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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第十話 神話、堕つ
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第十話 神話、堕つ⑩

「ベルベッド城において十字軍はアルテンシア軍と戦い、そして惨敗した」


 その知らせは瞬く間に広がり、そして教会勢力の国々を激震させた。この敗北がそのまま教会勢力の敗北であるかのような、そんな気さえしていただろう。それほどまでに彼らはベルベッド城がアルテンシア軍を押しとどめ、そしてはね返すことを期待していたのである。


 さらに詳細な報告が続く。


「ベルベッド城の城壁はシーヴァによって破壊された」

「十字軍の戦死者は少ない。しかし壊走した際にそのまま逃げてしまった兵士が多数いるため、現在戦力として数えることができるのは五万程度」

「対してアルテンシア軍の損傷は軽微と思われる」

「総司令官ラウスフェルドが遁走。十字軍は現在、総司令官が不在」


 加えて兵糧と物資の不足が深刻だった。ベルベッド城での籠城は長期にわたることが予想されていたため、集められた兵糧や物資のほとんどはそこに運び入れられていた。しかし見込みは外れてベルベッド城はわずか半日足らずで陥落してしまった。十字軍の兵士たちは逃げることに精一杯で、そこにあった兵糧と物資のほとんどは持ち出すことも処分してしまうこともできなかった。結果としてそのほぼ全てがアルテンシア軍の手に落ちたことになる。


 なによりも、「敗北した」という事実そのものが重大だった。


 教会勢力はいわば「命運を賭けて」ベルベッド城での籠城戦を戦うつもりでいた。「人事を尽くした」と言えるほどに準備を整え、「後は天命を待つのみ」という心境でいたのである。


 それなのにベルベッド城はあっけなく陥落してしまった。この敗北を「戦局の一面における敗北」と捉えることができず、アルテンシア軍と戦う意思そのものを挫かれてしまった国さえあるかもしれない。


 話は意思や士気だけに留まらない。当初から十字軍は野戦では勝ち目が薄い、ということを認めていた。だからこそベルベッド城に籠城し、守戦に徹してアルテンシア軍が根負けして撤退するのを待つつもりだったのである。


 しかしこの戦いで敗北したことで、籠城して守りを固めたとしてもアルテンシア軍には勝てない、ということが分ってしまった。


 野戦では勝てず、さりとて籠城しても勝てない。それはつまり、十字軍はどうやってもアルテンシア軍には勝てないと宣告されたようなものである。


 戦う意思は挫かれ、実際問題としてアルテンシア軍には勝てそうにもない。ならば早い段階で教会に見切りをつけ降伏したほうがいいのではないか。そうと考えるのはある意味当然の流れであった。


 ここへ来て、シーヴァが教会勢力に打ち込んだ楔が効果を発しようとしている。


 シーヴァは真っ先に降伏してきたシャトワールとブリュッゼをかなり好意的に扱った。そこにはもちろん打算や思惑が多量に混じっていたが、それでもその二カ国の扱いがきわめて良かったことに変わりはない。


 もしもシーヴァがシャトワールとブリュッゼに対して極悪非道の限りを尽くしていたのであれば、教会勢力の各国も降伏することなど考えず最後まで抵抗の構えを見せるだろう。しかし戦うよりも失うものが少なくて済むのなら、降伏という選択肢は選びやすいものになる。


 さらにアルテンシア軍はすぐそこまで来ているのだ。これまで教会勢力の足並みが図らずも揃っていた理由の一つは、

「造反した国が十字軍の標的にされるのではないか」

 という恐れがあったためだ。しかし、今であれば十字軍のほうはアルテンシア軍を気にしているはずだから、造反したという理由で攻め込まれることは恐らくない。仮に攻め込まれたとしても、アルテンシア軍が援護してくれるだろう。


 ただ、ベルベッド城の敗戦の後、各国がこぞってアルテンシア軍に降伏したかといえばそうではなかった。言うまでもないことだが、降伏した相手をどう扱うかはシーヴァ・オズワルドの一存で決まる。つまり好意的に扱ってもらえるかどうか。シャトワールとブリュッゼの例を見る限り可能性は高いだろうが保証は無い。二度十字軍遠征を行いさらに三度目の遠征を画策していた教会勢力に対して、シーヴァがいい感情を抱いていないということは容易に想像でき、なかなか踏ん切りがつかないというのが実際のところだった。


