第十話 神話、堕つ④
――――人造神界計画。
それが、御霊送りの本来の姿であるとマリアは言った。
ロロイヤ・ロットという学生が残した「空間構築論」。その論文を基にして巨大な亜空間を作り上げてそこに街を丸ごと一つ収め、そしてそこを限られた人間だけがすむことのできる桃源郷にするという計画である。
途方もない計画である。そもそもそんなことが可能なのか、という気がする。しかし、ロロイヤがその論文を完成させてからおよそ十五年後にすべての準備は整った、とマリアは言っていた。
「それで………、どう、なったんですか………?」
「計画は失敗したわ」
見ての通りよと自虐的に笑い、マリアは周りの風景を示した。たしかにここは桃源郷とはかけ離れた場所で、そもそも人の気配がない。
ただし、計画が失敗したのは、技術的な部分に欠陥があったからではない。技術的な部分だけ見れば、当初想定していたレベルには十分に達していた。巨大な亜空間を用意することはできたし、そこにパックスの街を丸ごと収めることもできたのだ。
ではどこで失敗したのか。それはパックスの街を亜空間内に収めた、その後である。
端的に言えば、落ちたのだ。
亜空間とは、閉空間である。つまり限られた縦・横・奥行きしかない。そして亜空間内の特性は、その亜空間を固定してある実空間の特性から影響を受ける。簡単にいえば、上下の感覚がある実空間に固定してあれば、亜空間内でも上下が存在するのだ。
さて、上下の感覚が存在する閉空間内で、突如として物体が空中に出現した場合、その物体はどのような運動をするだろうか。答えは至極簡単で、落下運動をする。そこに大小の差別はなく、あらゆる物体において同じことが言える。
つまり何が起こったのかといえば、亜空間内に収容されたパックスの街は、一瞬の浮遊の後に落下運動を開始し、そのまま空間の底に叩きつけられたのである。
そこから先は悲惨だ。叩きつけられた衝撃で大地は割れて砕けた。地震、などという生ぬるい言葉で表現しきれるような災害ではない。下から上へと突き抜けた激しい衝撃は、亀裂という形で大地を走りそのままを引き裂いた。
大地が引き裂かれて砕かれ、その上に立っている建物が無事で済むわけがない。突き抜けた衝撃で真っ二つになるもの。建物自体が飛び上がって叩きつけられ粉々になったもの。崩落に巻き込まれて大地の底に消えていったもの。無事で済んだ建物は一つとしてなかった。
「さらに致命的だったのは、そこに多くの人々がいたことです」
そう、パックスの街を亜空間の中に収める際に、その町は無人ではなかったのだ。それどころかそこには二千人規模の人々がいたのである。
安全という観点で考えれば、その最後の実験は街を無人にして行うべきであったろう。しかし教会はそれをよしとはしなかった。
一言で言ってしまえば、“見栄”の問題である。パックスの街が「神界」に「引き上げられる」その時を、その場で体験する人間がいたほうが見栄えがよい。実験と計画の失敗を露ほども考えていなかった教会は、その街に大陸中から選りすぐった信者をおいておくことを躊躇わなかったのである。
「結果として、それが実験の失敗を計画の失敗に直結させてしまったのです」
人が死んでおらずただ街だけが壊れたのであれば、それを隠して街を再建することもあるいは可能であったろう。いや、そもそも桃源郷を作る予定だったのだから、その一環としてパックスの街を更地に戻したのだと、だからこれは想定どおりで失敗などではないと、主張することもできたかもしれない。
が、実際のところその時パックスの街にいたおよそ二千人の人々は全滅した。そしてそれが、教会の言い訳を封じてしまったのである。
「教会に残された道は一つでした」
つまり計画、いや御霊送りの儀式は予定通りに成功した、と言い張るしかない。しかしこのままでは、「自分もそこに入りたい」と言い出す人間が現れることは目に見えている。そこで捏造して流布しておいた神話を少しずつ改ざんして、「死後、魂の形でなければそこには入れない」とした。
その一方で、教会は「人造神界計画」に関係するものを全て処分した。当然、ロロイヤの残した「空間構築論」も廃棄された。その論文に秘められた可能性は絶大なものであり、それを利用すれば今までにない魔道具が作れることはすでに分っていた。しかし、そこから計画の失敗が漏洩するかもしれない。そう考えた教会は自らの体面と計画失敗の隠蔽を最優先したのである。
