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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
幕間Ⅲ
133/187

幕間 南の島に着くまでに 中編

 ルティスから海路でラトバニアまで着たイスト一行は、そこから沿岸伝いに徒歩で移動して東のポルトールに入った。


「親父さんとこに寄っていくか?」


 ニーナの故郷はポルトールのパートームという街である。そこでは彼女の父親であるガノス・ミザリが魔道具工房「ドワーフの穴倉」を営んでいる。


「いえ、お父さんに会うのは、一人前の魔道具職人になってからです」


 ニーナはそういって故郷に帰ることはしなかった。何もかもが中途半端な今のままでは、とてもではないが故郷に帰る気にはなれなかった。


 さて、彼らが今いるのはポルトールのサンサニアという港町である。この辺り、というよりもポルトールの沿岸地方一帯は先の内乱以降ティルニア伯爵家の領地となっており、この港町で伯爵家の娘婿であるランスロー・フォン・ティルニア子爵が新たな領地の運営を行っていた。


**********


 内戦後のランスローは充実した生活を送っているといえる。内戦の後処理が終わると、ランスローはすぐに妻であるカルティエを連れて新たな領地、つまり沿岸地方に移り住んだ。新領地はこれまでの領地から見ると飛び地であり、移らなければ運営がしにくかったのだ。


 無論、ただ税を取り立てるだけならば代官を派遣すればよい。しかしランスローはそうはせず、そこに移り住み腰をすえてその新領地の運営をすることにしたのだ。


 理由はいくつかある。


 ポルトールという国にとって、海岸部は辺境である。それはただ単に政治的中心部と距離が離れている、というだけのことではない。基本的に開発と発展が遅れた、正真正銘の田舎なのだ。


 無論、海岸沿いには塩田が幾つも存在し、その周辺はある程度ましである。しかし塩田は他の貴族たちが管理しており、ランスローの管轄外である。


 つまりティルニア伯爵家が新たに手にした領地は「辺境のただ広いだけの何もない土地」というのが一般的な見方であった。


 ランスローもこの意見に反論は無い。しかし開発が遅れているということは、言い換えればランスローの手腕如何でいくらでも発展させていくことが出来る、ということでもある。それは彼にとって、とてもやりがいのある仕事に思えた。


 しかし彼のその考えは、一方で国政のゴタゴタに巻き込まれたくないという極めて個人的な願望の裏返しでもあった。


 ランスローはティルニア伯爵家の婿養子であり、彼の実の父は今や宰相になったアポストル公爵である。さきの内乱で彼と対立していたラディアント公爵が死んだ今、彼は国内最有力者となっていた。


 アポストル公爵家の三男として幼い頃から派閥抗争や王宮内の権力争いを見てきたランスローはもはやそういった世界にうんざりしており、新たな領地を貰ったこの機会に辺境に引きこもる腹積もりでいた。


 しかし、言ってしまえばこれはランスローの個人的な願望に過ぎない。彼としても、妻のカルティエをそれに巻き込むことは躊躇われた。ランスローが中央の政争に嫌気が差して距離を取りたいと思っていても、政治に直接関与していないカルティエが辺境に赴くことを嫌がるかもしれない。まして彼女は身重であった。慣れない土地が母体にどのような影響を与えるのか、医者ではないランスローには分りかねたが、少なくともよい方向には出ないように思える。


「残ったほうが良いのではないか?」


 そう言うランスローに、しかしカルティエは毅然と首を横に振った。


「ランスロー様の居られる場所が、わたくしの居場所です」


 珍しく頑固にカルティエは言い張った。さきの内戦の折、戦場を駆け回るランスローをひたすら待つことしか出来なかった彼女の辛さが、彼が離れていくことをどうしても許さなかったのかもしれない。


 ランスローは困ったような苦笑を浮かべた。自分のわがままに妻を巻き込んでしまったという罪悪感はあるが、それ以上に彼女が「ついて行く」と言ってくれたことへの喜びのほうが大きい。


