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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第八話 王者の器
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第八話 王者の器⑨


 次の日、視察団のメンバーは起きた順に朝食を食べ、おもいおもいにシラクサの街へと繰り出していった。久しぶりに地面の上の揺れないベッドで眠ったせいか、いつもよりも寝坊してしまったリリーゼも、朝食を食べ終え身支度を整えてから街へと足を向けた。今日は楽しい観光、もとい情報収集である。


 リリーゼが歩いている通りは、それなりに活気に溢れていた。しかしその一方で、そこにいる人々の特徴は皆一緒である。すなわち、黒い髪の毛の黒い瞳、そしてシラクサ独特の衣装。つまり今彼女の目に映っているのは、すべてシラクサの住民である。


(少し、異様だな………)


 独立都市ヴェンツブルグという交易の街で育ったリリーゼはそう感じた。シラクサの街はこの地域で唯一の貿易港のはずである。それなのになぜこうも外の人間がすくないのだろうか。ここは目抜き通りではないが、それなりの数の店がある。大きな商談を行うような店ではないのかもしれないが、貿易港にもかかわらず商店に異国人が見当たらないというのは異様な光景に思われた。少なくともヴェンツブルグではありえない。


(大陸との交易が廃れてきているというのは本当のようだな………)


 確かにそれなりの活気はある。しかしそれは貿易港としての、あの一種混沌とした人種の坩堝のような活気ではない。


(港の、船着場のほうに行けばもっと活気があるかもしれないが………)


 船着場は、いわばシラクサの玄関口だ。この通りよりも活気を期待できるだろう。後で足を伸ばしてみようと思いつつ通りを歩くリリーゼの目に、一見の小さな店が映った。


「ガラス工房『紫雲』直売店」


 看板にはそう書かれている。窓辺の陳列棚には、色とりどりのガラス製品が置かれている。アクセサリーなどの細工品に加えて、カップやランプのかさなど実用的なものも置かれている。


 興味を引かれて店内に入る。中に入ると、不思議な音色の音楽が流れていた。まるで悠々と流れる大河を連想させる、そんな演奏だ。


 店の奥に目をやると、一人の女性がカウンターの奥で楽器を弾いている。弓を左右に動かしているから、恐らく弦楽器の類だろう。


「あら、いらっしゃい」


 来客に気づいた女性が演奏の手を止めて微笑む。立ち上がろうとする彼女を、リリーゼは制した。かわりに一つ質問をしてみる。


「その楽器は………?」

「ああ、これ?『胡弓』っていうシラクサの楽器よ。聞くのは初めてかしら?」

「うむ。不思議な、だけど落ち着く音色だ」

「そう?気に入ってくれたのなら、嬉しいわ」


 胡弓を弾いていた女性は翡翠(ヒスイ)と名乗った。リリーゼも自分の名前を名乗る。

 ヒスイは典型的なシラクサの女性だ。瞳の色は黒で、長く伸ばした黒い髪の毛を背中に流している。肌は白く、磨かれた漆のように輝く髪の毛とのコントラストが印象的だ。顔にかかる髪の毛を払う仕草が、くやしいほど様になっている。


「商品を見せてもらってもいいだろうか?」

「ええ、ごゆっくりどうぞ」


 リリーゼが店内を見始めると、ヒスイは胡弓を演奏し始め、店内は再び胡弓の音色に包まれた。ゆっくりと流れる川のようなその演奏は、異国情緒にあふれながらもどこか懐かしさを感じる。


 リリーゼは店内の商品を眺めながら、内心で胸をなで下ろしていた。今店内にいる客は彼女一人だ。もしかしたらヒスイはぴったりと張り付いて熱心なセールストークを聞かせてくれるのではないかと思ったのだが、胡弓を弾く彼女からはそんな意思は感じられない。落ち着いて買い物ができそうだった。


 商品を眺めるリリーゼの目が、ある棚のところでとまった。そこに置いてあったのはカップの一種である。ただ随分と小さくて可愛らしい。


「ヒスイ殿、これはいったい………?」


 リリーゼの声がいぶかしげに途切れる。声をかけられたヒスイが胡弓の演奏をとめて笑っていたからだ。何か変なことを言っただろうか?