 敵と味方。その両方を探りながら生き残りを模索する。教会勢力下にあった各国はそういう状況であった。


 子分(・・)のそういう空気を感じ取って大いに焦っているのが教会である。これまで教会は各国に数多くいる信者たちと潤沢な資金を盾に、それらの子分(・・)に対して絶大な影響力を誇っていた。


「言うことを聞かなければ、信者たちが反乱を起こすぞ」

 と、大げさに言えばそういう脅しをかけていたのである。


 しかしその絶大な影響力も、最近ではすっかりと翳ってしまった。そして影響力の低下はそのまま教会勢力の団結力の低下に直結する。今の教会はどこが裏切るのか、あるいは裏切ろうとしているのか、とすっかり疑心暗鬼になってしまっている。疑われていると知れば、そのまま降伏になびく国も出てくるだろう。つまり教会は、楔によって生じたひび割れを、自らの手で大きくしているようなものだった。


 一方シーヴァである。彼は教会勢力内部のゴタゴタに興味は無い。ベルベッド城という拠点とそこにあった大量の兵糧を手に入れたアルテンシア軍は、その三日後に東への進軍を再開した。


 本来ならば、三日もベルベッド城に留まるつもりはなかった。そこに残されていた大量の物資の確認のために一日程度だけ留まるつもりだったのだが、その間にフーリギアの王都から降伏を伝える使者が来たのだ。


 フーリギアはベルベッド城の攻防戦に強い関心を持っていた。その勝敗がそのまま国の命運を左右すると言っても過言ではないのだから当然だ。そこで斥候を出して攻防戦を監視させていたのだ。


 ベルベッド城の攻防戦は半日もかからずにアルテンシア軍の勝利で終わった。十字軍の壊走とラウスフェルドの遁走を確認した斥候たちは、その結果をすぐさま王都にいるフーリギア王へと伝えた。


 ベルベッド城の陥落と十字軍の敗走を知ったフーリギア王は、すでに夜半過ぎであったにもかかわらず全ての重臣を招集し緊急会議を開いた。朝日が昇るころまで続けられたその会議でアルテンシア軍に降伏することが決定され、すぐさまベルベッド城にいるシーヴァに対して使者が送られた。


 フーリギア側の使者として選ばれたのはハウクエーゼン伯爵である。未明から夜明けにかけて行われた会議に出席し、そのまま使者として馬を飛ばしベルベッド城にやってきた彼の目元には大きな隈があったと言う。


 停戦する旨をしたためたフーリギア王の親書を確認すると、シーヴァはハウクエーゼン伯と降伏条件についての大まかな条項について話し合った。シャトワールとブリュッゼと同じように主権と領土を安堵するという内容であり、ハウクエーゼン伯は大いに胸をなで下ろし、そのまま極度の疲労のため倒れこんでしまった。


 ただ、「戦う前に降伏した国」と「戦いに負けてから降伏した国」を同じように扱うのは不公平ではないか、という意見も出された。ベルベッド城に籠城していた十字軍にはフーリギアも軍を派遣していたからだ。そこでアルテンシア軍の遠征費の一部負担、ということで折り合いがつけられた。国土の割譲や長期的な賠償が盛り込まれなかったのは、やはり破格と言っていい。


 そして後の細かい調整と正式な調印をリオネス公に任せ、シーヴァはベルベッド城を発ったのである。二千の兵をベルベッド城に残し、残りの七万八千を率いての西進再開であった。


 この時、シーヴァはブリュッゼにいるイルシスク公とゼーデンブルグ要塞にいるウェンディス公にそれぞれ使者を送り命令を伝えている。


 イルシスク公に対しては、降伏の正式な調印後をリオネス公から引き継ぎ、シャトワール・ブリュッゼ両国と共にフーリギアの監督もするように命令を出した。


 ウェンディス公に対しては、ゼーデンブルグ要塞にいる予備部隊の中からベルベッド城に詰める兵を送るように命令した。さらにリオネス公には予備部隊が到着し次第、城に残した二千の兵を率いて本隊に合流するよう命令してある。


