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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第一話 独立都市と聖銀の製法
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番外編 約束

番外編 約束


「海、か………」


 独立都市ヴェンツブルグは極東に位置する貿易都市であり、この地方で有数の良港を保有している。当然、ここでは海は身近な存在だ。


 ヴェンツブルグに君臨する三つの名家を「三家」というが、その内の一つラクラシア家の屋敷に用意されたイストの部屋からも海を見ることができた。

 水平線が明るくなり、空が白んでくる。


「日の出、か………」


 屋敷を抜け出して港まで見に行こうか、と思いついたが止めておく。イストの部屋がわざわざラクラシア家に用意されたのは監視を含めてであり、それを考えれば警戒されるような行動は慎むべきであろう。もっとも聖銀(ミスリル)の製法の代金はまだ一銭も受け取っていないから、監視する必要などあってないようなものだ。製法にしたって実際に作ってみせるまでは眉唾物だろうし。


(それに朝飯の前だしな)

 腹が減っているから動きたくない。実はそれが一番大きな理由だ。


「そういえば、海から朝日が昇るのを見るのは、あの時以来か………」


 イストがまだ師匠であるオーヴァと旅をしていた頃、友人であるクロノワの姓がアルジャークではなくまだミュレットであった頃。自分と友人と師匠と三人で見た、あの朝日。世界は広いと、改めて感じたあの日。


「あの時にした約束は、まだ有効だよな………?」


**********


 バイエルト、という街がある。

 アルジャーク帝国の辺境に位置する街だ。辺境と言っても帝都ケーヒンスブルグから離れており、そのため政治的な喧騒からは遠いと言う意味であって、規模はそれなりに大きい。


 アルジャーク帝国は北国でありその冬は厳しいが、その大地は肥沃で夏になると奇跡のように命を育む。バイエルトの周囲も豊かな穀倉地帯であり、町の周りには麦畑が広がっていた。


 平和な街であり、ここ百年は戦火に巻き込まれたことがない。ただ昔の名残で古めかしい城壁が、市街地とその外に広がる麦畑の間を隔てている。


 季節は冬。収穫の終わった麦畑はすっかりと深い雪に覆われ、あたりは一面の銀世界となっていた。人が足を踏み入れることのない雪原には、ただ風だけが遊ぶように紋様を描いている。


 バイエルトの街の郊外に一組の母子が暮らしている。母の名前はネリア・ミュレット、息子の名前はクロノワ・ミュレットという。父親はいない。いや、生物学的にはきちんと存在しているのだろうが、少なくともクロノワは父親の顔も名前も知らなかった。


 父親について、クロノワはある程度の推測は持っている。

 母がこの街に来たのはおよそ十四年前。今のクロノワの年齢は十四歳であるから、どこか別の場所で自分の妊娠が発覚してから、この街に来たのだろう。母の親類がバイエルトの街にいるわけではないから、今住んでいる家と土地はここに来てから買ったことになる。借金をしたと言う話は聞かないし、つまりそれだけのお金を母は持っていたのだ。


 さらに今、ネリアとクロノワの親子は小さなハーブ農園を経営している。だが、そこでの収入など微々たるものだ。一般家庭の平均的な月収は3~5シク(金貨3~5枚)と言われている。二人だけの家庭であるから、収入はもうすこし少なくても大丈夫なのかもしれないが、それにしたって農園の売り上げだけで生活していけるとは思えない。にもかかわらず生活に困窮しているわけではない。ということは、その分の財産を持っていると言うことになる。


(てことは、つまりアレだ………)


 自分の妊娠が発覚した事で、母はかなりの額の手切れ金を渡されたのだろう。つまり自分の父親は相当額のお金を用意できる人間、ということになる。


(役人のお偉いさんか、金持ちの商人か………)


 クロノワは自分の父親についてそう当りをつけていた。無論、母であるネリアに聞いたたことはない。そんなことをすれば困らせるだけだと分っている。


(まあ、別にもう、どうでもいいけどさ………)


 顔も名前も知らない父親を憎んだことはある。一時期、それは激しく憎悪した。金持ちだったと確信した頃が、最も激しく憎んでいた。


 金があるってことはその分、力が、権力があるってことだ。それなのになぜ自分で手をつけて、子どもを身ごもらせた女を手切れ金だけで放り出す?お前にとっては遊びで責任を取ったつもりなのかもしれないけど、母さんには母さんの人生があるんだ。それを狂わせといて金だけで済ませようなんて、最低じゃないか!


