第九話 硝子の島⑨
結局、イストが見つけた共振結晶体の組み合わせは三種類だった。魔力伝導率や組み合わせる合成石の比率その他もろもろをレポートにまとめ、それと一緒にサンプルをセロンに提出したイストは、それで当初契約した仕事を全て果たしたことになる。後はコストや、実際に魔ガラスにしたときの影響などを考慮してセロンが判断を下すだろう。
イストの仕事は終わったが、だからといってセロンたちが開発する魔ガラスのことについてまったく関わらないわけではない。一度関わった身としては進捗情況は気になるし、相談されればそれに乗るのもやぶさかではない。今もまた、彼の部屋にセロンが相談事を持ってきていた。
曰く「魔ガラスの開発で、ガラス職人としてできることが何かないか」
「レポートに何か不備か不満でもあった?」
「いや、そういうわけじゃないんだが………」
セロンが少し言いにくそうに苦笑する。それを見てなんとなく事情を察したイストは、肩をすくめるとそれ以上突っ込んで聞こうとはしなかった。
「確認するけど、あんたが言う『何か』ってのは共振結晶体をどれだけ入れるとか、そういうことじゃないんだよな?」
「ああ、そうだ」
つまり、イストが行ったのとは別方向からのアプローチができないか、ということだ。もちろん共振結晶体を混ぜる方法で魔ガラスを作るのがメインになるのだろうが、この際だから色々と情報を蓄積しておこうと思ったのかもしれない。
「確か、シラクサのガラスの原材料は砂と海藻灰、それに石灰だったよな?」
「ああ。もちろんそれだけではないが」
その三種類を決まった分量で混ぜれば綺麗なガラスができるというような、簡単な話ではない。さらに売り物にするために、そこに鉄や銅などを少量入れることで色をつけたりしている。ちなみにガラスの原材料として使う砂は「珪砂」と呼ばれるもので、石英の粒を多く含んでいる。
「シラクサ近海で採れる海藻は何種ある?」
「種類だけなら幾つもあるが、ガラスの原材料として安定的に手に入るのは三種類くらいか」
「じゃあ、その三種類の海藻灰で、いろいろと組み合わせや比率を変えてサンプルを作ってみたらどうだ?」
そしてそのサンプルの魔力伝導率を測定し情報を蓄積していくのだ。つまり伝導率の高いガラスを作ろうということである。ちなみに砂と石灰はシラクサで調達できるものが一種類しかないので代えようがない。
「もちろん、砂と石灰、それに海藻灰の総量は固定。それとなるべくこの三種類以外に余計なものは入れないほうがいい」
条件を同じにしておかなければ、データを比べることができないからこれは絶対だ。
「それでは、そのまま売り物にすることはできないな………」
セロンは苦笑した。職人としての経験上、イストの言うような方法でガラスを作っても売り物にはならないと直感的にわかる。
「無駄だと思うならやらなければいい」
少し突き放したようにイストは言った。もとより自分の仕事は終わっている。相談程度ならいくらでも乗るが、最終的にどうするかを決めるのはセロンで、それは自分が手を出すものじゃないと割り切っている。
「いや、やる。こういうことは今のうちにやって置いた方がいいだろうしな」
参考になったと言って、セロンは椅子代わりに腰掛けていた寝台から立ち上がった。
「おっと、資料を踏まないでくれよ」
「………踏まないで欲しければ少しくらい整理したらどうだ」
セロンは苦笑しながら部屋を見渡す。イストの部屋はあちらこちらに資料が散乱し、「足の踏み場もない」という言葉を正しく体現していた。ただ、自分も行き来するからなのか、部屋の入り口と机の間だけはある程度整理されていて道ができている。
「どこになにがあるのか、ちゃんと把握してるから大丈夫だよ」
イストは煙管型の魔道具「無煙」を吹かしながら笑った。そういう問題ではないとセロンは言おうとしたが、言っても無駄だと思い直しため息を吐くだけで結局何も言わなかった。正しい判断だといえるだろう。
代わりに、彼の視線はイストが吹かす「無煙」に向く。
「煙草のわりには臭いがしないが、それも魔道具なのか?」
「まあね。禁煙用魔道具の『無煙』だ」
「ほう。じゃあ、煙草の葉っぱは使っていないのか」
「そ。ちなみに煙は水蒸気」
「………一本、売ってくれないか?」
煙草は吸わないがちょっと格好つけてみたくてな、とセロンは少し恥ずかしそうに笑った。
「あいよ。今度用意しとく」
軽い調子でイストは答えた。こうして「無煙」愛好家は増殖していく。紫煙の代わりに水蒸気を燻らせて。
**********
(こんなモノ作って一体何になるって言うんだ………!)
