第八話 王者の器⑱
アールヴェルツェ・ハーストレイト将軍がカレナリアのベネティアナにいたカルヴァン・クグニス将軍を引き連れてヴァンナークに到着し、その時点で通商条約案に対する返答が無かったことを確認したクロノワ・アルジャークは、ついにオルレアンに対して宣戦布告をした。
この時の遠征は親征であり、クロノワが動かした軍は総勢で十四万であった。この十四万を大雑把に分類すると、十万がアルジャーク軍で四万が旧テムサニス軍である。
アルジャーク軍十万は、四人の将によって率いられている。アールヴェルツェの直属部隊が三万で、さらに彼が全軍の実質的な指揮をとっていた。さらにカルヴァンが三万を率い、テムサニス遠征で功績を挙げたイトラとレイシェルの二人はそれぞれ二万を率いて戦列に加わった。
テムサニス領のヴァンナークには後方部隊や予備部隊が六万以上控えており、まさに万全の体制といえた。
この力の入れ具合だけをみれば、クロノワ・アルジャークが本気で遠征を行い武力によってオルレアンを征服しようとしていた、と考えることもできる。しかしこの遠征の顛末を知っている後世の者からしてみれば、それは怪しいと言わざるを得ない。なんというか、この遠征には詐術の臭いがするのだ。
この、後世の歴史家たちが感じる違和感について、順を追って説明していきたいと思う。
アルジャーク帝国から宣戦布告を受けたオルレアンは、すぐさま命令を出して軍を催した。総勢およそ十二万。このうち十万が敵遠征軍と雌雄を決するべく、東の国境線に向かった。
事態が思わぬ方向に動いたのは、この後である。カンタルクが突如としてオルレアンに宣戦布告。カンタルク軍が西の国境を越えてオルレアン領内に侵入し、国境の砦であるルードレン砦を占拠したのである。このルードレン砦を攻略したカンタルク軍先遣部隊はおよそ五万であり、この部隊を率いていたのはマルヴェス・フォン・ソルロバという若い将軍であった。
余談になるが、ルードレン砦は国境の砦だが、国境を守る砦ではない。この砦は小規模なもので、三百名程度しかそこにはいない。よってこの砦のおもな役目は国境線の監視であり、マルヴェス率いるカンタルク軍が迫ったときには、そこにいた兵士たちはさっさと逃げたので両軍ともまったく損害は無かった。
ルードレン砦を占領したマルヴェスはそこで本隊の到着を待った。このカンタルク軍の本隊の先頭を行くのは、ゲゼル・シャフト・カンタルクその人であり、つまりこちらも親征であった。東から侵入したアルジャーク軍にはクロノワ・アルジャークがいるから、もしかしたらゲゼル・シャフトは彼のことを意識していたのかもしれない。
カンタルクの、というよりもゲゼル・シャフトの腹のうちは極めて分りやすい。つまりオルレアンがアルジャークと戦っている隙に、その地をいくらか切り取ってしまおうということである。
オルレアンとアルジャークが正面きって戦えばアルジャークが勝つに決まっている。その時、指をくわえて見ているだけではオルレアン一国を丸ごとアルジャークに取られてしまう。この機会に三国同盟を成立させるという選択肢もあるが、それではアルジャークと事を構えることになってしまう。それは時期尚早、というのがゲゼル・シャフトの考えだった。
ならばオルレアンとアルジャークが凌ぎを削りあっている間に悠々と事を運ぶのが一番よい。やっていることは強盗か火事場の泥棒と変わらないのだが、おこなう主体が国家になると立派な戦略になりえる。
およそ七万の兵を率いてルードレン砦に入ったゲゼル・シャフトは、目の前に広がるオルレアンの大地を見て嗜虐的な胸の高鳴りを覚えた。阻むものが何もないこの大地をさてどれほど切り取ってやろうか、と頭の中で皮算用は進む。乱世の王としてこの時代で輝き歴史に名を残すのだという自負が、今の彼のうちには確かにあった。