「ご、ごめんなさい。『ヒスイ殿』なんて言われたの、初めてだから可笑しくって………」


 笑いを堪えながら(上手くいってはいなかったが)ヒスイは自分のことは呼び捨てでいいと告げ、再び胡弓を弾き始めた。


「ああ………、それではヒスイ、これは一体何に使うのだ?」

「それは『お猪口』ね」


 シラクサ酒、というお米の地酒を飲むときに使うのだという。どうやらお酒を飲まないリリーゼには縁のない品物のようだ。


「むう……。綺麗だし可愛いと思ったのだが………」

「お土産にするなら、アクセサリーのほうがいいと思うわよ」


 残念そうにお猪口を棚に戻すリリーゼに、ヒスイが胡弓を弾きながらアドバイスした。が、アクセサリーといわれたリリーゼはなんともいえない顔をした。


「どうしたの?」

「いや、どういうアクセサリーが自分に似合うのか、良く分らなくてな………」


 お洒落に興味がなかったわけではない。ただそういう方面の話は、母であるアリアのほうが熱心で、リリーゼは母親に任せてしまうことが多かった。


「もしよければ、一緒に選んでもらえないだろうか?」


 いいわよ、と気さくに答えたヒスイは、胡弓を座っていた椅子の背もたれに立てかけて立ち上がった。顔に浮かべた微笑は、やんちゃな妹を見守る姉の微笑みに似ている。


「どんな種類のが欲しいとか、希望はある?例えば腕輪とかブローチとか………」

「………すぐには思いつかないな………」


 そう広くはない店内のちょうど真ん中辺りに、アクセサリーを置いた棚がある。そこには様々な種類の色鮮やかなアクセサリーが飾られていて、どれも綺麗だとはリリーゼも思う。しかし、その中から何が欲しいかといわれると、すぐに答えることはできなかった。


「う~ん、そう言われてしまうと、選ぶのも大変ね………」


 そう言いつつも商品を選ぶヒスイの目は真剣だ。ともすると、いや確実に当事者であるはずのリリーゼよりも真剣だ。


「あ!それじゃ、これなんてどうかしら?」


 ヒスイが選んだのは髪飾りだった。髪の毛に止める部分は金属製だが、そこに青い花のガラス細工があしらわれている。


「これなら、リリーゼの綺麗な髪の毛に良く似合うと思うわ」


 そう言ってヒスイはその髪飾りをリリーゼの髪に挿し、鏡を見せた。彼女の見立てどおり、青い花のガラス細工はリリーゼの金髪に良く映える。


「うん、思った通り!良く似合うわ」


 満足したようにヒスイは頷く。リリーゼとしても似合うと言われ、まんざらでもない様子だ。値段も手ごろだったので、この髪飾りを買うことにした。


「それにしても………」


 商品を包むヒスイに、リリーゼは店に入ってから疑問に思っていたことを聞いてみた。


「随分と客が少ないようだが、いつもこうなのか?」


 実際、今店内に客はリリーゼ一人しかいない。彼女が店内を見ている間に新たな客が来ることはなかったし、彼女が来る前に客がいた様子もない。


「ええ、大体いつもこんな感じよ」


 特に気にした風でもなく、ヒスイは答える。その言葉と表情からは、悲壮な様子は感じられない。


「………大丈夫なのか?」


 客が来なければ物は売れず、物が売れなければ収入には結びつかない。生活していけるのだろうか。


「大丈夫よ。うちは直売店だから」


 なんでもヒスイの家はガラス工房を営んでいるらしく、この店はその直売店だという。そういえば店の看板にも「ガラス工房『紫雲』直売店」とあった。


「工房で作った製品はそれぞれのお店に卸していて、収入はそっちがメインよ。このお店も、奥と二階は倉庫になっているの」


 はいどうぞ、といってヒスイは包装の終わった髪飾りをリリーゼに渡す。リリーゼも財布から代金を取り出してヒスイに渡した。つり銭を計算しながら、ヒスイは「でもまあ」と思い出したように呟いた。