 ちなみにベルベッド城に入った兵たちの仕事は、城の防衛、物資の管理、そしてシーヴァが破壊した城壁の応急的修理、であった。


 そしてついにシーヴァ・オズワルド率いるアルテンシア軍は、教会勢力の中枢とも言うべき神聖四国へと侵入したのである。


**********


「父上、お話があります!」

「………シルヴィアか、何のようだ?」


 そう言いつつも、アヌベリアスには娘の考えることなど手に取るように分っている。そのせいか、彼の声は少し苦い。


「ベルベッド城が落ち、ラウスフェルド殿は遁走されたとか」

「………そうだ」


 教えた覚えのないことをシルヴィアが知っていることに、アヌベリアスは小さく舌打ちした。ベルベッド城の陥落と十字軍の敗退についてはすでに広く知れ渡っている。事が事だけに伝わるのが早いのは分るが、それにしても早すぎる気がする。まるで誰かが意図的に広めているようにさえ思えた。


(いや、これは被害妄想か………)


 意図的に情報を広めているとしたら、それはアルテンシア軍の仕業だろう。アルテンシア軍の諜報員が神聖四国内に紛れ込んでいるのは、ほぼ間違いないのだろう。しかし自分たちに都合の悪い事柄をすべて敵の仕業にして片付けてしまうのは、戦時にありがちな思考の停止であるようにアヌベリアスには思えた。


 なんにしても統制が弱まっている、という事実は否定できない。つまりそれだけ教会勢力の力が弱まってきている、ということだ。一般の民衆にさえ広く知れ渡ったベルベッド城の陥落と十字軍の敗退の知らせは動揺と混乱を生じさせ、それは厭戦気分を高める結果となっている。


「アルジャークの方はどうなっていますか」

「交渉を継続中だ」


 交渉とは言うまでもなく派兵の交渉のことだ。アルテンシア軍に対抗できそうなのはもはやアルジャーク軍しかない。逆を言えばアルジャーク軍を引っ張り出さない限り教会の滅亡はほぼ確実で、まさに命運をかけた交渉の真っ最中であった。


「つまり、今はまだアルジャーク軍は動かない、ということですね」


 しかし交渉の進行状況は思わしくなく、未だアルジャーク軍の派兵は決まっていない。もともと教会や神聖四国は格上の立場から命令することにしか慣れておらず、同等かあるいはそれ以上の相手と交渉するのはほとんど初めてであると言っていい。そのため交渉役の人間は不慣れでまた稚拙であり、なかなか望むような合意が得られないのだ。


 それでも、交渉の最初はまだ余裕があった。ベルベッド城がアルテンシア軍を防ぐと期待されていたからだ。戦況で優位に立てれば、あるいは優位に立てるという見込みがあれば、それはアルジャークとの交渉においても有利に働く。


 しかしベルベッド城があっさりと陥落してしまったために事情が変わってしまった。この先、十字軍がアルテンシア軍に勝てる見込みはほとんどない。教会勢力が、いや教会と神聖四国が生き残るためには、なんとしてもアルジャーク軍に動いてもらわなければならなくなったのだ。今頃、交渉役を押し付けられたルシアス・カント枢機卿はなりふり構わず相手にすがり付いていることだろう。もっとも、そのせいで足元を見られているのかもしれないが。


 それはともかくとして。アヌベリアスにしても交渉の進行状況になど興味は無い。重要なのはその成否だ。そしてアルジャーク軍を未だに引っ張り出せないということは、交渉は失敗続きである、と見ていい。


「ラウスフェルド殿の後任は決ったのでしょうか?」

「………まだだ」


 シルヴィアは淡々と事実を確認していく。そしてそれはアヌベリアスにとって、少しずつ外堀を埋めていかれることに等しいものだった。


 ベルベッド城から遁走したラウスフェルドは、もう使い物にならない(・・・・・・・・)。シーヴァへの恐怖をトラウマとして刷り込まれてしまった彼は、自室から出てこないそうだ。


 そのため、新たな総司令官を決めなければならない。新たな総司令官もやはり神聖四国の王族かその血筋にある者が望ましいが、なり手がいないのが現状だった。


 理由はいろいろある。


 まず、能力的になり手がいない。つまり戦術に通じ軍を指揮できる人材がそもそもあまりいないのである。とはいえ、総司令官に神聖四国の王族を求める最大の理由は、兵士たちの団結の象徴にするためなので、能力が足りていないのは決定的な理由にはならないだろう。