しかしこの時すでに、事態は彼の想像を超えたところで推移していた。
カンタルクが宣戦布告しルードレン砦を落としたことを知ると、オルレアンはすぐさまアルジャークに降伏したのである。
使者が携えていたオルレアン国王エラウドの親書をクロノワは一読する。そこにはアルジャーク帝国に降伏する旨と、カンタルク軍を駆逐するための援軍の申し入れが記されていた。
「了解しました。その旨したためた新書を用意しますので、エラウド陛下にお渡ししてください」
クロノワがそういった瞬間、「オルレアンとアルジャークが争い、その隙にカンタルクが暗躍する」という構図は消えてなくなった。代わりに浮かび上がってきたのは、「オルレアン-アルジャーク連合対カンタルク」という新たな極彩色の構図であった。
この辺りが、後の歴史家たちが詐術の臭いを感じる第一の原因であろう。決断と事態の進展が早すぎるのだ。
オルレアンにしてみればアルジャークとカンタルクの二カ国を同時に相手にするなど、まず不可能である。ならば、どちらかにさっさと降伏して共同でもう一方に対処した方が最終的な傷は浅い、と考えることに不思議は無い。
問題は「なぜアルジャークを選んだのか」である。
カンタルクとアルジャークを比較すれば、アルジャークの方が“安全な選択”であるといえるだろう。しかし、だからこそカンタルクの方が高く売り込める、ともいえる。それにカンタルクが提案していた三国同盟の枠組みを使えば、わざわざ降伏する必要もないかもしれない。
にもかかわらず、オルレアンは頭を下げる相手としてアルジャークを選んだ。しかも即決と言っていいほどの早さでそれを決めたのである。
さらに不思議な点がもう一つある。
確かにエラウドの親書には降伏する旨と援軍の要請について記されていた。しかし肝心の降伏の条件について、ほとんど何も記されていないのである。
これを無条件降伏と見るのは、あまりに善意に過ぎるだろう。それはクロノワも重々承知していたはずである。それにもかかわらず、クロノワもまた即決で了解の返事を返した。アールヴェルツェを始めとする周りにいた者たちが、それについて何も言わなかったこともまた不思議である。
以上の点を踏まえて、こんな説を唱える歴史家がいる。
曰く「オルレアンとアルジャークは、一連の流れについてあらかじめ密約を交わしていたのではないか」
オルレアンはカンタルクからかなり圧力を掛けられていた。その圧力から逃れカンタルクの影響力を排除するために、アルジャーク帝国と芝居を打ったのではないか。そんなふうに考える歴史家は少なからずいる。
この説を証明する証拠はまだ見つかっていない。しかしここまでの流れと、そしてこの遠征の結末を知ると、そう疑いたくなるのも分るだろう。
閑話休題。なにはともあれ、オルレアンの大地は激動している。今はその動きを注視するとしよう。
エラウドの親書を受け取り、即席ではあるがオルレアン軍との共同戦線を成立させた遠征軍は、旧テムサニス軍四万を国境付近に残して補給線を確保させると、純粋なアルジャーク軍十万のみでさらに西へ向かった。目指すはカンタルク軍が居座るルードレン砦、ではなくその少し東を流れる大河キュイブールであった。
キュイブール川は長大な大河である。オムージュにある三千メートル級の山を水源に持ち、川幅は最大で二百メートル近くある。水量も豊富で、多くの支流や合流する河川を持ち、その水で大地を潤いしていた。
実際の国境線はともかくとして、オルレアン人の心理的な西の国境といえばこのキュイブールであった。実際、カンタルクとの国境の一部とポルトールとのほとんどはこのキュイブールである。