「工房の仕事は、減っているかもしれないわね………」


 ガラス工房「紫雲」で働いている職人の数は、建物の大きさに比べれば少ないという。それはつまり昔はもっと大勢の職人がいて、仕事もその分多かったということだ。


「もっとも、それはわたしが生まれる前の話だけどね」


 少し暗くなった空気を吹き飛ばすように、ヒスイは片目をつぶって笑った。そんな彼女の様子を見ていると、リリーゼの表情も自然に綻んだ。


「リリーゼ、シラクサはいいところよ。ぜひ、楽しんでね」


 南の島の、空は高い。


**********


 ガマラヤからアルジャークの視察団に会談の申し入れがあったのは、フィリオたちがシラクサについてから三日後の夜のことであった。次の日の午前から、本格的な交渉に入りたいという話が伝えられ視察団もそれを了承した。


「どうなると、思いますか?」


 久しぶりに視察団のメンバー全員がそろった夕食の席で、リリーゼはそう問いかけた。あまりにも漠然とした問いであったが、その分答えるほうも大まかに答えることができた。


「多分、真っ向から反対することはないと思うよ」


 そう答えたのは、視察団でも最年長のメンバーだ。ちなみにフィリオの年齢は視察団の平均よりも下である。


「海上交易の拠点になるという話は、シラクサにとっては願ってもない話だ。そこから拒否するということは絶対にありえない」


 その意見にはリリーゼも、というより視察団全員が賛成だ。


 髪飾りを買った後、リリーゼは港まで足を伸ばした。シラクサの港は、設備の面だけを見ればヴェンツブルグなどと比べても遜色がない。しかしそこに停泊している船は少なく、設備が立派な分閑散とした雰囲気が強かった。


 落ち目である、といえば分りやすいかもしれない。


 しかしアルジャーク帝国が主導する海上交易の拠点となれれば、状況は一変する。シラクサを訪れる船の数は段違いに増加し、ともすれば今の設備でも手狭に感じるくらいになるだろう。そして莫大な富が生まれるだろう。


「基本的には賛成。これはもう間違いない。ではどこが交渉の一番の論点になるか、といえば………」

「シラクサの主権のあり方、でしょうね」


 アルジャークとシラクサの力関係は歴然だ。しかしだからといってその力に物言わせて利益を横から掠め取られては、シラクサとしては面白くないだろう。その一方で拠点となっているシラクサにばかり富が集まっていては、今度はアルジャークの方が面白くない。どこまでアルジャークの関与、つまり影響力を認めるか、それが一番の論点になるだろう、というのがフィリオの予測だった。


「なんにせよ相手の出方次第ですよ」


 そう言ってフィリオは紅茶を啜った。その言葉に視察団のメンバーは頷き、あらゆるケースを想定して明日の交渉に向けて準備をするのであった。


**********


 次の日、交渉のためにロン家の屋敷を訪れた視察団一行が通されたのは、最初と同じ応接室であった。ただ、あの時と違い室内にはすでに複数人の人影があった。フィリオの姿を認めたガマラヤは立ち上がり、簡単な挨拶をしてから彼らを紹介していく。商工会の長老を始めとする、シラクサの有力者たちであった。


 一通りの紹介が終わると、お互い向かい合うようにして全員が席に着く。まず最初に口火を切ったのは、ガマラヤであった。


「まずこの度のアルジャーク帝国からの申し入れですが、シラクサ側としても歓迎すべきものと考えております」


 基本的には賛成するというガマラヤの発言。昨日の夜の予測と同じだ。


「それはこちらとしても何よりです。では、お渡しした書類の内容は大筋合意、ということでよろしいでしょうか?」

「いえ、それは少し待っていただきたい」


 ガマラヤは苦笑気味にそう言ってフィリオをとどめた。それはそうだろう。彼に手渡した書類に書いてある内容は、アルジャーク帝国の利益を最大限に追求した内容になっている。シラクサ側がそのまま飲むなどありえない。


「ふむ、ではどうしましょうか」

「まず、シラクサの主権についてだが、これは完全な形で保障していただきたい」


 シラクサの主権。やはりそれが最大の焦点になるようだ。フィリオが浮かべる微笑に表面上変化はない。しかし視線と雰囲気が鋭くなった。


「書類の中にも『シラクサには自治を認める』と明記しておいたはずですが」

「いかにも。そして『アルジャーク帝国の宗主権を認めるならば』という但し書きもありましたな」


 アルジャーク帝国の宗主権を認める。それはすなわち、合法的な「天の声」を認めるということだ。


「ヴェンツブルグも帝国の宗主権の下にあります。シラクサだけ例外的な扱いにしているわけではありません」

「失礼ながら、ヴェンツブルグとシラクサでは条件が異なりますでな」


 口を挟んだのは、商工会の長老ハルバナだった。彼の言う通りヴェンツブルグとシラクサでは、特に地理的な条件が異なる。ヴェンツブルグが陸続きなのになのに対して、シラクサは海を隔てた彼方にある。


