第九話 硝子の島④
「またのおこしを」
店主の声を背中に、イストとヒスイは繁華街の外れにある宝石店を後にした。合成石はそれ自体が装飾品としても使われるので、魔道具素材の専門店でなくとも宝石店に行けば大体扱っている。しかしイストはこの店では合成石を一つも買ってはいなかった。
「アテが外れたね………」
「ある意味当然だけどな」
確かにこの宝石店でも合成石は扱っていたし、その中にはシラクサの工房で作られたものもあった。しかしその原材料までは把握していなかったのだ。代わりに仕入先の工房を教えてもらったので、二人はこれからそちらに向かうことになる。
夏も過ぎ去り、大陸の北のほうではすでに雪が積もっているような季節だが、南の島であるシラクサでは燦々と太陽が輝いている。その上、今日は特に暑いようにヒスイは感じた。薄っすらと汗が滲むのを感じながら隣に視線を向けると、そこには涼しげに歩くイストの姿がある。
イストの姿は少しばかり珍妙だ。彼が着ているのは、シラクサの人々が日常的に来ている筒型の長衣で、それをコートのように羽織って腰帯で止めている。それだけ見れば特におかしなところはない。ただシラクサではさらに袴を履くのが一般的だが、イストの場合その長衣の下に着ているのが肌着を含めていわゆる大陸の服なのだ。ヒスイの家に泊まるようになってからまだ数日しかたっていないが、イストはこのシラクサの長衣が気に入ったのか、最近ではこのスタイルで通している。
「面白い着こなし方ね」
最初にイストのその格好を見たとき、ヒスイはやはり違和感や可笑しさを覚えた。しかも、似合わないわけではないのだ。それどころかその格好が妙にイストに似合っていて、それがまた面白かったのを覚えている。
シラクサの長衣とその下に着ている大陸の服も合わないわけではない。長衣の下に着ているものはイストの好みもあるのかシンプルなもので、言ってしまえば何にでもあう服だ。加えてイストが堂々としているため、なんだかその着こなしの仕方が普通で当然のことのようにも思えてくるから不思議だ。
「いいわよね………、それ」
自分の隣を涼しげに歩くイストを、ヒスイが少しうらやましげに見上げる。
今着ている長衣は彼が自分で買ってきたものなのだが、なんと魔道具化してあり気温の調節が出来る。ヒスイも一度借りて着てみたのだが、驚くほどに涼しく、まるで夜の涼しい空気を昼間に持ってきたようだった。
なんでも「旅人の外套」という、イストたちが日常的に使っていた魔道具と同じ術式を刻印したという。ただ、効率はそれほどよくはないといっていた。
「本来なら布地を織る前の糸の状態か、それが無理なら裁断する前の生地の段階で刻印するのが一番いい」
イストはそういっていたが、ヒスイには良くわからなかった。そばで聞いていた彼の弟子であるニーナは頷いていたが。
難しい話はわからなくても、今イストが着ている長衣があれば、暑いシラクサの夏に大変重宝することは簡単に想像がつく。来るべき次の夏に備え、ヒスイはこっそりとイストの長衣を狙っていた。
「これじゃあ、サイズが合わないだろう?」
「む………」
イストがからかうようにそう言うと、ヒスイは少し顔をしかめた。
シラクサでは男女の服装に大きな差はない。筒型の長衣を帯で締め、足には袴を履く。これが一般的なスタイルだ。そのためシラクサの人々は布地の染色や組み合わせ、袖口の大きさや飾り、あるいは刺繍を施したり帯の巻き方や種類に変化をつけてお洒落を楽しむのだ。
しかしだからといって、全ての衣服が同じ大きさであるはずがない。背丈の異なるイストとヒスイでは、当然着ている服の基本的なデザインは同じでもサイズが異なる。仮に今イストが着ている長衣をヒスイ用に仕立て直すとしたら、丈と袖の長さを短くし肩幅を狭めて、とかなり大掛かりな作業が必要になる。
「私はそれでも別に………」
諦めきれない様子でヒスイはそういった。これでも彼女は裁縫が得意である。仕立て直すぐらい、時間はかかるかもしれないがやろうと思えばいくらでも出来る。
「ていうか、そんな大胆に改造したら魔道具としては使い物にならないよ」
「え?そうなの?」
まったく考えていなかったことを指摘されてヒスイは目を丸くした。
「そ。核を用意してそっちに刻印してあるなら大丈夫だけど、これは直接刻印したからな」
糸がほつれたくらいならともかく、切って縫ってなんてしたら確実にアウト、とイストは言う。
「そっか。残念」
努めて軽い口調でそういい、ヒスイは肩をすくめた。ただ、未練があることはその顔を見れば一目瞭然である。随分と幼く見えるその表情に、思わずイストの頬が緩む。
「なによ?」
「いやなにも」
