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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第十話 神話、堕つ
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第十話 神話、堕つ⑫

「申し訳ございません」


 ガーベラント公は主君であるシーヴァ・オズワルドの前で片膝をついて頭をたれた。彼が謝罪しているのは、シチリアナ軍との遭遇戦において撤退してきたことについてだ。無論、ガーベラント公にはそれなりの理由があって撤退したのだが、それでも形式上アルテンシア軍が敗北した、という事実は動かない。彼はそれを謝罪しているのだ。


「かまわぬ。公の判断は適切であった」


 しかし、シーヴァはそれを咎める狭量な王ではない。鷹揚に頷くと彼はガーベラント公を立たせて席に着かせた。この話はもう終わった、という意思表示である。


 実際、ガーベラント公がそう判断したように、あの場での戦いに戦略的な価値はない。そうである以上、無意味に兵に損害を出す前に撤退したガーベラント公の判断はシーヴァにとっても好ましいものであった。仮にシチリアナ軍が本隊の前に立ちはだかったとしても、三千程度であればこれを破ることは造作もない。もっとも、敵もそのような無謀な真似はしないだろうが。


 それよりもシーヴァとしてはガーベラント公が話した、シチリアナ兵の士気の高さのほうが気になっていた。シチリアナ軍が単独で仕掛けてきたことといい、十字軍内部で何かしらの変化が起こっているのかもしれない。


「ガーベラント公、敵部隊の指揮官はどのような人物であった?」

「は。兵の動かし方を見る限りでは、指揮官としてはまだまだ未熟でしょう」


 ただ兵士たちの士気が高かったということは、それだけ慕われているということで、そういう意味ではやっかいな相手であるともいえる。ガーベラント公はそう分析した。


「それと、遠目に見ただけですのでなんとも言えませんが………」

「まだ何かあるのか?」

「は。敵の指揮官は、どうも女であったように見えました」


 ほう、とシーヴァは面白そうな声をもらした。サンタ・シチリアナに女性の将軍がいただろうかと記憶を探ってみるが、なかなか出てこない。


「もしや、王女のシルヴィア姫ではありませんか?」


 そういったのは、シーヴァの腹心の女将軍であるヴェート・エフニートである。女性の指揮官だったと聞いて、彼女も興味が出てきたのかもしれない。


「どのような人物だ、そのシルヴィア姫とやらは」

「確か今年で十七だったはず。聞いた話では弓と馬術に秀でているとか」


 なるほど、とシーヴァは頷いた。たしかに自国の王族、しかも王女が先頭に立っているとなればシチリアナ軍の士気が高いのは当然と言える。


「………如何なさいますか」

「どうもせぬ」


 シーヴァがこともなさげにそういうと、そこにいた一同は皆一様に呆けたような顔をした。


「弓と馬術に秀でている戦士ならば、我が軍にも多くいる。何も恐れることはあるまい」


 シーヴァの言葉に、その場にいた一同は納得したように頷いた。指揮官として優れているわけではないことは、ガーベラント公の話から分る。もしかしたらその才能はあるのかもしれないが、それが開花するまで待ってやる義理はない。


 そしてなによりも、アルテンシア軍を率いるのはシーヴァ・オズワルドである。シルヴィアが十字軍内でどのような位置にいるのかは分らないが、仮に全軍を率いる立場であったとしても、彼女はシーヴァには遠く及ばない。


 損傷が軽微とはいえ、今回の遠征で初めての敗北に多少浮き足立っていた人々に、冷静さが戻ってくる。この瞬間、アルテンシア軍に対するシチリアナ軍の今回の勝利の意味は完全に消えたといえる。


 しかし、十字軍内部における今回の勝利の意味は、アルテンシア軍が、いやシーヴァが考えていたよりもはるかに大きなものだったのである。


**********


 アルテンシア軍の分隊との戦いに辛くも勝利を収めたシルヴィアは、その余韻に浸る間もなく十字軍の駐屯地へと取って返した。


 シチリアナ軍が再び合流したときには、十字軍の士官たちはすでにシルヴィアが収めた勝利について知っていた。どうやら独自に斥候を放ち、戦況を監視していたらしい。


 あまりいい気はしないとはいえ、これはシルヴィアにとっても都合のよいことであった。たとえ彼女が「アルテンシア軍に勝利を収めた」と主張したとして、それが実際に事実であるにもかかわらず、頭の固い十字軍の士官たちはあるいは信じようとしなかったかもしれない。しかし自分たちが放った斥候による情報であれば、彼らも信じざるを得ないだろう。


