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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第八話 王者の器
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第八話 王者の器③

今回からクロノワパートです。

 リガ砦で新年を迎えたクロノワは、帝都ケーヒンスブルグには戻らずにそのまま西に進み、オムージュ領の総督府が置かれているベルーカを目指した。


 かつてレヴィナスが治めていたオムージュ領の行政機能を掌握するため、そしてアレクセイに約束した通り捕虜にしたレヴィナス軍の兵士たちを故郷に帰すためであった。


 捕虜たちを順次解放しながらオムージュ領を進むクロノワは、それと同時に土地の荒れ具合も観察していたのだが、それは想像以上であった。季節は冬であるから大地に緑が少ないのは仕方がない。しかし耕作を放棄したと思しき農地がかなりの面積ある。暮らしている人々も痩せており、顔には生気がない。


「オムージュを、お願いしますっ!!」


 リガ砦でレヴィナスを討ち取った農民たちに懇願された言葉がよみがえる。その言葉は誇張でもなんでもなく、彼らは、オムージュはギリギリのところまで追い詰められていたのだ。これらから成さねばならない仕事の重さを思い、クロノワは身を引き締めた。


 それにしても、とクロノワは思う。

 それにしても悪政の代償はなんと大きいのだろう。レヴィナスがオムージュ領の総督として治めた時間は一年程度である。レヴィナスが打った手が悪すぎたという理由もある。彼に起因する以外の理由もあったろう。しかしその一年でオムージュはここまで追い詰められてしまったのだ。


 為政者が打つ手を間違えてしまったときの影響と代償の大きさに、クロノワは一種の恐怖さえ感じた。ただそれはその責任を背負っていく覚悟の裏返しでもある。


 ベルーカの総督府に入ったクロノワは、すぐさま改革に取り掛かった。税制を帝国のそれにあわせ、レヴィナスが行っていた「増税分を過去にさかのぼって適用する」という禁じ手を停止する。さらに土地を捨てて難民とならざるを得なかったオムージュの民が戻ってこられるように、「半年以内に土地に戻れば、未納分の税金は免除する」という布告を出した。これによって国外に逃れていた人々が帰ってくることができ、穀物の生産量も元に戻るはずである。


 さらにクロノワは、オムージュがアルジャークに併合された際、レヴィナスが土地を安堵した貴族たちを処断した。住民たちに対する略奪じみた租税の取立てが、その理由であった。盗賊を探すという名目で、実際に私兵を率いて自分の領地内の村を襲い略奪を行った貴族がいたというのだから救いようがない。


 聖銀(ミスリル)の製法が流出したことで豪遊費を失った聖職者たちが、オムージュの貴族たちのところに数多く転がり込んでいることをクロノワは知っていた。そしてその聖職者たちがそこで何をしていたのかも。彼らはそれまでの生活を改めようとはせず、転がり込んだ貴族たちのもとで美食を貪り美酒をあおり美女をはべらせて楽しんでいたのである。


 そのための費用は転がり込んださきの貴族が負担していたわけであるが、ではその貴族の収入源はといえば領地に住んでいる住民たちの血税である。しかも貴族たちは、聖職者たちの豪遊費分だけを追加で徴収していたわけではない。「司祭さまがご入用である」という、教会の信者であれば逆らい難い大義名分を掲げて必要分以上の取立てを行い、私腹を肥やしていたのである。


 増税とその過去への適用を行いオムージュの民の生活を圧迫したのはレヴィナスであるが、そこにさらに取立てを行い止めをさしたのはこのような貴族たちであった。


 そのような連中にクロノワは容赦しなかった。断罪すべきものを断罪し、家を取り潰し財産と領地を没収した。遺された者には一応路頭に迷わぬように、慎ましく暮らせば一世代くらいは働かなくても生きていけるくらいの金銭は残してやったが、浪費に慣れた彼らがそれを使い切った以降のことは知らぬ。


(恨まれるでしょうね………)


 執行書類にサインをしながら、クロノワは苦く笑った。が、恨まれてもやらねばならない。今この時期に行動しなければ、オムージュの民の信任は得られない。レヴィナスによって痛めつけられた彼らを可能な限り速やかに回復しなければ、これから始まるクロノワの治世に影を落とすことになるだろう。