 だから一番大きい理由は、十字軍にもはや勝ち目が無いことだろう。負けるのが決まっている、あるいは敗北が濃厚な軍の指揮など誰もやりたがらない。当然である。


 さらに国内の混乱がある。教会勢力の国々では、第一次十字軍遠征以来負けが続いているためなのか、国家の権威が揺らぎ国内で混乱が見られるようになっていた。それは犯罪の増加であったり、不穏分子の活動が活発になったりと、いろいろな形で現れている。そしてそれは神聖四国においても同じであった。そのため国内の引き締めに信頼できる人材が必要になり、十字軍の必要にまで手が回らないのが現状だった。


「父上、ここはやはりわたくしが………」

「駄目だ。お前が戦場に立つ必要はない」


 アヌベリアスは娘の言葉を遮った。シルヴィアは現在、国内での役職は持っていない。そして自ら望んで十字軍の総司令官になりたいという。彼女の指揮能力がどれほどのものか、それはまだ未知数でおそらくはたいしたことはないのだろうが、それは補佐する人間がいれば解決する問題でもある。


 確かにシルヴィア・サンタ・シチリアナはラウスフェルドの後任としてそれなりに適した人物であろう。それはアヌベリアスも承知している。承知した上で、それでも彼は娘を敗北が濃厚な戦場になどやりたくは無かった。


 戦場で戦うのは、男の仕事だ。今の時代、歴史を動かしそして作っているのは、ほとんどが男性である。国を興し、戦場で戦い、政を行う。その全てが、男性の主導で行われている。自分の才覚を存分に発揮する場が、男性には開かれているのだ。


 それに対し、女性の個人的な人格や能力が必要とされることなど、ほとんど無い。彼女たちに求められているのは多くの場合、血筋や家柄、そして財産などだ。一個の人格としての尊厳が無視されていると言ってもいい。


「綺麗な人形。最高のトロフィー」


 今の時代の女性、特に上流階級と呼ばれるような女性たちは究極的にはそういう風に見られているのではないか、とアヌベリアスは思う。


 そしてだからこそ、女性が戦場に出て行く必要などないのだ。そこでしのぎを削り血を流して歴史の趨勢を奪い合っているのは、男たちである。望む未来を力ずくで手に入れようとしている以上、その結果が敗北であるのなら受け入れなければならない。それが己の才覚で歴史に名を残そうとする男の責任であり覚悟なのだ。


 しかし女性にそのような責任と覚悟は求められていない。安穏とした箱庭に押し込められる代わりに、その箱庭の中で平穏を享受する権利が彼女たちには与えられているのである。


 戦場に立つのは男の仕事、いや責任である。女であるシルヴィアがそれを肩代わりする必要はない。彼女には別の仕事があるのだから。


「それよりも、やはりお前はアルジャークに行け」


 無論、人質として、そして将来的には皇帝クロノワの妃として、である。アヌベリアスはシルヴィアを送ることで、停滞しているアルジャークとの交渉にテコ入れをしようと考えたのだ。ベルベッド城を落とされて切羽詰っているこの状況なら、他の三国も「自分だけ助かるつもりではないのか」などと言いがかりを付けてくることもないだろう。


「私がアルジャークに赴いたとして、果たして間に合うでしょうか」

「どういう意味だ?」

「これはわたくしの勘ですが、おそらくシーヴァ・オズワルドは神聖四国内にかなりの数の諜報員を潜ませているはず」


 これまでシーヴァは進軍の速度をかなり抑えていた。そのおかげで教会と神聖四国は今の今まで生きながらえてこられた、とも言える。また周辺の村や町の人々は十分な余裕を持って避難することが出来ている。


 ただ、それがシーヴァの目的でないことは明らかだ。彼は遠征の難しさをよく知っており、兵士たちが常に余力を残せるようにしているのだ。


 しかし、シルヴィアはそれだけが理由ではないと見ている。シーヴァはアルテンシア軍が十字軍を撃破し進軍していく様子を、教会勢力の国々に見せ付けているのだ。そうやって恐怖を煽るのと同時に降伏になびく時間を与え、教会勢力を分裂させようとしている、というのがシルヴィアの見立てだ。


 しかしここでシルヴィアがアルジャークに行くことになれば、どうだろうか。サンタ・シチリアナ内にもアルテンシア軍の諜報員は潜り込んでいる。彼らはすぐにそれを察知してシーヴァに伝えるだろう。