 実際、士官たちのシルヴィアに対する態度は明らかに丁重になっていた。ようやくか、と内心で舌打ちしつつもシルヴィアはそれを表には出さず、美辞麗句を並べて彼女を称える士官たちにこう言った。


「すぐに主だった面々を集めていただきたい。お話があります」


 彼女の要望どおり十字軍の主だった人々が大きなテントの中に集められた。そこで真っ先にシルヴィアは口を開く。彼女が話をしても、侮るような雰囲気は生まれない。たった一度の、それも譲られた勝利が、シルヴィア・サンタ・シチリアナに対する評価を一変させてしまったのである。


「まず、十字軍の現在の戦力を教えていただきたい」

「七万と少し。神聖四国以外に兵を出す国がないのだ………」


 参謀長が苦々しくそう言う。ちなみに十字軍内部の序列では、まだ彼のほうが立場が上なので、敬語を使われなくてもシルヴィアは気にしない。


(ついに十万を切ったか………)


 シルヴィアは内心で盛大に顔をしかめた。アルテンシア軍の戦力はおよそ八万。ついに数的優位さえ失ってしまったことになる。これでどこを見渡しても十字軍がアルテンシア軍に勝てそうな要素がなくなってしまった。一応「地の利」というものがあるが、それは攻め込まれていることの裏返しでもある。


「十字軍の戦略目的は?」

「それはもちろん、敵軍を打ち破りシーヴァ・オズワルドの首を上げること………」

「本当にそれが可能であると思っておられるのですか?」


 シルヴィアの鋭い視線を受けて、参謀長は黙ってしまった。ベルベッド城が落とされ戦力の回復もままならないこの状況で、アルテンシア軍を破りさらにシーヴァの首を取ることなど不可能であると、その場にいる誰もが分っていた。


「では、シルヴィア姫にはどのような策がおありなのか、お聞かせいただきたい」


 参謀の一人が少し気色ばんでシルヴィアに尋ねた。シーヴァには勝てない、と言われプライドが傷ついたのかもしれない。そんな参謀の態度に影響されることなく、シルヴィアは静かに口を開いた。


「まず、戦略の主眼を変える必要があります」


 これまで十字軍は、アルテンシア軍を撃退し教会の勢力圏から追い出すことを目的としていた。しかし初戦で大敗し拠点と戦力を失ってしまったため、この目的はほとんど達成不可能になってしまった。


 そこでシルヴィアは新たな目的として、援軍、すなわちアルジャーク軍が到着するまでの時間を稼ぐことを提案した。しかし、その場にいた仕官や参謀たちは、最初その案に否定的であった。


「何時来るのか、いやそもそも本当に来てくれるのかも分らない援軍をアテにして戦うと言うのか」

「左様。時間を稼ぐのであれば、確実に援軍が来るという保障が欲しい」

「それに、アルジャーク軍であればアルテンシア軍に確実に勝てる、というわけでもあるまい」


 次々に反対意見を口にする参謀たちを見て、シルヴィアは腹の中に怒りを感じた。


(ぬるい………!ぬるすぎる!)


 現状に対する認識が。それを何とかしようという決意が。そのためには命を賭けなければならないという覚悟が。その全てが甘く、薄弱で、そしてぬるい。彼らのそのなっていない心構えのせいで、一体何人の兵士たちを死なせてきたのか。


「かつて勝利が約束されていた戦争があったとでもおっしゃるのか」


 シルヴィアの怒りは声音に滲んだ。小娘と侮っていたはずの彼女の声に押されるようにして、士官たちは口をつぐむ。


「勝利が確実と思われていた側が敗北した例は、歴史上に数多くあります」


 ゆえに絶対などというものはこの世に存在しない。とくに戦争においては。そこで保障や確証を与えることなど、誰にもできないのだ。


「それに、保障を欲しがっていられるような状況なのですか? 今の十字軍は」


 そうではないはずだ。自力でアルテンシア軍を追い払うことができそうにない以上、他者の力を借りるしかない。そしてアルテンシア軍に対抗できるのは、大陸広しと言えどもはやアルジャーク軍しか残されていないのだ。