キュイブール川の水量は豊富だ。深いところでは人の背丈をはるかに越えた水深を持っている。当然この川を歩いて渡るのは、通常不可能である。しかし、この時期はちょうど川の水量が少なくなる時期であった。
「ですが、徒歩で渡るのは不可能でしょう」
川の様子を見てきたイトラ・ヨクテエルが軍議でそう報告する。水量が少なくなっているとはいえ、キュイブールはもともとの水量が多いのだ。
「ですが、水量が半分になれば渡れるのでは?」
そう発言したのはカルヴァン・クグニスであった。イトラは少し考え込んでから、「それならば恐らくは」と答えた。
「しかし、カンタルク軍はわざわざそのような真似をするでしょうか?」
これはレイシェル・クルーディである。キュイブール川の対岸にはすでにアルジャーク軍が展開している。それを認めながらカンタルク軍はわざわざ川の水量を減らすための工事を行うだろうか。
「まさか。我々が減らしてやるのですよ。カンタルク軍のために」
カルヴァンは面白そうな笑みを浮かべてそういった。軍議の席についている者たちは皆不可解そうな顔をするが、彼が説明を始めると次第にその表情は真剣なものになっていった。
「いかがでしょうか、陛下」
最後にアールヴェルツェがクロノワにそう問いかける。アールヴェルツェが特に反論しなかったということは、カルヴァンの策は彼の中で及第点に達しているのだろう。そしてクロノワもまた、その策に欠陥を見つけることは無かった。
「その策でいくことにしましょう。細かい指示はアールヴェルツェが出してください」
「「「「御意」」」」
歴史上稀に見る完勝への策は、こうして採用された。
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アールヴェルツェはイトラとレイシェル、それに魔導士部隊に命じて、キュイブール川の上流で川幅が狭くなっている部分に堤を築くように命じた。今、土属性の魔道具を持つ者たちが中心となって土嚢を作っている。イトラとレイシェルの隷下にあるのは四万で、一人が一つずつ土嚢を作ることになっていた。
その作業の様子をリリーゼ・ラクラシアが手持ち無沙汰に眺めている。周りが忙しく働いているときに自分だけ何もしないというのは、どうにも彼女の性分にあわなかった。いや、落ち着かない理由は恐らくはそれだけではないのだろうが。
「少し落ち着きなさいな。わたしたちの仕事はこの後よ」
そわそわとした様子を見せるリリーゼに、彼女と同じ水属性の魔道具を愛用する女性の魔導士が声を掛けた。彼女はこれまでの旅路の間、なにかとリリーゼの世話を焼いてくれている。変人が多い魔導士部隊においては、稀有な人材といえるだろう。その女性魔導士の言葉にリリーゼは頷くが、やはり居心地の悪さは消えない。
なぜここにリリーゼ・ラクラシアがいるのか、少し説明しなければなるまい。
シラクサでの協議が終わった後、視察団はシラクサ側の代表者をつれて船でヴェンツブルグに向かった。宰相のラシアートやシラクサ側の代表者を交えて、話し合ってきた内容について最後の調整をするためである。この最後の調整が済み、そのあと皇帝たるクロノワの承認を得ればシラクサとの通商条約は発効することになる。
この時ラシアートは帝都オルスクにいたが、クロノワはテムサニス視察のために帝都にはいなかった。そこで最終調整が終わると、フィリオたちは再びヴェンツブルグから船に乗って今度はカルフィスクを目指した。クロノワとシラクサの代表による調印を行い、通商条約を発効させるためである。この時、リリーゼもまた同行していた。
折しもこの時、クロノワはオルレアン遠征に向けて動いていた。フィリオやラシアートが条約の最終調整を行っている間にもアールヴェルツェは兵を揃えて遠征の準備をしており、フィリオとリリーゼがヴェンツブルグから出航したころにはすでにテムサニスに向けて出立していた。