 ランスローは優しくカルティエを抱きしめると、その耳元でただ一言「ありがとう」とだけ呟いた。カルティエが抱き返してくる。それで全て伝わったと確信した。


 さて、新領地運営のためにランスローが拠点として選んだのは、「サンサニア」という港町であった。気候が穏やかなこの港町には、その景観が気に入ったのか丘の上にとある貴族が立てた別荘がある。ランスローはそこを当面の本拠地とした。


 サンサニアの港町は、田舎が多い沿岸部においては比較的発展しているといえる。それは近くに塩田があったり、また細々とではあるが交易を行なっていたりするからだ。


 ともかく新たな領地に移り住むに当たって、そこにある程度の環境が整っていたことはランスローを安心させた。無論、カルティエのことを考えて、である。


 困難ではあるがやりがいのある仕事に取り組み、傍らには愛おしい人がいて支えてくれる。つい最近では大望の第一子も生まれた。女の子で、「ユリアナ」と名付けた。


 公私及び心身全てにおいて、この頃のランスローは充実している。しかし彼のタチゆえか、辺境に引きこもっていようともポルトールという国の行く末について考えずにはいられなかった。


 ただ、考えてはみても辺境にいる彼に出来ることは少ない。そのことを自覚しているために、国の将来を思う時、彼の胸のうちには自嘲の念がある。


 しかし、考えずにはいられない。なぜなら、今が最大のチャンスなのだ。


(今しか………、今しかないのだ………!)


 執務室として使っている一室で、駒の並べられたチェス盤を前にランスローは内心でそう唸った。時刻は夜半過ぎ。部屋の中には小さなランプが一つあり、弱々しく輝いて闇に抵抗しチェス盤を照らしていた。開け放った窓からは月明かりが差し込み、部屋の中を蒼白く照らしている。


 彼の手元には、赤ワインの入ったグラスがある。このワインは最近この沿岸部で見つけた特産品だ。葡萄の木が海からの潮風に吹かれて育つせいか独特の風味がある。また製法のためなのか淡く炭酸が入っており、飲み口が至極軽い。


 このワインを一口飲んだ瞬間、「売れる」とランスローは確信した。今はティルニア伯爵家の名前を最大限に活用して販路を拡大している。ブドウがなければワインは造れないため今すぐに増産できるわけではないが、将来のことを考えてブドウ畑を拡大したりもしている。


 ふと、風が吹きカーテンが揺れた。


「チャンスは今しかない。どうするんだ?」


 その声は窓の外から聞こえた。ランスローが視線をそちらに向けると、男が一人、バルコニーの手すりに腰掛けていた。月明かりの下では、その容貌は良く見えないが長い杖を一本持っていた。


「何者だ?」


 警戒を込め、問う。いやこの男が何者であっても、不審者であることには変わりない。人を呼ぶべきかとランスローが逡巡したその一瞬、バルコニーに現れた男は彼にとって無視し得ない言葉を発した。


「ポルトールがカンタルクの属国という立場から抜け出すチャンスは、今しかない」


 そう言われた瞬間、ランスローの思考は一瞬ではあるが停止した。それは、今まさに彼が考えていたことだったのだ。


「チェスでもしながら、話だけも聞いてみないか?」

「………いいだろう。聞かせてもらおうか」


 んじゃ失礼して、と言って男はバルコニーから室内に入ってきた。チェス盤を挟んでランスローの向かいに座るが、やはり顔はぼんやりとしか見えない。しかし、なぜかランスローはもっと明りをつけようとは思わなかった。


 男は、イスト・ヴァーレと名乗った。


(まあ、偽名だろうがな………)