軽くねめつけてくるヒスイからイストは視線を逸らし、笑いをかみ殺すために煙管型禁煙用魔道具「無煙」を取り出して吹かした。
「そんなに欲しいなら、今度作ってやろうか?」
「いいの!?」
白い煙(水蒸気だが)を吐き出しながらイストが言った言葉に、ヒスイの表情がパッと明るくなる。
「ああ。刻印するだけなら別にいいよ。時間もそんなにかからないし」
ただ素体、つまり刻印する服だけは自分で用意してくれよ、とイストは言った。
「ん。わかった。了解。近いうちに用意するわ」
嬉しそうにニコニコしながらヒスイはそう応じた。ちなみに、後日イストはヒスイから服を用意したから魔道具にして欲しいと頼まれたのだが、用意された長衣を見て頬を引きつらせた。なんと五着も用意してあったのだ。
「着替えは必要でしょ?」
こともなさげにヒスイはそう言い、にっこりと笑顔を浮かべた。その笑顔になぜか薄ら寒いものを感じたのは、イストの気のせいではないはずである。そしてその様子を見ていたニーナが、ヒスイに尊敬の眼差しを向けていたとかいなかったとか。
結局ヒスイの笑顔におされたイストは五着全てに面倒くさがりながらも刻印を施した。ヒスイは終始ご満悦だったとか。
それはともかくとして。
「煙草が好きなの?」
紹介してもらった工房を目指し通りをのんびりと歩いていると、ヒスイが唐突にそんなことをいいだした。彼女の視線はイストが吹かす「無煙」に向いている。
「いや、コイツは禁煙用の魔道具で『無煙』っていう。煙草じゃないよ」
煙も水蒸気だしな、とイストは笑った。確かに煙草独特のあの臭いは、イストが持つ煙管からはしてこない。
「禁煙してるの?」
「いや?前に依頼されてな。気に入ったから自分でも使ってるんだ」
口元が寂しいときがあってなとイストが言うと、ヒスイは「ふうん」と頷いてから、「おじいちゃんも同じようなこと言っていたわね」と小さく呟いた。
吸ってみるか、とイストが「無煙」を差し出すと、ヒスイは手を振って遠慮した。ちなみにシラクサにおいてタバコを吸う女性は、その筋の女性だけである。まっとうな一般女性であるヒスイは、煙草を吸いたいと思ったこともないだろう。
「それにしても煙管だなんて、珍しいわね」
「そうか?シラクサではむしろ一般的だと思うけど」
確かにシラクサではタバコを吸う際には煙管を用いるのが一般的だ。しかしそれはあくまでもシラクサでの話で、大陸ではパイプや葉巻が一般的だ。
イストが「無煙」を作ったのは大陸だから、そちらの習慣に合わせるならば形状はパイプにすべきで、そこをわざわざ煙管にしたところをヒスイは珍しいと言ったのだ。
「イストってもしかして、家族にシラクサの縁者がいるの?」
「なんでそう思う?」
「煙管の事もそうだけど、目も髪の毛も黒いし………」
どことなくシラクサに通じるものを感じる。ただヒスイの歯切れは悪いし、イストも苦笑している。
「煙管にしたのは完全にオレの趣味だし、黒目黒髪は大陸にだってたくさんいるぞ」
イストにそう指摘されると、ヒスイは「そうよね………」と呟いた。もともとたいした根拠があって言い出したことではないのだ。
「ま、オレにシラクサの血が流れているかなんて、もう調べようはないけどな」
「どういうこと?」
「オレは孤児だからな」
自分が孤児院に捨てられそのため実の親については何も知らないこと。その孤児院自体が盗賊に襲われて壊滅し今はもうないこと。逃げ延びたところを師匠であるオーヴァに拾われて、それ以来旅を続けていること。イストは自分のことを淡々と、まるで他人事のように語った。
「………ごめんなさい」
「なんで謝る?オレが勝手に話しただけだ」
「でも……、辛いことを思い出させてしまったから………」
だからごめんなさい、とヒスイは歩きながら少しだけ頭を下げた。だが謝られるとイストのほうが苦笑してしまう。別に湿っぽくするために自分の過去を話したわけではないのだが。
「いいって。それよりもさ………」
努めて明るく、そして気にしていない風に振る舞い、イストは話題を変えた。少々強引で急ではあったが、イストの意図をすぐに察したヒスイはその話題に乗った。変に湿っぽくなってしまった空気はすぐに明るくなり、気分も軽く二人は目的の工房へと向かったのであった。
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宝石店で紹介してもらった合成石を作っている工房は、「紫雲」と同じく郊外にあった。というより、工房のような無骨で華のない施設を繁華街のど真ん中に作っても顰蹙を買うだけだろう。
「失礼ね。ウチはちゃんと華のある商品を作ってます」
