第八話 王者の器①
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蝋燭に照らされた薄暗い部屋の中に、三人分の人影が揺れている。三人は大理石で作られたテーブルを囲むようにして座っており、手にはそれぞれ赤ワインが注がれたグラスを握っている。そしてテーブルの上には飲みかけのボトルと、何種類かのつまみを載せた大皿が用意されていた。
「カベルネス侯爵、首尾はどうなっている?」
上座に座ったゼノスが口を開いた。赤ワインで少々酔っている感はあるが、言葉使いはしっかりとしており頭も明晰なままだ。
「は、すでに城の兵士たちのほとんどはこちらの手の者に代えてあります。いつでも決行できます」
ただ、と言いよどんでカベルネス侯はさらに言葉を続ける。
「フェレンス殿下の警備はルーウェン公が直々にやっているらしく、さすがに厳重です。公爵は近く領地に戻るという話もあるので、それを待てばフェレンス殿下の警備にこちらの手の者を食い込ませることも可能かと思います」
カベルネス候の言葉に一つ頷くと、ゼノスはもう一人の男のほうに視線を向けた。
「ウスベヌ伯爵、貴族たちへの根回しは?」
「ルーウェン公爵の派閥には手をつけておりませんが、それ以外の者たちには。ただ確実に協力してくれる者となると………」
ウスベヌ伯は少し言いよどんだ。ルーウェン公はフェレンスの妻であるイセリアの父であるから、彼を含めその派閥の貴族たちは最初から敵という認識だ。味方に引き込むなら彼ら以外の貴族たちになるのだが、色のいい返事はなかなかもらえないらしい。
「第一段階が成功すればこちらに傾く者たちも出てくる。それでも様子見を決め込むなら………」
「殿下………」
「わかっている。様子見を決め込む連中は放っておけというのだろう?」
カベルネス候の低い叱責の声に、ゼノスは少し不機嫌な声を返した。
これからこの国には激震が走る。もっと生々しい言い方をすれば、内戦が起こる。いや、起こすのだ。ゼノスたちが。
急速に進展していく事態の中で自分の立ち位置を決められず、「とりあえず趨勢が決するまで様子見」などと安易なほうに流される無能者どもなど、いるだけ有害としかゼノスには思えない。
「その無能者が富みと力を持っていることも事実。今は敵にならないだけで御の字としなければなりません」
「ふん。親から継いだだけものを誇って我がもの顔か」
ゼノスは吐き捨てた。彼は何もかもが不満だった。自分の現状も、国の現状も、時代の流れに鈍感な貴族たちも、自分の上に兄がいることも、そして兄のそばにあの人が立っていることも、全てが不満で彼を苛立たせる。普段は理性で抑えているが、赤ワインのせいで今宵は少し箍が外れてしまったようだ。
「ならば殿下はご自分の力で王座を手に入れられればよいのです」
「言われるまでもない」
「左様、王座についてしまえば後は殿下の胸一つ………」
ウスベヌ伯の追従も今は気にならない。赤ワインの入ったグラスを蝋燭の火にかざす。赤いその液体はまるで血のようにも見える。グラスに残ったそれを、ゼノスは一息で飲み干した。
「クロノワ・アルジャークにできて、この俺にできぬ道理はない」
**********
ゼノスの母の名はマルシェナという。血筋だけは貴族の血統だが、いわゆる下級貴族とか田舎貴族とかいわれる家柄で、貧しくはないが決して裕福ともいえない生活をしていたと聞いている。
マルシェナの人生が一変したのは、彼女が侍女として王宮に上がったときのことだった。ひょんなことから彼女はジルモンドの御手つきとなり、そして懐妊が発覚するとそのまま後宮に入った。
一般的な話になるが、一国の後宮というのは一見すれば華やかな場所だが、その実情は権力闘争の中心地である。後ろ盾、つまり実家に大した力がないマルシェナはそこでは弱者の地位に甘んじなければならなかった。もっとも彼女のほかに後宮にいたのは王妃であるエルセベートだけだったのだが、それだけに強者による弱者の虐げは一方的で集中的なものだった。
結局、マルシェナはゼノスが七歳のときに病死した。「心労により免疫力が低下していた」という言葉の意味をゼノスが理解できたのは随分後になってのことだったが、しかし彼の考えは変わらなかった。
「母は後宮という環境に、ひいては王妃エルセベートに殺されたのだ」
七歳のとき、子共ながらにゼノスはそう考え、そして今に至るまで修正の必要を感じていない。
ゼノス自身も悪意にさらされる幼少期をすごした、といっていい。細かい話は省略すれば、つい最近まで日陰者だったのだ。
そう、クロノワ・アルジャークのように。
クロノワの名前を聞くようになったのはつい最近だ。アルジャークがオムージュとモントルムの二カ国を同時に併合したとき、皇太子でありオムージュ領の総督に任命されたレヴィナスのおまけのようにその名前が語られていた。