 顔も名前も知らない相手に、恨み言やら呪いやら、吐き続けていた時期があった。が、今はどうでも良くなってしまった。


(疲れるんだよな………)

 顔も名前も知らない相手を憎み続けるのは。


 無論、“奴”を許したわけではない。憎み続けるのに疲れて、馬鹿馬鹿しくなっただけだ。ともかく金はあるんだから、それが尽きる前に自分が働いて母さんを支えてやればいい。今は、そう考えている。


「ご飯の準備は出来たわね。クロ、オーヴァさんとイストくんを呼んで来て」

「はい、母さん」


 ネリアは息子であるクロノワのことを「クロ」と呼んでいた。無論名前を縮めたものだ。ちなみにクロノワの髪の毛も目も黒ではない。


 この冬、クロノワの家には二人の客人がいた。

 オーヴァ・ベルセリウスとイスト・ヴァーレ。本人たちの自己申告を信じるならば、流れの魔道具職人であるという。こうして一般の家を間借りするのは彼らにとって珍しくないらしい。普通はきちんと宿代を払うらしいがネリアが求めたのは食費だけで、「ずいぶんと安上がりで助かったわい」とオーヴァは喜んでいた。

 ただネリアはもう一つオーヴァに条件を出していた。それは、


「春になったらクロノワに海を見せる」


 というものだ。ネリアは理由を言わなかったしオーヴァも聞かなかったしイストは口を挟まなかったから本当のところは分らないが、もしかしたら“海”という目的地はさほど重要ではなく、この街の近辺しか知らない自分に広い世界を少しでも見せてやりたいと言うネリアの親心かもしれない。


 バイエルトの街から海までは、徒歩でおよそ二週間といったところだろうか。往復で考えれば約一ヶ月必要になる。当然師弟と一緒に旅をするわけで、その間に旅慣れしていない自分がかける手間を考えればトントンかもしれない。もっともこの師弟が「面倒を見る」などという気の利いたことをするとも思えないけれど。


「自分のことは自分でやれ」

 と問答無用で突き放されそうだ。


 それはともかく。オーヴァとイストの師弟は外で雪かきをしているはずだ。昨晩も大雪が降ったらしく、家の周りにはかなりの量が積もっている。


 師弟の雪かきの仕方は非常に独特である。「光彩の指輪」という、光で空中に図形を描く魔道具を使うのだ。師匠であるオーヴァが使っているのは「光彩の槌」というらしいが、効果は同じだと言う。同じ効果なのになぜ槌の形にしたのか、と聞いたら、


「ぶん殴るならこの形じゃろう」

 と、残念な答えを頂戴した。というか描くための魔道具で殴るな、と言いたい。


 それもまたともかく。この「光彩の指輪」で熱を生む魔法陣を描きそれをつかって雪を融かす、というのがこの師弟の“雪かき”だった。そのため一般的な雪かきと比べて非常に楽であるし、また速く終わり除雪した雪の置き場に困ることもない。時間がたつと雪解け水が凍ってしまい、道が滑りやすくなるのが問題だが、そばの雪壁を崩して雪で覆ってやればそれも解決する。


 まだ雪かきの最中だろうかと思いながらクロノワが家の玄関を開けると、師弟が雪かきに励んで、


「これでどうじゃ!」

「甘い!まだまだぁ!」


 いなかった。雪合戦をしていた。どうして家の中まで声が聞こえなかったのかと思い、そういえば雪には防音効果があるという話をどこかで聞いたな、と半ば現実逃避気味に考える。


 目の前の雪合戦は、普通の雪合戦ではなかった。普通の雪合戦ならば魔法陣は使わないだろう。


 イストが「光彩の指輪」をはめた手を雪にかざし魔法陣を展開する。すると雪がひとりでに集まってきて、こぶし大の雪玉を作っていく。雪玉が十個くらいできるとイストは魔法陣を書き換え、出来上がった雪玉を宙に浮かべた。


「いぃぃぃっけぇぇぇぇ!!」


 魔法陣をさらに書き換え、イストは浮かべた雪玉を発射する。その速度は人が投げるよりも遥かに速い。


 イストの攻撃(?)をオーヴァは防御用の魔法陣を展開して防ぐ。というか雪合戦で防御用の魔法陣使うってどうよ?