「シラクサにはシラクサの文化があり歴史があり価値観がある。現地のことは現地の住民に任せてもらうのが一番じゃと思いますがのう」


 陸続きであるということは、文化や歴史や価値観といったものを共有しているということだ。簡単に言えば、ヴェンツブルグの場合、帝国の一部であるという認識が双方にある。


 しかし、シラクサにはその共有項がない。シラクサはあくまでも海の向こうの“異国”でしかなく、その結果宗主権を盾に体のいい植民地扱いをされるのではないか、とガマラヤたちは危惧しているのだ。


 そうなれば待っているのは搾取だ。どれだけ海上交易が盛んになろうとも、その恩恵がシラクサにもたらされることはない。それどころか、今もっているささやかな富さえも搾り取られてしまうだろう。


 そのような未来を、黙って受け入れるわけには行かない。主権の確保は、そのためにどうしても必要なのだ。


「クロノワ陛下はそのようなことはされません」

「クロノワ陛下はそうでしょう。しかし後の方々はどうでしょうか?」


 未来のことを持ち出され、フィリオは苦笑した。未来はいつだって不確かで見通すことなど出来はしない。まして次の皇帝はまだ生まれてすらいないのだ。


 無論、主権を確保したからといって、アルジャーク帝国とシラクサが対等な関係になれるはずがない。地力、つまり国力の部分で差がありすぎるからだ。しかし建前の上だけでも平等な条約を結び、理不尽な“要請”を拒否する根拠を持ちたい。それがシラクサ側の切実な言い分だろう。


 そのことはフィリオも理解している。しかし宗主権はアルジャーク帝国にとっても簡単には譲れない一線だ。


 アルジャーク帝国がシラクサの内政に関与する正当な理由をもたなければ、シラクサには「帝国以外の国と組む」という選択肢が存在することになる。もしそんなことになれば、アルジャーク帝国は成果だけを横取りされた大間抜けになってしまう。そうでなくとも、よその国がシラクサにちょっかいかけてくることは大いにありえる。他の国の影響力を可能な限り排除するためにも、宗主権の確保は外せない条件であった。


 そもそも、この「宗主権」からして譲歩した結果なのだ。


 アルジャーク帝国にとって最も後腐れのない選択は、シラクサを完全に併合してしまうことである。しかしラシアートと相談し諸々の事情を考慮した結果、「宗主権を認めさせる」というのが最も現実的な線だと判断したのだ。


「ただ、一方で助力をお願いしたい分野もあります」


 海賊対策です、とガマラヤはいう。


「アルジャーク帝国には、一個艦隊をシラクサに駐屯させて海賊対策を行うことをお願いしたい」


 それはフィリオにとっても、いや視察団のメンバー誰もが予想していなかった提案だった。


 アルジャークが宗主権に拘るのは、ひとえにシラクサにおける権益を確保し、他国に手を出させないためだ。逆を言えば、それさえ達成できれば宗主権に拘る理由はない。


 ガマラヤは「海賊対策」と言葉を選んだが、今重要なのは「シラクサにアルジャークの一個艦隊を駐屯させる」という点だ。シラクサにアルジャークの戦力が駐在していれば、他国に対してよい牽制となるだろう。つまり権益を確保し、他国の政治的な影響力を排除できる。


 シラクサにしても身を守るための戦力を確保できるし、何よりも軍事的な分野で依存する代わりに政治的な分野では自立を保てる。


「艦隊の費用の一部は、シラクサにも負担をお願いすることになりますが………」

「承知しています」


 結構です、とフィリオは頷いた。細かい数字については、これからさらに詰めることになるだろう。


「では、艦隊の拠点となる母港ですが………」


 話し合いは夜遅くまで続き、その日だけでは終わらなかった。タフな、しかしやりがいのある交渉になりそうだ。


次はイストパート。


ついにアルテンシア半島を目指します。お楽しみに。

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