「教会もアルジャークに援軍の要請をされている。今はアルジャーク軍が動くと信じて時間を稼ぐほかありませぬ。ほかに策があると言うのであれば、教えていただきたい」


 シルヴィアの言葉に、その場にいた一同は黙ってしまった。不確実だ、といって反対するのは簡単だ。しかし反対するなら対案を出さなければならない。そして有効と思える案がなかったからこそ、十字軍は今まで動くことができなかったのだ。


「………アルジャーク軍が動かなかった、あるいは動いたとしても間に合わなかった場合は、どうなるのかね?」

「滅ぶだけです。教会も、神聖四国も」


 参謀長の問いかけに、シルヴィアは突き放したように答えた。援軍が来なければ十字軍は負ける、と彼女は断言したのである。無論、先ほど彼女が言ったとおり、戦場に絶対はない。しかし十字軍がアルテンシア軍に勝てる可能性は、万に一つ、いや億に一つくらいなものであろう。天変地異が重なってようやく勝てる、と言ったレベルだ。


「………どう時間をかせぐのか聞かせてもらいたい、シルヴィア姫」


 重苦しい空気の中、参謀長が口を開いた。絶望にも似た雰囲気の中、しかしシルヴィアはそれに侵されることなく凛とした声を響かせる。


「敵の補給線を断ちます」


 シルヴィアは簡潔に答えた。寡兵が大軍を相手にする場合、とるべき戦術は大きく分けて二つ。敵の大将首を取るか、敵の補給線を寸断するか。そういう意味では、シルヴィアの提案は常識的であった。


「具体的には?」

「まず四万程度の兵を残し、のこりを三千から五千の部隊に分けます。そしてそれらの部隊には単独で動いてもらい、敵軍の注意をひきつけます」


 無理だ、と言う声が上がった。仮に三万の兵を五千ずつに分けたとすると、六つの部隊が出来上がる。当然、部隊指揮官も六人必要になる。しかし、十字軍には単独行動の指揮が取れるような者は、ほとんど残されていないのだ。


「別に戦う必要はないのです。敵軍に十字軍のそういう部隊が幾つも動き回っている、という印象を与えることができれば」


 見つかったらすぐに逃げればよい、とシルヴィアは言った。実際に戦わなくて良いのであれば、指揮はそれほど難しくはないだろう。


「そして、それらの部隊に混じった精鋭部隊が敵軍の背後に回りこみ、敵の補給部隊を強襲するのです」


 つまり、陽動に紛れさせて精鋭部隊をアルテンシア軍の後ろに回りこませようというのである。同じような規模の部隊が周りで無意味に蠢動していれば、明確な目的を持っている精鋭部隊も同じように見えてくる。地の利は十字軍のほうにあるのだから、敵が油断してくれれば後ろに回りこむのはそう難しいことではあるまい。


「補給が続かなくなれば、いかに精強な兵といえども後退するほかありませぬ」


 そして後退してくれれば、その分時間がかせげる。後退にあわせて追撃をかけられれば一番良いのだが、そんなことをすれば手痛いしっぺ返しを喰らって崩壊させられるのは十字軍のほうであろう。


「アルテンシア軍はどう動くと思う?」

「複数の部隊が周囲で蠢動するのを気にしてなんらかの対応に出てくれれば、その分時間がかせげます。逆に無視してこれまでどおり侵攻するのであれば、背後に回りやすくなります」


 最も困るのは蠢動している部隊を全て各個撃破されることだが、こちらから積極的に攻撃を仕掛けない限り、アルテンシア軍はゆっくりとアナトテ山を目指すだけだろう。


 つまりシーヴァには自信があるのだ。なにをされても対応できると自信が。その自信は実力と実績に裏打ちされており、実際十字軍がどんなちょっかいを出したとしてもはね返されるのがおちだろう。


 しかし、シーヴァ・オズワルドといえど体が二つあるわけではない。遠く離れた場所での襲撃に対応できるわけではないのだ。どれだけ自信があろうとも、彼の手の届く範囲は決まっている。彼の自信に根拠はあるだろうが、兵士たちの自信に彼ほどの根拠はあるまい。シルヴィアの狙いはそこだった。