 この場で本名を名乗るとしたら、よほどの馬鹿か、よほどの阿呆か、よほどの大物か。ランスローの見立てでは、目の前の男はそのいずれでもないように見えた。


 イストと名乗った男はおもむろに煙管を取り出すと、口にくわえて吹かしだした。すぐに火皿から白い煙が立ち上り始める。


「タバコは遠慮してもらいたい」


 カルティエがタバコの臭いを好まないため、ティルニア伯爵家では全面禁煙となっている。


「ん?ああ、こいつは『無煙』といって禁煙用の魔道具だ。本物のタバコじゃないから大丈夫だよ」


 煙も水蒸気だし、とイストは笑った。本物ではなくとも目の前で煙管を吹かされるのはランスローにとって気持ちのいいものではない。ただイストの言うとおり、タバコのあの臭いは少しもしない。


(まあ、これくらいは我慢してもよいか………)


 チェスが始まる。先攻はイストだ。彼は黒の歩兵(ポール)を二マス動かした。


 しばらくの間、二人は黙々とチェスを指した。カツン、カツン、と駒が盤を叩く音だけが部屋の中に響く。


(嫌な指し口だ………)


 チェスを指しながら、ランスローはそう思った。イストの指し方は一見して隙が多い。しかし良く見るとその隙は全て罠なのだ。迂闊に手を出そうものなら、あっという間に形勢は不利になってしまうだろう。その罠を避けるようにして、ランスローは慎重に白の駒を動かしていく。


 ランスローにはそういう指し方の一つ一つが、このイストとかいう男の人格を表しているように思えてならない。チェスの指し口だけで全てを判断できるわけではないが、いずれにしても油断のならない男だろう。


「ポルトールの今の状況は………、良くないな」


 左手で白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出す「無煙」を玩びながら、おもむろにイストは口を開いてそういった。


「そのとおりだ」


 ランスローもイストの言葉を否定しない。実際、今のポルトールの状況は良くない。いや、それどころかここ五十年ほどで最悪と言ってもいい。


 全ての原因は先の内乱だ。


 あの内乱ではポルトール人同士が殺し合い、結果国力を損なった。もっともダメージが大きいのは軍事力だ。軍閥貴族の多くが滅んだことで、ポルトールは有能な指揮官を数多く失った。要を失った扇は開かない。今のポルトール軍はどれだけ精兵をそろえようとも満足に戦わせることが出来ないのだ。


 さらに内戦の後、ポルトールは因縁の敵国であるカンタルクに毎年十五州分の租税を年貢として納めることになり、さらにカンタルクの監査団によって内政にまで口出しをされることになった。これは事実上の属国扱いである。


「一度属国の立場に甘んじてしまえば、自力でその首輪を外すことは難しい」


 軍事力を増強しようとすれば、監査団に知られて横槍を入れられるだろう。いや、それ以前に毎年十五州分の租税を納めることになっている。ポルトールの版図は六七州。つまり国家収入のおよそ四分の一を毎年持っていかれるのだ。これでは国を富ませて力を蓄えることは難しい。


 加えてつい最近では、アルジャークへの賠償金の一部をポルトールは負担させられている。この調子でこの先も金をせびられては、もはや国は痩せる一方だ。


「そうだ。だからこそ属国という立場から抜け出すには、今しかない」


 カンタルクは今、先のオルレアン遠征失敗によって国力が弱まっている。それはポルトールとカンタルクの差が縮まったという意味でもある。そしてここが重要なのだが、この先二国間の国力差は開くことはあっても縮まることはないであろう。


 ゆえに、今が最大のチャンスなのである。今行動を起こさなければ、少なくともランスローが生きている間は属国の地位に甘んじ続けなければならない。彼のその思いは、もはや確信に近かった。


「今のカンタルク相手なら、ポルトールは勝てるのか?」

「無理だな」


 煙管を吹かしながら問うイストに、ランスローは即答した。仮に十万の兵を揃えたとしても、彼らを統率する部隊指揮官が絶対的に足りない。今軍を動かしても、それは烏合の衆にしかなりえないのだ。


 加えて、カンタルクとの国境を守っていたブレントーダ砦は、今はカンタルクの砦になっている。「守護竜の門」こそなくなったが、それでもこの砦は堅牢で、内戦以前のポルトール軍をもってしても攻略には一苦労するであろう。


 以上の二つを考え合わせれば、今カンタルクに対して戦端を開いても勝てる可能性は限りなくゼロに近い、と言わざるを得ない。


 では、カンタルクの属国でなくなるには、どうすれば良いのか?