詳しく調べれば、クロノワは首尾よくモントルムを征服し、そしてモントルム領の総督になったという。そしてさらに最近では、カレナリアを征服した遠征軍の総司令官も彼であった。
日陰者が、一躍国を支える柱となったのだ。彼は今、帝位をかけてレヴィナスと争っているらしいが、ゼノスはクロノワの勝利を疑っていない。いや、願っている、と言ったほうが正確かもしれない。
「這いつくばって辛酸をなめ、どん底から這い上がってきたものは強い。血筋だけで与えられた地位に甘んじているようなものに負けるものか」
そう、ゼノス自身を含めて。頭角を現すのはクロノワのほうが早かったが、才能そのものが彼に劣っているとは思わない。クロノワにできた、できるならば、ゼノスにだってできるはずだ。
「殿下」
「カベルネス候か。首尾は?」
「万事整っております」
「そうか。では、始めるとしよう」
そう言ってゼノスは立ち上がった。それから腰間に下げた剣を確認する。武術の心得などない貴族どもが好んで持つような装飾過多のナマクラではなく、実戦で使うことを、人を殺すことを主眼に作られた一級品だ。国内でも有数の剣の使い手であるカベルネス候も同じように実戦向きの剣を持っている。
「そういえばウスベヌ伯はどうした?」
城の廊下をフェレンスの執務室目指して歩きながら、ゼノスはもう一人の協力者のことを聞いた。
「屋敷で次の用意をしているかと」
「そうか。ではカベルネス候は城が片付き次第、ウスベヌ伯と合流してそちらの指揮をとってくれ」
ウスベヌ伯には兵を動かす心得などない。城のほうは以前から手回しをしてあり、掌握にそれほどの手間はかからないだろうから、城の外で起こすゴタゴタはカベルネス候に指揮を執ってもらったほうがいい。
カベルネス候が了解の返事を返すと、ちょうどフェレンスの執務室の扉が見えてきた。扉の前に立っている二人の警備兵は、ゼノスとカベルネス候の二人を認めると表情を固くした。この二人はカベルネス候の手の者で、これから何が起こるか知っているのだ。
「兄上にお話がある。取次ぎを」
ゼノスが形式通りに取次ぎを求めると、警備兵の一人がフェレンスにソレを伝えに行き、そしてすぐに入室の許可がなされた。扉を開けて中に入ると、大きな執務机に向かってフェレンスが書類と格闘していた。
「ゼノスにカベルネス候。今日はどうしたんだい?」
フェレンスは書類仕事を中断してペンを置き、穏やかな眼差しを弟に向けた。その微笑からは心身の充足が感じられ、それがゼノスの神経を逆なでする。
「兄上、今日は折り入ってお話しがあってまいりました。この国の行く末に関する話です」
「それは興味深いね。是非、聞かせて欲しい」
ゼノスはすぐには話し始めず、まずは室内を進みフェレンスのもとへと近づいていった。しかし近づきすぎはしない。執務机から二歩ほど離れた場所で立ち止まる。その気になれば一息で机の上に飛び乗ることができる距離だ。
「私が思うに、この国は眠っているのです。そう、惰眠を貪っている」
「面白いことを言うね。どういうことかな」
弟の少々過激な発言に苦笑しながらも、フェレンスは話の続きを促した。そしてゼノスは促されるままに言葉を続ける。
「アルジャーク帝国の急速な版図拡大。カンタルクのポルトールへの進攻とその事実上の属国化。アルテンシア半島の混乱と教会による十字軍遠征。ほかにもあちらこちらで軍が動き、国同士が雌雄を決している。今は激動の時代なのです、兄上。それなのにこの国はそのことをいっこうに認識しようとしない」
「ふむ。それで君はどうしたいのかな」
机の上に肘を立てて指を組みながら、フェレンスが問いかける。その問いに、ゼノスの目が妖しく光った。
「私はこの国を目覚めさせたいのです。そしてそのために………」
その瞬間、ゼノスは腰間の剣を抜きながら執務室の床を蹴り、フェレンスの前の執務机の上に飛び乗った。机の上に積まれていた書類が散乱し、その向こうに驚愕を貼り付けたフェレンスの顔が見え隠れする。
「兄上、貴方には死んでいただきたい」
抜き放った剣を、ゼノスはフェレンスのみぞおちの辺りに突き刺した。フェレンスが血を吐き、衣服に赤いシミが浮かび始める。
「ゼ、ノ……ス?」
ゼノスは剣を抜くと、そのまま今度は真横に一閃した。斬られた椅子の背もたれと共に、フェレンスの首が宙を飛ぶ。その首が床に落ちるのと、頭を失った首から血が噴出するのとは、さてどちらが早かったのか。
力と首を失ったフェレンスの体が崩れ落ちると、ゼノスは執務机の上で立ち上がり血を払い飛ばしてから剣を鞘に収めた。
机から下り顔に付いた返り血を拭うと、ゼノスは床に転がったフェレンスの首のもとへ向かった。冷たい目でその首を見下ろし、おもむろに髪の毛をつかんで持ち上げる。