「後退するとはいっても、ベルベッド城までであろうな………」

「その通りかと」


 参謀長は難しい顔をして腕を組んだ。ベルベッド城を攻略したアルテンシア軍は、そこを自分たちの拠点として使っている。またベルベッド城には十字軍が持ち込んだ大量の物資がそのまま残っていたはずで、アルテンシア軍にしてみれば城まで後退できれば補給には事欠かない。


 またベルベッド城があるのはサンタ・ローゼンの隣の国であるフーリギアである。つまりそう遠くまで撤退してくれるわけではない。またアルテンシア軍が撤退した後、サンタ・ローゼンの国境付近に防衛線を引けるわけでもない。そのために必要な拠点はほとんど全てシーヴァによって破壊されているからだ。


 ようするに、補給線を断って一度アルテンシア軍を後退させたとしても、再侵攻を防ぐ有効な手段はないのである。時間がたてば今と同じ状況になることは目に見えており、本当に時間稼ぎの意味しかない。


(いや、ともすれば時間稼ぎすらできないかも知れぬ………)


 シルヴィアは心の中だけでそう思った。

 補給が続かなくなれば、アルテンシア軍はベルベッド城までとはいえ後退する。それは間違いないだろう。しかしその後、これまでと同じペースで侵攻してくる、という保障はそれこそどこにもない。


 補給線を断たれ、いわば“してやられた”シーヴァが本気になる可能性は十分にある。そうなった時、アルテンシア軍の進軍速度はこれまでとは桁違いになるだろう。攻略すべき敵拠点がないこともあわせて考えれば、これまでの三から四倍、ともすれば五倍以上になってもおかしくはない。


 その場合、はたしてアルジャーク軍は間に合うのか。


(保障など求めている場合ではない、と啖呵を切ったのは誰じゃ!)


 情けない、とシルヴィアは心の中だけでかぶりを振って自分を叱った。なんにしても一度後退させればその分時間がかせげるのは間違いないのだ。その間にアルジャーク軍が来ることに賭ける以外、教会と神聖四国が生き残る道はない。


 シルヴィアは自分の懸念をここで口にはしなかった。話してみたところでどうにもならないからだ。アルテンシア軍の動き方は、結局シーヴァ・オズワルドにしか決められない。ならばわざわざ自分で反対意見を出して自滅するような真似をしても仕方がない。そんなことをするためにシルヴィアは戦場に出てきたわけではないのだ。


「敵軍が撤退しなかった場合はどうする?」


 ふと、参謀の一人がそんなことを言い出した。


「シルヴィア姫の作戦は、補給線を断たれた敵軍はベルベッド城まで撤退する、という前提で成り立っている」


 しかしアルテンシア軍が撤退せず、全力でアナトテ山を目指し始めたらどうなるのか。戦力を分けている十字軍は敵を満足にとどめることができず、アナトテ山は簡単にシーヴァの手に落ちてしまうだろう。


 そうでなくとも、周りの村や町を略奪することで兵糧を確保するかもしれない。そうなった場合、当初予定していたような時間はかせげないだろう。


「それは今この瞬間にも可能性のあることです」


 シルヴィアは反論する。アルテンシア軍が圧倒的優位にある以上、アルテンシア軍のほうが選択肢が多いのは当然のことである。十字軍にできるのは、敵が撤退する可能性の高そうな作戦を選ぶことだけだ。


「この策は他のどんな作戦よりその可能性が高いと、自負しております」


 それにシーヴァはこれまで兵士たちに対して一切の略奪を禁じてきた。これまでに降伏したシャトワールやブリュッゼ、フーリギアにおいてもアルテンシア兵の素行は良かったと聞き及んでいる。


 シーヴァの戦場におけるモラルは相当高い。たとえば第一次遠征時の十字軍など比較にならぬほどに。である以上、シーヴァは補給線が切れればベルベッド城まで戻るだろう。その程度の手間を彼は厭うまい。妙な話だが、シルヴィアはシーヴァがそれだけの器を持っていると信じている。


 シルヴィアがそういうと、反対意見を述べた参謀も黙った。彼にしてもシルヴィアの策を超える対案は持ち合わせていないのだろう。真の批判とは相手の欠点をあげつらうことではない。欠点を指摘した上で相手を上回ることなのだ。


「他に対案のある者は?」


 参謀長が居並ぶ面々の顔を見渡す。対案は出てこなかった。この瞬間、シルヴィアの作戦にしたがって援軍を待つことが決定した。




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