 ああ魔道具職人が本気で雪合戦をするとこうなるのか、とクロノワは心の底から呆れた。とはいえ呆れてばかりもいられない。


「あの、そろそろ、ご飯………」


 目の前の光景に圧倒され、クロノワの声は小さい。聞こえるはずがないと本人は思ったのだが、どうやら地獄耳のオーヴァは聞き取ったようである。


「うむ!ではそろそろ終わらせるとするかのう!」


 そういってオーヴァは「光彩の槌」を雪に叩きつけ、魔法陣を展開する。すると一抱えはあろうかという巨大な雪玉が形成され宙に浮かび上がった。さらにオーヴァが魔法陣を書き換えると、その巨大な雪玉はみるみる圧縮されていきついにはこぶしくらいの大きさになってしまった。


「これで終いじゃ!」


 オーヴァが「ドン!」と言う音と共に雪玉を発射する。イストはすかさず魔法陣を展開し、それを防ごうとするが………。


「危な!」


 パリィィィン………、と鈴が鳴るような音を残しイストが張った不可視の盾が雪玉によって割られた。イストは転がって避けたので無傷だが、しかし雪玉であの盾を割るとは理不尽にして非常識な。


「おいクソ師匠!今の雪合戦の威力じゃない、ブホォォ!」


 非常識な雪玉の威力に文句を言っていたイストの顔面に、オーヴァが投じた雪玉(圧縮してないやつ)が直撃しはじけた。


「勝~利!」


 ハーハッハッハッハッハッハッ!!と楽しそうに笑うオーヴァ。イストは雪の上に胡座をかいてそれを不機嫌そうに眺めていた。


「遊びこそ全力で」

 いつか聞いた二人のモットーを思い出し、クロノワは苦笑するしかなかった。


**********


 昼食を食べ終えた後、クロノワとイストの二人はバイエルトの街の城壁の内側、つまり市街地に来ていた。ここも雪に覆われてはいるが、やはり生活している人の数が違う。城壁の外とは活気が段違いである。


 そもそも家のつくりが違う。城壁の外側は木造の一軒建ての住宅が多いのだが、バイエルトの市街地はレンガや石造りの集合住宅が多い。ただ土地柄どちらの住宅も防寒対策はしっかりとなされている。


「あのクソ師匠め………!」


 隣を歩くイストが忌々しそうにそうもらした。彼が根に持っているのは食事前の雪合戦のことだけではない、と知っているクロノワとしては苦笑するしかない。


「いい加減忘れれば?」


 とはいえ無理だろうな、とクロノワも思っている。オーヴァの弟子の扱いは、彼の目から見ても少々ひどい。


 ある時やはり雪合戦をしていたオーヴァは、大量の雪でイストを押しつぶし、そのまま埋めてしまった。雪に埋もれて見えなくなったイストはそのまま気絶したのか出てこない。にも関わらず、あろうことかオーヴァは弟子をそのまま放置したのだ。


 曰く「あやつが着とる外套は、雪原で野宿しても大丈夫なやつじゃから、まあ大丈夫じゃろ、たぶん」


 そしてちゃっかり弟子の分の食事もたいらげ、イストは一食抜きの憂き目に会ったのであった。


 またある時、イストがテーブルに足を乗せイスの前足を浮かせ後ろ足だけでバランスをとるという、お行儀の悪い格好でなにやら資料を読んでいた。食事をするテーブルに土足をのせているのだ。これには正直クロノワもいい気はしなかった。


 そこに近づいてきたオーヴァ。彼はお行儀が悪いイストを見て眉をひそめると、おもむろにイスの後ろ足を払ったのだ。当然イストはバランスを崩し、ガタン!と大きな物音を立てて床に頭をしたたか打ち付け、読んでいた資料は散乱した。クロノワは目の前の光景に唖然として言葉もない。


「痛ってぇぇぇぇ………!なにすんだこのクソ師匠っ!!」


 若干涙目になり、打ち付けた後頭部を擦りながらわめくイスト。が、そんな弟子の非難になど一向に耳を傾けずオーヴァはこういった。


「食卓に靴を履いたまま足を乗せるなっ!乗せるんなら靴、脱いでからにしろ!」


 おいおい注意点はそこだけなのか、とクロノワは思った。思っただけで口には出さない。彼の目の前では仲のいい師弟が売り言葉に買い言葉で会話を楽しんでいる。火の粉が飛んでくる前にクロノワはその場を退散した。