「行くぞ。次は王妃エルセベートだ」
「御意」
少し離れたところで全てを見守っていたカベルネス候は顔色を変えることなく頷いた。賽は投げられた。この場に留まっていても事態は優位には進まない。
ゼノスとカベルネス候が廊下を進むと、少しずつ兵士が合流していき、ついには五十人近い集団になった。そんな完全武装の集団が城内を闊歩しているだけでも異常事態だというのに、その先頭を行くゼノスは衣服を返り血で汚し手にはフェレンスの生首をぶら下げているのである。悲鳴と混乱が城内を満たした。
腹違いの兄であるフェレンスを手にかけたゼノスが次に向かったのは、宣言どおり王妃エルセベートが住まう一画だった。
侍女たちが悲鳴をあげて逃げ惑う中をゼノスたちは突き進む。そして行き着いた最も豪勢な部屋の中に、王妃エルセベートはいた。周りには殺気立った数人の護衛がいるが、明らかに戦力不足である。彼女自身は悠然とソファーに腰掛けているように見えるが、その顔は青白く唇には血の気がない。
「恐ろしいことを考えつかれましたな、王妃陛下」
エルセベートの姿を認めると、ゼノスは芝居がかった口調でまずそういった。彼女は何が起きたのか大体はすでに把握していたが、それでも思いもよらぬ言葉を投げつけられ一瞬絶句した。が、すぐに猛然と言い返す。
「なっ………!恐ろしいことを考えているのは貴方のほうでしょう!わたくしが一体何をしたというのです!?」
「兄上を玉座につけんと画策された」
その言葉にエルセベートは再び絶句した。フェレンスを王座につけようと画策する?そんなことになんの意味があるというのか。彼は第一王子だ。つまり彼が王座に付くことはすでに確定している。この上どんな陰謀を巡らせる必要があるというのか。
「恐ろしいことですな。今この時期に兄上を玉座につければ、人質としての価値がなくなった国王陛下はアルジャークによって見せしめとして処刑されてしまう。まあ、貴女にとってはそれさえも折込済みだったのでしょうが」
「そ、それは貴方が考えていることでしょう!?」
確かに名詞、つまりフェレンスの部分をゼノスに入れ替えれば、大まかとはいえ今回のクーデターの核心をつけるだろう。喚きたてるエルセベートの言葉をゼノスは無視し、自分の描くストーリーを進めた。
「おかげで私は兄上を殺さなければならなかった」
大仰に嘆いてみせ、ゼノスはフェレンスの生首をエルセベートに向けて放った。息子の生首を抱きかかえた彼女は、それが何であるかを認識するとかん高い悲鳴をあげてその生首を投げ捨てた。
恐怖と焦燥を隠しきれなくなったエルセベートは、ソファーから立ち上がりゼノスに背中を見せて逃げようとした。だがゼノスはそれを見逃しはしない。鞘から剣を走らせ、逃げるエルセベートの背中を斜めに斬り裂いた。
床に倒れ、しかし這ってでも逃げようとする彼女の背中に、ゼノスはさらに剣を突き刺す。エルセベートは一瞬体を硬直させ、そして絶命した。
ゼノスはエルセベートが死んだことを確認してから剣を鞘に戻した。周りを見渡せば、彼女の護衛はいつの間にか片付けられている。カベルネス候の仕事だろう。
「さて、これで後はイセリアだけか」
「すでに別部隊を向かわせております」
フェレンスの妻であるイセリアは殺さずに生かして捕らえる予定だ。フェレンスとの間に子供がいるならば母子共に殺さねばならなかっただろうが、ゼノスにとって幸いなことにまだ子供は生まれていない。
「ルーウェン公爵が王都にいれば、このような手間をかけずに済んだのですが………」
この後、カベルネス候はウスベヌ伯と合流して部隊を率い、ルーウェン公の派閥の貴族たちを粛清することになっている。この時にルーウェン公本人も一緒に殺してしまえれば一番良かったのだが、彼は今自分の領地に戻っている。もっとも彼が王都を離れたおかげでフェレンスの護衛が緩くなり、計画の決行が容易になったという側面もある。
ルーウェン公がフェレンスとエルセベートを殺したゼノスを認めるわけがないから、彼とは互いに軍をもって雌雄を決しなければならない。イセリアはその時に人質として使うのだ。
「どのみち内戦は起こる。ならばルーウェン公という分りやすい親玉がいるほうが、やりやすいのではないか」
当たり障りのないことを言っておく。この場で何を言ったところで状況は変わらないのだから。
「では私はウスベヌ伯のところへ………」
「ああ、宜しく頼む」
「殿下はこれからどうされますか」
殺すべき人物は殺し、捕らえるべき人物は捕らえた。敵対派閥の貴族たちの掃討に参加しないのであれば、することはもうない。
「そうだな。挨拶でもしてくるか、イセリアに」
そして手に入れるのだ。国も、権力も、女も。
ゼノスの顔が欲望に歪んだ。