しかもなお悪いことに、この計画は神話の再現、つまり人智の及ばない奇跡という設定になっている。それが失敗したとなれば、神々が教会を見放した、と多くの人々は判断するだろう。そうなれば教会は終わりだ。
だからこそ、計画の失敗はなんとしても隠蔽し、儀式は成功したと言い張らなければならなかったのである。
「そして、呪われた職責を担う生贄として、“神子”という地位が設けられたのです」
現在大陸中で知られている御霊送りの神話によれば、神界の門を肉体を付けたままくぐれるのは神子とその後継者のみであるとなっている。しかし、そもそも“神子”という位は本来の「人造神界計画」では規定されておらず、計画が失敗したためそれを隠す目的で設けられたものである。
では、なぜ“神子”が必要になったのか。
「設定した亜空間を保持するには、魔力が必要なのです」
亜空間というのは、本来あるべき空間を歪めることで存在している。世界の復元力はその歪みを直す方向に働くから、亜空間を維持するには魔力を供給し続けなければならない。仮に魔力の供給が途絶えた場合、亜空間は消えてなくなりそこに収められていたパックスの街が実空間に帰ってくることになる。
それはつまり、失敗の漏洩だ。それだけはなんとしても阻止しなければならない。そこでこの秘密を背負い、亜空間維持のために魔力を供給し続ける“生贄”として“神子”が作られたのである。
「でも、生贄って………」
その言葉のニュアンスは悲観的過ぎるのではないだろうか、とララ・ルーは思った。確かに背負わされた秘密はあまりにも重いが、しかしやることは魔力を供給するだけではないか。
「………知っていると思いますが、魔力というのは生命力と同義です」
魔力の過剰消費が原因で命を落とした魔導士はたくさんいる。つまり魔力の使いすぎは命に関わるのだ。
そして、街一つを収める巨大な亜空間を維持し続けることは、命に関わるだけの魔力を必要とした。早い話が、寿命が縮むのである。
「寿命が、縮むって………」
「………『人造神界計画』のために作られた魔道具は二つ」
絶句するララ・ルーを少しばかり無視する形で、マリアは説明を続けた。用意された二つの魔道具とは、「世界樹の種」と御霊送りの「祭壇」である。
亜空間を固定するための基点であり、また出入りを行うためのいわば門としての役割を果たしているのが、「祭壇」である。
そして、実際に亜空間を構築しまた維持しているのが「世界樹の種」である。またこの魔道具は亜空間内にはいるための鍵の役割も果たしている。
ちなみに、神子が神殿の周囲から離れられないのは、「世界樹の種」そのものが亜空間を固定しているわけではないので、「祭壇」から離れすぎると亜空間維持のための魔力を供給できなくなるためだ。
「『世界樹の種』は、それを装着している人間から強制的に魔力を吸い上げて亜空間を維持しています」
強制的、というのは技術的に考えれば少し語弊がある。亜空間維持のためには一日中、もちろん寝ている間も魔力を込め続けなければならない。つまり意識的にやり続けることは不可能で、その機能を自動化することはどうしても必要なのだ。
まあ、もっともそのせいで寿命が削られていくのだから“強制的”と考えるのも当たり前である。
「しかし、人間の魔力というのは無限ではありません」
そういってマリアは自分の腕につけた「世界樹の種」を見せた。それは赤い光を煌々と放っている。ここに来るまでは神聖に思えたその光が、今は恐ろしくて禍々しいもののようにララ・ルーには思えた。
「装着者の魔力、つまり命が尽きかけると、『世界樹の種』はこうして赤い光を放ちそれを教えるのです」
魔力、つまり命が尽きかけている。それはつまり装着者の死が近いということだ。装着者が死んでしまえば魔力が供給されなくなり、亜空間が維持できなくなる。亜空間が崩壊すれば儀式の失敗が世に露呈してしまう。そうなれば教会は終わりだ。
それを回避するのは簡単だ。「世界樹の種」を別の生命力溢れる人間に渡し、その者が魔力を供給し続ければいい。
しかし、「世界樹の種」に魔力を供給し亜空間を維持する人間が何も知らなくては困る。だからこそ神子の後継はここで、崩落したパックスの街で行われそこですべての真実が次の神子に教えられるのである。
「つまり、今教会で行われている御霊送りの儀式には複数の目的があるのですよ」