ただ船のほうが足が速かったのか、テムサニスのヴァンナークに着いたのはフィリオたちのほうが早かった。
すでに「共鳴の水鏡」を駆使して連絡を受けていたクロノワは、フィリオがヴァンナークにやって来ても驚きはしなかった。それどころかあらかじめ準備を進めており、到着後わずか一日で通商条約の調印式が開かれ、クロノワとシラクサ代表による調印が行われたのであった。
こうして「シラクサとの間に通商条約を成立させる」という大仕事を終えたフィリオを待っていたのは、テムサニス併合の事後処理とオルレアン遠征への準備という激務であった。帝都オルスクに帰ってしばらくゆっくり、などという彼の甘い計画は音を立てて瓦解していったのである。
当然、リリーゼもこの激務を手伝うことになった。後に彼女はこの時のことを、
「忙しかったけど、モントルム総督府で働いていたときのようで楽しかった」
と振り返っている。
そうこうしているうちに、アールヴェルツェがヴァンナークに到着し、本格的にオルレアン遠征が動き出す。今回は必ず親征すると決めていたクロノワは、残りの膨大な書類仕事をフィリオに押し付けて馬上の人となった。
この時、リリーゼが「水面の魔剣」という優れた魔道具を持っており、またその訓練を欠かしていないことを思い出したクロノワは、彼女を遠征軍の魔導士部隊に誘ったのである。あるいはこの時すでに、彼は今回の遠征で水を使った作戦があると予見していたのかもしれない。
ちなみにフィリオは、
「優秀な部下と職場の潤いを同時に持っていかれた」
と大仰に嘆いていた。
そのようなわけでリリーゼ・ラクラシアは今、アルジャーク軍魔導士部隊の一人としてキュイブール川のほとりにいる。彼女が落ち着かないのは、これが初めての戦場であるという事情も無関係ではあるまい。
戦場とはいえ、実際に敵兵と相対し殺し合いを演じることは無い、とクロノワや魔導士部隊の部隊長からは言われている。当てにされているのは「水面の魔剣」という強力な水属性の魔道具であり、その扱いに慣れた魔導士だ。作戦の概要を説明されたリリーゼも、そのことは理解している。
が、頭で理解していても体はそう簡単にいうことを聞いてはくれない。
(ああ、もう………、落ち着かない………!)
どうにも落ち着かない。しかしやることもない。立ち上がってはウロウロと歩き回り、そしてまた座る。座っても体を揺らしてソワソワしている。
そんなリリーゼの様子を、世話好きな女性魔導士は呆れつつも温かく見守っていた。
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大将軍ウォーゲン・グリフォードを伴い、およそ七万の軍勢を率いてルードレン砦に入ったゲゼル・シャフト・カンタルクは、そこでマルヴェス・フォン・ソルロバ率いる先遣部隊五万と合流し、カンタルク軍の総勢はおよそ十二万となった。
その軍勢を率いて、ゲゼル・シャフトは意気揚々と東進を開始した。オルレアン軍の主力は東から侵入したアルジャーク軍に対処するべく動いているはずで、抵抗を受けたとしてもカンタルク軍の進軍を阻むほどの部隊はこの近くには無いはずであった。しかしキュイブール川に近づいたとき、その対岸にたなびく旗はオルレアンのものではなかったのである。
深紅の下地に漆黒の一角獣。それはアルジャークの旗であった。その軍勢はおよそ六~七万といったところか。
「なぜ………、ここにアルジャーク軍が………」
ゲゼル・シャフトの呟きには、二つの意味がある。
一つは距離的な意味である。アルジャーク軍は東の国境から、そしてカンタルク軍は西の国境からオルレアンに侵入した。東西の端から入ったもの同士がこんなにも早く出会うものだろうか。