「クロノワもそう思うよな!?っていねーし!!」


 そんな絶叫を聞き流しながらクロノワは苦笑し、しかしイストに加勢しようとは露程にも思わなかった。二人がかりとはいえ、あのオーヴァに舌戦で勝てるとは思えなかったからだ。案の定イスト一人で勝てるわけもなく、孤軍奮闘虚しくいいように言いくるめられたらしい。


 無論イストとてやられっ放しではない。この前などは赤唐辛子の粉末を大量に混入した「激辛コーヒー」で一矢報いていた。


 ちなみにイストの「コーヒーシリーズ」はなかなかバラエティーに富んでいる。幾つか例を挙げるならば、ゲル状になるまで砂糖を入れた「激甘コーヒー」。塩を大量に入れたホイップクリームを上に乗せる「塩ウィンナー」。ミルクの代わりに豆乳を入れる「豆コーヒー」などがある。


 あとお湯の上に泡立てた牛乳を乗せる、もはやコーヒーですらない「なんちゃってカプチーノ」などもあるのだが、これはネリアが間違って飲んでしまい、「騙された」と悔しがっていた。そしてその日の夕食はなぜかイストだけおかずが一品少なかった。


 悪戯のためには手間を惜しまない師弟の攻防を安全圏から眺めていたクロノワはこう結論を下す。


「総じて仲のいい師弟だ」

 我ながら当を得た評価だと内心で大いに満足する。


「ニヤニヤしてどうした?」

「………なんでもない」


 イストがこちらの顔をのぞきこんでいるのに気づいて、クロノワは思考を現実に戻した。辺りを見渡せば随分と歩いたようで、目的地まで後少しとなっていた。


 大通りをはずれて路地に入っていく。目的地はバイエルトの街に乱立する集合住宅の一つ、レンガ造り五階建てアパートの三階の一室である。そこには「ロゼット爺さん」と呼ばれる一人の老人が住んでいる。


 彼は様々な分野に深い知識を持つ博識な老人で、街の知恵袋と言えるだろう。街の子供らに勉強を教えたりもしているのだが、その子供らに自分のことを「老師」と呼ばせて楽しんでいた。無類の本好きで、彼の家には個人にしては大量の蔵書があるのだが、買ったものと自分で書いたものが半々くらいだろうか。


 若い頃は講談師として世界中を旅して周り、各地方の逸話や寓話を集めたりしていたという。また日記の中でその地方の特産物や地理的な特徴、気候などについても詳細な記録を残していた。時折物好きな貴族の家などにやっかいになり、集めた話を聞かせる一方で日記の編纂などをして自分の蔵書を増やしていったのだという。


「ロゼット爺さん、いる?」


 ノックもそこそこにクロノワとイストは室内に入っていく。部屋の中に入ると、沢山の本がおいてある場所特有のあの匂いがした。それだけで随分と雰囲気が変わる。


「おお、クロノワとイストか。良く来た」


 部屋の奥から一人の老紳士が現れた。頭は白いものが混じって灰色になり顔にもしわがきざまれているが、その目から理知的な光が失われることはなくまた腰も曲がってはいない。右目に引っ掛けたモノクルが良く似合っている。この部屋の主、ロゼットである。自分のことは「老師」と呼ぶように、と茶目っ気をこめて注意してから、彼はクロノワとイストを部屋に招きいれた。


 図書館のないバイエルトの街において、大量の蔵書が保管してあるロゼットの家は稀有にして貴重な知識の泉だ。クロノワはもとより最近ではイストもよく彼の家に入り浸ってはその蔵書を読み漁っていた。


 ロゼットも若人たちが知識への探究心を持ってくれるのは嬉しいらしく、この二人組みの訪問を邪険に扱ったことは一度もない。もっともクロノワとイストは本を読むばかりではなく、主が執筆に没頭するあまり散乱しがちなロゼットの部屋を掃除したり、簡単な食事を準備するなどして恩返しをしていた。


「しっかし、いつ来ても思うけど、すごい蔵書量だよな」


 よく個人でこれだけ集めたもんだ、とイストは呆れながら感心する。クロノワもそれはまったくの同意見だったが、それを口に出す段階はとうの昔に通り過ぎているのだ。


「結構古いものも多いし、どうやって集めたんだ、老師?」


 老師、と呼ばれて気分を良くしたのか、ロゼットは穏やかに微笑んだ。イストの疑問はもっともだろう。どう見たって個人が旅をしながら持ち運べる量ではない。そのことはクロノワも前から気にはなっていた。


