その笑みは儀礼上のものではなく、安堵とそして言葉通りの歓喜から来るものであった。
オムージュ領の西の国境近くで十字軍の援護に向かう遠征軍の本隊と合流したクロノワたちは、そのまま進路を西に取りアナトテ山に向かうべく、現在は隣国ラキサニアの地を進んでいた。事前に許可を得ていたためラキサニアとの間に問題が起こることもなく、アルジャーク軍は順調に行軍していた。
さて、行軍の中でクロノワはできるだけラキサニア国内の街に立ち寄るようにしていた。その第一の目的は食料の確保である。もちろん食料は足りているが、軍隊の飯というのは基本的に保存が利くもの重視で味は良くない。そこで、士気の維持もかねて兵士たちにうまいものを食わせてやろうとクロノワは思ったのだ。国から通達が出ているのか、住民や貴族たちも総じて協力的である。
とはいえアルジャーク軍は本隊だけで総勢九万の大軍である。当然、立ち寄るのはそれだけの人数に食料を供給できる街になる。今回アルジャーク軍が立ち寄ったのもファウゼン伯爵領の中心となっている都市で、伯爵の屋敷もここにあった。
「それで、今回供給していただいた食料の代金ですが………」
「それについては、こちらに明細をご用意してあります」
ファウゼン伯はあらかじめ用意しておいた明細の書類を、銀のトレイに載せて持ってこさせる。それを受け取ったクロノワは最後の合計金額だけ確認すると、さらにその書類を後ろに控えている女騎士グレイス・キーアに渡して確認させる。
アルジャークの大使として御霊送りの儀式に参加したストラトスは、御前街でサンタ・シチリアナの国王アヌベリアスと会談を行ったのだが、その席で彼が娘のシルヴィアをクロノワの妃にしたいという話が出た。その話を本国に報告する際、内容が内容であるとしてストラトスはその会談に同席したグレイスを使者として選んだのだ。
ちなみにこの人選について使節団内部では、
「厳しいお目付け役の監視から逃れるため」
というのがもっぱらの定説だ。
余談だが、彼女は現在皇帝の身辺警護を担当する近衛騎士団の騎士団長として、全軍がから選りすぐった精鋭二百名を率いている。
本来、アルジャークとラキサニアの力関係からいけば、食料を無料で供出させることも可能である。そうでなくとも今回のような事情であれば、その費用は教会に負担させても良かったはずだ。まあ、金欠の教会が素直に支払うとは思えないが。
しかしクロノワはそうはせず、自分たちでその費用を支払うことにした。これはファウゼン伯ら実際に食料を用意することになるラキサニアの貴族たちにとってありがたいことであった。ほとんど原価で利益は全くでないが、全て無料で供出させられたときの大赤字に比べればはるかにましだからだ。そしてその大赤字を最終的に押し付けられるはずだった住民たちにとっても、大変にありがたいことであったろう。
無論、クロノワにも思惑がある。それはラキサニアの王族や貴族と面識を得てパイプを作ること。さらに彼らとラキサニアの民衆にアルジャークに対する好印象を残すことである。
この先、教会と神聖四国の影響力は激減する、とクロノワは見ている。シーヴァによって教会が滅ぼされればもちろんだし、逆にアルテンシア軍を撃退できたとしても、周辺諸国に対する影響力はかなり弱まっているだろう。
そうなればラキサニアは強力な庇護者を失うことになる。その時、小国ラキサニアが庇護を求めるべき相手はアルジャークしかない。それを見越しアルジャークの印象を好くしておこうというのが、街に立ち寄る第二の理由であった。
つまりクロノワはラキサニスに対し、
「物分りのよい親分」
であろうとしたのだ。そうすれば「親分」であるところのアルジャークは、
「使い勝手のいい子分」
を手に入れることができるのだ。