表の目的は、現世に残された最後の奇跡として教会の正当性を主張し、信者たちをつなぎとめること。
裏の目的は、「人造神界計画」とその計画にまつわる一連の真実を次の神子に継承すること。
そして真の目的は、真実を知った次の神子に「世界樹の種」を渡し、亜空間を維持してこの秘密を命の続く限り守らせること。
「それが、神子の使命なのです」
「神子、の使命………」
いや、使命という言葉を使うのは卑怯だ、とマリアは思った。それではまるで、この秘密を守ることが世界を守ることに繋がっているようではないか。もちろんそんなことはなく、教会が守りたいのは自己の体面だけだ。“使命”という言葉を使わなければならないほど、この秘密は高尚でもなければ高潔でもない。
そう思いながら、マリアは左手につけた「世界樹の種」がはめ込まれた腕輪を外し、それをララ・ルーのほうに差し出した。差し出されたララ・ルーは怯えたように胸の前で腕を組んでその腕輪を見つめていたが、やがて意を決したようにそれに手を伸ばした。
「嫌なら、いいのよ………?」
手を伸ばすララ・ルーに、マリアは穏やかにそう言った。その言葉は、マリア自身が先代の神子であったヨハネスに言われたものでもある。
「誰も、君にこの務めを強制することはできない。もちろん私もだ」
ヨハネスはマリアに対してそう言った。もしかしたら、ヨハネスはマリアが拒否することを望んでいたのかもしれない。そう思うのは、今まさにこの瞬間にマリア自身、愛娘が次の神子になることを拒否してくれれば、と願っているからだ。
「隠されたままで終わる秘密はありません。こうして教会が必死に隠しているこの秘密も、いずれは白日の下に曝されるでしょう。結局、早いか遅いかの問題でしかないのです。そして遅くなればなるほど、それだけ敬虔な信者の方々を騙すことにもなります」
それはきっととても罪深いことです、とマリアは言った。教会でもっとも聖なる者であるはずの神子は、実は最も罪深い存在なのではないか。マリアはその考えを、否定できずにいる。
「………一つだけ、教えてください」
「なにかしら?ララ」
――――お母様はなぜ、その腕輪を受け取られたのですか?
ララ・ルーにそう尋ねられると、マリアは小さく苦笑した。
「ヨハネス様の誇りを守りたかった。それだけよ」
マリア自身、敬虔な信者ではあった。しかし、御霊送りの真実を知ってしまえば、もはや教会と神々を信じることはできなかった。それも当然だろう。信じていたもの全てに裏切られたのだから。
(そして今、ララ・ルーもまた………)
自分を含め、信じてきたもの全てに裏切られた。教会の全ては嘘っぱちだと、目の前に突きつけられてしまった。あまつさえ、その嘘を守るために神子の座につき、自分の命を削れと言われている。
その困惑と絶望は、マリアも良く分る。彼女自身、ここでヨハネスから全てを明かされたときにそれを感じたのだから。
しかしヨハネスは違った。この救いようのない真実を知って、彼もまた同じように信じてきたものに裏切られ、困惑と絶望を味わったに違いないのに、それでもヨハネスは教会を見限らなかった。でなければどうして、枢密院を敵に回してまで教会の改革など志すだろうか。
ヨハネスはきっと、まだ教会に価値を見出していたのだ。奇跡とされ、教会の拠り所とも思えた御霊送りは嘘だったが、それ以外にも教会の教えには大切なことがたくさんある。それをもっと大事にすればいい、とヨハネスは考えたのではないだろうか。
結果だけ見れば、ヨハネスは改革を途中で断念せざるを得なかった。彼が価値を見出した教会の教えは、蔑ろにされているのが現状である。しかしこの先、ヨハネスの志を継ぎ、その後に従う者たちが現れるかもしれない。彼らが現れるための下地を残しておくこと、それがヨハネスの誇りを守ることに繋がるのでないだろうか。
マリアが神子の座に着くと決めたのはそのためだ。彼女にしてみれば、教会などどうでもよかった。しかしヨハネスが価値を見出し守ったものを、マリアが壊すわけにはいかなかったのだ。
「それが、私が神子になった理由よ」
初めてその思いを言葉にしたマリアは、話し終えると小さく息を吐いた。まるで遺言を残したかのような気分で、憑き物が落ちたかのように心は晴れ晴れとしている。ララ・ルーのほうを見ると、先ほどまでの怯えた様子がなくなっている。