 ただアルジャーク皇帝クロノワとしては、別の思惑もある。元来、アルジャーク帝国に貴族という階級は存在しない。そのような体制の中で統治を行う皇帝にとって、皇帝と臣民の間に割り込んで権利ばかりを主張する旧オムージュ貴族の生き残りは邪魔なのである。だからこの件にかこつけて、一気に排除してしまいたいという思惑があった。


 さて、そうやってアルジャーク併合後にも残っていた旧オムージュ貴族のほとんど全てが取り潰されたわけであるが、そこに転がり込んでいた聖職者たちにはクロノワは手を出さなかった。ただ庇護してくれていた貴族がいなくなったわけであるから、彼らにしてみれば突然外に放り出されたような感覚であったろう。


 そのような聖職者たちの多くは、貴族の代わりとして今度はクロノワに援助を求めた。しかしクロノワは手を出さなかった。そう、いい意味でも悪い意味でも。有り体に言ってしまえば、その申し出を突っぱねたわけである。当然、聖職者たちのクロノワの心象は悪くなった。


 これは憶測の話しになるが、仮に十字軍によるアルテンシア半島への遠征が成功し教会の影響力が低下しなければ、教会とアルジャークの関係はこの件がきっかけで冷え込んだかもしれない。下手を打てば敵視さえされていただろう。


 しかし第一次十字軍遠征は失敗した。それにより教会の力はそがれ、この程度の些事に力を割けなくなったのである。しかもその力と発言力を大きく低下させた教会は、シーヴァに対抗するためアルジャークに助力を求めねばならなくなる。


 将来的として戦場で出会うクロノワを、この時期に間接的にとはいえシーヴァが助けていたことは歴史の数奇さを感じさせる。


 レヴィナスが推し進めていた建築計画については、大幅にその規模を小さくした。計画段階でまだ着工していないものについては全て凍結したのだが、ほとんどの建物はコルグスがオムージュ王であったときから計画が進められており、すでに八割以上完成しているものが多い。


 見栄えが悪くなるくらいなら途中で放り出してもいいのだが、その事業に関わりそこから収入を得ている人々も確かにおり、計画を全面凍結してしまえばそれらの人々の生活に影響を及ぼすだろう。計画とそこに関わる人の数が多すぎたのだ。そこでクロノワは、縮小はするが計画自体は存続させ、それらの人々の雇用と生活を守ったのだ。


 ただレヴィナスから任されて計画全体の監督を行っていたコルグスは流石に罷免した。クロノワとしては彼自身に思うところはない。しかし、アーデルハイトの父でありレヴィナスの義父にあたる彼に、このまま計画を委ねておくわけにはいかないのである。ちなみにもともとはコルグスが打ち立てたこの一連の建築計画は、この先八年後に一通りの完成をみる。自分の手を離れたとはいえ計画の完遂を見ることができた彼は、あるいは幸せだったのかもしれない。


 それにしても、とクロノワは思う。


(兄上は、皇室に生まれるべきではなかったのかもしれませんね………)


 恐らくコルグスもそうなのだろうが、レヴィナスは美の追求者であり、その本質は芸術家、しかも天才肌のそれであろう。こういった人種は目標に対して一途であり、悪く言えばそれしか目に入らない。目標達成のためには骨身を惜しまず努力を払う。


 レヴィナスの場合、オムージュ領総督となったことで努力できる幅が広がりすぎたのだ。それが彼にとってもオムージュの民にとっても不幸な結果となった。


 もしレヴィナスが皇太子でもなんでもなければ、彼は限られた環境ながらも心いくまで自分の望む美しさを探求し、そしてそれに見合う評価と満足を得られただろう。クロノワはそう思わずにはいられなかった。


 さて、オムージュでいわばレヴィナスの後始末を終えたクロノワは、次にモントルム領オルスクに向かい、そこで遷都を宣言した。


「ケーヒンスブルグの宮殿は焼け落ち、もはや政には耐えない。また最近拡大した版図の中では、ケーヒンスブルグは北より過ぎる。そこで、国土の中で比較的中心に位置し、治安状態のよいオルスクを新たに帝都とすることが妥当であると考える」


 大まかに要点を抜き出せばこれが遷都の理由である。さらに良港を有する独立都市ヴェンツブルグが近くにあったのも、オルスクを帝都に選んだ理由であろう。これからクロノワが「世界を小さくする」ために、海は決して外すことのできない重要なファクターなのだから。