「アルジャーク帝国と同盟を結ぶ。これしかあるまい」


 それがランスローの出した結論だった。


 アルジャークがポルトールとの同盟に乗り気ならば、カンタルクが横槍を入れて邪魔をしてくることはないだろう。カンタルクはアルジャークに負けたばかりで、再び喧嘩を売るような真似はしたくないはずだ。売っても負けるのが目に見えている。


 そして同盟さえ結んでしまえば、後はアルジャークの軍事力を当てにしてカンタルクを牽制することができる。そうすればもはや毎年十五州分の租税を年貢として貢ぐ必要も、また監査団に内政干渉されることもなくなる。


 晴れて、カンタルクの属国という立場から解放されるのである。


「問題は、どうやってアルジャークを乗り気にさせるか、だな」

「うむ………」


 イストが「無煙」を吹かしながら黒の騎士(ナイト)を動かし、白の僧正(ビショップ)を盤上から除く。ランスローは少し考えてからその黒の騎士(ナイト)を白の(ルーク)で取る。


 アルジャークにとってポルトールは「敗戦国の子分」という位置づけで、そのような相手とまともな同盟を締結してくれるとは思えない。


「一応、オルレアンと同盟を結ぶっていう選択肢もあるけど?」

「下策だな」


 ランスローはそう切り捨てた。ポルトールがオルレアンに接近すれば、必ずやカンタルクが横槍を入れてくる。そうなれば同盟を結ぶとしても三国同盟の枠組みになってしまい、結局カンタルクが主導権を握り、ポルトールは属国から抜け出すことは出来ない。


 それに、オルレアンはつい最近アルジャークと友好的な関係になったばかりだ。それを蹴ってまでポルトールやカンタルクに接近することは考えられない。


 西のラトバニアという選択肢もあるが、かの国は神聖四国の十字軍遠征失敗による混乱を受けて情勢が不安定になってきている。心強い同盟相手とはいえないし、ともすれば神聖四国の混乱に巻き込まれる可能性もある。


 となれば、やはりアルジャークしかない。


「対等な同盟を結ぼうとしても相手にしてもらえないのは目に見えている。ならば、何かを差し出すしかない」


 何を差し出すか。結局のところ、これが最大にして唯一の問題点だ。


 例えばオルレアン。この隣国は近頃、アルジャークと通商条約を締結した。この条約に軍事的な内容は含まれていないが、友好国となった以上有事の際にはアルジャークはオルレアンに味方するだろう。


 それはともかくとして。オルレアンとアルジャークが締結した通商条約はかなり公平な内容であった。しかし、オルレアンはなんの対価もなしにこの条約の締結にこぎ付けたわけではない。


 オルレアンはカンタルクとの和平交渉と、それに伴う賠償金の全てをアルジャークに譲っている。実際にカンタルクと戦い退けたのはアルジャークなのだから当然といえば当然なのだが、少なくとも交渉を行う権利は直接宣戦布告を受けたオルレアンにあるはずなのだ。


 言ってみれば、オルレアンはその権利をアルジャークに譲ることで、通商条約での譲歩を引き出したのだ。ならばポルトールもそれに相当する何かを差し出さなければ、アルジャークと同盟を締結することは難しい。