 このタイミングで神聖四国の姫がアルジャークに赴く理由など、一つしかない。すなわちアルジャーク軍への派兵要請。シルヴィアはそのための人質である。


 シーヴァ・オズワルドであれば、その程度のことはすぐに見抜くであろう。そして見抜いた後、これまでどおり速度を抑えた遠征を続けてくれる保証は無い。


「アルジャーク軍が来る前にアナトテ山を落とす」


 そう決断し、まるでアルテンシア同盟に対する革命初期のような疾風怒涛の勢いで進撃を開始するかもしれないのだ。そうなったとき、アルテンシア軍を止められる戦力は、もはや教会勢力には残されていない。


「しかしそれは全てお前の憶測であろう?」


 アヌベリアスの言うとおりこれらはすべてシルヴィアの憶測であり、なんら確証のあるものではない。当る可能性もあれば、外れる可能性もある。その程度のものでしかないのだ。


 シルヴィアの言うとおりサンタ・シチリアナにもアルテンシア軍の諜報員は紛れ込んでいるだろう。どの程度の諜報活動をしているのかは分らないが、それはアヌベリアスも感じ取っている。しかしだからと言って、彼らに気づかれずにシルヴィアをアルジャークに送る方法が無いわけではないのだ。


「しかし、それでも時間が足りるかは疑問です」


 シルヴィアがアルジャークに行くまでの時間。そしてアルジャークが軍を組織し、その軍が極東から大陸中央部まで来るのにかかる時間。それだけの時間が果たして教会勢力に残されているだろうか。


 父と娘の視線が擦れる。ため息をつき先に視線を外したのはアヌベリアスの方だった。


「なぜそうまでして戦場に出たがる?先ほども言った通り、お前が戦場に立つ必要はないのだ」

「必要はないかもしれません。ですが、理由はあります」


 わたくしは祖国を愛しています、とシルヴィアは言った。


「女の身でありながら戦場に立つ理由は、それで十分ではありませんか」


 もちろん打算や思惑は色々とある。しかし結局のところそれは想いを正当化するための理論武装に過ぎない。


「愛する祖国を守りたい」

 それがシルヴィアの根っこにある想いである。


 アルテンシア統一王国が一方的に悪であるとは思わない。二度も十字軍遠征を仕掛けさらには三度目を画策した教会勢力にも大きな非がある。しかしだからといって、それは祖国が蹂躙されるのを許す理由にはならない。ましてや自分だけがアルジャークに逃れるなど、言語道断である。


「わたくしはこのサンタ・シチリアナに育てられて、いえ、生かされてきました。ならばこの命、祖国を守るために使いとうございます」

「………アルジャークに行くことも、祖国を守ることに繋がるのだぞ?」


 もはや無駄と知りつつ、アヌベリアスは説得を続けた。


「確かにその通りでしょう。ですが、自分の手で祖国を守りたいのです」


 仮に祖国が滅ぶのならば、この身もまた共に。シルヴィアはそう言って自分の覚悟を述べた。


 シルヴィアとて自分が戦場に立てばシーヴァに勝てる、などとは思っていない。恐らく、いや確実に負けるであろう。しかし勝てないことを前提にすれば、時間を稼ぐような戦い方はできるはずである。


 ルシアス枢機卿がアルジャークの協力を取り付けるまで時間を稼ぐ。それがシルヴィアの目的だった。


「………まったく。今ほどお前が男であれば、と思ったことはないぞ」


 椅子の背もたれに体を預け、苦笑を漏らしながらアヌベリアスはそういった。


「女の身なればこそできることもありましょう。たとえそれが戦場であっても」

「そう願いたいものだ」


 そういってひとしきり苦笑すると、アヌベリアスは背もたれから体を起こして立ち上がり、国王としての顔をシルヴィアに向けた。部屋の雰囲気が一気に厳粛なものへと変わった。


「シルヴィアよ」

「はっ」


 国王アヌベリアス・サンタ・シチリアナの呼びかけに、シルヴィアは片膝をついて臣下の礼を取り答えた。


「汝に命ずる。シチリアナ軍を率いて十字軍に合流し、アルテンシア軍の侵攻を防ぐのだ」

「御意」

「………シルヴィア」


 頭を下げる娘にアヌベリアスは再び声を掛けた。その声は王ではなく父親としてのもので、それを聞き取ったシルヴィアも臣下の礼をといて立ち上がる。


「教会と神聖四国を頼む」

「はい。お任せください、父上」


 こうしてまた歴史という舞台の上に役者が上がる。果たして彼女が演じるのは喜劇かそれとも悲劇か。



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