 ロゼットは得意げに種明かしをする。

 旅をしていた頃、その途中でアバサ・ロットと出会ったことがあるという。求められるままに様々なことを話していたらどうやら気に入られたらしく、魔道具「ロロイヤの道具袋」をもらったのだそうだ。この魔道具のおかげで大量の資料を背負うことなく持ち運びできるようになり、結果として彼の蔵書の量は加速度的に増えていった。


「食う物も食わず本を買いあさったものだ」

 とロゼット爺さんは当時を思い返して笑った。


 伝説の魔道具職人アバサ・ロットの名前が出て来て、クロノワは驚いた。もちろんかの人のことは知っていたが、どこか別の世界のことのようで現実味があるとは言いがたいものだ。なのにまさかこんな近くに接点があったとは。


 イストも驚いているだろうと思って彼のほうを見ると、彼は「アバサ・ロットか………」と小さく呟いて何か考え込んでいた。


「弟子とか、一緒にいた?」

「いや、一人だったと思うが………、どうかしたかね?」


 イストは、なるほどね、と納得したように小さく呟きそれから、なんでもない、と言って話を切り上げた。クロノワも不思議には思ったが追及はなにもしなかった。今彼の家に間借りしているオーヴァ・ベルセリウスがアバサ・ロットその人であるとクロノワが知るのは、彼の姓がアルジャークになってからである。


 クロノワとイストの二人はロゼット老師に断ってから適当なイスに腰掛けると、目当ての本を開きその世界に没頭していく。ロゼットも二人が読書に集中し始めたのを見て満足そうに頷くと、自分の机に向かって執筆作業を再開した。


 外では一時は晴れた雪がまた降り出した。深々と降る雪は雑音を遮り静寂を連れてくる。バイエルトの冬はこうして深まっていく。


**********


 オーヴァとイストの師弟がクロノワを連れて旅立ったのは、バイエルトの周りの麦畑の雪が完全に溶けきってからのことだった。遠くに見える山々の頂はまだ雪に覆われているが、平原にはすでに緑の草が芽生え始めている。


 雪が解けてなくなり春の足音が聞こえる季節とはいえ、やっぱり外はまだまだ寒い。一ヶ月程度とはいえ旅をするとなれば、その間は当然野宿が主になるだろう。温かいベッドが期待できるわけでもないし、であるならばもう少し気候が暖かくなってから旅立つのではとクロノワは思っていたが、聞くところによると師弟はむしろもっと早く旅立つ予定だったのだと言う。


(気を使ってくれたのかな………?)


 初めての旅に臨む自分に。それは嬉しいし申し訳ないし、「心配してくれなくても大丈夫なのに」という強がりを言ってみたりしたくもなるのだが、どうせならもう少し気を使ってくれればいいのに、と思わなくもない。主に出発の時期を遅らせる方向で。


 とはいえクロノワは同伴させてもらう立場だ。それが、ネリアが出した冬の間宿泊するための条件だったとしても、依頼主のようにふんぞり返ることなど出来るわけがない。


 そもそもオーヴァとイストの師弟の旅は、自分のように一ヶ月限定のものではない。その行動範囲が大陸規模である彼らにしてみれば、今回のこの海への旅は余計な寄り道に属するもので、義理以上の理由は持っていないはずだ。ならば自分が彼らに合わせるのが作法と言うものであろう。


 とまあグダグダ考えては見たものの、要するに「野宿きつそうだなぁ」というのがクロノワの心配事であった。まだまだ寒いこの時期、野宿したら凍死するのではないかと真面目に心配していた。


 とはいえその心配は杞憂に終わった。当然と言えば当然である。なにしろオーヴァとイストの二人は旅慣れしており、初心者のクロノワが心配するような事案は最初から織り込み済みなのだから。


 旅立つにあたり、オーヴァは一つの魔道具をクロノワに貸した。師弟が身につけている外套と同じもので、「旅人の外套(エルロンマント)」という魔道具だ。その能力は外套の内側の温度調節と防水、および風除けである。この外套を羽織っていれば季節が真夏であろうが真冬であろうが快適に過ごせるし、激しい雨に吹かれても体が濡れることはまずない。


(随分軽装だとは思っていたけど、これがタネか………)