しかしゲゼル・シャフトはオルレアンの地理的な特徴を失念していたというべきだろう。すなわち、南北に細長いその国の形である。南北に細長いということは、逆に言えば東西に短い。他の国ならばいざ知らず、オルレアンに限れば東西の踏破にそう時間はかからない。
二つ目は戦略的な意味合いである。そしてこちらが主たる心情であったろう。
アルジャークはオルレアンに宣戦布告したのではなかったのか。なぜこんなところでカンタルク軍に対して戦闘陣形を取っているのか。戦うべき相手が違うのではないか。
「ウォーゲンよ、どう思う?」
そういってゲゼル・シャフトは大将軍に意見を求めた。ウォーゲンは太い指で顎を撫でながら少し考えてから、こう答えた。
「なぜアルジャーク軍がここにいるのか、それについては分りかねます。ですが、陛下がアルジャークとことを構えるつもりが無いのでしたら、その旨を伝えるべきかと」
ちょうどクロノワ陛下も親征されていると聞きます、とウォーゲンは付け加えた。
それを聞くと、ゲゼル・シャフトの顔色が変わった。彼はもともと虚栄心や名誉欲が強い。そんな彼にとって、クロノワ・アルジャークが直接率いる軍を撃破する、という軍事的偉業とそれに伴う栄誉は喉から手が出るほどほしいものだった。
見ればアルジャーク軍の数は六~七万。十二万を誇るカンタルク軍は、圧倒的な数的優位にあるといえる。それにここで勝ってアルジャーク軍を撤退させれば、オルレアンは丸ごとカンタルクのものとなる。それは現状で最も大きな軍事的成功であり、また富国強兵をなすための手っ取り早い手段ではないだろうか。
とはいえ、ゲゼル・シャフトはすぐさまアルジャーク軍に攻撃を仕掛けるような真似はしなかった。ともかく使者を立てた。幸いなことにキュイブール川の水量は多くない。使者は馬に乗って川を渡った。
カンタルク軍は知らなかったが、川の水が少なくなっているのはアルジャーク軍の仕業であった。イトラとレイシェルの部隊が作った土嚢四万個を使い、上流で川の水をせき止めているのである。無論完全には程遠い。あちらこちらから水が漏れているし、放っておけば一日程度で溶けて決壊するだろう。しかし一日程度とはいえ、キュイブール川の水量を半減させることに成功していた。もしかしたら、上流の支流ではいきなり水量が増えて驚いているかもしれない。
ゲゼル・シャフトは使者にこう問わせた。
曰く「我が国が宣戦布告をしたのはオルレアンである。なにゆえアルジャーク帝国が我が方に軍を向けるのか」
それに対する答えはこうであった。
曰く「すでにオルレアンはアルジャークに降伏し、貴軍に対する共同戦線の申し出がなされている。我が国はこれを受理しており、すなわちオルレアンに対する宣戦布告は我が国に対するそれと同義である。このままルードレン砦を返還して国に戻るのであればよし。しかしなお軍を進めるというのであれば、我が軍がお相手いたす」
その返答を聞いて、ゲゼル・シャフトは唸った。オルレアンがアルジャークに降伏することは織り込み済みだ。しかし、こうも早い時期に降伏するとは思っていなかった。というよりも、オルレアンはカンタルクが宣戦布告した後すぐに、それこそ一戦する前にアルジャークに降伏したとしか思えない。
「オルレアンの腰抜けどもが………」
自分の予定が狂ってしまったことに、ゲゼル・シャフトは苛立つ。
「陛下、進言いたします」
馬上で爪を噛むゲゼル・シャフトの前に進み出たのは、先遣部隊を率い、今は先鋒を務めるマルヴェス・フォン・ソルロバであった。
曰く。
オルレアンが戦う前に降伏したのであれば、アルジャーク軍は無傷のはずである。にもかかわらず目の前にいるのは六,七万で、これは少なすぎる。思うにアルジャーク軍は足の速い兵のみでここまで来たのであって、時間を置けば敵兵力はさらに増大する。ならば数で勝っている今のうちにこれを退け、戦略的優位を築いておくべきである。