 直接国境線を接していない以上、国土を割譲することは出来ない。アルジャークにしてもそれは迷惑だろう。


 ならば金だろうか。カンタルクの賠償金に倣って一億シク支払えばアルジャークも乗り気になってくれるかもしれない。しかし現実問題として今一億シクを用意するのは難しい。今のポルトールの国庫は空っぽだ。用意するとしたら貴族たちに声をかけて捻出してもらうことになるだろうが、彼らは身銭を切ることは嫌がるだろう。


 となれば同盟の条件面で妥協するしかない。カンタルクに毎年治めることになっている十五州分の租税をアルジャークに差し出すという選択肢もあるが、これは今無理をして一億シクを用意することよりも分が悪い。同盟を結ぶ意味が薄れてしまう。


 結局、八方塞がりなのだ。その上、アルジャークがポルトールに求めるものが分らない。それが分らないことには、交渉で主導権を握ることなど出来ない。


「なに、そう難しいことでもない。ヒントは色々と転がっているさ」


 イストは軽い調子でそういい、黒の(ルーク)を白の陣地に入れた。


「まずは、そうだな。なぜアルジャークはカンタルクに国土の割譲を要求しなかったと思う?」


 イストの問いかけは、ランスローも気にしていたことだった。キュイブール川の戦いでカンタルク軍を退け、ルードレン砦を奪還したアルジャーク軍はその時点で圧倒的優位にあった。にもかかわらずアルジャーク軍はカンタルク領内に攻め入ることをせず、講和条約を結んだ。


 その講和条約も、ただ賠償金を得ただけでカンタルクの国土は一片たりとも要求しなかった。あれだけの優位にあったにもかかわらず、である。


「つまりアルジャーク、というよりクロノワはカンタルクの国土には興味が無かったことになる。なぜだろうな?」


 カンタルクを神聖四国の混乱に対する防波堤にしたかったのではないか。ランスローはそう思ったが、すぐに自分の考えを否定した。完全に併合するならばともかく、オムージュ領に接した部分を十州程度割譲させたくらいでは、神聖四国の影響は小さいと見るべきだ。


「オルレアンとの通商条約を早く締結したかったから、か………?」


 そして恐らくは、戦争を早期に終結させ、経済活動を早く安定させたかったからでもある。


「さて次の質問だ。アルジャークの経済における主眼は、今どこに向いている?」

「………海、海だ」


 アルジャークはシラクサとの間にも通商条約を結び、交易を本格化させようとしている。さらにカルフィスクを手に入れたことで、海上交易を行う環境はさらに整った。


「オルレアンとの通商条約でも、海上貿易に関する部分では随分と譲歩させたらしいな」

「ああ、そのとおりだ」


 港の優先的な使用権などだ。もっともこれらの措置は不平等というほど不利なものではなくオルレアンにとっても利があるもので、友好国への特別の配慮というべきものだ。


「アルジャークは、いやクロノワは海上に勢力を拡大させたがっている。となれば何を差し出せばいいのか、決まったようなものだろう?」

「ポルトールの海における利権、あるいは権利、か………」


 極端に言えばポルトールの海をアルジャークにくれてやればいいのである。ポルトールは海岸部が発達していない、つまりこれまで海にほとんど目を向けてこなかった。その海をくれてやったとしても、国内からの反発はほとんどないであろう。


 またポルトールの海岸部はすべてティルニア伯爵家が、つまりランスローが管理している。これならばほとんどランスローの一存で全てを決めることができる。


「お前さんにとってもいい話なんじゃないのか、これは」

「そうだな………」


 ランスローが独自に海上交易を始めることは難しい。他にもやることが沢山あるからだ。しかしアルジャークの海上貿易圏にポルトールも含まれるようになれば、商船は自然に集まってくるようになるだろう。後は商人を集めるための特産物があればなお良い。