 思えばこの冬の間二人は常に、外だろうが家の中だろうがこの外套を身にまとっていた。室内はともかく外に出るときアレで大丈夫なのかと密かに心配していたのだが、実際にこの「旅人の外套(エルロンマント)」を羽織ってみればそんな心配は無用であったことがよくわかる。


(コレ、もっと早く教えてくれればよかったのに………)


 一枚薄い外套を羽織っただけなのに非常に暖かい。しかも風除けの効果もあるので、冷たい風に吹かれて体温を奪われることもない。冬の間、モコモコと着膨れていたことを思い出し、クロノワはちょっぴり恨めしく思うのだった。


 師弟との旅は、なんというか意外だった。意外に、まともだった。

 オーヴァとイストが家に泊まっていた間、二人の奇想天外にして荒唐無稽な奇行の数々で楽しませてもらったクロノワは、旅の空の下でもそれは変わらないのだろうなと思っていたのだが、師弟の旅はなかなかどうして普通で、クロノワとしては拍子抜けをくらってしまった。


「あんな乱痴気騒ぎ毎日やってたら先に進めないし」


 なるほどごもっとも。この師弟も旅が始まれば悪戯を仕掛けるより足を動かすことが優先らしい。


 旅のペースはゆっくりとしたものだった。当然クロノワに合わせたものだが、オーヴァとイストにしても冬の間に鈍った体をならしているらしい。毎日派手に動き回っていたと思うのだが、それとは別問題のようだ。


 歩を進めるのは基本的に明るい時間だけだ。そして暗くなる前に火を熾すなりして野宿の準備をする。暗くなってから動き回るのが面倒なのは、想像に難くない。なにより軽食が中心になる旅の中で、オーヴァとイストは夕飯は比較的しっかり作るので、それが楽しみになっていた。無論、手伝わされたが。


「やっぱり温かいものを食べると落ち着くなぁ」


 食後の紅茶を手のひらで温めながらクロノワはしみじみと呟いた。イストには、じじ臭い、と笑われたが。


 夕飯後は雑談の時間である。クロノワを交えたこの一ヶ月の旅の中で、最も多かった話題は「どんな魔道具が欲しいか」というものであった。


「そうだな、勝手に水が湧いて出てくるような魔道具があったら便利だと思うよ」


 クロノワの言葉には実感がこもっている。

 この時代、上下水道が設備されているのは一部の大都市に限られている。当然ネリア親子が住んでいるような郊外に、そのような便利な設備はない。日々の生活で使う水は井戸などから汲んでこなければならない。しかもそれを毎日しなければならないのだから、大変な仕事量である。


 ちなみに下水がない地域の汚物の処理に関しては、地面に埋めるという知恵が一般に広まっている。


「アレ、使えるんじゃないかな」


 イストの言う“アレ”とは「乾いた風(ミストラル)の壷」という魔道具である。室内除湿用の魔道具で、湿気を集めて水として壷の中に溜めていく魔道具だ。


「壷をもっと大きいやつにして、出力を上げればいけそうな気がするけど」

「あんまり強力だと、今度は乾燥しすぎるんじゃないの?」

「外に置けばいいじゃん」


 なるほど確かにその通りである。室内に強力な「乾いた風(ミストラル)の壷」を置けば乾燥し過ぎに注意しなければいけないだろうが、外に置けば除湿しきれるわけもないので水が溜まるだけである。溜まる水の量は季節によって変わってくるだろうが、霧が出たり地面が朝露に濡れるような季節であれば、雨が降らなくとも一晩外に置いておくだけで結構な量が集まりそうである。


「あ~、でも外に置くと、虫とか入りそうだな」


 外に置くのだ。温かくなれば虫が寄ってくるだろうし、それだけではなくホコリや砂などが混じることだってあるだろう。


「それでも使い道はあるよ」


 水を使うのはなにも料理だけではない。掃除や洗濯など、生活の様々な面で水は必要になる。飲み水や料理に使う水は井戸から汲んでくるにしても、それ以外に使う水をこの魔道具で確保できれば、日々の仕事量は随分と少なくなる。


「それにウチはハーブ農園をやってるから………」


 植物を育てている以上、どうしても水は必要になる。その規模が大きければもはや雨を待つしか手はないが、幸か不幸かネリアのハーブ農園は小規模で、水をやろうと思えばやれてしまう。雨水を溜めておいたりもしているのだが、それにしても常に必要量があるわけではなく、足りない分は井戸から汲んでこなければいけない。