出来上がったガラスのサンプルを目の前にして、紫翠は奥歯を噛締めて拳を強く握った。そのサンプルはくすんでしまっており、とてもではないが売り物にはならない。いや、こうなることは始めから分っていた。だからこれは別にシスイの失敗ではない。
ただ、失敗することが分っているのになぜこんなことをしなければならないのか、それがシスイには分らない。分らないから、シスイは今自分がやっていることに意味を見出せず苛立っていた。
(親父もなんでこんなことを俺にやらせるんだ………!?)
ことの始まりは三日ほど前に遡る。
イストから共振結晶体のレポートとサンプルを受け取った後、ガラス工房「紫雲」の職人たちはにわかに興奮した。いよいよ魔ガラスという新しい商品を作り始めるのだと、胸が高鳴ったものである。
しかしその矢先、シスイは父親で工房主のセロンから別の仕事を言い渡される。それが今やっている「海藻灰の種類と配合比率を変えながらサンプルを作り、一つずつ伝導率を調べろ」という仕事である。
その仕事を言い渡されたとき、シスイはすぐに「なんでそんなことを」とセロンに尋ねた。
伝導率を調べるということは、これは魔ガラス開発のための仕事だろう。しかし、そのためにはすでに共振結晶体という切り札があるではないか。共振結晶体についてのレポートがイストから提出された以上、あとはどれをどのくらい使うかを決めてやれば、それでもう商品化できるはずである。
なのになぜ、今この段階になってガラスのサンプルなど作らなければいけないのか。その当然の疑問を、シスイはセロンにぶつけた。しかしセロンは「自分で考えろ」というばかりにで、シスイの疑問に答えようとはしない。
そうやって、分らないまま作り続けたサンプルはすでに二十個を超えている。言われたとおり一つずつ伝導率を測定し記録を残していく。単調で、実りのない作業だ。
工房の他の職人たちが魔ガラスの商品化に向けて嬉々と仕事をする中、シスイだけは目的の分らない、いや無駄としか思えない作業を繰り返す。嫌々行う作業は彼のうちにストレスを蓄積していき、そしてそれは怒りへと変換されていく。その矛先が向くのは、イストであった。
父であるセロンは優れたガラス職人である。そのセロンがシスイに無駄な仕事をさせるはずがない。しかし今彼がやらされている仕事は明らかに無駄である。ならばその仕事をさせるようにセロンを唆したのはイストだ。
魔ガラスに関しては何も知らない素人である父や自分に無駄なことをさせて、奴は影で笑っているに違いない。
そう考えたら、全身の血液が沸騰した。シスイは勢いよく立ち上がると、肩を怒らせて自分の家へと向かった。家の中ですれ違った母のシャロンが「どうしたの?」と声を掛けてくるが、事情を説明している暇はない。代わりにイストの居場所を聞くと、居間で休憩中だという。
シスイ本人はなるべく冷静であるように心がけていた。しかし傍から見れば彼の形相は険しかったし、やはり肩を怒らせるようにして廊下進んでいく。
「頭イタ………。知恵熱出そ………」
耳に入るイストの脱力しきった声が妙に癇に障る。テーブルに額をつけて突っ伏すその姿に、シスイは怒りにどす黒いものが混じるのを感じた。
「どういうつもりだ………!?」
「ん~?なにが?」
こちらの怒りをはぐらかすかのような間延びした言葉に、ついにシスイの怒りが爆発する。
「あんな無駄なサンプル作らせて、どういうつもりだって聞いてんだよっ!!」
テーブルを叩きつけシスイは怒鳴った。彼の剣幕にさすがにイストも頭を起こしたが、それでもはっきりと迷惑そうな顔をしており、それがまたシスイの怒りを逆なでする。
「ちょっと、シスイ、やめなさい!」
「姉さんは黙っててくれ!!」
台所でお茶を用意していた翡翠が、騒ぎを聞きつけて居間にやってくる。一方的に怒っているように見える弟を止めようとするが、あいにくとシスイの怒りは収まらない。
「でかい声だすなよ………、頭に響くんだ」
「貴様っ!!」
顔をしかめながらヒスイが持ってきたお茶を啜るイスト。こちらを挑発しているとしか思えないその言動に、シスイは頭の血管がまとめて何本か切れる音を聞いた気がした。しかし、シスイが再び何か言う前にイストが迷惑そうに口を開いた。
「サンプル作る理由ならセロンさんに聞けよ」
「サンプル作るように親父に指示したのはあんただろう!?」
「相談はされた。作ってみれば、とも言った。だけど作ると決めたのはセロンさんだ」