 遷都を宣言したクロノワは、次に略式ではあったが戴冠式を行い正式にアルジャーク帝国の皇帝に即位した。略式などではなく各国の要人なども招いて盛大に式典を催すべきだという意見もあったが、やるべき仕事が山済みの中、時間と金のかかる“盛大な式典”とやらを開く気にクロノワはなれなかったのだ。


 戴冠式において、クロノワは自分の手で冠を頭に載せた。


「戴冠式の際には、ローデリッヒ殿に冠を載せていただきたい」


 そうお願いしていた軍務大臣ローデリッヒの死に様は、すでにクロノワも聞き及んでいる。新しい皇帝の頭に冠を載せるという栄誉を、クロノワが他の誰にも与えなかったことでローデリッヒの名前は長く歴史に残ることになった。いわば最後の餞をやった形になるのだが、そんな小難しい解釈を抜きにしても、クロノワにしてみればもっと感情的な部分でローデリッヒ以外にその役をやらせる気にはなれなかったのだ。


 皇帝の座についた後は、次に国政を行うための布陣を決めればならない。宰相で国務大臣を兼務していたエルストハージ・メイスンと軍務大臣であったローデリッヒ・イラニールはクロノワが皇帝になるまでの政変によって命を落としており、現在はそのポストが空いている。早急に、少なくとも三大臣の顔ぶれを決定しなければ、国を回すことはできない。


 ローデリッヒにはアーバルクという名の息子がいた。クロノワはローデリッヒの働きに報いるために、その息子に父と同じ軍務大臣の地位を提示したのだが、アーバルクはこれを固辞した。


「軍務大臣の職責は実績のない者には重過ぎるもので、まして恩賞として誰かに与えるものではありません。大変光栄ではありますが、今私がその地位に就けば陛下の治世に悪しき前例を与えることになりましょう。それに、父も今の私では力不足だと言うことでしょう」


 どうかふさわしい方をお就けくださいとアーバルクはいい、そしてクロノワもそれを受け入れた。


「しかしそうなると………、困りましたね………」


 クロノワは一人愚痴る。

 モントルム総督時代にその補佐官を務めてくれたストラトス・シュメイルや首席秘書官であったフィリオ・マーキスをはじめとして、クロノワの周りには若く優秀な人材が多い。彼らは信頼に足る人物ではあるが、若いということは反面経験が浅いことを意味しており、彼らを三大臣のような国家の要職に抜擢するには一抹の不安が残る。


 悩んだ末、クロノワは問題を丸投げした。だれに丸投げしたかと言えば、外務大臣であったラシアート・シェルパである。


 クロノワはラシアートを宰相に任じると、彼に三大臣の職責を全て兼務させた。しかしながら、いかにラシアートが有能であろうとも一人で三大臣の職責を全うすることなどできるわけがない。そこでクロノワは彼の下にストラトスやフィリオ、アーバルクといった有能な若手を数多く配置しラシアートが彼らに仕事を割り振れるようにした。


 ラシアートに将来国を背負う若手の育成と監督をお願いしたのである。一面、かつてエルストハージが宰相として二人の大臣をまとめていたのと似ている。この体制は後に「ラシアート塾」と呼ばれ、彼が宰相職を退いた後も続き優秀な官僚を数多く輩出した。


 人事の大枠も決まり、オルスクが帝都として機能し始めたころ、リリーゼ・ラクラシアが独立都市ヴェンツブルグから戻ってきた。


 リリーゼはクロノワが帝位に付くまでの一連の政変の間、ずっとヴェンツブルグにいた。それは彼女が自発的に望んだことではなく、フィリオとラクラシア家当主で父でもあるディグスが共謀して彼女を半ば家に軟禁する形で止めたからであった。


 当然、リリーゼとしては不満である。せっかく仕事にもなれ充実した生活を送っていたのに、大事なときに置いてきぼりをくらったのだから。


 そんな不満と悔しさで一杯のリリーゼに声をかけて仕事を手伝わせたのが、アルジャーク帝国から派遣された九人目の執政官、オルドナス・バスティエであった。


 聖銀(ミスリル)の売却益におけるモントルム総督府の取り分は一割であった。クロノワは総督であった頃にそのお金で五隻の帆船を買い、そして実際に運用させていた。実際に何をさせていたかというと、実験的な交易と種々の情報収集である。


 ただクロノワは多忙であった。南方遠征軍の総司令官としてカレナリアに赴き、そしてそのまま政変に巻き込まれていった。この間、五隻の帆船の運用とそこからもたらされる情報の整理を行っていたのが、オルドナス・バスティエその人なのである。