「それが結構手間でね」


 水汲みは基本クロノワの仕事らしい。だからこそ「水が勝手に湧き出てくる魔道具」があったら便利だと思ったのだろう。


「にしても、こんな話してていいの?」


 言うまでもなくイストは流れの魔道具職人であるオーヴァの弟子だ。どこかの宿に泊まっていればその限りではないが、一日中歩き続けなければいけないような日は、修行する時間は主に夕食後に限られる。つまり今雑談しているこの時間だ。イストにはイストなりのやるべきことがあるのではないだろうか。


「いーの、いーの。たまに一般人から意見を聞くのも参考になるし」


 まったく師匠が奇天烈な変人だとなにが常識なのか分らなくなって困る、とイストはぼやいた。自分を一般人のくくりに入れなかったのは、自分も変人の類だと自覚しているからなのだろうか。


「まったく口の減らない弟子じゃ」


 オーヴァが呆れたように口を挟んだ。変人呼ばわりされたことへの自己弁護がないのは、やっぱり自覚があるからなのだろうか。


「拾ったときは………、こんな性格じゃったか」

「そう、オレのこの性格は先天的な………っておい!」


 そんな師弟の仲のいい会話に、クロノワは思わず笑ってしまう。


「それはそうと、さっき話していた『乾いた風(ミストラル)の壷』の改造計画じゃが………」


 オーヴァがその話に乗ってきたことにクロノワは少し驚く。彼は先ほどの話の間中、チビチビと酒を飲んでいたので、興味はないものと思っていた。


「つまらんな」


 ぶっきらぼうにオーヴァはそう言い放った。イストはその言わんとするところを理解できたのか眉をひそめているが、クロノワは目を丸くするばかりだ。魔道具に面白いもつまらないもないと思うのだが。


「もっと趣味に走った魔道具を作れ」


 効率だの実用的だの、そんなことばかり考えているとつまらん人間になるぞ、とオーヴァは偉そうに高説をたれた。


(なるほど、こういう師匠につくから常識が吹っ飛ぶのか………)

 妙なところにクロノワは納得した。その間もオーヴァの高説は続く。


「何事もやり過ぎるのが大切じゃ!」

「それは絶対ウソだ!」


 間髪いれずにツッコミが出来る辺り、クロノワはまだまだ毒されてはいない。


**********


 その日は、朝日が昇る随分前に起きた。

 辺りはまだ暗い。薄暗いのではなく、真っ暗である。家で暮らしているときはもちろんのこと、旅の間でさえこんなに早く起床するのは初めてである。


 こんなにも早く起床したのには、もちろん理由がある。

 海から昇る朝日を見るためである。


 オーヴァ、イスト、クロノワの三人が今野宿をしているのは「ララバト山」という山の麓である。この山を越えた向こうに、目的地である海が広がっている。ララバト山は高くもなければ急峻でもない、むしろそれと真逆のなだらかで登りやすい山である。子どもの足でも半日あれば越えることは可能だろう。が、山はやはり山であり、その頂に立たなければ海を臨むことはできない。


「ちょうどいいから明日は早く起きて、頂上から朝日を見よう」


 昨晩の夕飯時に、オーヴァはそう提案した。そのためにはかなり早い時間に起きなければならないことが目に見えており、当初はイストもクロノワも乗り気ではなかったのだが、「海から昇る朝日は一度も見たことがないじゃろう?アレは一度見ておいたほうがいい」と、オーヴァに説得されたのだ。いつもの、何かを企んでいる様子がなかったのも大きい。


 火を熾すこともせず、「新月の月明かり」の光だけを頼りに冷たい朝食を詰め込み、三人は頂上を目指して歩き始めた。ララバト山がなだらかで登りやすい山とはいえ、山道は当然のことながら舗装などされていない。クロノワはランタン型魔道具「新月の月明かり」で、イストは「光彩の指輪」で、オーヴァは「光彩の槌」でそれぞれ足元を照らしながら注意深く山を登っていく。


 旅をしている間中そうであったが、オーヴァとイストは足を動かしている間、話しをすることはほとんどない。クロノワも黙って二人の後についていく。


 暗く、そして静かな山の木々の中を進んでいく。

(ああ、現実じゃない………)