「お母様、わたしはお母様の後を継いで神子になります」
固い決意を瞳に込めて、ララ・ルーはそう宣言した。それを聞いたマリアは小さく苦笑を漏らす。
「理由を、聞いてもいいかしら?」
「わたしはお母様の娘です。だったら、ヨハネス様の娘でもあります」
ララ・ルーはそこで一旦言葉を切り、それから微笑んだ。柔らかいだけではなく強い意思を秘めた微笑で、マリアは一瞬その微笑に引き込まれた。
「お母様とお父様が、わたしの両親が守ったものを、娘のわたしが放り出すわけにはいきません」
ララ・ルーは、本当に誇らしげにそういった。それを聞いたマリアの頬に、涙が一筋流れ落ちる。
「………どうしようもない子ね」
こぼれる涙を拭いもせず、マリアはそういった。苦笑しながら、しかしそれ以上に嬉しそうに微笑みながら。
「だけど、あなたが娘であったことを、誇りに思うわ」
そういってマリアは、改めて「世界樹の種」がはめ込まれた腕輪をララ・ルーに差し出した。ララ・ルーは躊躇うことなくその腕輪に手を伸ばしそれを受け取る。彼女がその腕輪をマリアと同じように左手にはめると、「世界樹の種」が放っていた赤い光は消えた。十分な魔力が供給されている証拠である。
「その腕輪をした瞬間から、あなたが次の神子です」
「はい、お母様」
決意を胸に頷くララ・ルーを見て、マリアも満足そうに頷いた。
「………さあ、そろそろ戻りなさい」
マリアの言う「戻る」、とは亜空間の外に出るということだ。そして同時にそれはマリアをここに置き去りにするということでもある。
「どうせ私はもうすぐ死にます。気に病むことありませんよ」
「でも、そんな………!」
言い募ろうとするララ・ルーに、マリアは優しく言い聞かせる。
「私が目の前で死ねば、きっとあなたは泣いてしまうわ。けれどそれでは駄目なの。あなたは神々の住まう天上の園から帰ってくるのよ?そのあなたがなき悲しんでいては、ここの秘密は守れないわ」
マリアは愛娘を胸に抱きしめた。細い体だ。こんな小さな体に、随分と重い秘密を背負わせてしまった。そのことに絶望にも近い罪悪感を覚えるが、マリアはそれを胸の奥に硬く封印する。
(絶望も後悔も、後でいい………)
今すべきこと、それは………。
「笑って。ララ・ルー」
「お母様………」
「お願いよ、最後に見るのは、あなたの素敵な笑顔にしたいの」
だから笑って、とマリアは願った。それが自分のための心遣いだとララ・ルーも分っている。
だから、彼女は笑った。後から後から流れてくる涙は全て無視して、精一杯の笑顔を見せたのだ。
それを見て、マリアも笑った。ララ・ルーと同じように涙を流しながら、優しげで穏やかな笑みを浮かべた。
ひとしきりの抱擁を終えると、二人は離れた。
「さようならは言いません。また、会いましょう、お母様。神々の住まう、天上の園で」
「ええ、待っているわ、ララ・ルー。私の愛おしい娘」
最後の言葉を交わすと、ララ・ルーは亜空間の外へと帰っていった。少しずつ掻き消えていく愛娘の背中に手を伸ばしたくなるの堪え、マリアはそれを見送った。
ララ・ルーが外へと帰ると、マリアは崩落したパックスの街で一人になった。胸に封印していた後悔と絶望がこみ上げてくる。しかし心はそれだけに染まりはしなかった。小さいが、とても温かいものが心の中に確かにある。それを感じると、マリアはとても幸せな気分になれた。
――――その瞬間。
「ゴホッゴホッゴホッ!!!」
マリアは口元を押さえて激しく咳き込む。口の中には生温かい鉄の味が広がり、手で受け止め切れなかった血がとめどなく足元へ流れ落ちた。今までで最も激しい喀血である。
「ヨハネス様、今、御許へ………」
自分の死期がすぐそこまでやってきたことを悟ったマリアは、その場で仰向けに倒れた。一度倒れこんでしまうと、もう起き上がるだけの力はない。服越しに背中で感じる大地は冷たい。まるで墓場のようだ、とマリアは思った。
「いえ、“のよう”ではなく、墓場なのでしょうね、ここは………」
パックスの街の崩落に巻き込まれた人々の、そして千年間秘密を守り続けてきた神子たちの墓場なのだ、ここは。
生きているのはマリアしか居らず、その彼女も今まさに死のうとしている。そのはずの、この墓場に………。
「おやおや、こんなところで昼寝かい?あいにくと子守唄には自信がないんだ。勘弁してくれよ?」
笑いを含んだ、若い男の声が響いた。