「ふむ………」
マルヴェスの言うことは正しいようにゲゼル・シャフトには聞こえた。特に時間を置けば敵兵力はさらに増大する、というのは確実であろう。アルジャーク軍がどれだけの余力を残しているかそれは定かではないが、少なくともオルレアン軍は丸ごと残っているはずなのだ。
この二軍が連合して立ちはだかれば、カンタルク軍は劣勢に追い込まれるだろう。勝つためにはそれぞれを確固撃破するのが望ましく、アルジャーク軍しかいない今はまさにその好機ではないだろうか。
ゲゼル・シャフトは改めてアルジャーク軍の陣形を見た。
アルジャーク軍は、軍を大きく二つに分けている。同じ規模の部隊を、縦に二つ並べた形だ。一つの部隊につき、およそ三万といったところか。手前、つまりキュイブール川に近いほうの部隊は両翼がある。いや、“両翼”と呼ぶにはあまりにも小規模だろう。目算であるが片方二,三千といったところで、“翼”というよりはどこからか部隊を借りてきたように見える。
(変則的、いや、急きょ編成した、といったところか………)
ゲゼル・シャフトはそれをアルジャーク軍の焦りと判断し、その判断が彼の心を決めた。
「マルヴェスに命じる。五万の兵を率いてキュイブール川を渡り、敵先鋒部隊を撃破せよ」
ゲゼル・シャフトの攻撃命令に、マルヴェスは喜色を浮かべて頭を下げた。
「大将軍、なにか言うことがあるか」
「………水のある戦場じゃ。決して油断せぬよう」
――――水のある戦場には気をつけろ。
これは古来より言われてきたことで、軍を率いる用兵家たちには常識とされることだ。マルヴェスは表向き神妙に聞いていたが、内心では「何を今更」とせせら笑っていた。貴族でもないウォーゲンが大将軍の地位にいることが、彼は気に食わないのである。
マルヴェスが自分の部隊に戻ると、戦況を見るためにゲゼル・シャフトも馬を進めて前に出た。もしアルジャーク軍が先鋒のみならず後ろの部隊も動かすのであれば、カンタルク軍も本隊を動かすつもりである。
一人残ったウォーゲンのそばに、副官のアズリアが馬を寄せる。その手には相変わらず銀色の魔弓があった。
「………大丈夫でしょうか?」
アズリアはアルジャーク軍の布陣に不気味なものを感じている。それを上手く言葉には出来ないが、一つだけ明確な疑問がある。アルジャーク軍の動き方が、これまでと明らかに違うのだ。
用兵の基本は「遊軍をつくらないこと」、そして「数で相手を上回ること」である。これは作戦を立案する者の一般常識と言ってもいい。
しかし今回、アルジャーク軍は遊軍を作り数的劣勢に陥りながらも、戦場をここに定めた。少なくともオルレアン軍と合流すれば数的劣勢を挽回できるのに、である。
アルジャーク軍は何か企んでいるのではないか。アズリアが抱いているその疑問を、上官であるウォーゲンが抱いていないはずがない。
「分らぬ。我々も油断せぬことだ」
ウォーゲンの言葉にアズリアは頷き、白銀の魔弓「夜空を切り裂く箒星」を強く握り締めた。
自分の部隊に戻り馬にまたがったマルヴェスは興奮していた。彼は先遣部隊として宣戦布告の後すぐにオルレアン領内に侵入しルードレン砦を制圧したが、それはいわば空き家に上がりこんだようなもので、戦功を上げたとは言い難い。
(しかしアルジャーク軍を撃破してみればどうだ?)
精強と名高いアルジャーク軍である。それを撃破したとなれば、彼の勇名は全土に轟くのではないだろうか。その様子を想像して、マルヴェスは武者震いした。
(そうなればあの老いぼれを蹴落として大将軍になることも夢ではあるまい)
キュイブール川の対岸に整然と陣を構えるアルジャーク軍。それはマルヴェスの目にはもはや戦功のための生贄にしか映らなかった。