 旅の間、何度かお酒を飲んだことがある。見知らぬ、そして薄暗い夜明け前の山道を歩くクロノワは、酒精による酩酊とはまた別の現実からの乖離を感じた。見知らぬ山道だからなのか、それともまだまだ先が見通せないほどの暗さだからなのか、彼自身にも良く分らないがまるで異世界に迷い込んだかのような感覚を覚えたのだ。


 ふと、思う。

 ――――遠くへ、行きたい。

 それは心の奥底にあった、小さな願望。


 自分はなんと言うか、老成しているのだと思う。クロノワは自分の性格について、そんなふうに思うことがある。それはきっと父親がいないことや、そのために自分が母親であるネリアを支えなければいけないという義務感に起因するものだろう。自分が不幸だとは思わないし、不幸自慢をしたいとも思わない。けれどもそれは「クロノワ」という人間が背負い込んだ、捨てることの出来ない荷物なのだ。


 そういうものを、時たま非常に邪魔に感じることがある。あらゆるしがらみから切り離されて、ただの一個の人間に成りはてたいと思うことがあるのだ。


 そんなことは不可能だと、分っている。どこに行こうが住もうが、そこに人がいて人間関係が存在する以上、大なり小なりしがらみは生まれるものだ。それはきっとどうしようもなく面倒で、逃れ得ないものなのだろう。


 だから、というのは変かもしれない。しかしそれが正直な気持ちでもある。


「遠くへ、行きたい」

 と思うのだ。


 ネリアがこの旅を用意してくれたのは、あるいは息子のそんな心のうちに気づいていたからかもしれない。


 山頂が見えてきたときには、東の空はすでにたいぶ明るくなっていた。西の空には沈みかけの白い月がまだ浮かんでいるが、もう明りが要らないくらいには視界は良好だ。


「近いぞ、もうすぐじゃ」


 オーヴァがそう声をかけると、イストが頂上めがけて走り出した。クロノワは反射的にその後を追う。木々の間を走りぬけそれが途切れたその先に、その光景は広がっていた。


 ――――海が、輝いている。


 その光景は、なんというか、圧倒的だった。圧倒的な、現実だった。海から昇り世界を輝かせているその朝日は、クロノワがついさっきまで感じていた現実からの乖離するようなフワフワとした浮遊感を一瞬にして剥ぎ取り、圧倒的なリアリティーをもって彼にこう告げるのだ。


「ここが現実だ。ここは現実だ」と。


 朝日は昇り続け、世界に新しい一日の始まりを告げている。その様子を、クロノワは夢から覚めるように見続けた。


「広い、なぁ………」


 思わずそんな呟きがもれた。ララバト山の頂から見る海は広大で、遠くへと行けそうな気がしてくるのだ。


「まだまだ。世界はもっと広い」


 隣に並んだイストが言う。そうだろうか、と思い一瞬の後に、そうだったと納得する。目で見える範囲だけが世界だなんて、そんなのつまらなすぎる。


 ――――遠くへ行きたい、と思った。


 遠くへ行ってまだ見知らぬ世界をこの目で見たいと思った。しがらみから逃げたいとか捨てたいとか、そんな後ろ向きな考えはいつの間にか消え去っていた。


 そんなものはくだらない。今この瞬間ならばはっきりとそう言える。世界はこんなにも広くて圧倒的なのに、そんな後ろ向きにみみっちく生きるなんて真っ平だ。この世界は心躍るもので満ちているはずなのだから。


「いつか二人で旅をしないか」

 唐突に、イストがそんなことを言った。


「きっと楽しいと思うんだ」


 朝日を横顔に受けて、イストは笑う。そう出来れば、本当に楽しそうだと思う。あの海の向こうにたどり着いたときに、まだ見ぬ秘境に到達したときに、隣で一緒に笑って喜んでくれる友人がいれば、それはどんなにか素晴らしいことだろう。


「いいね。いつか一緒に世界を回ろう」


 約束だ、とクロノワはイストのほうに振り返った。

 それは他愛もない子どもの約束。けれども、いやだからこそ、とてもとても大切なもの。それをクロノワが実感するのは、もう少し先のことである。






**************






八七八 九々様が素晴らしい相関図を作ってくださいました。本当にありがとうございます。せっかくですので、下に公開したいと思います。

挿絵(By みてみん)

相関図は、本当は独立した形で載せたかったのですが、本文を200文字以上書かないといけないらしく………。


文才の無い身では書くことがなく、このような形になりました。

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