お茶を啜りながら、イストは淡々と事実を羅列した。しかしその言葉がいかに事実であっても、シスイにしてみれば責任逃れの言い訳にしか聞こえなかった。
「やっぱりあんたが言い出したんじゃないかっ!だったらあんたがやれよ!!」
「阿呆。オレがやったんじゃ意味ないだろうが」
その、いかにも全て分っている風な物言いが気に入らない。「お前は未熟だ」と面と言われているようで、腸が煮えくり返る。「自分で考えろ」とセロンに言われたその答えを、イストは分っているとでも言うのだろうか。
「何なんだよ!?いったい!!」
不満と苛立ちと怒りがまぜこぜになり、シスイは叫んだ。
「シスイ!」
シスイが感情のままにまくし立てるより早く、強制力のある声が彼を抑えた。父でありそして師でもあるセロンの声だった。どうやら突然工房を抜け出して家に帰ってしまったシスイを追いかけてきたらしい。
「一体どうしたんだ?」
そう問いかけられたシスイは、上手く言葉がまとまらないのか、苛立った様子でセロンから視線をそらした。その息子の反応に、セロンは今度はもう一人の当事者であるイストのほうに目を向ける。
「サンプル作る理由が分らなくてイライラしてるんだとさ」
イストの言葉に嘘はない。嘘はないが、言葉や配慮も足りていないように感じたのは、きっとヒスイの思い違いでない。
「自分で考えろ、といったのだがな………」
呆れたようにセロンが頭をかく。それが気に入らなかったのか、シスイは乱暴に椅子に座ると不貞腐れたように頬杖をついた。
「説明してやれば?」
「………説明してやってくれないか、イスト君」
頼む、とセロンは軽く頭を下げた。イストとしてはお門違いのような気もしたが、セロンにはセロンの考えがあるのだろうと思い、軽く肩をすくめて了承した。
「いいか?『紫雲』が魔ガラスを売り出して、そのあと市場を独占していられるのは、恐らく十年が限界だ」
イストのその言葉に、不貞腐れていたシスイが反応する。しかしイストは反応したシスイのことは、恐らくは意図的に無視してセロンのほうに話を振った。
「ちなみにセロンさんは何年くらいだと思う?」
「五年。早ければ三年以内にライバルが現れると考えている」
「おや以外。オレより厳しい予想」
さも当然、といった調子でイストとセロンは言葉を交わす。しかしシスイはその話の内容を当然とは思えなかった。
「ちょっと待ってくれ!一体なんの話を………!」
たまらずシスイは二人の話にわって入った。魔ガラスは商品化するのは、工房「紫雲」が世界で初めてだ。つまりその技術や知識は「紫雲」が独占しているといっていい。それなのに早ければ三年以内にライバルが現れるとは、一体どういうことなのか。
「魔ガラスを売り出せば、そりゃ売れるだろう。大もうけだ。だけど売れれば売れるだけ真似をするところは増える。当然の話だな」
「そんな簡単に作れるもんじゃないだろう!?」
魔ガラスは大陸中で何十年、いや何百年と研究されてきて、それでもめぼしい成果が上がっていないのではなかったのか。そう説明したのは、他ならぬイストではないか。
「知識だの技術だのいったところで、そのほとんどは共振結晶体だ」
そして共振結晶体の基本的な作り方は、種類の異なる合成石を一定の割合で混ぜるだけで、つまり理論立った知識というよりはただの思いつきに類する。
「今この瞬間に、どこで誰が思いついたって不思議じゃない」
他の工房が共振結晶体の製法を発見すれば、その瞬間からライバルが現れるといってもいい。
「だけど、今まで誰も思いつかなかったじゃないか!」
「完成品が世に出て、しかもそれが売れるとなればみんなその秘密を探ろうと躍起になるさ」
その秘密を探るための努力が内向きであれば、つまり自力での研究開発であれば何も文句はないし、イストの言うとおり十年かあるいはそれ以上かかるかもしれない。しかし、まず間違いなく外向きの努力、つまり工房「紫雲」を探ろうとするものが出てくる。
教会が聖銀の製法を秘匿していたように、巨大で力のある組織ならば共振結晶体の秘密を数十年単位で守ることができるかもしれない。しかし「紫雲」の規模でそれを期待するのは無理だろう。遅かれ早かれ情報は漏れる。
「それに情報が漏れなかったとしても、オレが他所で共振結晶体の秘密をバラしたらどうする?」