 厳密に言えば、これはヴェンツブルグの執政院の仕事ではない。クロノワがやり始めたことなのだから、モントルム総督府の仕事であろう。そこでオルドナスは総督府職員の身分を持つリリーゼに仕事を手伝ってもらったのである。


 クロノワが皇帝となり、モントルム総督府という組織がなくなったこの節目に、オルドナスはまとめておいた情報を報告するため、仕事を手伝ってもらっていたリリーゼに使いをお願いしたのである。


 帝都となったオルスクへ向かうリリーゼの心境は複雑であった。大事なときに遠ざけられてしまったことへの不満や怒り、またあそこで仕事ができるという期待と喜び、そして忘れられていたらどうしようという不安。様々な感情を抱きながら、彼女は皇帝の居城となったボルフイスク城へ向かったのである。


 リリーゼは皇帝となったクロノワに直接謁見を申し込む、という無謀は流石にしなかった。彼女はまず以前に直接の上司であったフィリオに取り次いでもらい、オルドナスから預かった報告書を見せたのである。


「お久しぶりです、リリーゼ」


 そういってフィリオは前と少しも変わらない笑顔をリリーゼに向けた。また一緒に仕事を頑張りましょうといわれ、忘れられてはいなかったとリリーゼは安堵した。


 安堵すると、次は不満が顔を出してくる。父であるディグスと共謀してリリーゼを屋敷に軟禁してくれたのは、他でもないこの男なのだ。意思の力を総動員して表情筋を制御し、緩みそうになる頬を引き締めて精一杯“ツン”とした表情をして彼女は顔をそらした。フィリオが笑っていたところをみると、上手くはいっていなかったようだが。


「それじゃあ、報告書を見せてもらいますね」


 そういうとフィリオは顔を引き締め、分厚い報告書を手に取り読み始めた。そのスピードは恐ろしく速い。たぶん全てを読んでいるわけではなく、重要と思える点を抜き出して読んでいるのだろう。


「こういうのを『渡りに船』と言うんでしょうかね………」


 報告書を読み終えたフィリオは驚いたような、それでいて呆れたような声でそう呟いた。それからリリーゼのほうに真剣な目を向けてくる。


「これからこの報告書を陛下にお見せしようと思うのですが、リリーゼも一緒に来てくれますか」

「………わたしがお会いしても大丈夫でしょうか………?」


 二つ返事で承諾することができず、リリーゼは少し俯いた。クロノワに最後に会ったとき、彼はまだモントルム領の総督であった。それが今や大国アルジャークの皇帝である。もはやはるか彼方の存在と言っていい。少し面識が有るだけの自分が、フィリオと一緒とはいえいきなり押しかけていいものだろうか。


「あの方はお変わりありませんよ。変わったのは肩書きだけです」


 フィリオのその言葉に背中を押されて、リリーゼは持ってきた報告書を持ってクロノワの執務室へと向かった。


「お久しぶりです、リリーゼ」


 部屋に入ってきた客人に懐かしい顔を認めたクロノワは、そう言って変わらない笑顔をリリーゼに向けた。その笑顔を見てリリーゼの緊張もようやく解ける。皇帝になってもクロノワは本当に変わっていなかった。


 フィリオがかい摘んで用件を説明し、リリーゼに報告書を渡すように促す。彼女から書類を受け取ったクロノワは、さっそくそれに目を通し始めた。


 読み進めるにつれて、クロノワの顔がだんだんと真剣な表情になっていく。所々質問を受けたが、オルドナスと一緒に報告書をまとめたリリーゼはそれに十分答えることができた。


「フィリオ、どう思いますか?」

「例の計画を一段階進めるのに足るかと」


 フィリオの答えにクロノワは一つ頷く。それから彼はリリーゼのほうに視線を向けた。


「念のために聞いておきますが、リリーゼは再びこちらで働く、ということでいいのですよね?」

「はい、お願いします」


 正直なところ、クロノワとフィリオの話には付いていけていない。しかし、それでもリリーゼはクロノワの問いに一瞬の迷いもなく答えた。


「分りました。では、以前と同じようにフィリオの下についてください」


 期待しています、とクロノワはリリーゼに柔らかい眼差しを向けた。

 こうしてリリーゼ・ラクラシアは彼女の望む舞台に再び戻ってきたのである。


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