「さて、詰み(チェック・メイト)だ。結論も出たようだし、いい頃合だな」


 盤上では黒の僧正(ビショップ)が白の(キング)王手(チェック)をかけている。逃げ道は黒の(ルーク)女王(クイーン)によってふさがれている。


 詰んでしまった盤をランスローは睨みつける。しかし彼の目にチェスの駒はもはや映ってはいなかった。


「お前の目的は何だ?」


 盤上を睨みつけたままランスローがイストに問う。しかしいつまでたっても答えは返ってこない。不審に思い目を上げると、向かいのソファーにはもはや誰も座ってはいなかった。バルコニーに視線をやっても、人影は見当たらない。現れたときと同じく唐突に、イスト・ヴァーレは姿を消したのだった。


「ふう………」


 体の力を抜き、ランスローはソファーの背もたれに体を預けた。それからグラスに残っていたワインを飲み干す。


「………海。海、か………」


 小さなその呟きは、月明かりに溶けていった。


**********


 アルジャークとカンタルクの講和条約が成立してから少しして、ランスロー・フォン・ティルニアはアルジャークに接近し始めた。その目的はポルトールをカンタルクの属国という立場から解放することである。


 とはいえ、彼は一人でことを運ぶことはしなかった。まず、叔母であり王太后のミラベル・ポルトールに話をし、彼女を通して父である宰相アポストル公爵に協力を仰いだ。直接父親に話を持っていかなかったところに、ランスローの彼に対する屈折した気持ちが窺える。


 まあ、それはともかくとして。アルジャークとの同盟はカンタルクの監査団には極秘で進められた。ランスロー一人では難しかったかもしれないが、やはり宰相であるアポストル公の協力が得られたことが大きい。


 さらに幸運だったことは、ポルトールが同盟に向けて動き出したときに、クロノワ・アルジャークがまだテムサニスのヴァンナークにいたことである。これにより二国間の打ち合わせにかかる時間が大幅に短縮された。


 アルジャークとポルトールの同盟は、最初の打ち合わせからおよそ一ヶ月で締結された。ポルトールはもともと望んでいたものだし、アルジャークにとっても損のないものだったからだ。


 同盟の締結はテムサニスのヴァンナークで極秘裏に行われた。無論、カンタルクにこの同盟を嗅ぎ付けられないようにするためである。ポルトール側の大使はランスロー子爵であり、国王マルト・ポルトールの名前が入った全権委任状がわたされていた。もっともこれを用意したのは宰相アポストル公だったのだが、ともかくこの同盟の締結がポルトールという国家の意思であることを保障したのだ。


 この同盟の締結により、アルジャークは今後百年にわたってポルトールの海を自由に使えるようになった。ポルトール領海の自由な航行や港の優先的な使用、さらに将来的にはアルジャーク海軍を駐留させることも可能であった。


 ほとんどポルトールの海をアルジャークに差し出したようなものである。とはいえ、少し先の話になるが、このことでポルトール国内の貴族からの反発はまったくなかった。彼らは海というものをまったく軽視していたし、海に面する土地は全てティルニア伯爵家の領地となっていたからだ。


 さて、同盟は締結された。次はそのことをカンタルクに知らしめ、ポルトールから手を引かせなければならない。


 クロノワ・アルジャークはカルヴァン・クグニス将軍に命じて、二千の兵を率いてランスローと共にポルトールの王都アムネスティアへ赴くように命じた。


 カルヴァン将軍はその命令に従い海路でポルトールのサンサニアへ向かい、そこから街道をゆっくりと北上して王都アムネスティアへ向かった。サンサニアにはあらかじめ案内役として王都近衛軍の一部隊が来ており、街道を進むそれらの軍勢の先頭にはアルジャークの旗とポルトールの旗が共に翻っていた。これにより両国は同盟の締結を内外に示したのである。


 大いに慌てたのは王都アムネスティアにいたカンタルクの監査団である。彼らにとってこの同盟はまさに青天の霹靂であった。彼らは混乱している間にポルトールの兵によって捕らえられ、一つの屋敷に軟禁された。これはアポルトル公から要請を受けた王都近衛軍司令官エルトラド・フォン・ジッツェールの仕事である。