いかにも心外そうな顔でヒスイはそう言う。しかし自分で言っておいて可笑しかったのか、すぐに噴き出して笑ってしまった。無論、「華がない」というのは工房で作られる作品のことではなく、工房の外見そのもののことである。
「さて。この工房はウチみたいにちゃんと華のある商品を作っているのかしら?」
「どうかな。期待しないほうがいいと思うが」
「あらどうして?ここは合成石を作ってるんでしょ?合成石は綺麗じゃない」
「あれはカッティングして磨いてあるから綺麗なんだ。出来上がったばかりの合成石はそんなに綺麗じゃないよ」
天然の宝石と同じだよ、とイストは「無煙」を吹かしながら言った。ヒスイは気づかなかったが、その言いぶりは明らかに自分で合成石を作ったことがあることを示唆している。無論、「狭間の庵」にある専用の設備を使って作ったのだが、本職の錬金術師でもないイストがそんなものまで持っているのである。歴代のアバサ・ロットたちは本当にでたらめかつ節操なく設備を揃えたものである。
「ああ、でもカッティングもこの工房でしていれば華のある商品を拝めるかもな」
そんなことを話しながら、二人は工房の門を叩いた。応対に出てきた人に紹介してもらった宝石店の名前とここへ来た用件を話すと、すぐに奥へ通される。どうやらこの工房も「紫雲」と同じく、奥に応接室を用意してあるらしい。
通された応接室でしばらく待っていると、親方を名乗る壮年の男性がやってきた。一見すればどこにでもいそうな外見だが、その手を見れば彼が熟練の職人であることはすぐにわかる。
「あんた達か。ウチの合成石を見たいというのは」
「そ。ただ、原材料がすべてシラクサで揃うものがいいんだ」
「面白い注文だな」
そんな注文をつけてきたヤツは初めてだ、と言いながら親方は作っている商品の品目を持ってきて、さらにそこに印をつけていく。それからその品目をイストに見せた。
「そこに印をつけたやつが、シラクサで採れる原材料のみで作っている合成石だ」
「結構多いな」
品目表にざっと目を通したかぎり、ここで扱っている合成石の種類はおよそ十。その内の七つに印がつけられている。
「他所から原材料を仕入れるとなると、船をつかわにゃならん。そうなると、どうしても高く付くからな」
シラクサは周りを海に囲まれ孤立している。そのため外から安定的に物資を持ち込むことが難しい。価格が高くなるのも問題だが、仮に仕入れが途絶えたときに商品を作れなくなるのが一番の問題だ。安定して商品を作り続けるには、シラクサにあるものを使うしかない。
「なるほどね」
そう答えてからイストは品目表から目を離し、親方のほうを見た。
「これ、原材料なに使ってるか、教えてもらえないか?」
「駄目だ」
「配合比率や作業手順がわからなきゃ同じ物なんて作れないだろ」
「それでも駄目だ」
親方は頑なに拒否する。しかしそれも当然であろう。イストが同じものを作らないとしても、同業のライバルが原材料を知ればある程度の配合比率や作業手順について予測はついてしまう。手の内を知られては競争を生き残れないのは、どの業界も一緒である。
無論、イストとてそのことは知っている。だから肩をすくめると、それ以上頼み込むことはしなかった。
「この七つを十個ずつくれ。それぞれ種類が分るようにしてもらえると助かる。あと、領収書が欲しい」
「まいど」
親方は応接室から声をかけて人を呼び、商品を持ってくるように言いつける。それが終わると親方は「ところで………」と話を切り出した。
「同じ合成石を十個ずつ買い込むとは………、なにか面白いことでもはじめるのか?」
「ん?まあね」
「………儲け話なら、一枚噛ませてもらいたいんだがな」
流石に商売人である。なかなかいい嗅覚をしている、とイストは苦笑した。
「さて、ね。オレも雇われ人だからな。そういう話はコッチとしてくれ」
そういってイストはヒスイのほうを指差す。突然話を振られたヒスイは困惑顔だ。
「ちょっと、私にそんな話を振らないでよ」
「かといってオレが進めていい話でもないだろう?」
「それはそうだけど………」
ヒスイは確かに工房主であるセロンの娘だが、かといって工房の仕事に携わっているわけではない。直営店を任されてはいるが、その役割も完全な店番で、工房も含めた経営方針はすべてセロンが決定している。
「シスイならある程度話も分ると思うんだけど………」
ヒスイの三つ下の弟である紫翠は、父親の背中を追ってガラス職人になるべく工房で修行している。経営や魔ガラスの開発にどの程度関わっているかは分らないが、少なくとも完全に門外漢であるヒスイよりは適任のはずである。
結局、イストとヒスイの二人では踏み込んだ話はできず、ガラス工房「紫雲」の名前だけ伝えて二人はこの工房を後にしたのであった。