つまりどういう経路にせよ、いずれ情報は漏れる。そのつもりでいなければならない。そしてライバルとなる工房や商品が現れれば、それから始まるのは果てのない価格競争だ。そしてその競争において、品質が同じであれば「紫雲」に勝機はない。
「輸送に、金がかかるから………」
「その通りだ」
シラクサは大陸という消費地から離れた南の島である。物資の輸送には船と時間が必要になり、その分の輸送費が余計にかかる。大陸の消費地のすぐ近くの工房で魔ガラスが生産されれば、価格面ではまず太刀打ちできない。この構造は現在のガラス製品とまったく同じだ。
「対策は二つ。品質を上げるか、コストを下げるか」
そしてその二つを同時に達成すためにどうしても必要になるのが、伝導率の高い普通のガラスなのだ。
ガラス自体の伝導率が高ければ、同じ量の共振結晶体でも出来上がる魔ガラスの伝導率は高くなる。つまり品質を上げることができる。
また同じ伝導率でいいのであれば、混ぜる共振結晶体の量が少なくて済むので、コストを下げることができる。またガラスとして加工もしやすくなるだろう。
他にも、大量生産して価格を下げるという手もあるのだが、魔道具の生産量自体が多くないので、大量生産に見合う需要は期待できない。それに「紫雲」の経営規模では、大幅にコストを下げるほどの大量生産は難しいだろう。
「でもどうすればガラスの伝導率上げられるかなんて、『紫雲』にはノウハウがない。だから海藻灰の比率変えてサンプル作って記録つけて、やれるところから手つけて情報量を増やしていくんだよ」
やれることがある内はまだいい、とイストは言った。そのうちやれることも無くなってなにをどうすればいいのか分らなくなる。そうやって壁にぶつかったときに頼れるのは、それまで積み上げてきた経験と知識だ。サンプル作りはその二つを積み上げる第一歩なのである。
「だったらあんたがやったって同じじゃないか!」
そう喚くシスイを、イストは馬鹿にしたように鼻で笑う。
「阿呆。オレがやったんじゃ意味がないと、何回言えば分る」
壁にぶつかったとき、頼りになるのは経験と知識だ。しかし、それは自分で積み上げてきたものでなければ意味がない。結論に至るまでの過程全てをひっくるめて経験と知識なのだ。
そしてさらに重要なこととして、イストは「紫雲」で働いているわけではない。遅くとも一年以内にはシラクサを離れて旅から旅への生活に戻るだろう。もしサンプル作りをイストが担当していれば、彼がシラクサを離れるときにそこで得られた経験やノウハウは全て失われることになる。
「でもだからってなんで俺が………!」
「んな簡単なことも分らないのか、この二流が」
「なに!?」
二流といわれ顔を真っ赤にして怒るシスイを、イストは恐らくは意図的に無視しセロンのほうに視線をやる。彼がわずかに頷くのを確認すると、イストはシスイに鋭い視線を戻した。
「お前は将来、工房を継ぐことになる。そしてお前が工房を経営する時代には、魔ガラスの価格競争が本格化しているだろう。その競争を生き残るために今のうちから経験を積ませて、お前がきちんと工房の中心になれるようにしようと、そう思ったんじゃないのか、セロンさんは」
イストにそういわれたシスイは、冷や水を浴びせられたかのように静かになり、脱力して椅子に腰を下ろした。さっきまで真っ赤だった顔が、今は少し青くなっている。ここで止めておけばいいのに、イストはさらに言葉を投げつける。
「大方、教えてもらった技術修めて、それで一流になった気でいたんだろ?典型的な二流だな。受け継いだ技術の上に何かを残せて、はじめて一流になれるんだ」
「………だまれ………」
「しかも、せっかくセロンさんが一流になるチャンスをくれたのにそれさえも分らないとは、もう二流未満の三流だな」
「黙れよ!!少なくともガラス加工のことで、俺よりも技術のない奴にとやかく言われる筋合いはないっ!!」
ボロクソに言われた挙句、二流から三流に格下げされたシスイはたまらずに叫んだ。ついさっきまで青かった顔は、怒りのために再び赤くなっている。ころころと顔色の変わる奴だ、と内心で苦笑しながらイストはさらにシスイを挑発する。
「お、言ったな?じゃあ、お前なんぞ及びもつかないガラス加工の技術を見せてやるよ」
ちょうど面白いアイディアもあるし吼え面かかせてやんよ、とイストは挑発的な笑みを浮かべて高らかに宣言する。高笑いするイストを見て、また何か良からぬことを企んでいるんだろうなぁ、とヒスイはそう思った。