 監査団の軟禁からおよそ五日後、ついにアルジャーク軍が王都アムネスティアに入った。この時アムネスティアの人々はこのアルジャーク軍を熱狂的に歓迎した。歓迎の指示自体はアポルトル公によって出されていたのだが、その指示を上回る熱狂ぶりであった。


 つまり、ポルトールの国民にとってカンタルクは未だに“因縁の敵国”だったのだ。その敵国の属国に甘んじなければならないことは、国民の大多数にとっても屈辱であり、その屈辱から解放してくれるアルジャーク軍は正しく救世主であった。


 一通りの歓待を受けた後、カルヴァンは軟禁されているカンタルクの監査団と面会した。殺されるのではないかと青白い顔をしている彼らに、カルヴァンは簡潔にこう言った。


「我がアルジャーク帝国とポルトール王国は同盟を締結した。この先、アルジャーク帝国は我が同盟国になされる悪意ある干渉を一切容認しない。よって方々は速やかにカンタルクに戻られるがよかろう。この先、カンタルクには理性的な対応を期待する」


 これはポルトールが毎年治めることになっていた年貢の支払いと内政干渉の拒否の表明であった。この宣言がなされた瞬間、ポルトールはカンタルクの属国という立場から解放された、といっていい。


 監査団が逃げ帰ってきたカンタルクは、しかし動かなかった。いや、動けなかったといったほうが正しい。


 今兵を催してポルトールに攻め入れば確実にアルジャークが動くだろう。それどころかオルレアンまで動くかもしれない。そうなればカンタルクは一度に三国を相手にしなければならなくなる。とてもではないが勝ち目はない。カンタルクは属国を失うのを歯軋りして見ているしかなかった。


 少し将来の話になる。この先アルジャークの海上貿易の拡大に伴って、ポルトールも急速な経済成長を遂げることになる。その恩恵を最も受けたのはポルトールの海岸部を独占しているティルニア伯爵家であり、ランスローの手腕もあって伯爵家は国内でも有数の経済力を持つ貴族になった。さらにランスローが伯爵家を継いだ時には侯爵へと爵位が引き上げられ、こうしてティルニア家は名実共に大貴族となったのである。


 またアポストル公爵が病により宰相位を辞さなければならなくなったとき、次に宰相位についた(押し付けられた?)のは、なんと当時まだ子爵であったランスローであった。これは彼が持つアルジャークとの太いパイプを期待してのことであり、彼が宰相であった期間は両国にとって最大の蜜月であったと後の歴史家たちは評価している。


 国政に関わることを嫌い辺境に引きこもろうとした彼が、しかし宰相という国家の重臣となって王佐の才を発揮したというのは、なんとも奇妙な話だといえる。


「煙管を吹かした不審者に騙されたんだ」


 自分の領地の自慢の特産品であるワインを飲みながら、彼はそんなふうに愚痴を零したという。


 さて、ここから先は少し余談になる。カンタルクの話である。


 この先、カンタルクはあらゆる面で弱体化していくといっていい。その責任はまず国王であったゲゼル・シャフト・カンタルクにあるのだろうし、また当時の世界情勢も原因になるのだろう。


 とある歴史家がこんなことを書いている。


 曰く、

「かつてカンタルクはウォーゲン・グリフォード大将軍の『傾国の一手』と呼ばれる謀略によってポルトールの内戦を煽り、ついにはかの国を属国とした。その内戦の結果としてティルニア伯爵家は海岸部の全ての土地、つまりポルトールの海を手に入れ、それが後にかの国とアルジャークを結びつけることになった。


 アルジャークと同盟を結んだポルトールは、急速な経済発展を遂げることとなる。一方でカンタルクは落ちぶれていき、“因縁の敵国”同士の力関係が逆転して今は久しい。はたして『傾国の一手』が傾けたのは、どちらの国であったのだろうか………」



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