グレイスが明細の数字を確認している間、クロノワはファウゼン伯爵と歓談を続けていた。行軍中となるとどうしても入ってくる情報量が少なくなる。こういった歓談のなかで必要な情報、特に戦況の様子などを聞きだすことも、こうして街に立ち寄る理由の一つである。
「そういえば、クロノワ陛下はすでにご存知ですかな?十字軍に聖女が誕生した、という話は」
「聖女、ですか」
聖女の名はシルヴィア・サンタ・シチリアナ。アルテンシア軍を神聖四国から追い払った功績を称えられ、聖女の称号を授与されたという。
ただ、詳しく聞けば補給部隊をシルヴィアの部隊が強襲し、補給が続かなくなったアルテンシア軍は撤退した、とのこと。ベルベッド城に大量の物資がある以上アルテンシア軍の再襲来はほぼ確実で、つまり完全に撃退したわけではない。
(貧乏くじを押し付けられた、ということですか。かわいそうに………)
聖女うんぬんの話を聞いてクロノワの最初の感想がこれであった。これでシルヴィアは戦場から逃れられなくなった。アルジャーク軍が間に合わなければ、まず間違いなく戦死することだろう。
(急いだほうがいいんでしょうけどね………)
聖女シルヴィアを戦死させたくないのであれば、急がなければならない。だが彼女が生き残ったとして、それがアルジャーク軍にとって利となるかは微妙だ。「聖女」などという訳の分らないものに、主導権を握られアルジャーク軍がいいように使われてはたまったものではない。
(ま、その辺りは私の力量次第なんでしょうけど………)
ファウゼン伯と談笑しながら、クロノワは心の中でそんなことを考える。
「そういえばシルヴィア様は陛下のお妃候補として名前が挙がっておられるとか」
確かにそんな話があった。御霊送りの儀式に出席したストラトスからその旨を伝えるためにグレイスが来たし、その直後にはサンタ・シチリアナからも正式な使者が来た。アルテンシア軍の襲来により話は停滞しているが、この戦いが終われば良かれ悪かれ話を前に進めなければならない。
(しかしそうなると………)
仮にシルヴィアを皇后に迎えるとして、その時の彼女は聖女である。必然的にアルジャークと教会の関係は深くならざるを得ない。しかしクロノワにとってそれは望ましいことではない。かといって「聖女」を袖にするとなると、それ相応の理由が必要になる。例えば「聖女」とつりあうほかの相手がいるとか。
(そんな都合のいい相手がそうそういるわけでもなく………)
なんだか勝ったとしてもうまみがないような気がしてきましたねぇ、とクロノワは内心でごちる。
「陛下とシルヴィア様がご結婚なされれば、それは大変に喜ばしいことですなぁ」
ファウゼン伯の言葉にクロノワは曖昧に笑って言葉を濁す。ちょうどその時、グレイスが金額の確認を終えた。
グレイスから明細を受け取ったクロノワは、最後にもう一度合計金額を確認してからサインを入れる。そしてかつてイストから貰った「ロロイヤの腕輪」に魔力を込めて、そこに収納しておいた金貨を取り出す。
「クロノワ陛下は便利な魔道具をお持ちですなぁ」
「ええ。以前、友人から貰ったものです」
そういってクロノワは屈託なく笑った。「ロロイヤの腕輪」は亜空間設置型の魔道具で、小さな部屋一つ分くらいの空間の中に物を収納しておくことが出来る。そう多くのものを入れておくことはできないわけだが、それでも非常に便利な魔道具だ。
支払いを終えたクロノワは席から立ち上がる。ファウゼン伯から晩餐と宿泊を勧められるが、クロノワは「兵に野宿をさせておいて自分だけ優雅に過ごすわけにはいかない」と言って断った。これまで同じように誘いを断ってきたことを知っているのか、ファウゼン伯もそれ以上は誘ってこなかった。
馬に揺られながらグレイスと連れだって街の外、アルジャーク軍の宿営に向かう。数日振りの上手い食事に、兵士たちも喜んでいる様子だ。
(聖女、聖女ねぇ………)
そんな兵士たちを視界の端に納めながら、クロノワは振って湧いた「聖女」という新たな要素を、さてどうしたものかと考えるのだった。